【EPO審判部 / 2026年6月17日】T 0944/24 - 脂肪族ポリアミド組成物および携帯電子機器部品に関する特許異議申立控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Syensqo Specialty Polymers USA, LLC)の欧州特許第3609955号(発明の名称:「脂肪族ポリアミド組成物および対応する携帯電子機器部品」)に対する、異議申立人(ARKEMA FRANCE)による特許異議申立の控訴審判決である。

欧州特許庁(EPO)異議部は、口頭審理において特許権者が提出した主請求(Main Request)に基づく補正された形式での特許維持決定(中間決定)を下した。 これに対し、異議申立人は特許取消しを求めて控訴(Appellant 2)し、特許権者も控訴(Appellant 1)を提起した。 異議申立人は、特許権者の控訴は自らの主請求が認められているため不服申立ての利益を欠き不適法であると主張するとともに、主請求のクレーム1について明確性(EPC第84条)、開示の十分性(EPC第83条)、新規性(EPC第54条)、および進歩性(EPC第56条)の欠如を主張した。

2. 判決の主文

1. 特許権者の控訴を不適法として却下する(The appeal of the patent proprietor is rejected as inadmissible)。
2. 異議申立人の控訴を棄却する(The appeal of the opponent is dismissed)。
(異議部が認めた主請求に基づく訂正特許の維持が確定)

3. 主な争点

  • 争点1: 特許権者の控訴の適法性(EPC第107条、規則101(1))
    第一審の異議部口頭審理で認容された主請求について、特許権者に決定に対する不服(adversely affected)が認められるか。
  • 争点2: 控訴審で提出された新証拠(D15、D16等)の許容性(RPBA第12条(4))
  • 争点3: クレームの明確性(EPC第84条)
    クレーム1の「either features A or features B」という記載における接続詞「or」は、排他的(exclusive)と解釈されるべきか、包括的(inclusive)と解釈されるべきか。
  • 争点4: 新規性(EPC第54条)
    先行文献D1の実施例5および6に対し、特定の誘電率等のパラメータが暗黙的に開示されているといえるか(混合則による計算および再現実験報告書の評価)。
  • 争点5: 進歩性(EPC第56条)
    最寄先行技術D4に対し、機械的特性を維持しつつ誘電特性を改善する課題において、D2またはD11に開示された低誘電率ガラス繊維を適用することが当業者にとって容易想到であったか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 特許権者の控訴の不適法却下(EPC第107条)

EPC第107条に基づき、決定により不利益を受けた(adversely affected)当事者のみが控訴を申し立てることができる。不利益の有無は第一審における最終的な申立内容と決定主文との比較によって判断される(T 244/85, T 434/00等)。本件異議部の決定は口頭審理で提出された特許権者の最終主請求を認容して特許を維持したものであるため、特許権者は不利益を受けておらず、その控訴は不適法である(EPC規則101(1))。

2. 新証拠(D15、D16)の採用(RPBA第12条(4))

異議部は決定において、異議申立人の新規性に関する主張が「再現実験ではなく計算上の仮定に基づいていること」および「D1のポリマーのモノマー比率が開示されていないため再現が不可能なこと」を理由に排斥した。異議申立人が決定理由に接して初めて再現実験の必要性と問題点を認識したといえるため、控訴理由書とともに提出された実験報告書(D15、D16)は時機に適した反論として採用された。

3. クレームの明確性(EPC第84条)

審判部の確立した判例(T 1409/16等)によれば、「either ... or」を含む「or」という表現は、技術的文脈から両者が互いに相容れない(technically incompatible)場合を除き、原則として「包括的(inclusive)」に解釈される。本件の特徴A(ポリマーの構成単位)と特徴B(組成物全体の特定周波数での誘電率)は技術的に両立可能であり、明細書の実施例とも矛盾しないため、明確性の要件を満たす。

4. 開示の十分性(EPC第83条)

不十分性を主張する側に立証責任があり、「検証可能な事実に基づく重大な疑義(serious doubts substantiated by verifiable facts)」を示す必要があるが、異議申立人はこれを立証できていない。所定の誘電率および引張弾性率を有するガラス繊維は市販品として入手可能であり、当業者が出願時の技術常識に基づいて実施することは可能である。

5. D1に対する新規性(EPC第54条)

異議申立人は、D1の実施例に記載された組成の誘電率が混合則による計算およびD15/D16の再現実験によりクレーム1の範囲内(特徴B)に含まれると主張した。しかし、計算の基礎となる各樹脂の誘電率の確実な根拠文献が示されておらず、またD15/D16で採用されたポリマーのモノマー含有量とD1の記載との整合性・技術常識に基づく選択の妥当性が立証されていないため、暗黙の開示とは認められず、新規性は否定されない。

6. D4を最寄先行技術とする進歩性(EPC第56条)

クレーム1は、D4(特に実施例3)に対して「特定範囲(5.1〜5.5)の誘電率を有するガラス繊維を含む点」において相違する。本願実施例(実施例11〜13)の対比に基づき、客観的技術課題は「機械的特性を満足なレベルに維持しつつ、誘電特性(低誘電率)を改善した脂肪族ポリアミド組成物の提供」と再設定される。 進歩性の判断において、最寄先行技術D4は「非円形断面(フラット形状)」を有するガラス繊維の使用を必須の特徴としている。一方、異議申立人が組み合わせを主張する副引例D2およびD11に開示された低誘電率ガラス繊維(S-2ガラス等)について、非円形断面を有する旨の開示はない。したがって、当業者がD4の必須要件を損なうことなくD2やD11のガラス繊維を適用することには動機づけがなく、クレーム1に係る発明は容易想到とはいえない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 特許権者の控訴適法性(EPC第107条)の厳格な適用: 口頭審理等で差し替えた最終的な主請求が認められた場合、実質的に当初の広範なクレームから減縮された形であっても、法的には「主請求認容(完全勝訴)」とみなされ、特許権者に控訴の利益(adversely affected)は認められない。審判請求を行う可能性がある場合は、従前の広範な請求を上位請求(主請求・先行補助請求)として維持し、拒絶された記録を残す必要がある。
  • クレームにおける「either ... or」の解釈ルール: EPOの実務において、クレーム中の選択的文言「or」は技術的な矛盾がない限り包括的(AかつBを含む)と解釈される原則(T 1409/16)が再確認された。
  • パラメータ・暗黙の開示の立証責任(新規性): 先行文献の追試・再現実験や理論計算によってパラメータの充足(暗黙の開示)を主張する場合、実験で使用した原材料の特定(モノマー比率等)や計算の前提となる基礎数値の客観的証拠(出典)が厳格に要求される。
  • 最寄先行技術の構造的・必須要件に基づく進歩性の防衛: 副引例から特定の物性(誘電率等)を有する材料を組み合わせる容易想到性を主張されても、最寄先行技術が有する本質的・構造的要件(本件におけるガラス繊維の「非円形断面」要件)が副引例の材料で満たされないことを論証することが、進歩性拒絶・無効理由に対する極めて有効な防御論理となる。

【EPO審判部 / 2026年7月17日】T 0674/25 - 歯車研削・研磨方法に関する特許異議審判請求審決(特許取消・審判手数料返還請求却下)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(被請求人:Kapp Niles GmbH & Co. KG)の欧州特許第3930949号(発明の名称:「研削盤または研磨盤において歯車または歯車状異形断面を有する工作物を研削または研磨する方法」)に対し、異議申立人(請求人:Reishauer AG)が異議を申し立てた事案である。
欧州特許庁(EPO)異議部は、当時の補助請求1の範囲で特許を維持する中間決定を下した。これを不服とした異議申立人が審判を請求し、原決定の取消し、特許の取消し、および異議部の重大な手続的瑕疵(手続違反)を理由とする審判手数料の返還(欧州特許条約(EPC)規則103条(1)(a))を求めた。
特許権者は、審判請求の棄却(主請求:原決定で認められた内容での特許維持)を求め、予備的に補助請求1〜3に基づく特許維持を主張した。

2. 判決の主文

1. 原決定を取り消す。
2. 本件特許を取り消す。
3. 審判手数料の返還請求を却下する。

3. 主な争点

  • 争点1:主請求および補助請求1〜3の進歩性(EPC第56条)の有無
    最寄り先行技術(D1:DE 198 57 592 A1)に対し、工作物の歯面取り代(Aufmaß)の測定に接触式測定素子(taktiles Messelement)を採用すること、および当該取り代に基づいて研削・研磨パラメータを設定することが、当業者の通常の創作能力の発揮(周知技術の適用)により容易想到であるか。また、測定時間(タクトタイム)の増加が適用を阻害する事由(阻害要因)となるか。
  • 争点2:審判手数料の返還要件(EPC規則103条(1)(a))の該当性
    異議部の判断過程における意見陳述機会の制限や理由の不備等が「重大な手続的瑕疵(wesentlicher Verfahrensmangel)」に該当し、衡平(Billigkeit)の見地から返還が認められるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求の進歩性(EPC第56条)について:否定

  • 相違点の特定:最寄り先行技術D1と主請求記載の発明との相違点は、(i) 歯面測定に「接触式測定素子」を用いる点、および (ii) 測定された有効取り代に基づいて研削を行う点にある。
  • 容易想到性の判断:
    • 歯面取り代を高精度に測定するために接触式センサを用いることは、本件出願時における当業者の周知技術である。
    • 特許権者(異議部)は「接触式センサは測定時間が長くタクトタイムを遅延させるため阻害要因がある」と主張したが、D1には具体的なタクトタイムの記載がなく、接触式測定によりタクトタイムが実際に遅延することを示す具体的証拠も提出されていないため、阻害要因の存在は認められない。
    • 取り代測定の結果を後続の研削工程に反映させ、過剰な加工を避けて効率化を図ることは、研削技術分野における当業者の通常の技術常識にすぎない。
  • したがって、主請求に係る発明はD1および周知技術から容易に想到できたものであり、進歩性を欠く。

2. 補助請求1〜3の進歩性(EPC第56条)について:否定

  • 補助請求1:研削パラメータに取り代を考慮する限定を追加したにすぎず、主請求の範囲に含まれる技術内容と実質的に同一であり進歩性を欠く。
  • 補助請求2:歯溝位置の特定に誘導型センサを用い、歯面取り代測定に接触式測定素子を併用する限定。しかし、接触式測定素子の衝突を防ぐため既存の誘導型センサによる位置決めを併用することは当業者にとって自然な設計変更であり、進歩性を欠く。
  • 補助請求3:接触式測定素子を「測定プローブ(Messtaster)」に限定したが、これは接触式測定素子の典型例にすぎず、進歩性は認められない。

3. 審判手数料の返還請求について:却下

  • 審判手数料の返還(EPC規則103条(1)(a))が認められるためには、重大な手続的瑕疵の存在に加え、それが審判請求の提起との間に直接の因果関係を有し、返還が「衡平」に適うことが必要である。
  • 異議申立人が主張した手続的瑕疵(D6に関する異議部の判断理由等)は決定の傍論(obiter dictum)にすぎず、主たる判断理由(タクトタイムを理由とする阻害要因の認定)が覆されない限り、審判請求は不可避であった。したがって、手続的瑕疵と審判提起との間に因果関係が認められず、手数料返還の要件を満たさない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 阻害要因(Teach away / Hindernisgrund)立証の厳格性:
    「処理時間・タクトタイムの増大」を理由として周知技術の組み合わせに対する阻害要因を主張する場合、先行技術における具体的な制約条件や時間データ等の客観的・定量的証拠(Beweismittel)による裏付けが不可欠であることが再確認された。単なる技術的懸念や推測の陳述のみでは阻害要因として認められない。
  • EPC規則103条に基づく審判手数料返還の因果関係要件:
    原審(異議部等)に理由不備や聴取権侵害等の瑕疵があったとしても、その瑕疵が決定の結論を左右しない付随的理由(傍論)にとどまる場合、当事者が別異の理由を争うために審判を申し立てる必要があった以上、返還の要件(重大な手続瑕疵と不服申立ての因果関係・衡平性)は満たされないという実務基準が示されている。

【EPO審判部 / 2026年6月25日】T 0861/24 - 天然繊維および合成繊維を含む繊維ウェブの製造方法に関する特許維持決定に対する審判請求事件(原決定取消・特許取消)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、欧州特許第3433421号(発明の名称:「METHOD OF PRODUCING A FIBROUS WEB CONTAINING NATURAL AND SYNTHETIC FIBRES」)に対する異議申立手続において、欧州特許庁(EPO)異議部が特許を訂正された形(当時の補助請求5、現・審判段階の補助請求8に相当)で維持する中間決定を下したところ、特許権者(Paptic Ltd)および異議申立人(Ahlstrom Oyj)の双方がこれを不服として控訴(Appeal)を申し立てた事案である。

【特許権者の請求・主張】
特許権者は、原決定を取り消し、特許を付与時クレーム(主請求)のまま維持すること、あるいは審判請求理由書とともに提出した補助請求1〜7、または異議申立人の控訴に対する答弁書とともに提出した補助請求8〜12に基づく訂正維持を求めた。実体面では、最接近先行技術であるD1(US 2009/0223644 A1)には天然繊維とバインダー塗布の組合せについて開示も示唆もなく、本発明は特定の繊維構成とバインダー処理により「プラスチック類似の性質(plastic-like properties)」という優れた技術的効果を奏するため、進歩性を有すると主張した。

【異議申立人の請求・主張】
異議申立人は、原決定を取り消し、特許を完全に取り消す(Revocation)ことを求めた。主たる主張として、主請求およびすべての補助請求に係るクレーム1の発明は、D1に記載された公知技術に照らして当業者が容易に想到し得たものであり、EPC第56条に基づく進歩性を欠く旨を主張した。

2. 判決の主文

1. 原決定を取り消す(The decision under appeal is set aside)。
2. 本件特許を取り消す(The patent is revoked)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求、補助請求1〜3および補助請求7〜12における進歩性(EPC第56条)の有無
    (D1に開示されたウェブ製造方法に対して、天然繊維の選択や天然繊維/合成繊維の配合比率等の限定事項が、顕著な技術的効果に基づく非自明な構成といえるか、あるいは単なる自明な代替・任意の選択にすぎないか)
  • 争点2: 控訴審段階で初めて提出された補助請求4〜6の審判手続上の採択性(RPBA 2020 第12条(6)項)
    (異議部手続の最終期日後の異議申立人の主張に対して、第一審口頭審理で提出せず控訴理由書で初めて提出したクレームセットが、審判手続において斟酌されるべきか)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 進歩性に関する判断(主請求・補助請求1〜3・補助請求7〜12:EPC第56条違反)

  • 先行技術D1の開示内容:
    D1には、フォームフォーミング法により形成された湿潤ウェブに対し、吸引を行いながらバインダーを塗布・浸透させる工程が開示されている。また、D1の段落[0027]には補強繊維として有機繊維(麻などの天然繊維)が使用可能であること、および当該繊維を用いることで燃焼残渣が生じないという利点が開示されている。
  • 相違点に起因する技術的効果の立証不備(確立された判例 T 197/86 の適用):
    特許権者は「プラスチック類似の性質(延伸性等)」という効果を主張するが、本件特許の記載(段落[0016]等)から、この性質はバインダーの特定の塗布方法に起因するものであり、相違点である「天然繊維の選択」に起因するものとは認められない。確立された判例法(T 197/86)によれば、進歩性を基礎づける改良効果を主張する場合の比較対照は、当該効果が「発明の相違点に由来する」ことを示すものでなければならないが、本件の比較例はD1の教示する湿潤ウェブへの塗布と異なる乾燥ウェブへの塗布を対照としており、D1に対する効果の実証となっていない。
  • 客観的技術課題の再設定および自明性:
    相違点による有利な効果が立証されていない以上、解決されるべき客観的技術課題は「代替的な方法の提供(provision of an alternative method)」に格下げされる。D1には麻等の天然繊維の利用やその単独・併用が明示されており、燃焼時の利点も示唆されていることから、D1のバインダー塗布工程において天然繊維を選択すること(主請求)、また特定の比率で合成繊維と混合すること(補助請求7・8)や目付(坪量)の範囲(補助請求9)、未叩解繊維の採用(補助請求10等)は、いずれも当業者にとってD1の広範な教示からの「任意の選択(arbitrary selection)」にすぎず、進歩性を欠く。

(2) 審判手続における遅れて提出された請求の不採択(補助請求4〜6:RPBA 第12条(6)項)

  • 特許権者は、異議部段階のRule 116 EPCに基づく最終提出期日にD1に基づく進歩性欠如の主張がなされたため、第一審での提出機会がなく控訴理由書が初の上程機会であったと主張した。
  • しかし、審判廷は、Rule 116 EPCは新たな請求の提出を法的に禁じるものではなく、第一審の口頭審理において提出することが可能かつ求められていた(could and should have been submitted)と判示。第一審で却下される懸念があったとしても、それは控訴審で初めて提出することを正当化する理由にはならない。
  • 特許権者の訴訟追行により第一審での実質的判断が妨げられた請求を控訴審で新たに審理することは、審判手続の本質が原決定に対する司法的見直し(RPBA 第12条(2)項)にあることに反するため、RPBA 第12条(6)項に基づき補助請求4〜6を審理から排除(不採択)した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 課題解決アプローチ(Problem-Solution Approach)における効果の立証責任と明確な比較対象の設定:
    進歩性の主張において有利な効果(本件ではプラスチック類似性)を主張する場合、判例(T 197/86)に則り、その効果が「請求項と最接近先行技術との間の技術的相違点」に真に由来することを実験的に立証しなければならない。先行技術に既に存在する特徴(バインダー塗布様態)に起因する効果を根拠に課題を高度に設定することは認められず、課題が「代替手段の提供」に再設定された場合、公知文献内の例示群からの単なる選択は進歩性欠如と判断されるリスクが高い。
  • RPBA 2020下での第一審における手続追行の厳格性(補助請求の提出時期):
    審判手続(Boards of Appeal)におけるRPBA 第12条(6)項の適用は極めて厳格である。第一審(異議部)の口頭審理で審理・判断させず、控訴段階で初めて持ち出された補助請求は、たとえ相手方の直前の反論に対応するものであっても「第一審で提出すべきであった」として門前払い(不採択)とされる。異議部段階で予備的防衛線をすべて顕名化し、異議部に採否または実体の判断を下させておくことが、控訴審での審理対象確保のために不可欠である。

【EPO 審判部(審判部 3.5.05) / 2026年5月13日】T 0382/25 - 電子タバコの放出制御機構に関する新規事項追加(EPC第123条(2))およびG 1/24に基づくクレーム解釈の抗弁に関する控訴審決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、JT International SA(特許権者・控訴人)が保有する欧州特許第2982255号(発明の名称:「Inhalation device including substance usage controls」)に対し、Lippert Stachow Patentanwälteほか2名(異議申立人・被控訴人ら)が異議申立てを行い、異議部が新規事項追加(EPC第100条(c) / 第123条(2)違反)を理由に特許取消決定を下した事案の控訴審である。 特許権者は、特許付与時のクレームを維持する主請求、および補助請求0〜11(補助請求0.1および11は控訴理由書で初提出)を掲げ、取消決定の破棄と特許維持を求めた。また、特許権者は係属中の拡大審判部付託事件(G 1/26)を理由とする審理停止、または拡大審判部への付託(EPC第112条(1)(a))を求めた。

2. 判決の主文

  1. 審理手続停止の請求を却下する。
  2. 拡大審判部への付託請求を却下する。
  3. 本件控訴を棄却する(特許取消決定を維持)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求(および補助請求1〜10)クレーム1における補正がEPC第123条(2)に違反するか(中間的一般化の成否)、および拡大審判部決定G 1/24に基づく明細書参酌による限定的クレーム解釈により当該瑕疵を治癒できるか。
  • 争点2: EPC第123条(2)等へのG 1/24の適用関係をめぐり審理手続を停止すべきか、または拡大審判部へ付託すべきか(EPC第112条(1)(a))。
  • 争点3: 第一審で却下された補助請求0、および控訴審で初提出された補助請求0.1および11の審理対象への許容性(RPBA 2020 第12条(4)、第12条(6))。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求および補助請求1〜10のEPC第123条(2)違反

主請求クレーム1の特徴1.9「control the release of first substance based on the determined amount...」は、出願当初に開示されていた「release rate(放出率)」から「release(放出全般)」へと不当に一般化されたものである。この文言は、放出温度の制御や放出量の増加など広範な制御態様を包含するが、出願当初の明細書にはセンサおよびタイマのデータに基づく物質量に応じたこのような広範な制御の開示根拠は存在しない(中間的一般化に該当)。

特許権者は「G 1/24に従い明細書を参酌すれば、クレームの『control the release』は明細書の実施形態に即して『放出停止または放出率の低減(limit logic)』と狭義に解釈されるため新規事項追加には当たらない」と主張した。 しかし審判部は、G 1/24がクレーム解釈時に明細書・図面を常に参酌すべき旨を定めているとしても、クレームの文言上可能な範囲を超えて、明細書の特定実施形態に合致するようにクレームを限定解釈する権限を与えるものではない(T 2027/23引用)と判示した。特許権者の主張を認めると、あらゆる過度な一般化補正が「明細書に開示された範囲で狭く解釈される」ことになり、EPC第123条(2)の規定が形骸化・無効化(nugatory)してしまう(T 405/24引用)。したがって、主請求および同様の瑕疵を有する補助請求1〜10はEPC第123条(2)に違反する。

(2) 手続停止および拡大審判部への付託請求の却下

本件の争点は新規事項追加に関する確立された判例法に基づき十分に判断可能である。G 1/24のクレーム解釈の原則がEPC第123条(2)の判断にも妥当し得るとしても、明細書の一部を引用して限定解釈することで許されない補正を救済することはできない。したがって、別件(T 873/24)に基づく付託事件(G 1/26)の結論を待つ手続停止や新たな付託は不要である。

(3) 補助請求0、0.1、11の不許容(RPBA 2020 第12条(4)、第12条(6))

  • 補助請求0:第一審口頭審理期日での遅延提出であり、かつ一見して(prima facie)EPC第123条(2)違反を解消していないとして異議部が裁量により却下した判断に誤りはなく、控訴審でこれを審理対象に採り上げるべき正当な事由もない(RPBA 第12条(6)前段)。
  • 補助請求0.1および11:控訴審で初めて提出された補正(amendments)であるところ、異議部決定に対する適切な対応とは認められず、他事件を警戒した「念のための提出」等は控訴審の性質(第一審決定の司法審査)に反するため、審理対象から除外した(RPBA 第12条(4)、第12条(6))。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • G 1/24決定の適用限界の明確化(第123条(2)との関係): 拡大審判部決定G 1/24はクレーム解釈における明細書の参酌を義務付けているが、本判決(ならびに引用されたT 2027/23、T 405/24)は、「明細書を参照してクレームを文言よりも限定的に解釈し、中間的一般化(新規事項追加)の瑕疵を回避・治癒する抗弁」を一貫して否定した。ドラフティングおよび補正実務において、クレーム文言そのものが当初開示の直接的かつ一義的な範囲内に収まるよう厳格に記載・補正する必要性が再確認された。
  • RPBA 2020下における補助請求の提出戦略: 第一審の示唆や書面段階で予見可能であった論点について、第一審口頭審理や控訴審理由書に至ってから補正請求を追加・差替えても、RPBA第12条(4)・(6)により極めて厳格に排除される実務が定着している。

【欧州特許庁審判部 / 2026年6月26日】T 0060/26 - ネットワークタイミング同期システムに関する出願拒絶査定に対する不服審判請求事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、欧州特許出願(出願番号:09814917.2、発明の名称:「Network timing synchronization systems」)の拒絶査定に対する出願人(Appellant)による審判請求事件である。本願発明は、通信経路を介してフォロワーシステムを基準システムのタイミングに同期させる技術に関し、伝搬イベントのタイムスタンプ対から補正係数(CF)等を算出・適用することを特徴とする。

