1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
本件は、欧州特許出願(出願番号:09814917.2、発明の名称:「Network timing synchronization systems」)の拒絶査定に対する出願人(Appellant)による審判請求事件である。本願発明は、通信経路を介してフォロワーシステムを基準システムのタイミングに同期させる技術に関し、伝搬イベントのタイムスタンプ対から補正係数(CF)等を算出・適用することを特徴とする。
EPO審査部(Examining Division)は、主請求がEPC第84条(明確性)に、補助請求1がEPC第84条および第54条(新規性)に違反し、口頭審理期日に提出された補助請求2および3は裁量(Rule 137(3), Rule 116 EPC)に基づき手続に認容されないとして出願を拒絶した。 出願人は拒絶査定の取消しおよび特許付与を求めて審判請求を提起し、審判手続の過程で主請求および補助請求1〜14(審判理由書提出後や口頭審理当日の朝に提出された請求を含む)を提示したほか、EPC規則第103条(1)(a)に基づく審判手数料の全額返還、および口頭審理議事録の訂正等を請求した。
2. 判決の主文
本件審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。
3. 主な争点
- 争点1: 請求項の明確性要件適合性(EPC第84条)
主請求、補助請求1〜4、7〜9における「vicinity with the highest density of CFn」、「Teon」、「range of bins ... having the highest density」等の用語・特定が、当業者にとって保護を求める技術的範囲を明確に画定しているか。 - 争点2: 審判段階の後期に提出された補正請求の認容性(RPBA 2020第13条(1)および(2))
審判理由書の提出後に提出された補助請求6、ならびに審判部によるRPBA第15条(1)に基づく予備的通知の送達後(口頭審理当日朝)に提出された補助請求10〜14が手続に認容されるか(一見しての認容可能性(prima facie allowability)、例外的な状況(exceptional circumstances)の有無)。 - 争点3: 審査部による重大な手続違反の有無および審判手数料の返還(EPC規則第103条(1)(a))
審査部が第1審口頭審理において提出された補助請求2・3を不受理としたことが裁量の誤謬ないし重大な手続違反に該当するか。 - 争点4: 口頭審理議事録の訂正請求(EPC規則第124条(1))
出願人が求めた議事録の広範な加筆・訂正要求が認められるか。
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
(1) 明確性要件について(EPC第84条)
- 主請求・補助請求4: 「vicinity with the highest density of CFn」という記載について、「vicinity(近傍)」の範囲(絶対範囲か相対範囲か、その広がり)が定義されておらず、基準点も不明確である。明細書や図面の記載を参照しても計算手法や保護範囲を明確に特定できず、EPC第84条に違反する。
- 補助請求1: 「Teon」なる用語は当該技術分野において確立された意味を有しておらず、請求項上は単にタイムスタンプ対を「含む(includes)」としか定義されていない。一方、明細書中の定義(タイムスタンプ要素の「群(group)」)とも不整合であり、請求項の記載は不明確である。
- 補助請求2: 「vicinity」を「interval of highest concentration(最高濃度の区間)」と定義し直しているが、近傍(隣接領域)という語義と矛盾し、依然としてその広がりおよび正確な位置が不明である。
- 補助請求3、7〜9: 「range of bins having the highest density」という記載について、通常ヒストグラムで最高密度を有するのは単一のビンであり、複数のビンからなる「範囲」が最高密度を持つとした場合、どのビンが何個含まれるのか、どのような基準と比較して最高密度となるのかが特定できず、不明確である。
(2) 後期提出の補助請求の認容性について(RPBA 2020第13条(1)・(2))
- 補助請求6(RPBA 2020第13条(1)): 審判理由書提出から3か月後に追加された本請求は、「sliding window」という原処分時には請求項に含まれていなかった新事項(fresh case)を導入しており、手続の複雑化を招く。また、パラメータ「N」の具体的算出方法が不明確であり、一見して認容可能(prima facie allowable)とはいえないため、裁量により不受理とした。
- 補助請求10〜14(RPBA 2020第13条(2)): 口頭審理期日の当日の朝に提出された請求群について、出願人は「審判部の予備的見解に精神的動揺(emotionally disturbed)を覚えた」こと等を理由として挙げたが、審判部の見解に対する単なる不服は「説得力ある理由を伴う例外的な状況(exceptional circumstances justified by cogent reasons)」には該当しない。さらに、79ページに及ぶ説明文書を伴い手続経済を害する上、実体上もEPC第84条違反を一見して解消していないため、手続に認容しない。
(3) 審査部の手続違反の有無および審判手数料の返還(EPC規則第103条(1)(a))
本件審判請求自体が認容されないため、手数料返還の前提要件を満たさない。また、第1審審査部が指定期限経過後の口頭審理期日に提出された補助請求2・3につき、EPC規則第116条および第137条(3)の枠組みに従い、明確性違反が一見して解消されていないこと等を理由に不受理とした判断は、適法な裁量権の行使であり、重大な手続違反は認められない。
(4) 議事録の訂正請求(EPC規則第124条(1))
EPC規則第124条(1)に基づき、議事録には「口頭審理の要点」および「当事者の関連する陳述」が記録されるべきところ、どの程度の詳細さで記載するかは書記官および裁判長の裁量に属する(T 1891/20参照)。出願人氏名のスペル誤りの訂正を除き、要点や関連陳述の脱漏はなく、過度に詳細な追記請求は却下される。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
- 独自用語・統計的表現のクレームドラフティング上の厳格性:
「Teon」のような造語や、「vicinity with the highest density」「range of bins」といった統計・アルゴリズム上の概念をクレームに導入する際、請求項自体からその技術的境界(区間の幅、基準点、算出条件等)が一義的に明確でなければ、EPC第84条違反を免れない。明細書に記載があっても請求項の文言と齟齬がある場合は治癒されないため、クレーム内での厳密な数学的・技術的定義が求められる。 - RPBA 2020における段階的厳格化(コンバージェンス・アプローチ)の徹底:
審判段階での補正は極めて制限される。特に第15条(1)通知後の補正(第13条(2))では、「例外的な状況」かつ「説得力ある理由」の立証が厳格に要求され、審判部の予備的見解に対する反論や主観的動揺は理由として認められない。また、審判段階で新たな構成(fresh case)を導入することは第13条(1)の裁量により一見して却下されるリスクが高い。 - 第1審口頭審理でのレイトファイリングに対する審査部の裁量:
Rule 116 EPCに基づく期限徒過後の補正について、審査部が「一見して認容可能でない(not prima facie allowable)」として不受理とした判断は、裁量権の濫用がない限り審判部で覆らず、重大な手続違反(手数料返還事由)にもならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