【EPO Technical Board of Appeal / 2026年07月02日】T 0614/24 - 補正による特許権の保護範囲拡張(EPC 123(3)違反)と特許取消

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、養子細胞療法のための細胞培養法及び装置に関する欧州特許第2850175号(以下「本件特許」)の異議申立手続における控訴審判決である。異議部(Opposition Division)が補助請求6に基づく補正後の特許維持決定(中間決定)を下したのに対し、異議申立人(控訴人)が同決定の取消し及び特許取消しを求めて控訴を提起した。

異議申立人は、審判手続において、主請求(異議部で認められた補助請求6と同等)および補助請求1〜7のクレーム1が、欧州特許法(EPC)第123条(3)(特許権の保護範囲の拡張禁止)に違反していると主張した。特許権者(被控訴人)は控訴棄却(原決定の維持)、または補助請求1〜7に基づく特許維持を請求した。

2. 判決の主文

1. 原判決(異議部の中間決定)を取り消す。
2. 本件特許を取り消す(The patent is revoked)。

3. 主な争点

  • 争点1: EPC第123条(3)に基づくクレームの不当な拡張の有無
    特許付与時のクレーム1に含まれていた「育成面から『細胞除去開口部(cell removal opening)』までの距離制限」を、補正により「培地除去開口部(medium removal opening)」までの距離制限へと用語変更したことが、特許権の保護範囲を拡張(EPC 123(3)違反)させるか否か。
  • 争点2: クレーム構成の解釈と「固有の限定(Inherent Limitation)」の成否
    クレーム内の他の構成要素(「装置の下端沿い」「低い箇所から排出」「育成面と導管の接触」等)の記載により、削除された距離制限が技術的・構造的に「固有(inherent)」に含まれていると解釈できるか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

審判部(Board of Appeal)は、主請求クレーム1がEPC第123条(3)の要件を満たさず、特許は取り消されるべきであると判断した。その論理展開は以下の通りである。

(1) クレーム対比と拡張の事実

特許付与時のクレーム1には「育成面から細胞除去開口部までの距離が、育成面から上部境界までの距離の半分未満である」旨の限定が存在していた。しかし、主請求クレーム1では当該箇所が「培地除去開口部」へと変更されており、文言上、細胞除去開口部に対する距離制限が撤去されている。したがって、当該制限が他の構成から固有(inherent)に導き出されない限り、保護範囲は不当に拡張されたことになる。

(2) 「固有の限定」に関する特許権者の主張の退け

特許権者は、「細胞除去開口部が装置の下端(lower edge)沿いに位置し、低い箇所(low point)から細胞等を排出する」との記載、および「細胞除去導管が育成面と接触している」との規定から、細胞除去開口部は構造上育成面の近傍に位置せざるを得ず、距離制限は固有に満たされると主張した。しかし、審判部は以下の理由からこれを退けた。

  • クレーム上の「下端」や「低い箇所」は、装置を「細胞回収位置(育成面が水平でない状態)に傾けた時」という相対的な条件でのみ定義されており、育成面や上部境界に対する絶対的・構造的な位置関係を特定していない。装置の傾け方によっては「下端」が上部境界側に位置することもあり得る。
  • 異議申立人が提示した態様(細胞除去導管が育成面から上部境界へ向かって延び、開口部が育成面から半分以上の距離または上部境界付近に存在する態様)も、本件補正後のクレーム1の文言に包含される。
  • 特許権者は「そのような構造は細胞損失を招くため技術的にナンセンスであり、当業者は想定しない」と主張したが、明細書段落[0120]の記載等によれば、回収効率の観点から最適ではなくとも、技術的に完全に不能・不可能とは言えない。クレームは100%の細胞回収率等を求めていないため、これらの態様を排斥することはできない。

(3) 判例法における判定基準(Beyond Reasonable Doubt)の適用

EPC第123条(2)および(3)の審査においては、確立された裁判例(T 307/05等)に基づき「合理的疑問を超える証明(beyond reasonable doubt)」という厳格な基準が適用される。補正によって付与時よりも広範な態様が含まれる「疑い(doubts)」が存在する以上、EPC第123条(3)の要件を満たしているとは結論付けられない。