EPO審査部(Examining Division)は、主請求がEPC第84条(明確性)に、補助請求1がEPC第84条および第54条(新規性)に違反し、口頭審理期日に提出された補助請求2および3は裁量(Rule 137(3), Rule 116 EPC)に基づき手続に認容されないとして出願を拒絶した。 出願人は拒絶査定の取消しおよび特許付与を求めて審判請求を提起し、審判手続の過程で主請求および補助請求1〜14(審判理由書提出後や口頭審理当日の朝に提出された請求を含む)を提示したほか、EPC規則第103条(1)(a)に基づく審判手数料の全額返還、および口頭審理議事録の訂正等を請求した。

2. 判決の主文

本件審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。

3. 主な争点

  • 争点1: 請求項の明確性要件適合性(EPC第84条)
    主請求、補助請求1〜4、7〜9における「vicinity with the highest density of CFn」、「Teon」、「range of bins ... having the highest density」等の用語・特定が、当業者にとって保護を求める技術的範囲を明確に画定しているか。
  • 争点2: 審判段階の後期に提出された補正請求の認容性(RPBA 2020第13条(1)および(2))
    審判理由書の提出後に提出された補助請求6、ならびに審判部によるRPBA第15条(1)に基づく予備的通知の送達後(口頭審理当日朝)に提出された補助請求10〜14が手続に認容されるか(一見しての認容可能性(prima facie allowability)、例外的な状況(exceptional circumstances)の有無)。
  • 争点3: 審査部による重大な手続違反の有無および審判手数料の返還(EPC規則第103条(1)(a))
    審査部が第1審口頭審理において提出された補助請求2・3を不受理としたことが裁量の誤謬ないし重大な手続違反に該当するか。
  • 争点4: 口頭審理議事録の訂正請求(EPC規則第124条(1))
    出願人が求めた議事録の広範な加筆・訂正要求が認められるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 明確性要件について(EPC第84条)

  • 主請求・補助請求4: 「vicinity with the highest density of CFn」という記載について、「vicinity(近傍)」の範囲(絶対範囲か相対範囲か、その広がり)が定義されておらず、基準点も不明確である。明細書や図面の記載を参照しても計算手法や保護範囲を明確に特定できず、EPC第84条に違反する。
  • 補助請求1: 「Teon」なる用語は当該技術分野において確立された意味を有しておらず、請求項上は単にタイムスタンプ対を「含む(includes)」としか定義されていない。一方、明細書中の定義(タイムスタンプ要素の「群(group)」)とも不整合であり、請求項の記載は不明確である。
  • 補助請求2: 「vicinity」を「interval of highest concentration(最高濃度の区間)」と定義し直しているが、近傍(隣接領域)という語義と矛盾し、依然としてその広がりおよび正確な位置が不明である。
  • 補助請求3、7〜9: 「range of bins having the highest density」という記載について、通常ヒストグラムで最高密度を有するのは単一のビンであり、複数のビンからなる「範囲」が最高密度を持つとした場合、どのビンが何個含まれるのか、どのような基準と比較して最高密度となるのかが特定できず、不明確である。

(2) 後期提出の補助請求の認容性について(RPBA 2020第13条(1)・(2))

  • 補助請求6(RPBA 2020第13条(1)): 審判理由書提出から3か月後に追加された本請求は、「sliding window」という原処分時には請求項に含まれていなかった新事項(fresh case)を導入しており、手続の複雑化を招く。また、パラメータ「N」の具体的算出方法が不明確であり、一見して認容可能(prima facie allowable)とはいえないため、裁量により不受理とした。
  • 補助請求10〜14(RPBA 2020第13条(2)): 口頭審理期日の当日の朝に提出された請求群について、出願人は「審判部の予備的見解に精神的動揺(emotionally disturbed)を覚えた」こと等を理由として挙げたが、審判部の見解に対する単なる不服は「説得力ある理由を伴う例外的な状況(exceptional circumstances justified by cogent reasons)」には該当しない。さらに、79ページに及ぶ説明文書を伴い手続経済を害する上、実体上もEPC第84条違反を一見して解消していないため、手続に認容しない。

(3) 審査部の手続違反の有無および審判手数料の返還(EPC規則第103条(1)(a))

本件審判請求自体が認容されないため、手数料返還の前提要件を満たさない。また、第1審審査部が指定期限経過後の口頭審理期日に提出された補助請求2・3につき、EPC規則第116条および第137条(3)の枠組みに従い、明確性違反が一見して解消されていないこと等を理由に不受理とした判断は、適法な裁量権の行使であり、重大な手続違反は認められない。

(4) 議事録の訂正請求(EPC規則第124条(1))

EPC規則第124条(1)に基づき、議事録には「口頭審理の要点」および「当事者の関連する陳述」が記録されるべきところ、どの程度の詳細さで記載するかは書記官および裁判長の裁量に属する(T 1891/20参照)。出願人氏名のスペル誤りの訂正を除き、要点や関連陳述の脱漏はなく、過度に詳細な追記請求は却下される。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 独自用語・統計的表現のクレームドラフティング上の厳格性:
    「Teon」のような造語や、「vicinity with the highest density」「range of bins」といった統計・アルゴリズム上の概念をクレームに導入する際、請求項自体からその技術的境界(区間の幅、基準点、算出条件等)が一義的に明確でなければ、EPC第84条違反を免れない。明細書に記載があっても請求項の文言と齟齬がある場合は治癒されないため、クレーム内での厳密な数学的・技術的定義が求められる。
  • RPBA 2020における段階的厳格化(コンバージェンス・アプローチ)の徹底:
    審判段階での補正は極めて制限される。特に第15条(1)通知後の補正(第13条(2))では、「例外的な状況」かつ「説得力ある理由」の立証が厳格に要求され、審判部の予備的見解に対する反論や主観的動揺は理由として認められない。また、審判段階で新たな構成(fresh case)を導入することは第13条(1)の裁量により一見して却下されるリスクが高い。
  • 第1審口頭審理でのレイトファイリングに対する審査部の裁量:
    Rule 116 EPCに基づく期限徒過後の補正について、審査部が「一見して認容可能でない(not prima facie allowable)」として不受理とした判断は、裁量権の濫用がない限り審判部で覆らず、重大な手続違反(手数料返還事由)にもならない。

【EPO審判部 / 2026年04月22日】T 0642/25 - 取引データ処理用機械学習モデルのデータ拡張・学習方法に関する進歩性欠如審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

(当事者および出願経過)
出願人(Appellant)Featurespace Limitedは、デジタル取引データにおける異常(不正取引等)を検知するための教師あり機械学習システムを学習させるコンピュータ実装方法に関する欧州特許出願(出願番号:21728871.1)を行った。欧州特許庁(EPO)審査部は、請求項に係る発明は先行技術文献(D1)に対して進歩性を欠く(EPC第52条(1)および第56条違反)として拒絶査定を下した。これを不服とした出願人が審判を請求した。

(請求項1の発明特定事項)
請求項1の方法は、未ラベルの取引データサンプルに「異常なし」のラベルを付与し、観測特徴量とコンテキスト特徴量に分割した上で、異なるエンティティ間の特徴量を組み合わせて合成データサンプルを生成し、「異常あり」のラベルを付与して学習データを拡張(augmentation)し、この拡張データセットを用いて機械学習システムを学習させ、新たなデータに対して異常の有無を示す値を出力可能にするものである。

(出願人の主張の骨子)
出願人は、ラベル付きデータが不足・欠落している状況下で高精度な機械学習モデルを生成するという課題は客観的かつ技術的課題であり、合成データの生成およびそれによる学習データセットの拡張自体が技術的効果を生むと主張した。また、生成されたラベルは機能的データ(functional data)であり、画像分類において合成データ生成が進歩性の根拠とされた判例(T 1286/09)や、不正検知システムを技術的と認めた判例(T 1901/08)と同様に保護されるべきであると主張した。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。

3. 主な争点

  • 争点1: 金融・取引データにおける異常検知モデルの学習およびデータ拡張(合成データ生成)手法が「技術的性質(technical character)」を有し、進歩性の判断において技術的貢献(technical contribution)をもたらすか。
  • 争点2: ラベル付きデータの欠如という問題の解決および生成されたラベル・合成データが、EPO実務(COMVIKアプローチ等)上の「技術的課題」および「機能的データ」に該当するか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

審判部(Board of Appeal)は、COMVIK判決(T 0641/00)の法理に基づき、請求項1に係る発明は通常の汎用コンピュータ上で実行される以上の技術的特徴を有さず、進歩性を欠く(EPC第56条)と判断した。

(1) 機械学習モデルおよび学習対象データの非技術性
機械学習モデル(システム)自体およびその学習手法(教師あり学習を含む)は、本質的に数学的方法(mathematical methods)であり、それ自体では技術的性質を有しない。取引データ(決済データ等)は単なる抽象的データであり、これらに内在的な技術的特徴はない。

(2) 技術的目的および「更なる技術的効果(further technical effect)」の不存在
(金融)取引が「異常」であるか否かを判定する目的はビジネス上・認知上の目的であって、EPC上の「技術的目的(technical purpose)」に該当しない(EPO審査ガイドライン G-II, 3.3.1、T 755/18参照)。したがって、そのような目的のために機械学習モデルを学習・高精度化することや、そのための学習データセットを生成・拡張することは、更なる技術的効果をもたらさない。

(3) 出願人の主張に対する反論・当てはめ

  • 技術的課題の成否:「ラベル付きデータが不足している」という事態は実務上の課題であっても技術的課題ではなく、ラベル生成も抽象的データ処理にとどまる。
  • 機能的データの該当性:本件で生成されるラベルは、データ構造製品に関する判例(T 1194/97)で定義される「機能的データ(functional data)」ではなく、単なる「認知的情報(cognitive information)」である。
  • T 1286/09(画像分類)との差異:T 1286/09はデジタル画像の色分布のシフトなど、デジタル画像の具体的表現に依存した画像変換を伴うものであり、抽象的な取引データを組み合わせる本件とは根本的に異なる。
  • T 1901/08(ATM不正検知)との差異:特定のハードウェア端末(ATM等)を対象としたT 1901/08とは異なり、本件の特徴は汎用コンピュータで実行される非技術的特徴にとどまり、ビジネス上の効果しか奏しない。

結論: 先行技術文献D1との詳細な比較を要するまでもなく、本件方法は汎用コンピュータでの実行を除き技術的貢献を一切もたらさないため、進歩性を欠く。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • AI/機械学習(ML)の学習手法・データ拡張に関する審査実務の再確認:
    EPOにおけるAI/ML関連発明の審査では、モデルの学習方法やデータ拡張(Data Augmentation)手法それ自体に新規なアルゴリズムが存在しても、それが「特定の技術的目的(specific technical purpose)」に限定されていない、あるいは「コンピュータの内部実装(specific technical implementation)」に根差していない限り、非技術的特徴(数学的方法)として進歩性の判断から除外される(COMVIKアプローチの厳格な適用)。
  • 金融・不正検知分野におけるクレームドラフティングの留意点:
    取引データ分析や不正検知(Fraud Detection)は原則として「ビジネス・金融分野(非技術的分野)」とみなされるため、データ拡張や学習方法単体で権利化を図ることは極めて困難である。進歩性を主張するためには、入出力データが物理的実体・技術的パラメータ(画像、センサー信号、通信制御等)に直結していること、またはハードウェアの効率的利用・特定の実装アーキテクチャに依存した技術的効果を明細書およびクレームにおいて明確に特定する必要がある。

【EPO審判部 / 2026年7月7日】T 0343/25 - 光センサを備える補聴装置の特許性(新規性・進歩性・新規事項追加・明確性)に関する審判決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、欧州特許第3806495号(発明の名称:「Hearing device including an optical sensor」)に対する異議申立手続において、EPO異議部(Opposition Division)が特許権者の「補助請求2」の補正形態で特許を維持する旨の中間決定を下したことを不服として、特許権者(Sonion Nederland B.V.)および異議申立人(K/S HIMPP)の双方が提起した審判請求事件である。

本件特許は、耳あな型・耳かけ型等の補聴装置において、心拍数測定等のための光トランスデューサをハウジングのキャビティ(空洞部)内に実装し、液状の封止用接着剤(エポキシ等)をキャビティに充填・硬化させて外向きに湾曲したシールド(ドーム状レンズ)を一体形成することで、装置の省スペース化と光学的視野(Field of View)の制御を両立させる技術に関するものである。

【当事者の請求】

  • 特許権者(Patent Proprietor):原決定を取り消し、主請求(登録時のクレームの維持=異議申立の棄却)を認めること、予備的に補助請求1または補助請求2に基づく特許維持を請求。
  • 異議申立人(Opponent):原決定を取り消し、本件特許の完全取消し(Revocation)を請求。

2. 判決の主文

  1. 原決定を取り消す(The decision under appeal is set aside.)。
  2. 本件特許を取り消す(The patent is revoked.)。

3. 主な争点

  • 争点1(主請求・新規性):先行文献D1の開示内容に照らし、主請求に係る発明が新規性(EPC第54条)を有するか(特にキャビティ上にシールドが形成されているとする構成要件(h)の充足性)。
  • 争点2(主請求・進歩性):D1を出発点として、主請求に係る発明が進歩性(EPC第56条)を有するか(当業者がキャビティを樹脂封止して凸型レンズ状シールドを形成することの容易想到性)。
  • 争点3(補助請求1・新規事項の追加):段部構造(stepped design)に関して「1つ以上のステップ部」と機能的文言を組み合わせた補正が、許されない中間一般化(unallowable intermediate generalisation)として新規事項追加(EPC第123条(2))に該当するか。
  • 争点4(補助請求2・明確性):装置クレームにおいて製造過程の機能的効果(「enabling」「fostering」)を用いて段部構造を規定した補正が、クレームの明確性(EPC第84条)要件を満たすか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求:新規性(肯定)および進歩性(否定)

  • 新規性(EPC第54条): 異議部はD1により新規性が喪失されると判断していたが、審判部はD1の構造においてキャビティを構成する要素(スロットと凹部チャンネルの複合構造)を精査した。D1の丸型トップ封止体はキャビティ内部に位置しており、「キャビティを覆うシールドを形成する(構成要件h)」ことまでは直接的かつ一義的に開示されていないと認定し、新規性を認めた。
  • 進歩性(EPC第56条): 客観的技術課題は「環境影響からキャビティを効果的に保護すると同時に、発光・受光素子対の視野を成形すること」と設定された。 D1には、①光検出を改善するための導波路として凹部チャンネルを透明材料で満たす教示、および②エポキシによる素子封止の教示が存在する。当業者がD1の導波路(光学ガラス)を透明エポキシに置換し、キャビティを満たすように樹脂を注入することは通常の設計変更の範囲内である。その際、液体の表面張力(メニスカス)によって硬化時に自然と「外向きに湾曲したシールド(凸型レンズ)」が形成され、所望の環境封止と視野制御が同時に達成される。したがって、主請求は進歩性を欠く。

2. 補助請求1:新規事項の追加(EPC第123条(2)違反)

  • 補助請求1は、側壁に「1つ以上のステップ部(one or more step portions)」を有し、これが製造中に物質をキャビティ内に留めドーム形成を促進する(enabling / fostering)という特徴を追加した。
  • しかし、当初明細書において上記機能的効果が直接的に開示されているのは「2つ以上のステップ」を有する実施形態(図2C)のみである。単一ステップを示す図4(静止図面)から当該動的な製造効果を導き出すことはできず、特定実施形態から機能的効果のみを抽出してより広範な構造(1つ以上)に適用する補正は、許されない中間一般化(unallowable intermediate generalisation)に該当する。

3. 補助請求2:明確性(EPC第84条違反)

  • 補助請求2はステップ数を「2つ以上」に限定したものの、異議部が適法とした明確性の判断を審判部は覆した。
  • 本件クレームは「物(装置)」のクレームでありながら、製造中の挙動・結果(「enabling」「fostering」「during manufacturing」)という機能的文言によって構造を画定しようとしている。流体の物理的挙動は二者択一的ではなく、高粘度樹脂であればステップの有無や位置にかかわらず表面張力でドーム状メニスカスを維持し得る。
  • クレーム上、段部がキャビティのどの位置(外縁部か底部か等)に存在すべきか構造的に特定されておらず、段部とドーム形成との間の因果関係が不明確である。製造作業者に対する「視覚的目印」といった主張も、最終製品たる装置自体の客観的・構造的境界を画定するものではないため、クレームはEPC第84条の明確性要件を充足しない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 物(装置)クレームにおける機能的・プロセス的限定(明確性): 物のクレームにおいて製造時の動的プロセスや機能的効果(「〜を促進する(fostering)」「〜を可能にする(enabling)」)を用いて構造的特徴を特定しようとする場合、最終製品において確認・検証可能な明確な構造的差異をもたらさない限り、EPC第84条違反(不明確)となるリスクが極めて高い。製造上の利点・作用効果は、可能な限り客観的な幾何学的・構造的パラメータ(段部の配置位置、寸法等)としてクレームアップする必要がある。
  • EPC実務における中間一般化(Intermediate Generalisation)の厳格性: 特定の実施形態に開示された構造(例:2ステップ)と特定の作用効果との因果関係が存在する場合、作用効果の文言を維持したまま構造のみを上位概念化(例:1ステップ以上)してクレームへ導入することは、新規事項追加(EPC第123条(2))として厳格に排除される実務が再確認された。
  • 周知の物理現象(表面張力)と進歩性: 液状樹脂の注入・充填に伴い表面張力(メニスカス)によって自然発生する湾曲形状やレンズ効果は、当業者にとって自明な物理的帰結とみなされ、格別の構造的工夫や予期せぬ顕著な効果がない限り、進歩性を基礎付ける要素とは認められない。

【欧州特許庁 審判部(EPO Boards of Appeal) / 2026年7月2日】T 1456/24 - トレーラー牽引装置の荷重検出構造に関する特許有効性(新規性・進歩性)審判事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、ACPS Automotive GmbHが保有する欧州特許第3455091号(発明の名称:「トレーラー牽引および/または荷重支持ユニット保持装置」)に対し、WESTFALIA - Automotive GmbHが異議申立てを行い、異議部が特許を訂正された範囲(当時の補助請求II)で維持する旨の中間決定を下したことに対する審判請求事件である。

審判手続において、特許権者は自己の審判請求を取り下げるとともに、審判請求理由書とともに提出した補助請求IVに基づく限定減縮された特許の維持を求めた。一方、異議申立人(請求人)は、当該補助請求IVに係る請求項1記載の発明は、先行技術文献D8(US 6,053,521)により新規性を欠き(EPC第54条)、また文献D1(DE 10 2014 013 812 A1)およびD8の組合せに基づいて当業者が容易に想到し得たものであるため進歩性を欠く(EPC第56条)として、原決定の取消しおよび特許取消しを求めた。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部中間決定)を取り消す。
2. 本件を異議部に差し戻し、補助請求IV(請求項1〜16、口頭審理にて確定された明細書、および特許公報記載の図面1〜25)に基づく訂正された範囲で特許を維持することを命じる。

3. 主な争点

  • 争点1:新規性(EPC第54条)
    請求項1で特定される「センサキャリア(Sensorträger)」およびその配置構造が、先行技術D8(図4)に実質的に開示されているか(保持アーム自体またはその一部をセンサキャリアと読み替える解釈の可否)。
  • 争点2:進歩性(EPC第56条)
    D1を最も近い先行技術(closest prior art)として、D8に記載されたセンサ構成を組み合わせることにより、請求項1に係る発明(共通のセンサキャリアの両面に配置され、垂直中立基準面を貫通する構成等)に当業者が容易に到達できたか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 新規性について(具備)

  • 構成要件の解釈:請求項1において、センサキャリアは「変形可能な保持アーム部分と結合され、保持アーム部分と質的に同一の可逆的変形挙動を示す」こと、および「保持アーム部分の垂直中立基準面(Vertikal-Neutralreferenzfläche)がセンサキャリアのセンサ担持面間の体積領域を貫通する」ことが規定されている。
  • D8との対比:D8の図4は、保持アームの上下の凹部に歪みセンサを直接設けた構成を開示しているにすぎない。異議申立人は、センサが設けられた保持アーム部分それ自体が「センサキャリア」に該当すると主張するが、クレーム文言上、変形挙動を比較対照し結合される対象である以上、センサキャリアは保持アームとは別個独立の別部材でなければならず、一体物(モノリシック構造)の一部をセンサキャリアとみなす解釈は採用できない。
  • また、保持アームの一部をセンサキャリアと解したとしても、有限な面である「垂直中立基準面」が別箇所のセンサキャリアを貫通する関係を満たさないため、新規性は否定されない。

(2) 進歩性について(具備)

  • 動機の不存在:最も近い先行技術D1は、幾何学的に複雑に変形する湾曲した保持アームの2箇所のディスクリートな位置で単一のセンサを用いて長手方向の歪みを測定し、垂直荷重・牽引力を割り出す構成を開示している。D1の構成において、測定箇所に2つの近接したセンサを設ける動機はなく、曲げモーメント検出を目的として対向配置を用いるD8を組み合わせる必然性がない。
  • 設計変更・組合せの限界:仮にD8の教示を考慮したとしても、D8からは保持アームの上面と下面に個別のセンサ(または別個のキャリア)を配置する着想しか得られず、「単一のセンサキャリアの両面にセンサを担持させ、かつその単一キャリアが垂直中立基準面を貫通するように保持アーム内部に配置する」という請求項1の具体的構造に到達する動機付けはない。したがって、進歩性を有する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • クレーム解釈における「部材の独立性」の判断: クレームにおいて「部材Aが部材Bと結合され、部材Aが部材Bと同一の挙動を示す」等の相対的な関係性・挙動が規定されている場合、物理的に単一の部材(モノリシック構造)の異なる領域を切り分けて構成要件AおよびBに当てはめる抗弁(部材の読み替え主張)は、文言解釈上排斥されることが明確に示された。
  • 部分間・幾何学的配置関係による新規性・進歩性の確保: 単なるセンサの対向配置という上位概念的な機能ではなく、「単一のキャリア部材が特定の中立面を貫通して両面にセンサを保持する」という幾何学的・機械的な構造特定が、先行技術(別個センサ配置や直接貼付)に対する有効な差別化要素(新規性・非自明性の根拠)として機能している。

【EPO審判部(審判部 3.2.05) / 2026年5月5日】T 1057/24 - 接着剤移送ホース特許の新規事項追加による取消決定に対する審判請求(原決定破棄・異議部への差戻し)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Nordson Corporation、審判請求人)が保有する欧州特許第3306160号(発明の名称:「バリア層を有する接着剤移送ホースおよび使用方法」)について、3名の異議申立人(Baumer hhs GmbH、Focke Meler Gluing Solutions, S.A.、TEAT S.P.A.、被審判請求人ら)から提起された異議申立てに対し、欧州特許庁(EPO)異議部が欧州特許条約(EPC)第100条(c)および第123条(2)(新規事項の追加/中間一般化)を理由として特許を取り消した(原決定)ため、特許権者が不服として審判請求(Appeal)を申し立てた事案である。

審判請求人は、特許維持(主請求)または補助請求1〜36に基づく特許維持を求めた。一方、被審判請求人らは審判請求の棄却、遅れて提出された補助請求の不受理、およびEPC第123条(2)に適合すると判断された場合の異議部への限定的差戻し等を求めた。また、被審判請求人らは口頭審理のビデオ会議(ViCo)による開催を求めた。

2. 判決の主文

1. 原決定を取り消す(The decision under appeal is set aside)。
2. さらなる審理のため、本件を異議部に差し戻す(The case is remitted to the opposition division for further prosecution)。