(4) 補助請求への適用

補助請求1〜7のクレーム1においても同様の変更がなされており、何ら異なる判断を導く立証がなされていないため、主請求と同様にEPC第123条(3)違反によりすべて不成立とされた。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

① EPC 123(3)条(保護範囲の拡張禁止)の厳格な文言適用
特許付与後の異議手続や無効手続においてクレーム補正を行う際、単語の置き換え(「細胞除去開口部」→「培地除去開口部」)によって、従来の技術的制限が特定の構成要件から外れた場合、それが技術的に最適でない構成(異形態)であってもクレーム文言上包含され得るならば、保護範囲の拡張と認定される。
② 「固有性(Inherency)」主張の立証ハードルの高さ
「クレームの他の要素や発明の目的から考えて、当業者なら当然に限定されていると理解する」という主観的・技術常識的な反論(inherent limitationの主張)は、クレームの文言に明確な構造的対比関係が存在しない限り不採用となるリスクが高い。本件のように「傾斜時における相対的な位置(下端・低い箇所)」で規定された要件は、絶対的な構造の限定としては機能しない点に留意が必要である。
③ 実務上の留意点(クレームドラフティング及び補正戦略)
異議手続等で構成要件を削除・置換する際は、意図せず他の構成要素への数値限定や位置限定が解除されないか、付与時クレームとの対比(ブラックライン・チェック)を極めて慎重に行う必要がある。また、EPC実務における「beyond reasonable doubt」基準の厳格さを踏まえ、疑義を挟む余地のない形式的・明確な限定を残す補正案(補助請求)を準備することが肝要である。

【EPA Beschwerdekammer / 2026年06月16日】T 1380/24 - 農作物の植物特性決定方法に関する特許異議申立抗告事件(Kalibrierung/BASF)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
・抗告人(異議申立人):YARA International ASA
・被抗告人(特許権者):BASF Digital Farming GmbH

【事実経過および手続の経緯】
本件は、欧州特許第3468339号(発明の名称:「農作物の植物特性を決定するための方法」)に対する異議申立手続の控訴審(抗告審)である。本特許は、農場上を移動する測定装置(センサーおよび位置測定システム)を用いて取得した生の測定値(オンラインデータ)と、デジタルマップに記録された圃場の特性値(オフラインデータ)とを組み合わせ、農作物の植物特性(窒素含有量や収穫粒子の重量等)の補正・キャリブレーション値を算出する技術に関する。
欧州特許庁(EPO)異議部(Opposition Division)は、異議申立人を退け、本特許を維持する決定(欧州特許公約(EPC)101条(2)に基づく異議棄却決定)を下した。これを不服として、異議申立人が抗告を提起した。

【当事者の請求の骨子】
抗告人(異議申立人): 原決定の取消し、特許の取消し、および異議部の重大な手続不備(意見聴取権侵害)を理由とする審判請求手数料の返還(EPC規則103(1)(a))を請求。
被抗告人(特許権者): 抗告棄却(主請求:特許維持)、ならびに予備的に補助請求I〜IXbに基づく特許維持を請求。

2. 判決の主文

1. 異議部の原決定を取り消す。
2. 2025年6月6日付で提出された補助請求V(Hilfsantrag V)の特許請求の範囲(請求項1〜11)および適宜改訂される明細書に基づき特許を維持するため、本件を異議部に差し戻す。
3. 抗告人(異議申立人)の審判請求手数料の返還請求を棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈および構成要件M5に基づく主請求・補助請求I〜Ibの新規性(EPC 54条)
    先行技術文献D5(WO 2017/060168 A1)との関係における構成要件M5の解釈と新規性の有無。
  • 争点2: 審判手続における補助請求IIaの許容性(審判手続規則(VOBK 2020)13条)
    審判段階の最後期に提出された補助請求IIaの審判手続への導入可否。
  • 争点3: 補助請求II〜IVおよび補助請求Vの新規性(EPC 54条)
    先行技術文献D8(US 2013/338931 A1)およびD7(US 2012/101634 A1)に対する各補助請求の新規性の有無(特に穀物水分に基づく収穫重量の「正規化(Normierung)」の有無)。
  • 争点4: 重大な手続不備の有無および審判請求手数料の返還可否(EPC 113条(1)、規則103(1)(a))
    異議部によるクレーム解釈の過程が抗告人の意見聴取権(Art. 113(1) EPC)を侵害し、重大な手続不備を構成するか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