3. 主な争点

  • 争点1: 口頭審理の開催形式(RPBA 2020 第15条a(1))
    当事者からのビデオ会議(ViCo)開催申立てに対し、対面開催を維持すべき裁量判断の当否。
  • 争点2: 補正要件違反/新規事項の追加(EPC第100条(c)、第123条(2))
    (a) 主請求(特許時クレーム1)および補助請求1〜5aにおける「外層が構造層の外表面に接触している」等の補正が不適法な中間一般化(intermediate generalisation)に当たるか。
    (b) 控訴審で提出された補助請求5c(Auxiliary Request 5c)が適法な補正であり、当初開示の範囲内といえるか。
  • 争点3: 審判段階で提出された補助請求5cの審理対象性(RPBA 2020 第12条(6))
    異議部段階で提出されず審判請求理由書で初めて提出された補助請求5cを受理(admit)すべきか。
  • 争点4: 明確性要件の審査範囲(EPC第84条、拡大審判部決定 G 3/14)
    特許時クレームに既に存在していた特徴の組み合わせに対し、明確性の審査を行うことができるか。
  • 争点5: 差戻し命令の範囲制限の可否(EPC第111条(1)(2))
    差戻し後の異議部での審理対象を、審判部がEPC第123条(2)を満たすと認めた特定の請求(補助請求5c)のみに限定して制限できるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 口頭審理形式の裁量(対面開催の維持)

RPBA第15条a(1)に基づきViCo開催とするかは審判部の裁量に属する。第一審(異議部)と異なり審判部では対面が原則である。4当事者が関与し、多数の補助請求および同時通訳の要請がある等、事案の複雑性に鑑み、審判部は対面による口頭審理が適切と判断した。

(2) 主請求および補助請求1〜5aの新規事項追加(EPC第100条(c)、第123条(2))

主請求クレーム1の「外層(706)が構造層(704, 705)の外表面に接触(in contact with)している」という限定について、当初出願の図面(概略図であり縮尺通りでなく、特定要素が省略され得る)から接触の有無を一義的に読み取ることはできず(確立した判例:図面に隙間がないことのみから積極的な接触構成を直接かつ一義的に導くことはできない)、また明細書上も「加熱テープ層・絶縁層・保護層からなる特定の多層構造外層」と「継ぎ目のない波付け(corrugations)を有する金属内管」との組み合わせにおいてのみ開示されていた。したがって、これらの不可分な構成を特定せずに外層と構造層の接触のみを抽出・一般化した補正は許されない中間一般化に該当し、EPC第123条(2)に違反する。補助請求1〜5aも同様の欠陥または加熱ワイヤ層に関する開示との不整合を解消できておらず、認められない。

(3) 補助請求5cの審理対象性(RPBA第12条(6)第2文)および補正の適法性

異議部が口頭審理当日に接触要件に関する見解を変更(change of mind)したことに起因して補助請求の応酬が生じた経緯があり、かつ補助請求5aで指摘された加熱ワイヤとヒーターの関係等に関する異議部の判断理由(技術的不整合)は書面決定で初めて詳細が明かされた。この手続的経緯に照らし、審判請求理由書において加熱ワイヤの選択肢を削除して収束させた補助請求5cを提出したことには正当な理由があり、RPBA第12条(6)第2文の「特段の事情(circumstances justify their admittance)」に該当するため受理された。
そして、補助請求5cのクレーム1は、ステンレス製・波付け構造の内管、加熱テープ層・絶縁層・保護層の各副層からなる外層、および各層の接触・配置関係を過不足なく特定しており、従属項や明細書全体の文脈(酸素侵入防止や熱損失抑制等の機能的必然性)とも整合するため、EPC第123条(2)の要件を充足する。

(4) 明確性(EPC第84条)と G 3/14 の適用

拡大審判部決定 G 3/14 の規範に基づき、特許異議・審判手続においてEPC第84条(明確性)の審査が許されるのは、「特許付与後の補正によって新たに不明確性が生じた場合に限られる」。本件において「ヒーター」と「加熱テープ副層」の共存関係や「outer covering」と「outer covering layer」の用語使用は、付与特許のクレーム1および従属クレーム6の組み合わせに既に存在していた曖昧さであり、今回の補正により新たに導入されたものではないため、EPC第84条に基づく審査の対象とはならない。その他の点についても明確性要件違反は認められない。

(5) 異議部への差戻し(EPC第111条(1))と審理範囲制限の拒否(EPC第111条(2))

異議部は原決定において新規性、進歩性、記載要件(実施可能要件)について何ら実質的判断を下していないため、EPC第111条(1)およびRPBA第11条に基づき、事案を異議部に差し戻す(Remittal)。
被審判請求人(異議人2)は差戻し後の審理対象を「EPC第123条(2)を満たすとされた請求(補助請求5c)のみに限定」することを求めたが、審判部はこれを明確に否定した。EPC第111条(2)が定める差戻しの拘束力(ratio decidendi)は同一事実関係における判断理由に及ぶにとどまり、差戻し後の手続において当事者が新たな先行技術や適切な補正クレームを提出する裁量を不当に拘束する権限は審判部にない(異議部がEPC第123条(1)や規則81(3)に基づき新たな補正の適格性を判断すべきである)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 中間一般化(Intermediate Generalisation)と図面の開示性
    概略的な特許図面(schematic drawings)において「部材間に隙間が描かれていないこと」のみを根拠として部材間の物理的接触("in contact with")を一般クレームへ導入することは、判例(T 170/87, T 410/91, T 352/05, T 204/22等)上、新規事項追加と判断されるリスクが極めて高い。明細書中で特定の多層構造と組み合わせて開示されている場合は、その構造的特徴(本件では波付け内管、個別独立した絶縁層・保護層等)を併せてクレームアップする必要がある。
  • 審判段階での請求項追加(RPBA 2020 第12条(6)の実務)
    第一審口頭審理での異議部の見解変更や、書面決定で初めて示された新規の論点(技術的不整合の指摘等)に対しては、審判請求理由書段階で補正請求(補助請求5c)を提出することが「正当化される事情」として認められ得る。
  • 拡大審判部決定 G 3/14 の射程
    付与時従属項の特徴を独立項に組み込んだ場合、その文言自体または従属関係に起因する不明確性は G 3/14 により明確性審査の対象から除外される。異議申立人側は、単なる付与クレームの組み合わせに起因する不明確性を争点化することはできない。
  • 差戻し(Remittal)における審理対象制限の不可
    EPC第111条(2)の法理上、審判部は差戻し後の異議部の審査権限を特定のクレーム請求のみに限定・拘束することはできず、差戻し後の補正の受理・不受理は第一審(異議部)の裁量に委ねられる。

【EPO審判部 / 2026年4月24日】T 0717/24 - 希少変異およびコピー数多型検出方法の特許維持決定に対する取消審決(新規事項追加/EPC第76条(1)及び第123条(2))

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、Guardant Health, Inc.(特許権者・被請求人)が保有する欧州特許第3591073号(対象発明:「希少変異およびコピー数多型を検出する方法」、第2世代の分割出願)に対し、Margaret Dixon Limited(異議申立人02・抗告人)が特許異議を申し立てた事案の控訴審(審判手続)である。なお、UPC(統一特許裁判所)パリ地方部での侵害暫定処分申請を受けたSophia Genetics S.A.が参加人(異議申立人03)として適法に参加した。
原審(EPO異議部)は、特許権者の主請求(Main Request)に係るクレームセットおよび発明がEPCの要件を満たすとして特許を維持する中間決定を下した。これに対し異議申立人02が、主請求項1が当初出願および親出願(原出願)に開示されていない新規事項を追加するものである(EPC第76条(1)および第123条(2)違反)等と主張して審判を請求し、特許取消しを求めた。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部の中間決定)を取り消す。
2. 欧州特許第3591073号を取り消す。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求項1における特徴の組み合わせが新規事項の追加(EPC第76条(1)および第123条(2))に該当するか(複数リストからの選択と「ポインター(示唆)」の有無)
  • 争点2: 主請求が認められない場合における、補助請求に基づく異議部への事件差戻し請求(EPC第111条(1)、RPBA第11条)の可否
  • 争点3: 各補助請求項における新規事項追加の有無

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 新規事項追加の判断基準(ゴールドスタンダード)
審判部は、EPO拡大審判部決定 G 2/10 及び G 1/05 に基づく「ゴールドスタンダード」を再確認した。すなわち、補正は、出願当初の書類全体から当業者が共通の一般知識を用いて客観的・直接的かつ一義的(direct and unambiguous)に導き出せる範囲内でのみ認められ、当業者に新たな技術的情報を提供するものであってはならない。

2. 主請求項1に関する当てはめ
特許権者は、当初出願のクレーム83を出発点とし、明細書の各段落([00237], [00238], [00243]等)に基づき補正の適法性を主張した。しかし、審判部は以下のとおり判断した:

  • 特徴(i)(非特異的バーコードの使用): 段落[00237]および[00243]において、固有識別子、非特異的識別子、バーコード等の多様な選択肢からなる「第1のリスト」からの選択に該当する。
  • 特徴(iv)(リード開始部・終了部の配列情報との組み合わせによる固有識別の付与): 段落[00243]および[0050]の記載に照らすと、「リードの開始・終了部の配列情報」の利用と「リード長(塩基対数)」の利用は累積的・補足的なものではなく、相互に代替的な選択肢(alternative options)として提示されている。したがって、当該特徴の特定は「第2のリスト」からの選択に該当する。
  • ポインター(Pointer)の不存在: 特許権者は実施例6がクレーム1の組み合わせへのポインター(直接的かつ一義的な開示へと導く示唆・動機付け)になると主張した。しかし、実施例6には非特異的バーコードのライゲーションも、開始・終了部分の配列情報の利用も記載されておらず、当該特定の組み合わせを直接的かつ一義的に導くガイダンスとは認められない。

したがって、主請求項1は複数のリストから選択された要素の恣意的な組み合わせ(二重選択)を含んでおり、EPC第76条(1)および第123条(2)に違反する。

3. 事件の差戻し請求の却下
特許権者は補助請求に基づく異議部への差戻し(EPC第111条(1))を求めたが、審判手続規則(RPBA 2020)第11条に基づく「特別な理由(special reasons)」が存在せず、特許権者も口頭審理において補助請求に関する実質的な追加主張を行わなかったため、審判部は自ら権限を行使して差戻し請求を却下した。

4. 補助請求の判断
提出されたすべての補助請求(補助請求1〜7、1a〜7a、1b)においても、主請求項1と同様に「非特異的バーコード」および「開始・終了部配列情報の利用」という拒絶理由を惹起した組み合わせ特徴がそのまま維持されているため、同様にEPC第76条(1)および第123条(2)違反により特許性を欠く。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 複数リストからの選択(Multiple Selections)と新規事項追加
本件は、EPO実務において厳格に適用される「複数リストからの選択」ルールを改めて示した典型例である。明細書中に個々の要素が個別に記載されていても、それらを組み合わせた特定の構成が出願当初の開示から直接的・一義的に把握できない限り、新規事項の追加(中間的一般化・主題の創出)とみなされる。

2. 「ポインター」論の限界と要件
特許権者が組み合わせの開示根拠として実施例を「ポインター」として援用する場合、その実施例自体がクレームされた特定の特徴の組み合わせを明確に示唆している必要がある。本件のように、実施例において選択対象となった必須特徴(バーコードの種類や固有性付与パラメータ)が特定されていない場合、ポインターとしての機能は否定される。

3. RPBA 2020下における差戻し実務
原審(異議部)で未判断の補助請求であっても、主請求と同一の法的主題(新規事項追加の共通瑕疵)を含む場合、RPBA第11条の「特別な理由」は認められにくく、審判部が差戻しを行わずに最終処分(特許取消)を下す実務傾向が如実に表れている。

【欧州特許庁審判部 / 2026年7月2日】T 1391/24 - 塗料および漆喰用下塗り組成物(プライマー)の進歩性欠如に基づく特許取消決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、DAW SEが保有する欧州特許第3640304号(発明の名称:「塗料および漆喰用プライマー」)に対し、異議申立人ら(Ewald Dörken AGおよびWächtershäuser & Hartz)が欧州特許条約(EPC)第100条(a)(新規性・進歩性欠如)および同条(b)(記載要件違反)に基づき異議を申し立てた事案の審判(控訴審)手続である。

EPO異議部は、特許権者の補助請求3(Hilfsantrag 3)に基づく補正発明には特許性(進歩性)があるとして、特許を同限定範囲で維持する中間決定を下した。これに対し、特許権者(登録時のクレームまたは上位の補助請求に基づく維持を主張)および異議申立人2(進歩性欠如による特許取消を主張)の双方が審判請求(Beschwerde)を提起した。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部の中間決定)を取り消す。
2. 本件特許を取り消す(Das Patent wird widerrufen)。

3. 主な争点

  • 争点1: 最寄り先行技術(D11)に基づく「客観的技術課題(Objective Technical Problem)」の認定
    (引例D11の浸透性下塗り塗料に対し、本件発明において主張された塗布性・付着性等の向上効果が立証されているか、あるいは単なる「代替組成物の提供」に留まるか)
  • 争点2: 相違点(水分含有量の変更、有機溶剤の完全排除、防腐剤の添加)の自明性(EPC第56条:進歩性)
    (有機溶剤を排除し水分量を高める改変が、当業者にとって「容易な代替手段の選択」または「性能の低下を伴う自明な改変」に過ぎないか否か)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 補助請求3に係る発明の進歩性(EPC第56条)の判断

審判部は、実務上の「課題・解決アプローチ(Problem-Solution Approach)」に従い、最寄り先行技術であるD11(DE 42 00 914 A1)と比較検討した。

  • 相違点および客観的技術課題の認定:
    本件請求項1とD11との相違点は、①水分量が少なくとも90.25重量%である点、②最大1.0重量%の防腐剤を含有する点、③特定有機溶剤(プロピレングリコール-n-ブチルエステル)を含まない(必須成分から排除された)点の3点である。特許権者は均一な発色や強固な付着性等の効果を主張したが、D11との対比における顕著な効果を示す比較例は存在しなかった。したがって、客観的技術課題は「単なる代替となるプライマー組成物の提供」と認定された(特許権者も口頭審理でこれを争わず)。
  • 水分量の限定について:
    D11の開示例(水分量89.69〜90.14重量%)は本件クレームの下限(90.25重量%)に極めて近接しており、D11自体にも水希釈可能である旨が示されている。格別の技術的効果が示されていない以上、範囲の選択は単なる恣意的な変更にすぎず、進歩性を基礎づけない。
  • 有機溶剤の排除(完全な水系化)について:
    特許権者は「有機溶剤の全廃は浸透性を損なうため当業者が想到し得ない」旨主張した。しかし、技術課題が単なる代替物の提供である場合、当業者に対する特定の示唆(Incentive)は不要であり、実用的な代替物(sinnvolle Alternative)とみなせるか否かで足りる(審決例T 1045/12参照)。仮に有機溶剤の排除によって付着性等の性能低下を招くとしても、単なる代替物の提供においては先行技術からの性能低下(Verschlechterung)は自明な選択肢として許容されるため、進歩性を肯定する根拠にはならない(審決例T 745/22、T 1865/22参照)。
  • 防腐剤の添加について:
    微量(最大1.0重量%)の防腐剤の添加は、水系組成物における周知・慣用技術の範囲内である。

以上の結果、補助請求3に係る発明は進歩性を欠き、EPC第56条に違反すると判断された。

(2) 主請求(特許維持)および補助請求1・2の判断

主請求および補助請求1・2の各請求項1は、補助請求3の請求項1よりも広義の概念を包含するものであるため、同様の理由により進歩性を欠く(EPC第100条(a) / 第56条違反)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 課題・解決アプローチにおける「代替物提供」の認定と進歩性要件:
    最寄り先行技術に対する有利な効果(顕著な効果)が明細書および比較実験データによって裏付けられない場合、客観的技術課題は「代替物の提供(provision of an alternative)」へと再定義される。この場合、先行技術に特定の示唆(teaching/incentive)が存在しなくとも、当業者が通常取り得る代替手段の範囲内であれば自明と判断される(T 1045/12の法理)。
  • 先行技術に対する「性能低下(De-selection/Worsening)」の法的位置づけ:
    本審決(および引用されたT 745/22、T 1865/22)は、単なる代替品の提供において、先行技術の有利な成分(本件では有機溶剤)を排除することに伴う性能の悪化は「明らかな(自明な)性能低下」とみなされ、進歩性を主張する根拠にはなり得ないことを再確認している。先行技術から特定の必須的成分をオミットして特許性を主張する場合、同等以上の効果を維持していることの客観的立証(比較データ)が必須となる。

【欧州特許庁 審判部 / 2026年6月11日】T 0165/25 - クランプ装置及びレーザー溶接装置の特許有効性に関する審決(進歩性肯定・審判請求棄却)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(被請求人:Evosys Laser GmbH)が保有する欧州特許第3749507号(発明の名称:クランプ装置及び関連するレーザー溶接装置)に対し、異議申立人(請求人:LPKF Laser & Electronics AG)が欧州特許条約(EPC)第100条(a)に基づく異議理由(第56条の進歩性欠如)を主張して特許取消しを求めた事案の審判(控訴審)手続である。

欧州特許庁(EPO)異議部が異議申立てを棄却(特許維持)する決定を下したため、異議申立人が同決定の取消し及び特許の取消しを求めて審判を請求した。争点となったクレーム1は、レーザー溶接用の内外のクランプ部材(Spannbacken)を連結する固定部材(Befestigungselemente)によるレーザー光の遮蔽部(影)に対し、ミラー素子(Spiegelelement)を設けてレーザー光を反射・照射させる構成(特徴1.6及び1.6.1)を特徴とするものであった。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(Die Beschwerde wird zurückgewiesen.)。

(原決定が維持され、本件特許は登録時のクレームのまま有効に維持される。)

3. 主な争点

  • 争点1: 客観的技術課題(Objective Technical Problem)の認定
    最も近い先行技術(D1: WO 2008/125263 A1)との差異(特徴1.6及び1.6.1)に基づく客観的技術課題を「均一かつ連続した溶接ビードの製造を可能にすること」とするか、異議申立人が主張する「固定部材による遮蔽(シャドウイング)のデメリットを回避すること」とするか。
  • 争点2: 先行技術(D1及びD2)に基づく進歩性の有無(EPC第56条)
    D1に接した当業者が、D2(トレーニング用スライド資料)または周知技術に基づき、D1の構成にミラー素子を付加して固定部材による遮蔽領域にレーザーを反射・照射させる動機付け(Incentive/Motivation)を有していたか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

審判部(審判部3.2.05)は、EPOの「課題・解決アプローチ(Problem-Solution Approach)」に従い、以下の通り判断して進歩性を認めた。

  • 客観的技術課題の検討
    D1には、狭小な接続リブによるビーム遮断が生じるものの、長手方向への熱伝導等により「申し分のない溶融及び溶接(einwandfreies Aufschmelzen und Verschweißen)」が達成され、「溶接ビードに特筆すべき悪影響は伴わない」旨が明示されている。したがって、異議部が設定した「均一かつ連続した溶接ビードの製造」という課題はD1で既に解決済みであり広すぎるため、異議申立人の主張する「遮蔽のデメリット回避」という課題設定自体は否定されない。
  • 当業者に対する動機付けの欠如(教示・阻害要因)
    しかしながら、D1において接続リブによる遮蔽は「極小(minimal)」であり、かつ溶融・溶接に不利益をもたらさない旨が明記されている以上、当業者はD1の装置において「遮蔽による技術的課題(問題)が存在しない」と理解する。当業者がD1を出発点として、その極小の遮蔽をさらに低減・完全回避するための追加的措置を講じる動機付けは見出せない。
  • 先行技術D2および明細書記載の評価
    D2に遮蔽の一般的解決策としてミラーの適用が記載されていたとしても、D1の記載から問題が存在しないと認識している当業者にとって、D2を組み合わせてD1を改良する動機にはならない。また、本件特許明細書中の従来技術(D1)に対する言及は出願人・発明者の主観的評価に過ぎず、事後分析的(ex-post facto)にD1の客観的開示内容を歪めて解釈する根拠とはならない。

以上の結果、当業者がD1およびD2等の先行技術から本件特許クレーム1記載の発明を容易に想到できたとはいえず、EPC第56条に規定する進歩性を具備していると結論付けた。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 最寄り先行技術の「自己完結性・問題不存在の教示」による進歩性抗弁
    最寄り先行技術(D1)自体に「当該差異部分に起因する課題はすでに解決されており、実用上の悪影響はない」旨の明確な記載(ポジティブな効果の記載)がある場合、当業者はその点を課題として認識せず、追加の改良手段(本件ではミラーの追加)を適用する動機付けが否定されるという判断手法が明確に示されている。
  • 特許明細書の「背景技術」の記載が先行技術解釈に及ぼす影響の排除
    異議申立人は特許明細書中の背景技術(D1の課題性)の記述を引用してD1の不十分さを立証しようとしたが、審判部は「明細書の記載は出願人の主観的見解に過ぎず、先行技術文献の客観的解釈に事後分析的に用いることはできない」と判示しており、明細書記載の先行技術批判が進歩性否定の証拠として逆用されるリスクに対する防御ロジックとして実務上参考になる。

【EPO審判部 / 2026年6月24日】T 0869/25 - 光ファイバケーブルの異議申立審判請求事件(EPC第83条開示の十分性違反による特許取消判決)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、株式会社フジクラ(特許権者・被控訴人)が保有する欧州特許第3796060号(発明の名称:「OPTICAL FIBER CABLE」)に対し、Joel Nägerl(異議申立人・控訴人)がEPC第100条(a)(進歩性欠如)および第100条(b)(開示の十分性欠如)を理由として異議を申し立てた事案の控訴審(審判部)判決である。

EPO異議部は、特許権者が2025年1月16日に提出した主請求に基づく補正後の形式で特許を維持する中間決定を下していたが、異議申立人がこれを不服として審判を請求(控訴)し、特許の取消しを求めた。一方、特許権者は審判請求の棄却(主請求の維持)を求めるとともに、審判部の口頭審理において「circular shape or elliptical shape」を「circle」に限定補正した「新規第1請求(New First Request)」、および従前の補助請求1〜18等を予備的に主張した。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部の中間決定)を取り消す。
2. 欧州特許第3796060号を取り消す。

3. 主な争点

  • 争点1:主請求に係る発明の開示の十分性(EPC第83条)
    クレーム1に規定された非通常パラメータである凹部断面積「A」(1.3 mm²〜4.8 mm²)およびその算出基準となる仮想閉曲線「L」(突起部の径方向外端に接する円形または楕円形の閉曲線)の定義・測定手法が、当業者が過度の負担なく再現可能に決定できる程度に十分に開示されているか。
  • 争点2:口頭審理で提出された「新規第1請求(New First Request)」の審理への許容性(RPBA第13条(1)・EPC第123条(2))
    口頭審理段階で提出された補正請求が、新規事項の追加禁止(EPC第123条(2))に反する新たな疑義を生じさせるものとして不許容となるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求におけるEPC第83条違反(開示の十分性欠如)

  • 非通常パラメータ「A」と閉曲線「L」の不確定性:
    クレーム1における凹部断面積「A」は先行技術に存在しない非通常パラメータであり、数値範囲(1.3 mm²〜4.8 mm²)を満たすか否かの判定には少なくとも0.1 mm²の精度が要求される。パラメータ「A」は仮想的な閉曲線「L」との差分により定義されるが、クレーム1および明細書には突起の数・高さ・幅・形状等の幾何学的条件が規定されておらず、隣接する突起間において曲線Lがどのように描かれるべきかの客観的なルールが欠如している。
  • 微小な変動に対する高感度性:
    特許権者自身が認めているとおり、クレーム上の「circular/elliptical shape」は数学的に完全な真円・楕円ではなく「現実世界の近似形状」を意味するに過ぎない。直径12 mmのケーブルにおいて曲線Lの半径がわずか約3 μm変動するだけで面積Aの計算値は0.1 mm²変動するため、曲線Lの作図上のわずかな差異がクレーム範囲を充足するか否かの結論を左右する。このように再現可能な決定手法が開示されていない以上、当業者はパラメータAを信頼性をもって決定することができない。
  • 長手方向におけるばらつき:
    実際のケーブルには長手方向にランダムな寸法ばらつきが存在するにもかかわらず、長手方向のどの断面位置で測定すべきか、あるいはどのような平均化手法をとるべきかが明細書に一切記載されていない。したがって、この点からも開示不十分である。
  • 技術的目的・機能的定義の主張の排斥:
    特許権者は「曲線Lは圧送(エアブロー)時のシール内郭を示す機能的定義であり、当業者なら理解できる」と主張したが、審判部は、技術的目的を考慮したとしても具体的な幾何学的構成手法が一義的に定まるわけではないとしてこれを退けた。

(2) 「新規第1請求(New First Request)」の不許容(RPBA第13条(1) / EPC第123条(2))

  • 特許権者は曲線Lを数学的な真円に限定すべく「circle」とする補正を口頭審理で提出したが、当初出願明細書の記載(「通常は円形(usually circular)」等)や図面(図6)は概略的な形状を示したものに過ぎず、数学的真円(perfect circle)を開示する直接的かつ一義的な根拠とは認められない。
  • 当該補正は新規事項追加(EPC第123条(2))違反という新たな拒絶理由を生じさせるものであるため、審判部は審判手続規則(RPBA 2020)第13条(1)に基づく裁量により、本請求を審理対象に参入しない(admitしない)と判断した。

(3) 補助請求1〜18の排斥

補助請求1〜18についても、主請求と同様の理由によりEPC第83条の要件を満たさない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 非通常パラメータ(Unusual Parameters)とEPC第83条の厳格性:
    クレームに独自の非通常パラメータや幾何学的差分パラメータを導入する場合、その基準となる仮想線(本件の閉曲線L)の客観的・数学的な決定プロトコルや測定誤差への耐性が明細書に詳細かつ再現可能に記載されていなければ、開示の十分性(実施可能要件)違反として特許が無効化・取消しとなるリスクが極めて高いことを再確認した事例である。
  • クレーム用語の「限定解釈」による新規事項追加(EPC第123条(2))リスク:
    開示不十分を回避する目的で「circular shape(円形)」から「circle(真円)」へ限定補正を行う場合、当初明細書に「真円」としての開示根拠が明確に存在しない限り、中間的一般化または新規事項追加のトラップに陥る点に留意が必要である。
  • 審判段階における late-filed request への厳格な対応:
    口頭審理段階で提出された補正請求が外形上新たなEPC違反(第123条(2)等)を惹起する場合、RPBA第13条(1)に基づき門前払い(審理不参入)とされる実務が徹底されている。

【EPO審判部 / 2026年7月21日】T 0300/25 - SPS PDSCH送信におけるHARQ-ACKコードブック処理方法の新規性および明確性が争われた特許取消不服審判事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者であるDatang Mobile Communications Equipment Co., Ltd.(審判請求人)が、欧州特許庁(EPO)異議部による欧州特許第3751772号の取消決定(EPC第101条(3)(b))を不服として提起した審判請求(Appeal)事件である。相手方は異議申立人のWisdom Fulcrum (Beijing) Technology Co., Ltd.(被請求人)である。

原決定において異議部は、主請求および第1ないし第4補助請求のクレーム1が先行技術文献(D1: 3GPP TS 38.213 V15.0.0)に照らして新規性を欠き(EPC第54条)、第5および第6補助請求のクレーム1が新規事項の追加(EPC第123条(2))および明確性要件違反(EPC第84条)に該当するとして特許を取り消した。特許権者は本件審判において、原決定を取り消し、主請求または第1ないし第6補助請求のいずれかに基づく特許維持を求めた。

2. 判決の主文

本件審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求および第1ないし第4補助請求の新規性(EPC第54条)
    クレームに規定された「SPS PDSCHのHARQ-ACKタイミングに従ってコードブックへの追加/削除を行う構成(scheme 1)」等が、先行技術文献D1に開示されているか否か(特許権者が主張する狭義の文言解釈の可否)。
  • 争点2: 第5および第6補助請求の明確性(EPC第84条)
    追加された限定「SPS PDSCHのHARQ-ACKをHARQ-ACKコードブックに追加する際、当該HARQ-ACKコードブックは動的コードブックである(wherein the HARQ-ACK codebook is dynamic codebook when adding...)」という文言が、技術的に明確な限定を画定しているか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求および第1ないし第4補助請求の新規性(EPC第54条違反)

  • 審判部は、選択的構成(scheme 1〜3)を含むクレームにおいて、先行技術がそのうちの少なくとも1つのスキームを開示していれば新規性が否定される旨を確認した。
  • D1のセクション9.1.3.1には、UE(端末)がモニタリング機会(M monitoring occasions)内のスロットでSPS PDSCH受信を設定されているかどうかに基づいてHARQ-ACKビットをコードブックに追加する構成が開示されている。SPS PDSCHの受信スロットとPUCCH上のフィードバック送信スロットとのオフセット(タイミング)に基づいて処理が行われるため、これはクレームの「SPS PDSCHのHARQ-ACKタイミングに従って」という文言に包含される。
  • 特許権者は、D8(Ericsson提案文書)等を援用し、クレーム文言は「SPS PDSCH固有の事前設定タイミングのみを参照して判断する構成」を意味し、D1のコードブック方式とは相容れない旨の限定解釈を主張した。しかし、審判部はクレーム文言の通常の意味を重視し、当該限定解釈を採用する客観的根拠はないと判断した。D1の処理においてオフセット値の再定義等が伴うとしても、タイミングに従って追加・削除を決定している事実には変わりないため、scheme 1はD1に開示されている(新規性欠如)。
  • 第1ないし第4補助請求についても、実質的にD1に開示された構成(同時送信判定等)の追加や同義の文言維持にとどまるため、同様に新規性を有しない。

(2) 第5および第6補助請求の明確性(EPC第84条違反)

  • 第5および第6補助請求に追加された「SPS PDSCHのHARQ-ACKを追加する際、コードブックは動的コードブックである」という記載(feature (f))は多義的であり、不明確である。
  • 出願当時の技術水準において動的(Type 2)HARQ-ACKコードブックの概念はSPS PDSCHの追加に限定されるものではないところ、当該クレーム表現では、「SPS PDSCHの追加が動的コードブックとなるための要件なのか」「動的コードブックであることが追加処理の前提条件なのか」「単なる時間的一致にすぎないのか」が不明瞭である。したがって、EPC第84条の要件を満たさない。

以上の結果、維持可能なクレーム請求が存在しないため、審判請求は棄却された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 標準化技術(SEP/通信規格)特許におけるクレーム解釈の範囲:
    特許権者が3GPP標準化文書等の背景技術(本件ではD8)を根拠としてクレーム用語に独自の限定的意味(狭義の解釈)を与えようとしても、クレーム文言自体が広義に解釈可能である限り、EPO実務上は文言の客観的・合理的な広義の解釈(broad interpretation)に基づいて先行技術との対比が行われる。拒絶・異議段階での限定解釈の主張には限界があるため、出願・補正段階で構造的・アルゴリズム的な明確な差異をクレーム文言自体に落とし込む必要がある。
  • 条件文("when"節等)を用いた補正と明確性要件(EPC Art. 84):
    補正により「〜する際(when doing...)」といった時間的・状況的文脈を導入する場合、それが「動作の起動条件(トリガー)」なのか「装置の前提状態(前提条件)」なのか「偶発的な同時性」なのかが一義的に定まらない場合、明確性違反の拒絶理由・取消理由を惹起しやすい点に留意すべきである。

【欧州特許庁審判部(EPO Boards of Appeal) / 2026年6月23日】T 0474/25 - 自動車用照明モジュールに関する特許取消決定に対する審判請求事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者であるValeo Vision(審判請求人)が保有する欧州特許第3537040号(発明の名称:「自動車用照明モジュールおよび該照明モジュールを備える自動車用照明装置」)に対し、PO LIGHTING CZECH s.r.o.およびOSRAM GmbH(異議申立人・被請求人ら)が特許異議申立てを行い、欧州特許庁(EPO)異議部が欧州特許条約(EPC)第101条(3)(b)に基づき特許取消決定を下したことに端を発する審判(Appeal)事件である。

異議部は、主請求のクレーム1が明確性(EPC第84条)を欠き、各補助請求のクレーム1は引用文献D2(US 7654712 B2)またはD4(US 2015/0260376 A1)から当業者が容易に想到できたとして進歩性(EPC第56条)を欠くと判断して特許を取り消した。これに対し、特許権者は原決定の取消し、ならびに主請求または補助請求1〜6(および口頭審理中に提出した補助請求7)に基づく特許維持を求めて審判を請求した。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(Le recours est rejeté)。[原決定(特許取消)維持]

3. 主な争点

  • 争点1(明確性 / EPC第84条):主請求および補助請求1〜3において追加された構成要件M3.1・M3.2(「固定前の所定位置の確保」等)がクレームの明確性要件を満たすか。
  • 争点2(進歩性 / EPC第56条):補助請求4〜6に係るクレーム1記載の発明が、先行技術D2およびD4に基づいて進歩性を有するか(課題解決アプローチおよび部分課題の設定の妥当性)。
  • 争点3(手続的許容性 / 審判部手続規則(RPCR 2020)第13条(2)):口頭審理当日に提出された補助請求7(限定的補正)の提出に「例外的事情」が存在し、審判手続において許容されるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求および補助請求1〜3の明確性要件違反(EPC第84条)

特許権者は、構成要件M3.2(位置決め手段により支持体への固定前に光学素子を所定位置に確保する構成)に関し、位置決め工程と弾性固定部材による固定工程の間に時間差が存在すると主張した。しかし、審判部は本件発明の機構上、光学素子が所定位置に達した瞬間に弾性固定手段が復元して固定が完了するため、位置決めと固定の間に時間的乖離は生じ得ないと判断した。したがって、固定前の不安定な過渡状態を「確保(assurer)」することは物理的に不可能であり、内部矛盾を含むためM3.2(およびM3.1)は明確性を欠く(EPC第84条違反)。同一の要件を含む補助請求1〜3も同様に不成立とされた。

(2) 補助請求4および補助請求6の進歩性欠如(EPC第56条)

補助請求4に関し、審判部は弾性固定手段(M4)が引用文献D2の係合フック(fitting hooks 203)に開示されていると認定した。また、二次光学系を形成する投射レンズの配置(M5.2, M6, M9)についても、D2の第3実施形態において光学モジュールと投射レンズの組合せが示唆されており、保護カバーを投射レンズに置換することは当業者の技術常識(D1の開示等)に照らして自明であると判断した。 補助請求6で追加された相補的な位置決め手段(M12)についても、D2の係合孔とフックの構造がこれに該当し、クレーム上特定の幾何形状が限定されていない以上、進歩性は認められない。

(3) 補助請求5の進歩性欠如(EPC第56条:部分課題アプローチ)

特許権者は、固定手段と光学素子の光透過部とを異なる材料(特にシリコーン等)とする構成(M11)と投射レンズの配置(M5.2等)が協働して光学素子の位置決め精度向上や製造コスト低減に寄与すると主張した。しかし審判部は、レンズ配置と固定部材の材質は構造的・機能的な相互作用を奏しないと認定し、それぞれ個別の「部分課題(partial problems)」を設定した。 M11について、クレーム1では固定手段の具体的材料やサイズが限定されておらず、全クレーム範囲でコスト削減や特定効果が発揮されるとはいえないため、客観的技術課題は「単なる代替手段の提供」にすぎない。そして、光学素子と異なる樹脂材料を固定部に用いることは引用文献D4段落[0051]に示唆されているため、当業者にとって容易想到である。

(4) 補助請求7の却下(RPCR 2020 第13条(2))

口頭審理中に提出された補助請求7(M11から「notamment(特に)」を削除し、シリコーンに限定する補正)について、審判部は審判部手続規則(RPCR 2020)第13条(2)を適用。異議部決定時点から材料の特定性が争点となっていたにもかかわらず、手続の最終段階である口頭審理で提出することを正当化する「例外的事情(circonstances exceptionnelles)」は存在しないとして、本請求を審理対象から排除(不採択)とした。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • クレーム解釈と物理的・機能的整合性(EPC第84条):明細書に記載された作動原理と矛盾する時間的順序・過渡状態(固定前の位置確保等)をクレームに組み込んだ場合、明確性違反(Art. 84)を免れない。物理的動作の推移を限定する際は、機構上の実態と整合した表現を用いる必要がある。
  • 部分課題アプローチ(Partial Problems Approach)の適用:複数の相違点が存在する場合でも、それらの間に技術的・機能的相互作用(相乗効果)が認められないときは、個別の部分課題に分解して進歩性が判断される。明細書上の効果を主張する場合でも、クレーム全範囲でその効果が達成される程度に構成要件(材質、寸法等)が特定されていなければ、課題は「単なる代替構成の提供(provision of an alternative)」に格下げされ、進歩性拒絶を覆すことは極めて困難となる。
  • RPCR 2020 第13条(2)に基づく厳格な却下実務:EPO口頭審理段階での新たな補助請求(クレーム補正)の提出は、第三段階(Third level of the convergent approach)に該当し、「説得力ある理由を伴う例外的事情」がない限り原則として却下される。異議部決定や審判部の事前通知(Art. 15(1) RPCR)で既に指摘されていた問題点に対する補正は、遅滞なく審判請求理由書等で提出すべき実務上の鉄則が再確認されている。

【欧州特許庁審判部 / 2026年6月18日】T 1439/24 - 高齢者の認知機能改善用組成物に係る進歩性(EPC第56条)の有無に関する審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(N.V. Nutricia、控訴人)が保有する欧州特許第1976504号(発明の名称:膜組成改善のための多価不飽和脂肪酸、タンパク質、マンガンおよび/またはモリブデンを含む組成物)に対し、異議申立人(Société des Produits Nestlé S.A.、被控訴人)が欧州特許条約(EPC)第100条(a)(第56条・進歩性欠如)、(b)(開示の十分性)、(c)(新規事項の追加)に基づき特許異議を申し立てた事案の控訴審である。

EPO異議部は、最先の先行技術であるD5(WO 03/041701 A2)に基づき、本件特許(主請求および全補助請求)が進歩性を欠くとして特許取消決定を下した。これを不服とした特許権者が控訴を提起し、口頭審理期日直前に主請求および補助請求1(所定のエネルギー、タンパク質、脂質、可消化炭水化物の比率およびDHA+DPA+EPA、システイン/タウリン、リン脂質、ビタミンB群、マンガン、モリブデンを含有する高齢者認知機能改善用組成物)に請求の範囲を絞り込み、特許維持を求めた。

2. 判決の主文

本件控訴を棄却する(The appeal is dismissed.)。原審(異議部)の特許取消決定が維持された。

3. 主な争点

  • 争点1: クレームの解釈および最先の先行技術(D5)との相違点の認定(開放型クレームおよび明確な投薬単位の欠如が相違点の特定に与える影響)
  • 争点2: 後提出の実験データ(Post-filed data)による有利な効果・相乗効果の立証可能性と客観的技術課題の設定(提出された比較試験が審判例の確立した比較対照要件を満たすか否か)
  • 争点3: 相違点に係る構成の自明性(EPC第56条)(代替組成物を提供するという課題に対する当業者の創作能力の範囲)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) クレーム解釈および最先の先行技術との対比

  • 本件主請求クレーム1は開放型用語(「having」「comprises」)を用いた物(組成物)クレームであり、特定の投薬単位(dosage unit)や投与計画を特定していない。したがって、重量範囲の記載からD5(食餌S2)と区別される固有の濃度差を導き出すことはできない。
  • D5記載の食餌S2(ラット用対照食餌)はDHA/EPA、リン脂質、ビタミンB群等を含むが、システイン、マンガン、モリブデンの含有は直接的かつ一義的に開示されていない。したがって、これら3成分(システイン、マンガン、モリブデン)の存在のみがD5に対する相違点と認定される。

(2) 技術的効果の認定および客観的技術課題の再設定

  • 特許権者は、後提出された比較実験報告書(D9, D10, D12, D18〜D21)および臨床試験報告(D15〜D17)に基づき、認知機能改善における相乗効果が立証されたと主張した。
  • 審判部は、進歩性の判断において後提出の比較試験を参酌するための確立された3要件(①対照サンプルが先行技術を、試験サンプルがクレーム発明を適切に代表していること、②観察された効果が相違点たる技術的特徴に起因することが示されていること、③クレームの全範囲において効果が達成可能と信憑性をもって認められること;T 2923/19等)を提示した。
  • 本件の提出証拠は、D5の有効成分(EPA/DHAの組合せ)を対照組成物に反映していない点、相違点以外の複数成分を同時に変更している点、あるいはクレーム上で任意成分にすぎない成分(DHA単独やウリジン等)の寄与を排除できていない点から、上記要件をことごとく満たさない。
  • したがって、D5に対する顕著な改善効果や相乗効果は信憑性をもって立証されておらず、客観的技術課題は「認知機能の改善に適した代替的組成物の提供」へと減縮・再設定される。

(3) 自明性の判断

  • タンパク質源に含まれるシステインは食品製造に汎用される通常のタンパク質に必然的に含まれるものであり(本件明細書自体の記載)、マンガンおよびモリブデンは特別医療用食品に関する周知の公知文献(D7)において成人向け推奨成分として開示されている。
  • D5を出発点として認知機能改善のための代替組成物を開発しようとする当業者が、周知技術に基づきこれら成分を配合することは容易であり、格別の創意を要しない。
  • したがって、主請求および補助請求1に係る発明はEPC第56条に基づく進歩性を欠く。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 比較実験データ(Comparative Tests)の証拠能力に関する厳格な基準(審判例の再確認)
本判決は、進歩性の基礎として顕著な効果や相乗効果を主張する際の後提出実験データについて、T 2923/19等に代表される要件(先行技術との適格な対比、変数の単一性・特定性、クレーム全範囲への妥当性)を厳格に適用した事例である。対照群の組成が先行技術文献の開示と一致していない場合や、相違点以外の複数の変数が同時に変動している実験系は、技術的効果と相違点との因果関係を証明するものとして認められない実務上のリスクが浮き彫りとなっている。

2. 開放型組成物クレームにおける濃度・数値範囲の主張限界
クレームが「comprises」等を用いた開放型(open-ended)の物クレームであり、1食あたり・1日あたり等の投薬単位が明確に限定されていない場合、記載された絶対量(mg)から実質的な濃度差を導いて先行技術との差異を主張することは困難である。製剤・栄養組成物の特許実務においては、クレームドラフティング段階で投薬単位(dosage unit)や明確な比率・濃度限定を適切に配置することの重要性が示唆されている。

【欧州特許庁審判部 / 2026年7月1日】T 0712/24 - 挿入可能刺激装置の特許取消決定に対する審判請求事件(異議部の裁量権行使の適否、新規性、中間一般化の判断等)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

当事者関係:特許権者であるNovoluto GmbH(審判請求人・原告)と、異議申立人であるEIS GmbH(被審判請求人・被告)との間の欧州特許(EP 3705106、発明の名称「挿入可能な刺激装置」)に関する異議・審判手続。
事実経過:

  • 異議申立人は、新規性欠如(EPC 54条)等を理由として特許異議を申し立てた。
  • 異議部は事前通知(口頭審理召喚通知)において新規性を認める予備的見解を示していたが、口頭審理においてその見解を変更し、先行技術(D2/D3)に基づき特許付与時の請求項1は新規性を欠くと判断した。
  • 特許権者は口頭審理中に、物を「使用」へとカテゴリー変更した新たな請求項セット(旧補助請求1および2)を提出したが、異議部はEPC 53条(c)(治療・処置方法の不特許事由)の観点から prima facie(一見して)特許性を欠くとして、裁量によりこれらを審理に不認容(Nichtzulassung)とし、特許取消決定(EPC 101条(3)(b))を下した。
  • 特許権者は本取消決定を不服として審判請求を提起し、主請求(旧補助請求1に相当)等に基づく特許維持、および異議部の裁量権行使の瑕疵(聴聞権侵害)を理由とする審判請求手数料の返還(Rule 103(1)(a) EPC)を求めた。

2. 判決の主文

  1. 原決定(異議部による特許取消決定)を取り消す。
  2. 本件を更なる審理のため異議部に差し戻す(Zurückverweisung)。
  3. 審判請求手数料の返還請求を棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1(手続・裁量権):異議部が予備的見解を変更した口頭審理において提出された補正請求項(主請求・補助請求2)を、異議部がprima facieの観点から不認容とした判断に裁量権の逸脱・濫用(Ermessensfehler)があるか(RPBA/VOBK 12条(6)第1文)。
  • 争点2(新規性・EPC 54条):補助請求3に係る装置発明が、先行技術文献(D2/D3)に対して新規性を有するか(挿入部と非挿入部の幾何学的・寸法的な区別の特定性)。
  • 争点3(適法な補正・EPC 123条(2)):当初明細書の特定の記載から一部の特徴(開口部の形状に応じた密着手段)を切り離して請求項に組み込んだ補正が、許されない「中間一般化(unzulässige Zwischenverallgemeinerung)」に該当するか。
  • 争点4(審判での新たな主張の制限・VOBK 12条(4), (6)):異議申立人が審判段階で初めて提起したEPC 83条・84条違反の主張が認容されるか。
  • 争点5(手数料返還・Rule 103(1)(a) EPC):異議部の不認容決定により聴聞請求権(EPC 113条(1))が侵害され、重大な手続的瑕疵(wesentlicher Verfahrensmangel)が存在するか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 異議部の裁量権行使および主請求等の不認容について(争点1、争点5関連):

  • 裁量権発生の基準時:EPC 114条(2)に基づく裁量権の有無は、専ら提出時期(Rule 79(1) EPCの期限後か否かという客観的時点)により定まる。異議部が口頭審理で予備的見解を変更したという事情は、裁量権そのものを消滅させるものではなく、単に「裁量権を行使する際の考慮要素」にすぎない(T 1776/18等の近時の確立した判例に準拠。これと異なる見解を示したT 688/16やEPO審査基準 E.VI.2.2.2 の解釈を明確に否定)。
  • 裁量権行使の適法性:異議部が、装置から使用への変更に伴いEPC 53条(c)の問題を生じさせるというprima facieの理由に基づき不認容とした判断は、適切な考慮要素に基づく正当な裁量の範囲内であり、裁量の濫用・逸脱はない。したがって、審判段階でもVOBK 12条(6)に基づき主請求および補助請求2は不認容とされる。また、重大な手続的瑕疵(聴聞権侵害)もないため、審判手数料の返還は認められない。

2. 補助請求3の新規性(EPC 54条)について(争点2):

  • 補助請求3の請求項1は、第1部分(体内挿入可能)と第2部分(体内非挿入・操作部を有する)が幾何学形状および寸法により差別化されていることを要求している。
  • 先行技術(D2/D3)は、器具全体の挿入深さによる概念的区分を開示しているにすぎず、第1部分が挿入された際に第2部分が挿入不能となるような「幾何学的・寸法的な差別化構成」を直接的かつ一義的(unmittelbar und eindeutig)に開示していない。したがって新規性を充足する。

3. 補助請求3の補正の適法性(EPC 123条(2))について(争点3):

  • 当初明細書に記載されていた「開口部の形状に応じた」という文言を省略して「開口部の周囲に密着手段を設ける」構成のみを抽出・追加したことに関し、密閉機能は開口部の形状と不可分に結合しているわけではない。したがって、許されない中間一般化には当たらず、EPC 123条(2)に違反しない。

4. 新たな異議理由の不認容および異議部への差戻し(争点4、結論):