【争点1:主請求および補助請求I〜Ibの新規性(D5との関係)】

異議部は、構成要件M5(「生の測定値とデジタルマップの値から補正値等を算出する」)を「生の測定値自体をキャリブレーションする」と限定的に解釈して新規性を認めていた。しかし、審判術部(Kammer)はこれを否定した。
1. **クレーム解釈:** M5の文言は生データの直接的なキャリブレーションに限定されておらず、生データと外部データ(マップ)の双方から植物特性値を算出する形態を広く含んでいる。特許権者がクレーム上で広義の表現を選択した以上、広義に解釈されるべきである。
2. **当てはめ:** D5には、作物の生育モデルによる予測値と収穫時の実測値を照合・補正( georeferenced calibration)する構成が開示されている。広義解釈に従えば、主請求項1の技術的範囲はD5に完全に含まれるため、主請求は**新規性を欠く(EPC 54条)**。同様の理由により、補助請求I、Ia、IbもD5により新規性が否定された。

【争点2:補助請求IIaの許容性(VOBK 2020 13条)】

審判審理の後半(2026年5月12日)で提出された補助請求IIaについて、抗告人は却下を求めたが、審判部は受理を認めた。当該請求は、すでに議論されていた選択肢を絞り込んだのみであり、新たな技術的・事実的議論を生じさせないため、VOBK 13条における審理の迅速性と公平性の観点から許容されると判断された。

【争点3:補助請求II〜IVおよびVの新規性(D8およびD7との関係)】

1. **補助請求II、IIa、III、IV(D8による新規性否定):**
補助請求II(選択肢1・2)およびIIa(選択肢1)等について、D8に記載された「DIMAファクター」の構成成分M(土壌中の窒素無機化作用)は、相対的な数値ではあるものの本特許のいう「土壌中の窒素含有量」に該当する。またD8の構成から、実質的に同一の算出ステップが開示されていると認められるため、これらの請求項は**D8により新規性を欠く**。
2. **補助請求Vの新規性(D7との比較における肯定):**
補助請求Vの請求項1は、「収穫された穀物の重量(実測値)」と「デジタルマップ上の穀物水分(外部データ)」から、「特定水分に正規化(normiert)された穀物重量」を算出する構成に限定されている。
先行技術D7は、重量と水分の測定自体は開示しているものの、**「穀物水分に基づいて特定の標準水分値へ重量を正規化・補正する」という技術的思想および数学的処理までは直接かつ明確に開示(directly and unambiguously disclose)していない**。したがって、補助請求Vは**D7に対して新規性を有する(EPC 54条)**。

【争点4:重大な手続不備の有無と手数料返還(EPC 113条(1)、規則103(1)(a))】

抗告人は、異議部がM5の解釈にあたり自己の主張を考慮せず、不当な解釈を推し進めたことが手続不備(意見聴取権侵害)に当たると主張した。
審判部はこれを退けた。異議部は口頭審理前および審理中に当事者へ解釈の機会を与えており、手続的機会は保障されていた。**第一審(異議部)におけるクレーム解釈の誤りや論理の不整合は「実体上の誤り(materieller Fehler)」であって、「手続上の不備(Verfahrensfehler)」ではない**。したがって、意見聴取権侵害は存在せず、審判請求手数料の返還要件(規則103(1)(a))を満たさない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 広義のクレーム文言の選択に伴う権利化リスク(ドラフティング実務)
特許権者が明細書中の複数の表現からクレーム記載としてより広義な文言(「測定値の補正」ではなく「測定値とマップ値からの補正値算出」)を選択した場合、特許庁・裁判所はその文言通り広く解釈する。権利範囲を広げようとした結果、公知技術(D5)の開示範囲に包含され新規性を失うという、明細書・クレーム作成実務における典型的な失敗パターンを示している。

2. 「暗黙の開示(Implicit Disclosure)」に対する厳格な認定姿勢
数値の補正や「正規化(Normalization)」に関する新規性判断において、単に先行技術文書中に「重量の測定」と「水分の測定」という要素が並列して存在しているだけでは、「水分による重量の正規化」が暗黙に開示されたとはみなされない。EPO実務における「直接的かつ一義的な開示(directly and unambiguously disclose)」基準が厳格に適用されている点に留意が必要である。