  • 異議申立人が審判段階で初めて提起したEPC 83条・84条の明確性・実施可能要件違反の異議理由は、異議段階で提出可能であったにもかかわらず提出されなかったものであり、VOBK 12条(4), (6)に基づき審判手続から排除された。
  • 補助請求3について進歩性(EPC 56条)の判断が第一審(異議部)でなされていないため、二審制の趣旨および特別な理由(VOBK 11条)に基づき、事件を異議部へと差し戻した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 異議部の予備的見解変更と裁量権の関係(EPO審査基準との乖離):本判決は、異議部が予備的見解を変更した場合であっても「裁量権が排除される(=補正を無条件で認容しなければならない)わけではない」ことを明確にした。EPO審査基準(Guidelines E.VI.2.2.2)の記述は実務上参照されることが多いが、審判部はこれが法的拘束力を持たず、EPC 114条(2)に基づく裁量権を制約しない旨を判示しており、代理人は審査基準のみに依拠した戦略をとるべきではない。
  • 口頭審理でのカテゴリー変更補正のリスク:口頭審理段階で「物」から「使用/方法」へカテゴリーを変更する補正は、EPC 53条(c)等の新たな論点を誘発し、prima facieでの不認容(ひいては審判段階での自動排除)を招きやすいため、極めて慎重な対応が求められる。
  • 審判段階での新たな攻撃防御方法の厳格な制限(RPBA 2020の実務):異議手続で主張可能であった異議理由(明確性や実施可能要件など)を審判段階で遅れて提出しても、正当な理由がない限りVOBK 12条(4)/(6)により厳格に排除される点が再確認された。

【EPO審判部 / 2026年5月20日】T 0768/24 - 僧帽弁置換用人工心臓弁デバイスに関する特許の新規性・進歩性・中間的一般化および記載要件(EP 2750630)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、僧帽弁置換のための経血管導入可能な人工心臓弁デバイス(欧州特許第2750630号)に関する特許付与後の異議申立および審判(Appeal)手続である。 欧州特許庁(EPO)異議部は、補助請求30(Auxiliary Request 30)に基づく補正後の特許を維持する中間決定を下した。これに対し、特許権者(Twelve, Inc.)は付与時クレームに基づく特許維持(主請求)を求めて控訴し、異議申立人(Abbott Cardiovascular Systems, Inc.)は特許の完全取消(Revocation)を求めて双方控訴した。

2. 判決の主文

両当事者(特許権者および異議申立人)の控訴を棄却する(The appeals are dismissed)。 (これにより、補助請求30に基づく補正後の特許維持を認めた異議部決定が確定・維持された。)

3. 主な争点

  • 争点1:主請求(付与時クレーム1)の新規性(EPC 54条):先行技術文献D26(WO 2011/072084 A2)が、下流側に延びる弁支持部、弁支持部が実質的に変形しない構成、および経血管導入構成を開示しているか。
  • 争点2:補助請求30の新規事項追加の有無(EPC 123条(2)・中間的一般化):原出願に開示されていた経皮的アプローチや具体的寸法、弁支持部と保持部の「機械的隔離」等の特徴をクレームから省略したことが、許されない中間的一般化に当たるか。
  • 争点3:補助請求30の実施可能要件/開示の十分性(EPC 83条):「機械的隔離」が明示的に記載されていないことで、クレーム全範囲にわたって機能しない態様が含まれ、開示不十分となるか。
  • 争点4:補助請求30の新規性・進歩性(EPC 54条、56条):「弁支持部から外側かつ上流方向に延びる複数の可撓性円弧状リブ(extending outward from the valve support and in an upstream direction)」という限定において、用語「extend from」を単なる相対的位置関係と解すべきか、構造的な起点(起生)と解すべきか。
  • 争点5:異議部への事件差戻しの要否(RPBA 2020第11条):審判部が異議部と異なる判断理由(クレーム解釈)を採用した場合に「特段の理由(special reasons)」として差戻しが認められるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求の新規性欠如(EPC 54条)

  • クレーム1の「弁支持部が保持部から下流方向に延びる」構成(構成1.2)について、D26の図6等に示されるワイヤ支持部のループ146はステント(保持部)の下流端を越えて延びており、弁支持部全体が延びている必要はないため、D26により開示されている。
  • 「保持部が弁輪形状に適合する間、弁支持部は実質的に変化しない(remains substantially unchanged)」という構成(構成1.3)は、人工弁としての機能を維持し得る軽微な変形を排除するものではなく、D26の展開後の機能的形状を維持するワイヤ支持部構造と同一である。
  • 「カテーテル内で経血管導入可能」とする構成(構成1.4)について、D26には経血管(経静脈・経動脈)アプローチが一般的に開示されており、テザー(係留具)は選択的(オプション)であると解釈できるため、主請求はD26により新規性を喪失する。

2. 補助請求30の新規事項追加(EPC 123条(2))の否定

  • 異議申立人は、原出願の特定の実施形態に記載された個別特徴の省略が中間的一般化に当たると主張したが、クレームから特徴が省略されたことのみをもって直ちに中間的一般化とはいえない。省略された特徴が、クレームされた他の特徴と「不可分に結合(inextricably linked)」していることが立証されない限り、新規事項の追加には当たらない(T 824/23、T 1888/22等の確立した判例法理)。
  • 「機械的隔離」は、構成1.3の機能的要件(保持部が変形しても弁支持部が実質的に変化しないこと)として既に反映されており、独立した構造的要件として不可分に結合しているとは認められないため、その明示的記載の省略は許容される。

3. 補助請求30の開示の十分性(EPC 83条)の肯定

  • 構成1.3自体が限定的特徴(limiting feature)として機能しているため、機械的隔離が達成されず弁支持部が大きく変形してしまうような「機能しない態様」はそもそもクレームの技術的範囲に含まれない。明細書には当業者が構成1.3を実現するための十分な技術的指針が記載されているため、実施可能要件を満たす。

4. 補助請求30の新規性・進歩性(EPC 54条、56条)の肯定

  • クレーム解釈(「extend from」の意義):クレームの文脈上、「〜から延びる(extend from)」という文言は、単なる空間的な相対配置(外側に位置すること)を意味するにとどまらず、当該構造部材がその対象物から直接起生・分岐しているという「構造的関係(structural relationship)」を要求すると解釈される。
  • 当てはめ:D26のカフのセグメント122は、ワイヤ支持部126から離隔(offset)して配置された別個の構造であり、弁支持部から直接起生しているものではないため、補助請求30はD26に対して新規性を有する。
  • 進歩性:D26においてワイヤ支持部とカフセグメントとの間にオフセットを設ける構成は、カフの歪みが弁支持部に伝達するのを防ぐ機能を有している。当業者が、弁尖の機能を損なうリスクを冒してまで、あえてオフセットを排してリブが弁支持部から直接延びるよう改変する動機付けはなく、自明の設計変更とはいえない。

5. 異議部への差戻し請求の却下(RPBA 2020第11条)

  • 「extend from」の解釈は既に異議申立手続でも議論されていた論点であり、審判部が異議部と異なる理由付けで結論に至ったとしても、それ自体は審判手続規則(RPBA 2020)第11条に定める「差戻しのための特段の理由(special reasons)」には該当しない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 「中間的一般化(Intermediate Generalisation)」に対する反論の確立した規範
欧州特許実務において、原出願の特定の実施例から一部の構成要素のみを抽出して補正した場合、新規事項追加(EPC 123(2))の拒絶理由が頻発する。本判決は、単に「原出願に併記されていた特徴が省略されている」ことのみでは足りず、「省略された特徴がクレームされた特徴と不可分に結合(inextricably linked)しており、その省略によって新たな技術情報がもたらされたこと」を立証する必要があるというEPOの厳格な判断枠組みを再確認している。

2. クレーム文言「extend from」の解釈と新規性・進歩性の境界
空間的配置を示す表現(extending outward/upstream)と結びついた前置詞「from」について、単なる幾何学的な位置関係(ある基準部材より外側に位置すること)ではなく、「構造的な起点・起生(point or region of origin)」を意味すると厳格に解釈した。クレーム解釈において部材間の物理的・構造的接続関係を明確に区別し、先行技術との差別化(新規性・進歩性の確保)に成功した実務上参考となる事例である。

3. 機能的限定クレームと実施可能要件(EPC 83条)の関係
「〜する間、〜が実質的に変化しない」といった機能的・結果的記載が存在する場合、機能不全となる態様はクレームの範囲外に自動的に排除されるため、明細書にその機能を達成するための具体的指針があれば、全範囲における開示不十分の抗弁を排斥できる点が明確に判示されている。

【EPO審判部 / 2026年6月24日】T 0976/24 - ケーブル被覆用組成物に関する特許異議申立控訴審審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者であるBorealis GmbH(審判請求人/Appellant)が保有する欧州特許第3607566号(発明の名称:「CABLE JACKET COMPOSITION」)に対し、異議申立人であるThe Dow Chemical Company(被請求人/Respondent)が異議を申し立てた事案である。

欧州特許庁(EPO)異議部は、主請求(付与時の特許)および当時の補助請求1〜27のいずれも欧州特許条約(EPC)第100条(b)/第83条に定める「開示の十分性(sufficiency of disclosure)」の要件を満たさないとして、特許を取り消す決定(EPC第101条(3)(b))を下した。

これを不服とした特許権者が審判請求を提起し、主請求(付与時の特許の維持)ならびに補助請求1〜27に基づく特許維持を求めたのに対し、異議申立人は審判請求の棄却を求めた。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(特許取消決定を維持)。

3. 主な争点

  • 争点: 摩耗指数とMFR2の相関不等式を満たす組成物の開示の十分性(EPC第100条(b)/第83条)
    クレーム1に規定された特定の相関不等式(Wear index ≤ 15.500 + 0.900 * composition MFR2)を満たすケーブル被覆用組成物を、当業者が明細書の記載および技術常識に基づき、過度な負担(undue burden)なくクレームの全範囲にわたり製造・実施できるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

審判部は、主請求および補助請求1〜27のすべてについて開示の十分性を欠くと判断し、特許取消を維持した。その理由は以下のとおりである。

  • パラメータ間の複雑な相関性と技術的非自明性:
    クレームに規定された相関不等式(特徴(b2))は、左辺の摩耗指数(Wear Index)と右辺の組成物MFR2(メルトフローレート)が分子量の増減に対して同方向に連動する関係にある。さらに多段重合プロセスで製造されるため、一方の特性を調整する操作が他の特性にも重大な影響を及ぼす。したがって、この不等式を確実に満たすための制御手段は当業者にとって自明(trivial)ではない。
  • 明細書における明示的・統一的教示の欠如:
    特許権者は「低分子量成分のMFR2(A2 MFR2)を低く制御することが不等式達成の決定的手段である」と主張した。しかし、明細書中にその旨の明示的な記載はなく、重合プロセスや条件に関する記述も極めて一般的なものにとどまる。
  • 実施例・比較例データの分析と因果関係の破綻:
    明細書中の実施例(IE1, IE2)と比較例(CE3〜CE6)を対比すると、各段のポリマー比率やH2/C2比、C4/C2比など多数のプロセス条件が同時に変動しており、低分子量成分のMFR2のみが不等式達成に寄与したとは導き出せない。
    さらに、比較例CE3(A2 MFR2が高いが摩耗指数が低い)と比較例CE5(A2 MFR2が比較的低いが摩耗指数が著しく高く不等式を大幅に逸脱)のデータを比較すると、「A2 MFR2を低下させれば不等式を満たしやすくなる」という傾向や相関関係(トレンド)自体が確認できない。
  • 過度な試行錯誤(Undue Burden)の存在:
    明細書には不等式を満たすための決定的なプロセス変数の教示がなく、失敗を成功に転じるための明確な指針も存在しない。当業者がクレーム範囲内の組成物を製造するためには過度な試行錯誤に依存せざるを得ず、これは許容される日常的実験(routine experimentation)の範囲を超えている。
  • 補助請求の判断:
    補助請求(補助請求25等)において低分子量成分のMFR2範囲(25.0〜200.0 g/10min)などを限定する補正がなされたが、当該数値範囲内であっても不等式を満たすための具体的指針が欠如している点(例:上限付近のMFR2でどのように不等式を達成するか等)は何ら解消されておらず、開示の十分性の瑕疵を治癒できない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 複数パラメータの相関式(不等式)による機能的クレームの開示要件:
    独立・従属関係にある複数の物理特性を不等式等の機能的・相関的パラメータで規定して権利化を図る場合、単にその不等式を満たす個別実施例を少数開示するだけでは足りず、当業者がその不等式を再現可能に達成・制御するための明確なメカニズムやプロセス条件の指針(何をどう操作すれば達成できるか)を明細書に開示しておく必要がある。
  • 実施例・比較例の設計における実務上の留意点:
    明細書の実施例・比較例において複数のプロセス変数を同時に変更していると、特定のパラメータが所期の特性・不等式達成の主要因であるという主張が因果関係の欠落として否定されるリスクが高い。パラメータ特許の出願実務においては、制御対象の変数を単一で変化させた対照実験データを明細書に盛り込むことが極めて重要である。

【欧州特許庁審判部(EPO Boards of Appeal) / 2026年6月11日】T 1266/24 - 保護導体ブリッジを備えるコネクタに関する特許取消決定に対する審判請求事件(原決定取消・特許維持審決)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Phoenix Contact GmbH & Co. KG、審判請求人)が保有する欧州特許第2823536号(発明の名称:「保護導体ブリッジを備えるコネクタ」)に対し、元・異議申立人(HARTING Electric GmbH & Co. KG)が異議申立てを行った事案である。
欧州特許庁(EPO)異議部は、本件特許が欧州特許条約(EPC)第100条(b)(開示の十分性/実施可能要件)を満たしていないとして、EPC第101条(3)(b)に基づき特許取消決定を下した。特許権者はこれを不服として審判(Beschwerde)を請求した。
なお、審判手続の係属中に異議申立人が異議を取り下げたため手続から脱落したが、審判請求人は原決定の取消しおよび付与時の状態での特許維持(主請求)を求めて審判を維持した。

2. 判決の主文

1. 異議部による原決定を取り消す。
2. 本件特許を付与時の請求項(無修正の形態)で維持する。

3. 主な争点

  • 争点1: 開示の十分性/実施可能要件(EPC第100条(b) / 第83条)
    請求項1に記載された「2つの個別かつ同一の保護導体ブリッジ(PEブリッジ)」の接続態様等について、当業者が過度な試行錯誤を要さずにクレームの全範囲にわたり実施可能に開示されているか。
  • 争点2: 異議取下げ後の審判部による職権審査(EPC第114条(1))
    唯一の異議申立人が異議を取り下げた場合において、審判部が原決定で判断されなかった異議理由(新規性・進歩性)について自ら職権で審査を行い、終局判断を下すことができるか。
  • 争点3: 新規性および進歩性(EPC第100条(a) / 第52条(1), 第54条, 第56条)
    先行技術(D1、D2、D3)に基づき、請求項1に係る発明が新規性および進歩性を有しているか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 実施可能要件(EPC第100条(b))について

異議部は、単一のPE導体に対して2つの同一の保護導体ブリッジを「直接」接続する方法が明細書に開示されていない等を理由に実施不可能と判断していた。しかし審判部は以下の通り判示し、開示要件を満たすと認めた。

  • クレームおよび明細書の記載は、保護導体ブリッジと保護導体(PE)との「直接接続」を必須とする文言になっておらず、アース板等を介した間接的接続や、2本の保護導体を用いる態様は排除されていない。
  • 当業者の技術常識に基づけば、単一の保護導体に対してアース板や追加配線を介して接続すること、あるいは複数の保護導体を割り当てることは容易に想到・実行できる。
  • したがって、当業者は過度の負担なくクレーム全範囲において発明を実施することが可能である。

2. 異議取下げと職権審査(EPC第114条(1))について

審判部の確立した判例(T 629/90等)に基づき、異議部によって特許が取り消された事案においては、審判手続中に異議が取り下げられたとしても、審判部はEPC第114条(1)に基づき原決定を職権で実質的に審査する義務を負う。したがって、審判部は原決定で判断されなかったEPC第100条(a)の異議理由(新規性・進歩性)についても審査を行う権限と義務を有する。

3. 新規性および進歩性(EPC第100条(a))について

審判部は職権に基づき特許性を審査し、以下の通り有効性を認めた。

  • 新規性: 先行技術文献(D1、D3等)のいずれも、「対向するハウジング側面に配置された2つの同一の保護導体ブリッジによってプラグインサートを共同で保持する構成」(構成要件M1.2、M1.9.1、M1.9.2等)を開示していないため、新規性を充足する。
  • 進歩性(D3を最も近い先行技術とする場合):
    • 課題設定:D3に対して本件発明は、大型のプラグインサートを確実に保持し、機械的・電気的接続を確実にするという効果を奏する。客観的技術課題は「D3のコネクタを再構成して、より大きなプラグインサートを確実に固定・使用できるようにすること」である。
    • 非容易想到性:D3の内部空間に大型インサートを配置しようとする場合、配線スペースの制約や係合フックの配置等の問題が生じる。単にD3のブリッジと同一の第2のブリッジを対向面に設けることは、インサート自体の形状変更や接地構造の大幅な改変を要するため、当業者にとって容易に着想し得るものではない。
  • 進歩性(D2を起点とする場合): D2の金属フレームは剛性確保を目的としており、これを切断・分割して2つの同一ブリッジにする動機付けは存在しない。
以上より、付与された請求項1に係る発明は新規性および進歩性を有する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 異議取下げ時の審判実務(T 629/90の法理の再確認): 異議部で特許取消となった場合、相手方(異議申立人)が審判段階で脱落しても自動的に特許が維持されるわけではなく、審判部による職権審査(EPC第114条(1))を経てEPCの要件(新規性・進歩性・記載要件等)をすべてクリアする必要がある点が再確認された。
  • クレーム解釈と実施可能要件の相関: 異議部が特定の限定的態様(直接接続等)を前提として実施不可としたのに対し、審判部はクレーム文言の合理的解釈と当業者の技術常識(間接接続や周知の配線技術)を柔軟に適用し、不当に狭い解釈に基づく実施可能要件違反の認定を覆した実務上参考となる判断手法である。

【EPO審判部 / 2026年6月17日】T 0253/24 - 発酵前後の膜分離を用いたギリシャヨーグルト製造方法の特許性(付与時のクレーム維持)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Fairlife, LLC)が保有する欧州特許第3664624号(発明の名称:「METHODS FOR MAKING HIGH-PROTEIN GREEK YOGURT USING MEMBRANE SYSTEMS BEFORE AND AFTER FERMENTATION」)に対し、異議申立人(COMPAGNIE GERVAIS DANONE)がEPC第100条(a)(進歩性欠如)および第100条(c)(新規事項の追加)等を理由として異議を申し立てた事案の審判(Appeal)手続である。

欧州特許庁(EPO)異議部は、付与時のクレーム1(主請求)は先行技術文献D1を最も近い先行技術(closest prior art)として進歩性を欠くが、補助請求1に基づく補正形式であれば特許を維持できるとする中間決定を下した。これに対し、特許権者は付与時クレーム(主請求)での維持を求めて、異議申立人は特許の全面取消しを求めて、双方が審判請求(Appeal)を提起した。

2. 判決の主文

  1. 原決定(異議部の中間決定)を取り消す。
  2. 本件特許を付与時の状態(Main Request as granted)で維持する。

3. 主な争点

  • 争点1:新規事項の追加の有無(EPC第100条(c))
    付与時の従属請求項10に規定された特定の温度範囲が、請求項1に記載されたポリマー膜システムによる限外濾過濃縮工程との組み合わせにおいて、原出願の開示範囲を超えているか否か。
  • 争点2:進歩性の有無(EPC第100条(a)・第56条)
    文献D1(GY-2プロセス)を最近接先行技術とした場合、請求項1に係る発明(ポリマー膜による発酵前濃縮[タンパク質3.5〜6 wt.%]+セラミック膜による発酵後の酸性ホエイの限外濾過除去)が進歩性を有するか否か。
  • 争点3:審判手続における遅れて提出された証拠(D12/D12a)の採否(RPBA 2020第12条(6))

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 証拠の採否について(D12/D12aの不受理維持)
異議部がD12/D12aを時機に後れた提出であり一見して関連性(prima facie relevance)を欠くとして却下した裁量判断に過誤はなく、審判手続においてもこれを考慮しない(RPBA 2020第12条(6))。

2. 新規事項の追加(EPC第100条(c))について:非該当
異議申立人は、原出願の7〜8頁の記載は特定の濃縮工程に限定されておりポリマー膜との組み合わせは開示されていないと主張した。しかし、当業者であれば当該温度範囲の開示が原出願に開示・把握可能なすべての脱脂乳濃縮工程(原出願請求項7記載のポリマー膜濃縮を含む)に一般的に適用されると直接かつ一義的(directly and unambiguously)に理解できるため、新規事項の追加には当たらない。

3. 進歩性(EPC第56条)について:肯定(進歩性あり)

  • 最近接先行技術(Closest Prior Art)の特定:
    D1に開示された「GY-2プロセス」(脱脂乳の限外濾過およびクリーム添加によりタンパク質8.3 wt.%のヨーグルトベースを調製し、発酵後に布袋で濾過して酸性ホエイを除去するギリシャヨーグルト製造工程)が最も適切な出発点である。
  • 相違点(Distinguishing Features):
    1. 脱脂乳の限外濾過に「ポリマー膜」を使用する点
    2. 発酵前のヨーグルトベースのタンパク質含有量が「3.5〜6 wt.%」である点
    3. 酸性ホエイの除去を「セラミック膜による限外濾過」で行う点
  • 客観的技術課題(Objective Technical Problem)の設定:
    特許権者の主張する「風味向上効果」はD1対比で実証されていないため採用できない。したがって、本件の解決課題は「工業的規模に適した代替プロセスを提供すること」と設定される。
  • 非自明性(Non-obviousness)の判断:
    • 布袋濾過から限外濾過(セラミック膜等の利用)への置換自体は当業者にとって周知技術(D5, D7, D9等)に照らし選択肢になり得るとしても、発酵前ベースのタンパク質濃度を3.5〜6 wt.%へ変更することの動機付けが存在しない。
    • 異議申立人および原決定は各相違点を個別に分離して任意選択(arbitrary modification)であると判断したが、この手法は誤りである。最近接先行技術D1(GY-2)は「高タンパク質(8.3 wt.%)のベースを調製すること」を好ましい解決策として一連の完結したプロセスを教示している。
    • 当業者が工業的規模への適合を志向したとしても、D1の教示から離れてあえてタンパク質濃度を低水準(3.5〜6 wt.%)へと引き下げる動機はなく、D1の統合されたプロセスの一要素のみを恣意的に変更することは当業者の通常の能力を超える。したがって、請求項1に係る発明は進歩性を有する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 複数相違点の個別評価(Partial Problems Approach)の限界とプロセス全体性の考慮:
    異議実務において、複数の相違点が存在する場合にそれぞれを独立した課題・設計変更として分解して進歩性を否定する手法(Partial Problems)が採られることが多い。しかし本判決は、主引例が一連の統合された工程・特定のパラメータ(本件では8.3 wt.%のタンパク質濃度)を前提として最適解を提示している場合、その文脈を無視して個別要素を切り離して改変することは自明とはいえない(後知恵の排除)とする重要な指針を示している。
  • 「代替物の提供」が課題である場合の動機付けのハードル:
    改善効果が認められず単なる「工業的代替プロセスの提供」に課題が限定された場合であっても、主引例の技術思想(好適例の教示)に反する変更については、当業者にとって自明な改変(Arbitrary selection)とは評価されない実務基準が確認された。