3. 第一審の「判断の誤り」と「手続違反」の明確な峻別
異議部等の第一審が法的・事実的な主張解釈を誤ったとしても、当事者に主張・反論の機会(Anspruch auf rechtliches Gehör / EPC 113条(1))が与えられていた限り、それは実体判断の誤り(抗告による取消対象)に過ぎず、審判手数料の返還(規則103(1)(a))をもたらす「重大な手続不備(substantial procedural violation)」には該当しない。不服申立戦略において手数料返還を請求する際の実務的ハードルの高さが再確認された。

【EPO Technical Board of Appeal / 2026年05月22日】T 0981/25 - 車載用ライブ放送ガイド生成システム事件(進歩性・新規性・新規事項追加)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、Ibiquity Digital Corporation(出願人・控訴人)による「車載用ライブガイド生成システムおよび方法」に関する欧州特許出願(出願番号:19 796 052.9、公開番号:WO 2019/213477 A1)の拒絶査定に対する不服審判事件である。

原審のEPO審査部(Examining Division)は、先行技術文献D1(WO 2008/042953 A1)に基づき、以下の通り拒絶査定を下していた。

  • 主請求項および補助請求項1:D1に対して新規性を欠く(EPC 54条(1), (2))。
  • 補助請求項2, 2B, 3, 4, 5:D1に基づいて進歩性を欠く(EPC 56条)。
  • 補助請求項2Aおよび3A:新規事項の追加に該当し、要件を満たさない(EPC 123条(2))。
出願人は、主請求項および補助請求項1〜5に基づく特許付与を求めて控訴(Appeal)を提起した。

2. 判決の主文

本件控訴を棄却する(The appeal is dismissed)。

3. 主な争点

  • 争点1: 先行技術文献D1に対する新規性の有無(EPC 54条(1), (2))
    選局状態にかかわらず同一エリア内の全ラジオ受信機にメタデータを送信する構成(構成C24等)がD1に開示されているか。
  • 争点2: 補正の許容性(新規事項追加の有無)(EPC 123条(2))
    補助請求項2Aおよび3Aにおける補正が、出願当初の明細書の開示範囲内であるか。
  • 争点3: 進歩性の有無(EPC 56条)
    選局中でないラジオ放送のメタデータの送信・表示、およびそれに基づくライブガイドの生成構成に技術的効果(Technical Effect)が認められ、当業者が容易に想到できないものであるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 新規性について(EPC 54条)[原審判断の一部変更]

審判部(Board of Appeal)は、審査部の判断を変更し、主請求項およびすべての補助請求項について新規性を認めた。
文献D1では、メタデータは「特定の放送局に選局中の受信機」または「コンテンツ識別クエリを送信した受信機」に対して送信されるのに対し、本願クレーム1(主請求項)の構成C24は、受信機がどの放送局に選局しているかを問わず同一受信エリア内の複数のラジオ受信機にメタデータを送信する構成を含んでいる。したがって、D1はこの構成を完全には開示しておらず、新規性が認められる。

(2) 補正の許容性について(EPC 123条(2))[補助請求項2Aおよび3A]

審判部は、補助請求項2Aおよび3Aの補正内容(オーバー・ザ・エア(OTA)放送、同一受信エリアの特定、GPS位置情報の利用等)は、当初明細書の段落[0016], [0019], [0021], [0030], [0031]等に明確な記載根拠が存在すると判断し、新規事項追加(EPC 123条(2)違反)には該当しないと判示して原審判断を覆した。

(3) 進歩性について(EPC 56条)[結論:すべての請求項で進歩性欠如]