【EPO審判部 / 2026年6月25日】T 0892/24 - 照明付きブランドエンブレムに関する特許維持決定に対する審判事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(被請求人:Gerhardi Lüdenscheid GmbH)の欧州特許第3405366号(発明の名称:「BELEUCHTETES MARKENEMBLEM / 照明付きブランドエンブレム」)に対する異議申立事件の審判手続である。 異議申立人(請求人:Volkswagen AG)が提起した異議申立てに対し、欧州特許庁(EPO)異議部は欧州特許条約(EPC)第101条(2)に基づき異議を棄却し、特許を原承認(登録時のまま)で維持する決定を下した。これを不服とした異議申立人が審判請求(Beschwerde)を申し立て、特許の取消しを求めた。 これに対し、特許権者は審判請求の棄却(主請求)、予備的に審判答弁書とともに提出した補助請求1〜3に基づく特許の維持を求めた。

2. 判決の主文

  1. 原決定を取り消す。
  2. 本件を異議部に差し戻し、審判答弁書とともに提出された補助請求1(請求項1〜4、訂正された明細書段落[0001]および原特許の明細書・図面)に基づく補正された範囲で特許を維持することを命じる。

3. 主な争点

  • 争点1:優先権主張の有効性および登録時請求項1(主請求)の新規性(EPC第88条、第54条)
    優先権書類(E2)の記載と特許請求の範囲の文言の差異に基づき、優先権が有効に成立するか、およびE2が新規性喪失の先行技術となるか。
  • 争点2:審判段階で提出された補助請求1の手続上の許容性(審判部手続規則(RPBA/VOBK 2020)第12条(4)、(6))
    第一審(異議部手続)で提出されず審判答弁書で初めて提出された補助請求1を審判手続に受理・許容すべきか。
  • 争点3:実施可能要件(EPC第83条)および新規事項追加の有無(EPC第123条(2))
    「視野角に依存せず」等の記載や請求項の用語の修正が記載要件・補正要件を満たすか。
  • 争点4:補助請求1の新規性および進歩性(EPC第54条、第56条)
    主引用文献E3、ならびにE8、E5および周知技術に基づく進歩性の有無。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 優先権の不成立および主請求の新規性欠如(EPC第88条、第54条)

主請求の構成要件1.1では「視野角に依存せず、好ましくは(bevorzugt)自動車分野における内装および外装で使用可能」と規定されていた。しかし、優先権書類(E2)では「内装および外装で使用可能であり、(その適用分野が)好ましくは自動車分野である」と記載されていた。 E2では内装・外装での使用が必須とされており、これに伴う耐候性等の技術的限定が暗に含まれていたのに対し、主請求の文言は内装・外装以外(衣類、宝飾品、電子機器等)への適用も広く包含する上位概念となっていた。 したがって、主請求に係る発明はE2の優先権を有効に享受できず、優先日後の公開公報であるE2はEPC第54条(2)の先行技術となり、主請求の新規性を否定する。

(2) 補助請求1の審判手続への許容(RPBA 2020第12条(4)、(6))

異議申立人は、審判例T 0217/23を援用し、優先権欠如の異議理由は第一審当初から主張されていたため補助請求1は第一審で提出されるべきであった(RPBA第12条(6)第2文)と主張した。 しかし審判部はT 0141/20の判断枠組みを採用し、「異議申立書に異議理由が存在していたことのみをもって直ちに第一審で補助請求を提出すべきであったとはいえず、第一審手続において提出の必要性(Notwendigkeit)が存在したか否かを考慮すべきである」と判示。本件では異議部が一貫して優先権を有効と判断していたため特許権者に補助請求提出の必要性はなく、第一審の口頭審理でも異議部が特許維持の見通しから補助請求の提出を不要としていた事情も認められる。 加えて、補助請求1の補正(「bevorzugt」の削除)は優先権の有効性を回復させ、争点を複雑化させないため、RPBA第12条(4)に基づく裁量により補助請求1の提出を許容した。

(3) 記載要件(EPC第83条)および補正要件(EPC第123条(2))

「視野角に依存せず」との構成は、明細書段落[0028]および図面に基づき、装飾要素の突出高さを低く抑える等の幾何学的設計により当業者が十分に実施可能である。また「全面照明」と「非透過領域」の併存も、バックライトが全面に配置されていれば技術的矛盾はない(第83条適合)。 さらに、元の請求項にあった定冠詞「die」の削除は、構成要件が初めて登場することを示す形式的な言語的調整に過ぎず、不当な中間的一般化には当たらない(第123条(2)適合)。

(4) 補助請求1の新規性および進歩性(EPC第54条、第56条)

補助請求1に係る発明は、最も近い先行技術であるE3に対し、構成1.5(レンズ背面に装飾輪郭に応じた切欠きを有する「被覆フィルム」を配置・射出成形すること)および構成1.6(当該フィルムのコーティングが「光透過領域と非透過領域を規定」すること)の点で相違し、新規性を有する。 進歩性に関し、審判部は2つの独立した部分課題への分割アプローチを否定し、課題を「レンズ背面の塗装に対する代替手段の提供」と設定した。当業者が塗装に代えてフィルムを用いること自体を着想したとしても、E3にはフィルム自体のコーティングにより透過/非透過領域を規定する動機付けはなく、単に均一なフィルムに置換するにとどまる。 また、照明を備えないE8や、構造・層構成が根本的に異なるE5を組み合わせることも事後分析的(rückschauend)な動機付けに基づくものであり、当業者にとって容易想到ではない。したがって、補助請求1は進歩性を有する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 優先権判断における限定詞・任意的記載(bevorzugt等)の位置付け: 明細書中の「好ましくは」にかかる修飾関係のわずかな齟齬が、クレーム範囲の意図せぬ拡張(部分的一般化)とみなされ、優先権主張の無効および自己の優先権書類による新規性喪失を招く実務上のリスクが浮き彫りとなった。ドラフティングおよびクレーム解釈において厳格な注意が必要である。
  • RPBA 2020第12条(6)に基づく審判段階での遅れて提出された請求(Late-filed requests)の許容基準: 第一審で提起されていた異議理由に対応する補助請求であっても、第一審で有利な心証・決定を得ていた場合には「第一審で提出する必要性」がなかったとして、T 0217/23の厳格な排除傾向に対し、T 0141/20の法理を適用して審判部が裁量(第12条(4))により受託した重要な先例である。

【EPO審判部 / 2026年3月24日】T 1370/24 - 密封テープの製造方法、密封テープ及び装置に関する異議部中間決定に対する双方不服申立審判事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、欧州特許第3 150 366号(発明の名称:「Verfahren zum Herstellen eines Abdichtbandes, Abdichtband und Vorrichtung zur Durchführung des Verfahrens[密封テープの製造方法、密封テープ及び当該方法を実施するための装置]」)に対する異議申立手続において、特許を補助請求項21(Hilfsantrag 21)の限定された範囲で維持した欧州特許庁(EPO)異議部の第1審中間決定に対し、特許権者(Tremco CPG Germany GmbH)および異議申立人(ISO-Chemie GmbH)の双方が不服として審判請求(Beschwerde)を申し立てた事案である。

  • 特許権者(審判請求人I)の請求: 原決定を取り消し、登録時のクレームセット(Hauptantrag:主請求項)による特許維持、または補正された補助請求項1〜25に基づく特許維持を求めた。
  • 異議申立人(審判請求人II)の請求: 原決定を取り消し、特許の完全取消(Widerruf)を求めた。

2. 判決の主文

双方の審判請求を棄却する(Die Beschwerden werden zurückgewiesen)。
(これにより、特許を補助請求項21の範囲で維持した異議部の中間決定が確定・維持された。)

3. 主な争点

  • 争点1(新規事項の追加・中間的一般化 / Art. 100(c), 123(2) EPÜ): 当初明細書から含浸PUR軟質フォームの構成を抽出する際、「条件付き粘着性」および「遅延復元性」という作用効果をクレームに含めなかった点、および装置クレームに特定の圧縮装置構成を追加した補正が、許されない中間的一般化(unzulässige Zwischenverallgemeinerung)に該当するか。
  • 争点2(新規性 / Art. 54(3) EPÜ): 先行文献D1(EP 2 990 551 A1)に基づき、主請求項の製造方法(クレーム1)、物(クレーム9)、および装置(クレーム11)の新規性が否定されるか。特に、装置クレームにおける「50%以上の高さ減少」の機能的・用途的限定の解釈。
  • 争点3(明確性 / Art. 84 EPÜ): 補助請求項1〜12に含まれる「parallel senkrecht(平行かつ垂直)」という幾何学的表現が明確性要件を満たすか。
  • 争点4(進歩性 / Art. 56 EPÜ): 補助請求項15〜20の製造方法クレームが、先行文献D2を主引例とし、周知技術または副引例(D11, D5)の組み合わせにより容易想到であるか。
  • 争点5(補助請求項21の有効性): 補助請求項21がArt. 123(2), Art. 54, Art. 56 EPÜの要件をすべて具備しているか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求項に対する新規事項追加(Art. 100(c) EPÜ)の不存在

審判部は、異議申立人の中間的一般化の主張を退けた。

  • 含浸PURフォームの限定: 当初明細書の記載構造上、「条件付き粘着性」および「遅延復元性」は、水性含浸液による浸漬・乾燥という任意付加的な処理に伴う効果として記載されており、含浸PUR軟質フォーム全般に不可分に結合した必須構成ではない。拡大審判部決定G 1/24を考慮しても、明細書に記載された作用効果を文理を超えて必須構成として請求項に読み込むことは正当化されない。
  • 圧縮装置(Merkmal T8, T9): 当初開示において、50%以上の高さ圧縮を伴う方法を実施するための装置が包括的に開示されているため、当業者であれば同圧縮を達成し得る加圧機構を有する装置が直接的かつ一義的に開示されていると理解できる。したがって、Art. 100(c) EPÜの異議理由は成立しない。

(2) 主請求項の特許性(D1に基づく新規性欠如)

  • 方法(クレーム1): D1には「強く圧縮された(stark komprimiert)」状態の記載はあるものの、「50%以上高さを減少させる(Merkmal V14)」ことの直接的かつ一義的な開示とは認められず、クレーム1の新規性は維持される。
  • 装置(クレーム11): 装置クレームにおける「高さが50%以上減少されている」という限定は、装置自体の構造ではなく、被加工物の状態を表す適合性/適応性(Eignung)の限定として解釈される。当業者の共通一般知識に照らせば、密封テープ分野において柔軟な発泡体を「強く圧縮」できるD1の圧縮ローラー51/52は、通常1/4〜1/5に圧縮されるテープに対して「50%以上圧縮する能力」を必然的かつ直接的に備えている。したがって、クレーム11はD1により新規性が否定される。これにより主請求項は全体として維持不可となる。

(3) 補助請求項1〜12の明確性欠如(Art. 84 EPÜ)

「parallel senkrecht(平行かつ垂直)」との限定(Merkmal A15)は、文言上、面と面が同時に平行かつ垂直であると解され、当業者にとって意味内容が不明瞭である。特許権者は空間ベクトルを用いた解釈を主張したが、クレームの文言自体から一義的に把握できないため、Art. 84 EPÜ違反により却下された。

(4) 補助請求項13〜20の特許性欠如(新規性・進歩性欠如)

  • 補助請求項13・14(新規性欠如): 装置クレームを含み、D1のローラー対41等によって同一構成・機能が開示されているため、新規性を欠く。
  • 補助請求項15〜20(進歩性欠如): 主引例D2に対し、相違点は「両面粘着層を有するフィルムの使用(V12)」および「50%以上の高さ圧縮(V13, V14)」である。これら2つの特徴間に格別な相乗効果(Synergie)は立証されておらず、それぞれ独立した部分課題として評価される。前者はD2自体の示唆(スリット両側面への接着)から、後者は周知技術(D11/D5)から当業者が容易に想到し得る。したがって、進歩性を欠く。

(5) 補助請求項21の適法性

補助請求項21は「少なくとも1つの支持体部分を密封要素に押し付ける(Merkmal V15)」という方法限定のみから構成される。本構成は当初明細書に支持されており(Art. 123(2)充足)、かつD1に対してMerkmal V14(50%以上の圧縮)の相違点が存在するため新規性を有する。異議申立人から有効な進歩性欠如の立証がなされていないため、本請求項に基づく特許維持が正当と判断された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • G 1/24(クレーム解釈)と「中間的一般化」の境界: 特許権者・異議申立人の双方が拡大審判部決定G 1/24を引用して争ったが、審判部は「明細書の記載を参酌してクレーム解釈を行うこと」と「明細書中の有利な効果・副次的特徴を必須要件としてクレームに読み込み、中間的一般化を擬制/回避すること」を明確に区別した。明細書に記載された作用効果が、特定の手順の任意的結果に過ぎない場合、それを除外したクレーム補正であっても許されない中間的一般化には当たらないという厳格な文理・技術的判断基準が示されている。
  • 装置クレームにおける「方法/結果パラメーター」の解釈実務: 装置クレーム中に「被加工物が〜%変形される」といった処理結果や方法パラメーター(Merkmal T9)が記載された場合、EPOの実務上、それは装置に対する「当該結果を達成するのに適していること(suitable for)」という適応性の限定と解釈される。この場合、先行技術に同様の圧縮能力を有する機構(汎用ローラー等)が存在すれば、明示的な変形数値の開示がなくとも新規性が否定されるリスクが高い。装置クレームの起草・補正においては、被加工物のパラメーターではなく、装置自体の構造的特徴(ストッパー、ギャップ幅制御機構等)で特定すべきである。
  • 幾何学的限定の明確性(Art. 84 EPÜ): 「parallel senkrecht」のように、多次元的な直交・平行関係を単一の複合語で表現する不自然なクレームドラフティングは、Art. 84 EPÜ(明確性)のハードルを越えられない。補正に際しては、基準線・基準面と各方向ベクトルとの幾何学的関係を正確かつ標準的な用語で定義する必要がある。

【欧州特許庁審判部(EPO Boards of Appeal) / 2026年07月07日】Case T 0511/25 - 押出ガン用カートリッジに関する特許の進歩性(EPC第56条・後知恵の排除)についての審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者SOUDAL(請求人/Appellant)が保有する欧州特許第3936455号(発明の名称:「押出ガンに使用されるカートリッジおよびカートリッジアセンブリ」)に対し、Henkel AG & Co. KGaA(異議申立人・被請求人/Respondent)がEPC第100条(a)号(第56条:進歩性欠如)を理由として特許異議申立てを行った事案である。

欧州特許庁(EPO)異議部は、最接近先行技術である文献D2(DE 91 16 065 U1)に文献D3、D4またはD5のいずれかの教示を組み合わせることで、原付与特許(Main Request)の請求項1および12に係る発明は当業者にとって容易想到(進歩性欠如)であると判断し、補助請求4に基づく補正された形での特許維持を決定した。これに対し、特許権者が原決定の取消しおよび原付与状態(Main Request)での特許維持を求めて審判を請求した。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部決定)を取り消す(The decision under appeal is set aside)。
2. 本件特許を原付与状態のまま維持する(The patent is maintained as granted)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求(原付与請求項1および12)に係る発明の進歩性の有無(EPC第56条)
    文献D2を最接近先行技術とし、文献D3〜D5を組み合わせることにより、管状本体を近位部と遠位部に分離する周方向の引裂線/引裂ストリップ(tear line/tear strip)を備える構成に想到することが容易であったか否か。
  • 争点2: 組み合わせの動機付けおよび事後分析(Ex post facto analysis / Hindsight)の該否
    異種材料の分別・リサイクルという課題に対し、当業者が構造・用途の異なる容器に関する先行技術(D3〜D5)の技術思想をD2の押出ガン用カートリッジに適用する動機付けが存在したか、またはそれが事後的な後知恵に基づく主張に過ぎないか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

審判部(Technical Board of Appeal 3.2.07)は、以下の理由により異議部の判断を覆し、進歩性を肯定した。

  • 最接近先行技術D2における課題解決の充足性:
    異議部が設定した客観的技術課題(ノズルと管状部を分離してリサイクルを容易にすること)について、D2自体がすでに使用後の各部品(ノズル、ピストン、管状本体)を解体して分別廃棄・リサイクルストリームに供給できる旨を明示的に教示しており、D2の段階ですでに当該課題に対する解決策が示されている。
  • 技術的動機付けの欠如(材料分離の観点):
    仮に異議部が設定した課題を考慮したとしても、管状本体に引裂線を設けて分割すると、分離後にノズル側に管状本体の遠位部(残余部分)が付着したまま残り、結果として2つの異なる材料が混在した状態となる。したがって、より完全な分別リサイクルを目指す当業者が、かえって分別精度を低下させるような引裂線による分割手段を採用する合理的動機付けは見出せない。
  • 先行技術(D3〜D5)の構造的・機能的差異および後知恵の排除:
    文献D3〜D5に記載された容器は、D2が対象とする「可撓性バッグを収容して押出ガンで押し出す構造のカートリッジ」とは構造および用途が大きく異なり、部材の分離構造に関する概念も異なる。したがって、当業者がD2の具体的なカートリッジ構造に対してD3〜D5の教示を参酌・適用するとは認められない。異議申立人および異議部の論理は、本件発明の解決手段をあらかじめ知った上での事後分析(ex post facto analysis / hindsight)に基づくものである。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • Problem-Solution Approachにおける後知恵(Hindsight)の厳格な排除:
    本件審決は、異なる分野・異なる構造を有する先行技術の組合せにおいて、「一般的な課題(リサイクル性向上など)の共通性」のみをもって安易に組合せの動機付けを認める異議部の傾向を否定し、対象製品の具体的な構造・機能・使用形態に照らした現実的な当業者の思考プロセスを重視した点に実務上の意義がある。
  • 材料分別手段の変更に伴う技術的背反の主張手法:
    先行技術を組み合わせた結果、部材の一部が残存して「異種材料の分離」という目的に対して不完全な結果を招く場合、当業者にとって阻害要因(または動機付けの欠如)として強力に機能することが明確に示されており、特許権者側の進歩性防御論の構築において参考となる。

【EPO審判部 / 2026年5月6日】T 0715/24 - 抗PD-1抗体(ニボルマブ)単剤療法に関する新規事項追加(EPC 123(2)違反)を理由とする特許取消審決に対する審判請求棄却審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Bristol-Myers Squibb Company、以下「審判請求人」)が保有する欧州特許第3288980号(発明の名称:「抗PD-1抗体を用いたPD-L1陽性悪性黒色腫の治療」)に対し、複数の異議申立人(被請求人ら)から異議申立てがなされ、異議部が欧州特許条約(EPC)第123条(2)(新規事項の追加の禁止)違反等を理由に特許取消決定(Revocation)を下したことに対する審判請求事件である。

審判請求人は、異議部で審理された補助請求20と同一のクレームセットを「主請求(Main Request)」とし、さらに修正を加えた「補助請求1(Auxiliary Request 1)」を維持して審決の取消しおよび異議部への差戻しを求めた。主請求クレーム1は、PD-L1陽性悪性黒色腫の治療に使用するためのニボルマブ組成物であって、①PD-L1陽性患者への投与、②「4週ごとに480 mgの固定用量(flat dose)を単剤療法(monotherapy)として投与」すること、および「抗CTLA-4抗体との組み合わせ投与を行わない」旨の限定(negative feature/disclaimer)を含んでいた。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈(「単剤療法(monotherapy)」の意義および否定的限定の効力)
    クレーム中の「monotherapy」の用語を当業者の通常の技術常識における意味(単一薬剤による治療)と解釈すべきか、あるいはクレーム内の否定的限定(抗CTLA-4抗体併用の除外)や明細書の記載に照らして独自の定義(抗CTLA-4抗体以外の他剤併用は許容する概念)と解釈すべきか。
  • 争点2: EPC第123条(2)に基づく補正の適法性(新規事項の追加の有無)
    出願当初の開示(Application as filed)全体から、当業者が共通の一般的知識に基づき直接的かつ一義的(directly and unambiguously)に、特定の固定用量投与レジメン(480 mg・4週ごと)と通常の意味でのニボルマブ「単剤療法」との組み合わせを導出できるか(G 2/10の「ゴールド・スタンダード」基準の充足性)。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 審判手続におけるクレーム解釈の原則および「monotherapy」の解釈

審判部(Board)は、クレーム解釈は法的な問題であり、審判部自身が判断すべき事項であるとして、審判段階で被請求人が新たに提出した解釈論の却下申立てを退けた。その上で、「monotherapy」という用語は当該技術分野において「特定の疾患・障害の治療に単一の薬剤を使用すること」という確立された通常の意味を有していると判示。クレーム中の「患者に抗CTLA-4抗体との併用投与を行わない」という否定的限定は定義規定として起草されておらず、通常の用語意義を修正するものとは認められないとして、本件主請求クレーム1は「ニボルマブを単一の薬剤として投与する単剤療法」を特定したものと解釈した。

(2) EPC第123条(2)(新規事項追加)に対する当てはめ

拡大審判部決定G 2/10が示した「ゴールド・スタンダード」(当業者が共通の一般的知識に基づき、出願当初の開示全体から直接的かつ一義的に導出できる範囲内でのみ補正が許容される)に基づき検討を行った。

  • 出願当初のクレーム1および従属クレーム49(他のがん治療薬の投与を許容)の記載に照らすと、出願当初に開示されていた「単剤療法」の概念は、抗CTLA-4抗体との併用のみを除外し他剤併用を排除しない独自の定義が与えられていた。
  • 仮に明細書中の記載(段落[0043]等)から通常の意味での単剤療法の開示が認められるとしても、出願当初の開示には、本件クレームで特定された「480 mg・4週ごと」という特定の固定用量(flat dose)レジメンと「通常の意味でのニボルマブ単剤療法」とを結びつける直接的・一義的な教示(ポインター)が存在しない。
  • 出願当初の実施例1は体重基準用量(mg/kg)の臨床試験であり、固定用量レジメンを直接裏付けるものではない。また、複数の用量候補の中から特定の固定用量を選択し、かつ単剤療法と組み合わせることは、出願当初の開示から導出される範囲を超えている。

したがって、主請求クレーム1はEPC第123条(2)に違反する。

(3) 補助請求1の判断

補助請求1では単剤療法を「他の抗がん剤を併用しないこと」と明示したが、主請求と同様に、特定の固定用量レジメン(480 mg・4週ごと)との具体的な技術的結合関係が出願当初の開示において裏付けられていないため、同様にEPC第123条(2)に違反し、認められない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 医薬用途発明・投与レジメンにおける「選択の重複」と123条(2)の厳格性
EPO実務において、複数の選択肢のリスト(投与量、投与間隔、固定用量か体重換算か等)からの特定値の選択や、実施例(体重換算用量)と異なる態様(固定用量)を特定の治療形態(単剤療法)と組み合わせる補正については、明確なポインター(直接の示唆や結合関係)が出願当初の明細書に開示されていない限り、EPC第123条(2)違反(新規事項追加)と判断されるリスクが極めて高いことが再確認された。

2. クレーム解釈における否定的限定(Disclaimer/Negative Feature)の起草上の留意点
技術常識上確立された用語(本件では「monotherapy」)を使用しつつ、クレーム末尾の否定的限定等によってその意味を限定・変形しようとするドラフティングは、クレーム解釈上曖昧さを生じさせるだけでなく、出願当初の意図した開示範囲との乖離を生じさせ、結果として123条(2)違反を招く要因となる。明細書段階での明確な定義規定および中間概念・特定レジメンとの直接的結合関係の記載が不可欠である。

【EPO審判部 / 2026年7月22日】T 0640/25 - 特許権者による特許テキストへの合意撤回に伴う特許取消決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、欧州特許第3402555号(発明の名称:「MEDICAL DELIVERY DEVICE WITH LAMINATED STOPPER」)に対する異議申立審判手続において、異議部が特許を補正された形式(amended form)で維持するとした中間決定に対する控訴(Appeal)事案である。

特許権者(W. L. Gore & Associates, Inc.)および異議申立人2(Hightone Management Limited)の双方が異議部の中間決定を不服として審判請求を行った。異議申立人2は原決定を取り消し、本件特許を取り消す(revocation)決定を求めていた。審判部が審判部手続規則(RPBA)第15条(1)に基づく予備的見解を通知した後、特許権者は2026年7月15日付書面により、付与された特許テキストに対する同意、および提出済みのすべての請求(requests on file)を無条件で撤回した。

2. 判決の主文

  1. 原決定(異議部の中間決定)を取り消す。
  2. 本件特許を取り消す(The patent is revoked)。

3. 主な争点

  • 特許テキストへの合意撤回に伴う法的効果(EPC第113条(2)の適用): 特許権者が審理対象となる特許テキスト(付与時のテキストおよび補正請求)に対する合意を無条件で撤回した場合に、審判部が実体的な争点(新規性・進歩性等)の審理を経ずに特許を取り消すことができるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

審判部は、EPC第113条(2)に基づき、実体審理を行うことなく本件特許を取り消す旨の判断を下した。その論理構成は以下のとおりである。

  • EPC第113条(2)の規範(処分権主義): 欧州特許庁(EPO)は、特許権者によって提出された、または特許権者が同意したテキストに基づいてのみ、欧州特許を審査し決定しなければならない。この原則は異議審判手続においても厳格に適用される。特許テキストの決定権は特許権者に専属(処分権の範囲内)しており、特許権者の意に反して特許を維持することはできない。
  • 本件事実への当てはめ: 特許権者は、付与された特許テキストおよび提出済みのすべての請求に対する合意を、明確かつ無条件に撤回した。これにより、審判部が審判請求を審理するための有効な特許テキストが存在しない状態(no text of the patent)となった。
  • 結論: 審査の対象となるテキストが存在しない以上、審判部は特許要件等の実体的事項を検討することなく、本件特許を取り消さなければならない(引用判例:T 700/14、T 0073/84)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 手続終了手法としての確立された判例法理の再確認: 本件は、特許権者が特許の維持を断念する場合に、テキストに対する合意および係属中の請求を包括的・無条件に撤回(disapproval of text / withdrawal of requests)することにより、口頭審理を経ることなく直ちに特許取消決定(Revocation)を得て手続を終結させるという、EPO審判部の確立した実務(T 73/84等)に則った決定である。
  • 実務上の留意点: 特許権者側代理人としては、審判部の予備的見解(RPBA 15条(1)通信)等を受けて特許維持が極めて困難であると判断し、費用対効果の観点から口頭審理への出頭等を回避したい場合、本件のように明確・無条件にテキストへの合意を撤回することで、迅速に手続を終了させることが可能である。ただし、一度撤回すると手続の実体的な回復は原則として不可能となるため、意思決定には慎重を期す必要がある。

【EPO審判部 / 2026年5月26日】T 0228/24 - 情報担持装置に関する特許取消決定不服審判事件(新規性欠如および審判段階で初提出された補助請求等の不許容)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Infotoo International Limited、請求人)が保有する欧州特許第3224766号(発明の名称:INFORMATION BEARING DEVICES、偽造防止用の情報担持画像・透かし等に関する技術)に対し、異議申立人(Leonhard Kurz Stiftung & Co. KG、被請求人)がEPC第100条(a)、(b)、(c)号に基づき異議を申し立てた事案である。 異議部(Opposition Division)は、先行技術文献D1(特開2013-39726号公報)に基づき、特許付与時のクレーム1および当時の補助請求1、2、6、7が新規性(EPC第54条(2))を欠如していること、補助請求3および4がEPC第84条・第123条(2)に違反すること、並びに口頭審理で提出された補助請求5は一見して要件を満たさないとして参入を拒否(EPC第114条(2))し、特許を取り消す決定(EPC第101条(3)(b))を下した。 特許権者はこの取消決定を不服として審判を請求し、最終的に審判段階での補助請求9を「主請求」とし、さらに27個の補助請求(異議段階と同一の補助請求群および審判段階で新規提出された補助請求1〜8C、10等)を予備的に申し立てて特許の維持を求めた。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。(特許取消決定の維持)

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求および補助請求11〜13、15、16の新規性(EPC第54条(2))
    先行技術D1に開示された周波数領域の円弧状パターンが、クレーム記載の「第1・第2の周波数グループを構成する複数の周波数データ要素(frequency data elements)」に該当するか(連続線である円弧が離散的な点の集合としてクレーム解釈上読めるか)。
  • 争点2: 異議部で不受理となった補助請求14(異議部での補助請求5)の取扱い(RPBA第12条(6))
    異議部が裁量権に基づき補助請求を参入拒否とした判断を審判部が覆すべきか否か。
  • 争点3: 審判段階で初めて提出された補助請求群(補助請求1〜8C、10)の審理対象への参入可否(RPBA第12条(4)・(6))
    異議手続中に提出可能であった新たな補助請求群(特に第3・第4の周波数を追加する等して新たな争点を生じさせるもの)を審判部が裁量により許容すべきか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求および補助請求11〜13、15、16の新規性欠如(EPC第54条(2))

審判部は、D1に開示された図7bのパターンおよび図10bの周波数領域データ(196 LPI、254 LPI、318 LPIの3つの周波数を有する円弧)が、主請求のクレーム記載の要件をすべて満たすと判断した。

  • クレーム解釈: クレーム上の「周波数データ要素」は周波数(fi)と角度(θi)の極座標で定義される「点」を意味する。クレーム文言上、これらの要素が「離散的な点であること」や「相互に角度的に分離して個別に識別可能であること」は要求されておらず、連続的な線(円弧)を構成する複数の点の存在を排除していない。
  • 当てはめ: D1の図10bの円弧は無限の点の連続体(continuum of points)であり、同一の周波数(fi)で異なる角度(θi)を持つ複数の点を必然的に包含している。D1の196 LPI(第1周波数)および318 LPI(第2周波数)の各円弧上の任意の2点は、クレームの周波数データ要素群に該当する。
  • 補助請求11〜13、15、16における周波数の数値範囲等の限定(175 LPI以上、300〜1000 LPI等)についても、D1の開示値(196 LPI、318 LPI)が完全に包含されるため、同様に新規性を欠く。

(2) 補助請求14(異議部での補助請求5)の不受理維持(RPBA第12条(6))

異議部はEPC第114条(2)の裁量に基づき、本請求が一見して新規性欠如を解消できないと判断して参入を拒否した。審判部は、異議部の一見判断(prima facie assessment)が不合理な裁量行使とはいえないと判断し、第一審の裁量判断を覆さず、本請求を審理対象から除外した。

(3) 審判段階で初提出された補助請求1〜8Cおよび10の不許容(RPBA第12条(4))

審判部は、以下の理由により新規の補助請求をすべて手続から排除(not admitted)した。

  • 手続的遅延・異議段階での提出義務: D1に基づく新規性の争点は異議申立当初から存在しており、異議部が口頭審理で心証を変更することは手続上通常起こり得ることである。特許権者は異議手続中に予備的主張(fallback positions)としてこれらを提出すべきであった。
  • 有効性の欠如および「新たな事案(Fresh Case)」の提示:
    • 補助請求1〜3(角度分離の追加)および補助請求10(前文の文言変更)は、主請求の解釈ロジックに照らし、依然としてD1に対する新規性の欠陥を解消し得ない。
    • 補助請求4〜8等(第3・第4の周波数を追加するもの)は、D1に記載のない構成を追加するものの、審判段階に至って全く新しい争点(fresh case)および発散的な請求項体系(divergent requests)を提示するものであり、異議部の判断対象を審問するという審判手続の本質(RPBA第12条(2))に反する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • クレーム文言解釈における厳格主義: 特許権者が意図する技術的限定(例:「離散的な点」「個別に識別可能」など)がクレーム文言に明示的に反映されていない場合、審判部は明細書の開示(手振れ耐性等の課題)を参酌してクレームを限定解釈することはしない。先行技術の連続体(連続線・円弧)から「複数点」を読み取る解釈手法に対しては、ドラフティング段階での明示的な限定(離散的な配置、明確な角度間隔の特定など)が不可欠である。
  • EPO審判部手続規則(RPBA 2020)におけるフロントローディングの徹底: 異議段階で提出可能であった予備的請求を審判段階で初めて大量に提出すること(特に異議部での争点から分岐する「fresh case」や「divergent requests」)は、RPBA第12条(4)および(6)により極めて厳格に排除される実務が再確認された。異議手続の段階で、あらゆる先行技術の解釈リスクを見越した段階的な補助請求群を網羅的に提出しておくことの重要性を示している。

【EPO審判部 / 2026年4月27日】T 0913/24 - 架橋熱硬化性ポリウレタンを用いたフレキシブルヒンジ材料に関する特許取消決定に対する取消および特許維持差戻審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

(1)当事者関係および経緯
本件は、特許権者(審判請求人・Appellant)であるThales Dis France SASが、欧州特許庁(EPO)異議部による欧州特許第2969583号(発明の名称:「Flexible hinge material comprising cross-linked polyurethane material」)の取消決定(EPC第101条(3)(b))を不服として審判を請求した事案である。異議申立人(被請求人・Respondents)はGiesecke+Devrient Mobile Security GmbH、Bundesdruckerei GmbH、およびMB Automation GmbH & Co. KGの3社である。

(2)本件発明の概要およびクレーム
本件特許は、パスポート等のセキュリティ冊子に用いられる、個人データページ(biodata page)とそれに接合されるフレキシブルなヒンジ層(hinge layer)に関する。主請求(Main Request)のクレーム1の骨子は以下の通りである。

  • 周縁部およびエッジを有する個人データページ[A1]
  • 個人データページの少なくとも一部に取り付けられたヒンジ層[A2]
  • ヒンジ層が「架橋熱硬化性エラストマーポリウレタンシート(cross-linked thermoset elastomeric polyurethane sheet)」を含むこと[A3]
  • ヒンジ層の一部がエッジを越えて延び、フレキシブルヒンジを形成すること[A4]
異議部は、先行技術文献D2(US 2012/0164419 A1)およびD6(WO 98/19870 A1)の組み合わせに基づき進歩性(EPC第56条)を欠くとして特許を取り消したため、特許権者は主請求に基づき特許維持を求めて審判を申し立てた。

2. 判決の主文

  1. 原決定(異議部による特許取消決定)を取り消す。
  2. 審判理由書と共に提出された主請求(クレーム1〜13)を基礎とし、必要に応じて明細書および図面を適合させた上で特許を維持するため、本件を異議部に差し戻す。

3. 主な争点

  • 争点1:新規事項の追加の有無(EPC第123条(2))
    クレーム1における「架橋熱硬化性エラストマーポリウレタンシート」という特徴の組み合わせが、原出願の開示範囲を超えているか否か(複数のリストからの恣意的選択にあたるか)。
  • 争点2:D15に基づく新規性の有無(EPC第54条)
    D15に開示された熱可塑性エラストマー層の不可逆的融着(irreversible fusion)が、本件発明の「熱硬化性(thermoset)」を開示していると評価できるか。
  • 争点3:進歩性の有無(EPC第56条)
    D2を最も近い先行技術(closest prior art)とし、D6その他の文献を組み合わせることで当業者が本件発明を容易に想到できたか(事後分析/ex post factoの有無)。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1)EPC第123条(2)(新規事項の追加):違反なし
被請求人は「シート」「エラストマー」「熱硬化性」の組み合わせが原出願に直接の根拠を持たないと主張した。しかし審判部は、原出願クレーム1および従属クレーム2において「架橋熱硬化性エラストマーポリウレタン」が開示されていること、また原出願明細書(段落[0084]、[0085]等)において架橋前にシート状に押出成形できる旨が直接的かつ一義的に開示されていることから、用語「シート」の追加は原出願の開示の枠を出るものではなく、不当な中間一般化や複数リストからの恣意的選択には当たらないと判断した。

(2)新規性(EPC第54条):新規性あり
被請求人は、D15の「層同士が不可逆的に融着する」との記載から熱硬化性PUが開示されていると主張した。しかし審判部は、熱可塑性材料同士であっても架橋を伴わずに不可逆的に融着することは十分あり得るため、D15のラミネート工程の記載が「熱硬化性PU」を直接的かつ一義的に開示しているとはいえないとし、新規性を認めた。

(3)進歩性(EPC第56条):進歩性あり(Problem-Solution Approachの適用)

  • 相違点および客観的技術課題:
    最も近い先行技術であるD2に対し、本件発明は「ヒンジ層のPUシートが熱硬化性(thermoset)である点」で相違する。これにより架橋後に再溶融できなくなるため、客観的技術課題は「個人データページとヒンジ層を有する物品の偽造防止セキュリティの向上」と設定される。
  • D2とD6の組み合わせの非自明性:
    D6はレーザー彫刻可能な熱硬化性プラスチック(ポリカーボネート等)を用いたパスポートを開示するが、これは特定の装置・材料を用いることによる偽造防止を意図したものであり、ヒンジ層に熱硬化性PUを用いる動機付けを与えるものではない。D2のヒンジ層Cに熱硬化性PUを適用する必然性はなく、異議部および被請求人の論理は発明を知った上での「事後分析(ex post facto)」であると排斥された。
  • その他の引例との組み合わせおよび別引例起点:
    D3、D4、D16〜D18、D22〜D24との組み合わせについても、同様に熱硬化性PUシートをヒンジ層として選定する示唆はない。また、D5、D6、D8、D15、D25を起点とする主張についても、いずれもD2以上に有望な起点(promising starting point)とはいえず、進歩性を否定できない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 進歩性判断における「事後分析(Ex Post Facto)」の厳格な排除
本審決は、先行技術に「熱硬化性(thermoset)」という広範な概念や接着剤としての記載が存在していたとしても、特定の構成要素(本件ではヒンジ層シート)に特定の材料(熱硬化性PU)を選択・適用する具体的な動機付けがない限り、容易想到性は認められないことを再確認した。課題解決のための構成の抽出が後知恵に基づくものである場合、EPO実務において厳格に排斥される典型例である。

2. 新規性における「不可逆的融着」と「熱硬化(Thermoset)」の区別
物理的・機械的な結果としての「不可逆的融着(irreversible fusion)」が開示されていても、化学的構造・状態としての「熱硬化性(共有結合による不可逆的架橋)」が直接的かつ一義的(directly and unambiguously)に開示されているとはみなされないという、EPOの厳格な新規性判断基準が示されている。

3. クレーム解釈と構成の対応関係の厳格性
独立した「ヒンジ層」を要求するクレームに対し、データページ自体がヒンジを兼ねている構造(D5、D6)は構造的に離れた先行技術(more remote)と評価され、最も近い先行技術としての適格性が否定された点も実務上参考になる。

【EPO審判部 / 2026年6月30日】T 1283/24 - 特許権者による特許テキストへの同意撤回に伴う特許取消決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、欧州特許第3557000号(発明の名称:「Auxiliary oil system for geared gas turbine engine」)に対する異議申立手続において、異議部が特許権者(RTX Corporation)の補助請求3に基づく補正形式で特許を維持する中間決定を下したことに対し、特許権者および異議申立人(Safran Aircraft Engines)の双方が審判請求(Appeal)を申し立てた事案である。

審判請求時、異議申立人は原決定の取消しおよび本件特許の取消し(Revocation)を求めた。一方、特許権者は原決定を取り消し付与時形式での特許維持(主請求)、あるいは補助請求1〜3に基づく特許維持を求めていた。 しかし、口頭審理の期日において特許権者は自己の審判請求を取り下げ、補助請求3を超える上位の請求も取り下げた(これにより特許権者は被審判請求人/Respondentの地位となった)。さらに、口頭審理の終結時に、特許権者は唯一係属していた請求(補助請求3)を取り下げるとともに、特許を維持するためのいかなるテキスト(明細書・クレーム等)に対する同意(approval)も撤回した。

2. 判決の主文

1. 原決定を取り消す(The decision under appeal is set aside)。
2. 本件特許を取り消す(The patent is revoked)。

3. 主な争点

  • 争点: 特許権者が特許維持のためのテキストに対する同意を全面的に撤回し、代替テキストも提出しない場合におけるEPC第113条(2)の適用と手続の終結方法

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) EPC第113条(2)に基づくテキスト同意の要件
EPC第113条(2)の規定に基づき、欧州特許庁(EPO)は特許権者によって提出された、または同意されたテキスト(text submitted to it, or agreed, by the patent proprietor)に基づいてのみ、欧州特許の審査および決定を行わなければならない。特許権者が特許のテキストをもはや承認しない旨を表明し、係属中のすべての請求を取り下げ、かつ特許維持のためのいかなる代替テキストも提案しない場合、当該同意は存在しないものとみなされる。

(2) 実体審査を行わない特許取消し
特許権者による同意の撤回により、審判部が審判請求を審理するための特許テキストが存在しない状態(no text of the patent on the basis of which the Board can consider the appeal)となる。このような状況下においては、審判部は特許性(新規性・進歩性等)に関する実体審査を行うことなく、直ちに特許を取り消す旨の決定を下して手続を終了させなければならない(EPO審決例集第11版 IV.D.2参照)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

本決定は、特許権者が自発的に特許の維持を放棄する場合におけるEPOの確立された実務(定型的な手続処理)を再確認したものである。特許権者が異議・審判手続の継続を望まない場合、単に手続を放置・欠席するのではなく、明示的に「特許テキストへの同意の撤回(withdrawal of approval of the text)」および「係属中の全請求の取り下げ」を行うことで、実体審査を経ることなく迅速かつ終局的に特許取消決定(Revocation)を導くことができる。欧州特許プラクティスにおいて、手続コストの抑制や早期解決を図るための実務的防御・放棄スキームとして標準的に用いられる法理である。

【欧州特許庁審判部 / 2026年6月18日】T 0014/25 - 自動車用補強構造部材システムに関する特許異議審判請求事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(SIKA TECHNOLOGY AG)が保有する欧州特許第3486145号(発明の名称:「補強された構造要素のシステム」)に対し、異議申立人(L & L Products Europe S.A.S.)が欧州特許条約(EPC)第100条(a)(新規性・進歩性欠如)、同(b)および(c)を理由として異議を申し立てた事案である。

欧州特許庁(EPO)異議部は、特許権者が提出した補助請求X(Hilfsantrag X)の補正内容に基づき特許を一部維持する中間決定を下した。これに対し、特許権者(主請求=特許付与時のクレームでの維持、または補助請求I〜IX等での維持を請求)および異議申立人(特許の完全取消を請求)の双方が審判請求(Beschwerde)を提起した。

2. 判決の主文

双方の審判請求を棄却する(Die Beschwerden werden zurückgewiesen)。
(異議部が認めた補助請求Xに基づく特許維持決定が維持・確定された。)

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求および補助請求I〜IXの新規性(EPC第54条、第100条(a))
    先行技術文献(D5, D2, E13)に基づき、クレームに規定された接着剤の構成や連結壁・リブ等の各構成要件が新規性を具備するか否か。
  • 争点2: 補助請求Xの新規事項追加の有無(EPC第123条(2))
    追加された構成要件M14(長軸に沿った壁の配向)が当初出願の範囲内であるか否か。
  • 争点3: 補助請求Xの新規性および進歩性(EPC第54条、第56条)
    先行技術(D5, E6, E13)に対する新規性・進歩性の有無、ならびに異議申立人が控訴審で新たに主張した引例(D2, E1, E2, E3等)に基づく進歩性欠如の主張の許容性(審判部手続規則[RPBA 2020]第12条(3)(5)(6))。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求および補助請求I〜IXの新規性判断(EPC第54条)

  • 主請求および補助請求I〜IV, VI, VII(引例D5に対する新規性欠如): クレーム1の「接着剤」は単一の接着剤に限定されず、D5に開示された発泡材料と熱硬化性接着剤含有繊維材料の複合体もこれに該当する。また、D5が参照するE25の記載から接着特性および膨張率(10〜500%)は直接かつ一意(directly and unambiguously)に導かれる。さらに、結合部近傍における接着層の連続性もD5から読み取れるため、新規性を欠く。
  • 補助請求V(引例D2に対する新規性欠如): 拡大審判部審決G 1/24に基づき、特許要件の判断においてはクレームが基礎となり、明細書・図面は解釈のために参照される。しかし、明細書に「連結壁(Verbindungswand)」を「長手方向に延在するもの」に限定する明示的定義はなく、直交するリブ(M15)の追加によっても連結壁が長手方向に限定されるとは解されない。したがって、D2の隔壁により新規性を欠く。
  • 補助請求VIII, IX(引例E13に対する新規性欠如): E13の図面に示された構造体は、長軸に対して直交する複数の要素を備えており、これらはクレーム上の連結壁およびリブの両方に該当し、かつ結合部における連続的な接着層も開示されているため新規性を欠く。

2. 補助請求Xの特許性判断

  • 新規事項追加の禁止(EPC第123条(2)): 構成要件M14(各壁が補強要素の長軸に沿って配向される構成)は、当初出願の図3等から直接かつ一意に導き出すことができ、非許容の中間一般化(impermissible intermediate generalisation)には当たらず、第123条(2)に違反しない。
  • 新規性(EPC第54条): E13の壁は長軸に対し直交配向でありM14を欠く。また、E6に開示された担体は接着流路を設けた中実体(Vollkörper)であり、M15で規定される「中空体内の薄い補強要素としてのリブ」を開示していない。したがって、E13およびE6に対して新規性を有する。
  • 進歩性(EPC第56条): D5またはE6を出発点(最良の先行技術)とした場合、M15(直交リブ)が相違点となる。客観的技術課題は「要素の安定性をさらに高めること」である。D5の射出成形プロセスを考慮すると当業者が直交リブを選択する必然性はなく、事後分析的(ex-post-facto)な考察なしには本件構成に到達し得ない。また、E6(中実体・特殊な樹脂注入)とE1/E13(中空リブ構造)は設計思想・樹脂膨張率が大きく異なり、当業者がこれらを組み合わせる動機付けはない。したがって、進歩性を具備する。
  • 新規な進歩性攻撃の却下(RPBA 2020 第12条(5)(6)): 異議申立人が控訴理由書で新たに提出したD2, E1, E2, E3に基づく進歩性欠如の主張は、十分な理由付けを欠き(RPBA 2020 第12条(3)違反)、かつ異議部口頭審理で一度放棄された主張であるため、手続規則第12条(5)および(6)に基づき審判手続への参入を認めず却下した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 拡大審判部審決 G 1/24 の適用とクレーム解釈: 審判部はG 1/24に依拠し、クレーム文言を出発点としつつ明細書・図面を参照して解釈する原則を再確認した。ただし、明細書中の実施例が特定方向(長手方向)の構成のみを示していても、クレームにその限定がない限り、用語(「連結壁」)を限定解釈することは認められないという厳格な基準が示されている。ドラフティングにおいて意図する限定は明示的にクレームアップする必要がある。
  • 先行文献の参照(Incorporation by Reference)による新規性判断: 先行文献(D5)中に商標名(SikaReinforcer® 941)および先行特許(E25)への言及がある場合、その参照が当業者にとって具体的性質(接着性・膨張率等)を直接かつ一意に理解できるものであれば、新規性阻害の根拠として一体的に認定される実務が示されている。
  • RPBA 2020に基づく新主張の厳格な排除: 異議部段階で実質的に追行・維持されなかった攻撃方法や、控訴理由書において十分な論証(Substantiierung)がなされていない新たな進歩性欠如の主張は、RPBA 2020第12条(3)、(5)、(6)に基づき厳格に排除(不参入)される点に留意が必要である。

【欧州特許庁審判部(EPO TBK) / 2026年6月18日】T 0013/25 - 自動車の補強構造要素システムに関する異議申立審判請求事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Sika Technology AG)が保有する欧州特許第3486144号(発明の名称:「自動車の補強構造要素システム」)に対する異議申立審判事件である。異議申立人(L & L Products Europe S.A.S.)は、EPC第100条(a)[第54条(新規性)、第56条(進歩性)]等を理由に特許の全面取消しを求めて異議を申し立てた。異議部は、特許権者が提出した補助請求VI(Hilfsantrag VI)に基づく維持を認める中間決定を下したため、特許権者(原付与態様での特許維持等を求めて控訴)および異議申立人(特許取消しを求めて控訴)の双方が審判請求(Beschwerde)を提起した。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部の中間決定)を取り消す。
2. 本件を更なる審理のため異議部に差し戻す(Zurückverweisung)。

3. 主な争点

  • 争点1:主請求(原付与クレーム1)の文献D1に基づく新規性(EPC第54条)
    拡大審判部決定G 1/24に基づくクレーム解釈において、「接続壁(Verbindungswand)」が長手方向に延在するものに限定解釈されるか否か。
  • 争点2:補助請求I(Hilfsantrag I)の文献D1に基づく新規性(EPC第54条)
    「連続した接着剤層(kontinuierliche Schicht von Klebstoff)」の解釈およびD1における開示の有無。
  • 争点3:補助請求II(Hilfsantrag II)の文献E3(引照文献E18を含む)に基づく新規性(EPC第54条)
    文献E3の記載およびE3内で言及された文献E18からの「接着剤の膨張率(500%未満)[M11]」の直接的かつ一義的な導出可否、ならびに発泡接着剤の流動による側壁・接続壁の接着[M7, M9]が必然的に開示されているか否か。
  • 争点4:異議部への差戻し(EPC第111条(1)項、審判部手続規則(RPBA/VOBK 2020)第11条)の適否

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求の新規性欠如(EPC第54条)
拡大審判部決定G 1/24に則り、特許性の判断にあたってはクレームが出発点かつ基礎となる。明細書および図面はクレーム解釈において常に参酌されるべきであるが、本件明細書には「第1および第2の側壁を接続する」こと以外の限定的な定義は存在しない。図面等に示される長手方向への延在は単なる実施例にすぎず、クレームの文言を当該実施形態に限定する根拠にはならない。従属クレーム11に直交する「リブ」の記載があるとしても、接続壁が非直交でなければならないとは解釈されない。したがって、文献D1に開示された構成はクレーム1の全構成要件(M1〜M9)を充足し、主請求は新規性を欠く。

2. 補助請求Iの新規性欠如(EPC第54条)
補助請求Iで追加された「連続した接着剤層[M10]」は、クレーム上、補強要素の長手方向全体にわたって連続していることまでを要求していない。文献D1の図6および図8から、結合部位にわたる連続的な接着層の存在が認められるため、補助請求Iも新規性を欠く。

3. 補助請求IIの新規性維持(EPC第54条)
審判部は、文献E3に対する補助請求IIのクレーム1の新規性を認めた。

  • 膨張率(M11):文献E3自体には500%未満という膨張率は記載されていない。E3は文献E18を一般的背景技術として例示列挙しているにすぎず、特定の膨張率を採用することまで直接的かつ一義的(directly and unambiguously)に開示しているとはいえない。またE18自体も広範な膨張率(600%等を含む)を開示しており、本件クレームの範囲が特定されているとはいえない。
  • 接着構成(M7, M9):文献E3において発泡材が熱処理により溶融・発泡する際、重力や隙間の狭小性によって側壁や接続壁を構造部材の鋼板に必然的に接着させるという異議申立人の主張は、蓋然性のある推測にすぎず、必然的・一義的な開示とは認められない。
したがって、補助請求IIは構成要件M7、M9およびM11において文献E3と相違し、新規性を有する。

4. 異議部への差戻し(Zurückverweisung)
異議部は補助請求IIに係る進歩性(EPC第56条)の多岐にわたる引証・論点について判断を示していない。当事者双方が差戻しを求めていること、および審級の利益を考慮し、特別の理由(besondere Gründe)があるとして、審判部手続規則(VOBK 2020)第11条に基づき本件を異議部に差し戻した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 拡大審判部決定 G 1/24 の適用とクレーム解釈の限界
本判決は、G 1/24に基づき「明細書・図面を考慮したクレーム解釈」を行いながらも、明細書の特定実施例(長手方向に配置された壁)をもってクレームの広い用語(接続壁)を限定解釈することは許されないという原則を再確認している。ドラフティングおよびクレーム解釈実務において、明細書の参酌と不当な限定解釈の境界線を示す典型例である。

2. 先行技術における他文献参照(Incorporation by reference)の新規性判断基準
先行文献(E3)中で別文献(E18)が例示的に引用されている場合であっても、それが一般的な技術例示にとどまり、具体的数値パラメータ(膨張率)の採用が一義的でない限り、新規性を否定する開示とはみなされない実務基準が厳格に適用されている。

3. 物理的現象・挙動の「必然性(Zwangsläufigkeit)」の立証責任
熱膨張時の接着剤の流れ込みなど、先行技術の構造から「高い確率で生じる(wahrscheinlich)」物理挙動であっても、「必然的(zwangsläufig)」な開示と立証されない限り、暗黙の開示(implicit disclosure)として新規性を否定することはできないという実務上の立証水準が明確に示されている。

【EPO審判部 / 2026年04月30日】T 0964/24 - 抗真菌化合物SCY-078の新規な塩および結晶多形に関する異議審判請求事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、抗真菌薬候補化合物「SCY-078」のクエン酸塩およびその特定の結晶多形に関する欧州特許(EP 3 247 711)について、異議申立人(Synthon BV)が特許異議申立を行い、欧州特許庁(EPO)異議部が異議を棄却した決定に対し、申立人が不服として審判請求(Appeal)を申し立てた事案である。

特許権者(Scynexis, Inc.)は、登録された特許をそのまま維持する主請求(Main Request)の棄却を求め、予備的に請求項を特定の10種の結晶型(Type A等)に限定した補助請求1〜4(Auxiliary Requests 1 to 4)を提出した。異議申立人は、主請求および各補助請求について、新規性(EPC 54条)、進歩性(EPC 56条)、記載要件/新規事項追加(EPC 123条(2))、明確性(EPC 84条)および開示の十分性(EPC 83条)の違反を理由に特許の完全取消(Revocation)を求めた。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部決定)を取り消す(The decision under appeal is set aside)。
2. 補助請求4の請求項1〜10(およびこれらに適合させた明細書・図面)に基づき、特許を補正維持(maintain the patent in amended form)するため、本件を異議部に差し戻す(The case is remitted to the opposition division)。

3. 主な争点

  • 争点1: 新規性(EPC 54条) - 先行文献D6(SCY-078またはその塩を開示し、塩のリスト中に「クエン酸塩」を例示)により、主請求(SCY-078クエン酸塩一般)の新規性が喪失するか(多段階選択の要否)。
  • 争点2: 新規事項の追加禁止(EPC 123条(2)) - 補助請求4において、XRPD(X線粉末回折)の相対強度を除外して特定のピーク位置(d値および/または回折角2θ)のみを抽出して結晶型(Type A等)を定義することが許容されるか。
  • 争点3: 進歩性(EPC 56条) - SCY-078の公知の塩または遊離塩基(D6等)から、FaSSIF/FeSSIF培地中での速度論的溶解度(動的溶解度)およびそれに伴うバイオアベイラビリティの向上を奏する特定のクエン酸塩結晶多形に到達することが当業者にとって自明であったか(ルーチンスクリーニングと成功の合理的期待)。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求および補助請求1〜3の新規性欠如(EPC 54条)

主請求の請求項1(SCY-078のクエン酸塩)について、先行技術D6はSCY-078を含む化合物群を開示し、塩形成剤としてクエン酸を含むリストを明記している。塩形成基(塩基性アミン基または酸性カルボン酸基)の分類は塩形成の機構を反映したに過ぎず、対イオンとして「クエン酸」を選択した時点で塩基性アミン基での塩形成が必然的に定まるため、独立した別個の選択(二重選択)とは評価できない(T 636/10参照)。したがって、D6はSCY-078クエン酸塩を直接かつ一義的に開示しており、新規性を欠く。同様の請求項1を有する補助請求1〜3も認められない。

2. 補助請求4の適法性(EPC 84条、123条(2)、83条、54条)

補助請求4は、SCY-078クエン酸塩を10種類の特定結晶型(Type A〜S)に限定したものである。

  • 明確性(84条): 相対強度を記載せずピーク位置(d値・2θ値)のみで固体(結晶)を特定することは当業界の慣用実務であり、不明確とはいえない。
  • 新規事項追加(123条(2)): 当初出願の段落[0176]等の記載(高強度の主要ピークに基づく開示)から、相対強度を伴わずに特定のd値・角度を「and/or」で組み合わせる根拠が直接かつ明確に導かれる。
  • 開示の十分性(83条): Type A結晶の製造方法および速度論的溶解度の測定法は出願当初明細書に再現可能に開示されており、異議申立人から測定値の再現性を覆すに足る反証(counter-evidence)は提出されていない。
  • 新規性(54条): 個別の結晶多形はD6に開示されておらず、新規性を有する。

3. 補助請求4の進歩性(EPC 56条)

最も近い先行技術(D6のSCY-078の塩または遊離塩基)に対する判断は以下の通りである。

  • 客観的技術課題の設定: 出願当初明細書の実験データ(表18、表41)により、Type Aクエン酸塩結晶は他の塩(メシル酸塩、リン酸塩、フマル酸塩等)や遊離塩基に比べ、絶食時人工腸液(FaSSIF)および摂食時人工腸液(FeSSIF)中での速度論的溶解度が顕著に高いことが立証されている。FaSSIF/FeSSIFが経口薬のバイオアベイラビリティ予測に汎用される技術常識に照らせば、この溶解度向上は生物学的に有意義な「改善されたバイオアベイラビリティ」という効果と直接結びついており、拡大審判部決定G 2/21の基準を満たす。したがって、客観的技術課題は「改善されたバイオアベイラビリティを有するSCY-078塩を提供すること」である。
  • 非自明性(Obviousness): 先行文献のいずれも、他の塩形成選択肢と比較してクエン酸塩がバイオアベイラビリティを向上させるという示唆を与えていない。当業者が通常の塩スクリーニング(routine salt screening)を実施する「単なる期待(mere hope)」を有していたとしても、それは望ましい結果を実際に達成できるという「成功の合理的な期待(reasonable expectation of success)」とは法的に同視できない(T 1684/16引用)。また、得られたクエン酸塩結晶多形は他の候補塩に比べて優れた溶解性を示しており、単なる任意の選択(arbitrary selection, T 777/08)にも当たらない。

以上より、補助請求4に係る発明は進歩性を有する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • マーカッシュ形式・包括リストからの塩の選択と新規性: 単に公知化合物と公知の対イオンリスト(クエン酸等)が同一文献に記載されている場合、塩形成部位の選択が必然的であれば「単一の選択」とみなされ、塩の一般概念クレームの新規性が否定されるリスクが高い(実務上、化合物の塩を包括的に抑えるクレームの限界を示す)。
  • ルーチンスクリーニングと進歩性(T 1684/16、T 777/08): 結晶多形や塩の創出において、常套的な塩スクリーニングプロトコルが存在する場合であっても、「特定の塩を選択することで顕著な溶解度・生体内利用能が向上する」という予期せぬ顕著な効果が立証されれば、単なる試行錯誤の希望(hope to succeed)を超えた進歩性が認められる。
  • 薬物動態予測培地(FaSSIF/FeSSIF)データによる効果の立証(G 2/21の適用): in vitroのFaSSIF/FeSSIF溶解度データが、技術常識を介してin vivoのバイオアベイラビリティ向上という生物学的効果として当業者に合理的に導かれる場合、G 2/21に基づく客観的技術効果として正当に承認される。
  • XRPDピーク特定によるクレームドラフティング: ピークの相対強度を記載せず主要ピーク位置(2θやd値)のみを抽出して結晶多形を特定する補正について、原出願の開示構造(主要ピーク群の記載)に依拠することでEPC 123条(2)および84条の要件をクリアできる実務的指針が示されている。

【UPCハーグ地方部 / 2026年07月08日】UPC-CFI-0001536/2025(他) - 補助参加人(特許プール管理者)に対するFRANDレート設定反訴の適法性および当事者追加に関する手続命令(パネルレビュー決定)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、原告Dolby International AB(以下「Dolby」)が保有する欧州特許(EP3079153)に基づき、Acer各社(以下「Acer」)に対して特許侵害訴訟を提起した事案である。訴訟係属中、特許プール管理者であるVectis IP Ltd.(以下「Vectis」)がDolby側を支援するため、自発的かつ異議なく補助参加(Intervention)を行った。
これに対し、被告Acerは特許無効の反訴に加え、Dolbyのみならず補助参加人であるVectisに対してもFRANDライセンス料率の決定を求める反訴(counterclaim for rate-setting)を提起した。受命裁判官(Judge-Rapporteur)が2026年5月1日付命令でVectisに対する当該反訴を受理したため、DolbyおよびVectisは統一特許裁判所手続規則(RoP)第333条に基づき、合議体によるパネルレビュー(Panel Review)を申し立て、Vectisに対する反訴の却下(不適法宣言)等を求めた。

2. 判決の主文

裁判所(合議体)は以下の通り決定した。

  • 受命裁判官の命令に対するパネルレビュー申立てを棄却する(Vectisに対するレート設定反訴の受理を維持)。
  • 必要な限度において、RoP第305条に基づきVectisをDolby側の共同当事者として追加する。
  • 本決定に対する控訴を許可する(RoP第220条2項)。

3. 主な争点

  • 争点1: 補助参加人に対する反訴提起の適法性(RoP第315条4項の解釈)
    主請求たる侵害訴訟を支援するために自発的に補助参加した第三者(プール管理者)に対し、被告が直接FRANDレート設定を求める反訴を提起することが許容されるか。
  • 争点2: 補助参加人の訴訟当事者への追加(RoP第305条)およびUPCA第47条との関係
    特許権者でもライセンシーでもないプール管理者に対し、UPCA第47条の当事者適格要件や国際管轄を理由として反訴の相手方または共同当事者への追加を拒絶できるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

合議体は、受命裁判官の判断を支持し、申立てを棄却した。その判断構造は以下の通りである。

(1)補助参加人の地位と反訴の許容性(RoP第315条4項・平等待遇原則)
RoP第315条4項は、裁判所が別段の命令を発しない限り「参加人は当事者として扱われる(treated as a party)」と規定している。したがって、原則として参加人に対する反訴提起は許容される。さらに、UPC控訴裁判所判例(Strabag事件)が確立した「平等待遇の原則(equal treatment)」に照らせば、被支援者(Dolby)に向けられた反訴は、それを支援する参加人(Vectis)に対しても向けられ得ると解するのが相当である。

(2)手続の効率性と既判力の相互性(RoP第316条3項、UPCA第32条1項(a))
ライセンスに関する反訴は、特許侵害訴訟に対する抗弁と密接不可分である(UPCA第32条1項(a))。VectisはDolbyからライセンス許諾権限を付与されており、Acerに対してDolbyと同様のFRAND義務を負うかが問題となる。RoP第316条3項により参加人は本訴判決の効力に拘束される以上、AcerがVectisに対して別訴を提起しなければ料率決定を得られないとする解釈は手続経済および衡平に反する。なお、Vectisが実体法上のFRAND義務や市場支配的地位を有するか否かは本案(実体審理)の事項であり、訴訟要件(適法性)の審査段階で判断すべき事項ではない。

(3)当事者追加権能(RoP第305条)と出訴資格(UPCA第47条)の峻別
UPCA第47条は「訴えを提起できる者(原告適格)」を制限する規定であり、訴訟に補助参加する者や反訴被告・共同当事者として追加される者の資格を制限するものではない。仮に控訴審で参加人に対する反訴適格が否定された場合に備え、裁判所は訴訟経済の観点からRoP第305条に基づきVectisをDolby側の正式な当事者として追加することを併せて命じた。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 特許プール管理者の補助参加に伴う訴訟リスクの顕在化:
    特許権者を支援するために自発的に補助参加したプール管理者(Vectis等)が、UPC手続上「当事者(Party)」と同視され、直接FRANDレート設定反訴等の実体的な請求・命令の対象となるリスクが明確に示された。プール管理者がUPC訴訟に関与する際の参加戦略に重大な影響を与える。
  • UPCにおける反訴・当事者追加の柔軟な運用(RoP第305条・第315条4項):
    UPC裁判所は、関連する紛争(標準必須特許の侵害論とプールを含むFRANDライセンス料率決定)を一回的かつ効率的に解決するため、手続規則上の裁量を広く行使し、手続経済を重視する姿勢を鮮明にしている。
  • 控訴審(Court of Appeal)の動向への注視:
    本決定は、補助参加人に対する反訴の可否というUPC実務上未確立の論点を含み、先例的影響が大きいことから控訴許可が付与されている。控訴裁判所の最終判断が注目される。

【統一特許裁判所 控訴裁判所 / 2026年8月19日】UPC-CoA-908/2025, UPC-CoA-909/2025, UPC-CoA-918/2025 - 卵用包装容器に関する特許権侵害訴訟および特許無効反訴控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、卵用包装容器(パルプモールド製パック)に関する欧州特許(EP 2 755 901、以下「本件特許」)の特許権者である原告・控訴人Hartmann Packaging A/S(以下「Hartmann」)が、被告・被控訴人Omni-Pac Ekco GmbH Verpackungsmittelら(以下「Omni-Pac」)による卵包装容器「ComPac」の製造・販売が本件特許のクレーム1、5、6および8を侵害するとして差止および損害賠償等を請求した事案である。これに対し、Omni-Pacは非侵害を主張するとともに、本件特許の新規性・進歩性欠如(先行技術GDM1、GDM6等に基づく)を理由とする特許無効の反訴を提起した。

第一審(デュッセルドルフ地方部)は、クレーム1(物)についてGDM1に対して進歩性を欠くとしつつ補助請求2の限定に基づき特許を維持し、クレーム6(方法)については有効と判断した。また、被疑製品は構成要件を充足しないとして侵害請求を棄却した。これに対し双方が控訴した。

2. 判決の主文

1. Hartmannの控訴(UPC-CoA-908/2025[侵害]およびUPC-CoA-909/2025[無効反訴])をいずれも棄却する。
2. 第一審判決の一部(主文A項)を取り消し、本件特許(EP 2 755 901 B1)を補助請求2のクレーム1〜8の範囲に限定して維持し、それを超える部分を無効とする(クレーム6の原クレームは進歩性欠如により無効とされた)。
3. 訴訟費用の負担:侵害控訴(908/2025)の費用は全額Hartmannが負担。無効反訴控訴(909/2025及び918/2025)の費用はHartmannが75%、Omni-Pac各社が12.5%ずつ負担する。

3. 主な争点

  • 争点1: 控訴審における新主張・新証拠の許容性(UPC手続規則(RoP)222条2項の解釈)
  • 争点2: 本件特許クレーム1(構成要件2.2)のクレーム解釈(「上方に延びる保持突起」が従来の「可撓性閉鎖フラップ」を排除するか否か)
  • 争点3: 本件特許の有効性(先行技術GDM1・GDM6に対する新規性・進歩性)
    • クレーム1(原クレーム・補助請求1・補助請求2)の進歩性
    • クレーム6(原クレーム・補助請求2)の新規性および進歩性
  • 争点4: 被疑侵害製品による特許権侵害の成否(文言侵害の有無)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 控訴審における手続的判断(新主張・新証拠の許容性)

UPC手続規則(RoP)222条2項は第一審で提出されなかった「請求、事実及び証拠」を裁量で却下できる旨定めているが、これは法的主張(クレーム解釈を含む)には適用されない。第一審の事実関係に基づく新たな法的解釈の主張は適法である。一方、Hartmannが控訴審で新たに提出した証拠(付属書31〜34)については、第一審で提出できなかった正当な理由がなく、関連性も低いため却下された。

(2) クレーム解釈(構成要件2.2:保持突起の意義)

欧州特許条約(EPC)69条およびその解釈に関する議定書に基づき、クレームは当業者の視点から明細書および図面を参酌して解釈される。本件特許の課題は、広いラベル表示面積の確保と機械による単一動作での確実な閉鎖・施錠を両立させ、従来の可撓性フラップによる製造・輸送コストを削減することにある。したがって、構成要件2.2の「底部から上方に延びる少なくとも1つの保持突起(retainment projection)」は、ヒンジ接続された従来の「可撓性閉鎖フラップ(flexible locking flap)」を排除するものと解釈される。

(3) 特許の有効性判断(進歩性・新規性)

  • クレーム1(原クレーム及び補助請求1): 先行意匠・技術であるGDM1は、卵容器の基本的構造および下向き・外向きの保持ノーズを開示している。GDM1に材質(繊維/パルプ材)の明示はないものの、卵容器においてパルプ材を選択することは当業者の周知技術・通常の実務(ルーチンの選択)にすぎず、進歩性を欠く(無効)。ラベルでノーズと開口を覆う限定を加えた補助請求1も、GDM1の記載から自明である。
  • クレーム1(補助請求2): 「ノーズが開口部の下縁に引っ掛かるフックとして機能する」という限定について、GDM1にはそのようなフック構造や開示はなく、当業者が容易に想到できたとはいえないため、進歩性を具備し有効である。
  • クレーム6(方法の原クレーム): 成形時に変形を補償するように突起と開口部を相対配置する工程(構成要件6.3)について、パルプ吸引成形および乾燥工程で変形が生じることは当業者の技術常識であり、GDM1を出発点として通常の試行錯誤によって当該配置を行うことは容易である。したがって、クレーム6(原クレーム)はGDM1に対して進歩性を欠き無効である(第一審判断の変更)。
  • クレーム6(補助請求2): クレーム1と同様にフック機能の限定が付加されており、GDM1に対して進歩性を有し有効である(また、製造工程要件を欠く先行技術GDM6に対しても新規性を有する)。

(4) 侵害論(文言侵害の不成立)

本件特許の有効な範囲(補助請求2)に照らして検討するに、Omni-Pacの被疑製品「ComPac」は、独立した「上方に延びる保持突起」を備えておらず、従来の折り曲げを要する「可撓性閉鎖フラップ」を採用している。したがって、被疑製品は構成要件2.2、2.2.1(およびクレーム6の6.1.2.1)を充足せず、文言侵害は成立しない(Hartmannは控訴審で均等論の主張を撤回)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • UPC控訴審における審理対象の厳格化(RoP 222条2項の運用): 第一審で提出可能であった新規な事実・証拠は控訴審で厳格に排除される一方、クレーム解釈などの「純粋な法的主張(matter of law)」は新たな切り口であっても許容されるという区別が明確に示された。
  • 「課題および先行技術との対比」に基づくクレーム限定解釈: クレーム文言上明示されていなくても、明細書に記載された従来技術の欠点克服や単一操作による施錠という発明の技術思想(課題解決の手段)に基づき、従来構造(可撓性フラップ)がクレームの文言から排他的に解釈された。侵害論と有効性論の整合性を図るクレーム解釈実務の典型例である。
  • 素材の転換と製造パラメータに関する進歩性基準: 周知材料(プラスチックからパルプモールドへ)への代替や、成形時における変形を補償するための一般的な試行錯誤(パラメータ調整)は、特別な予期せぬ効果がない限り進歩性を否定する事情となることが再確認された。

【UPC Court of Appeal / 2026年08月28日】No. UPC-CoA-678/2025 - 特許補正手続の許容性、先行技術に基づく進歩性、およびUPCA非締約国における特許侵害管轄・立証責任に関する控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容) 当事者: 控訴人(第一審原告)は、スロージューサー市場で事業を展開する韓国法人Hurom Co., Ltd.(以下「HUROM」)。 被控訴人(第一審被告)は、韓国法人NUC Electronics Co., Ltd(以下「NUC Ko...