審判部は、いわゆる「課題解決アプローチ(Problem-Solution Approach)」に基づき、以下の論理で進歩性を否定した。

  • 主請求項および補助請求項1〜3Aの進歩性判断:
    文献D1との相違点(選局中の局にかかわらず同一エリア内の各受信機へメタデータを送信する点)について、出願人は「別局の放送内容を知ることで選局を切り替える利便性を提供する」と主張した。
    しかし審判部は、クレーム1の文言上、「送信されたメタデータが各受信機でどのように処理・使用されるか(例:自動切換、表示等)」が規定されていないことを指摘した。受信機側での具体的な技術的処理がクレームに含まれていない以上、単なるメタデータの送信自体は技術的効果(Technical Effect)を生じさせないか、あるいは効果を生じさせない態様(送信されても破棄・未処理とされるケース)を包含してしまう。したがって、技術的効果を奏しない相違点に基づき進歩性を認めることはできない。
  • 補助請求項4および5の進歩性判断(選局中でない放送のメタデータに基づくライブガイド表示):
    補助請求項4および5では、受信機が「選局していない他の放送」のメタデータを受信し、これを用いて「ライブ放送ガイド」を生成・表示する構成が特定されている。
    審判部は、テレビ受像機等で広く普及している電子番組ガイド(EPG: Electronic Programme Guide)において、現在視聴(選局)していないチャンネルの番組情報を一覧表示することは当業者にとって周知の技術であると指摘した。D1の技術をベースとして、当業者が周知のEPG技術を適用し、選局外のラジオ放送のメタデータを受信・表示してライブガイドを生成することは自明(Obvious)であり、進歩性を認められない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. EPO進歩性判断における「技術的効果(Technical Effect)」の厳格な要求
EPO審判実務において、制御信号やメタデータの伝送・処理に関する発明の進歩性を立証するには、単にデータ通信の手順(「〜に送信する」等)を規定するだけでは不十分である。その送信されたデータが受信側でどのように技術的に活用・処理されるか(例:特定のUIへの表示、選局回路の同期、メモリの制御等)をクレーム上に明確な技術的特徴として特定しなければ、「技術的効果を生じない範囲(Non-technical scope)」を含むと判定され、進歩性が否定されるリスクが高い。

2. クレームの解釈範囲(Broad Scope)と明細書の乖離に対する注意
出願人は明細書に記載された「クラウドソーシングによるライブガイド表示や選局切替」という上位の技術思想を主張したが、クレーム本文にその具体的処理工程が反映されていなかったことが致命的となった。実務上、所望の技術的効果(解決課題)を奏するために不可欠な処理ステップは、主請求項または従属請求項に漏れなく規定しておく必要がある。

3. 他技術分野(TV/EPG等)からの転用・自明性の評価
メディア・放送分野におけるUI/UX(番組ガイド表示等)の技術的進歩性については、テレビ受像機等の近接分野における周知技術(EPG)の概念が容易に参酌・適用される。異分野からの構成の転用を主張する場合は、単なる情報の提示(Presentation of Information)を超えた技術的課題の克服や、予期せぬ顕著な効果の存在を具体的に主張・立証することが求められる。

【EPO Technical Board of Appeal / 2026年05月27日】T 1946/22 - 電子機器用保護フィルムのオンデマンド生産技術に関する特許の新規事項追加(EPC123条(2)違反)に伴う特許取消決定に対する控訴棄却審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者であるZAGG Inc(控訴人)が、欧州特許第2729907号(発明の名称:「ON-DEMAND PRODUCTION OF ELECTRONIC DEVICE ACCESSORIES」)を取り消した欧州特許庁(EPO)異議部の決定を不服として、審判部(Technical Board of Appeal 3.5.01)に控訴した事案である。

対象特許は、小売店舗において電子機器用の保護フィルムをオンデマンドかつ即時にデジタル切削テンプレートを用いて生産する方法に関するものである。異議部が「出願当初の開示範囲を超える新規事項の追加(EPC第100条(c) / 第123条(2)違反)」を理由に特許を取り消す決定を下したため、特許権者は原決定の取消しおよび異議の棄却(特許維持)を求めて控訴し、予備的に補助請求1〜16に基づく審理の差し戻しを請求した。

2. 判決の主文

本件控訴を棄却する(The appeal is dismissed.)。

3. 主な争点

  • 争点1: 出願当初の異なる実施形態に由来する構成要素の組み合わせが、EPC第123条(2)に違反する新規事項追加(Added Subject-Matter)にあたるか否か(特に「プル型」配信構成と「プッシュ型」実施形態における「受領後のテンプレートのカスタマイズ」構成の組み合わせの可否)
  • 争点2: 口頭審理段階で新たに提出された補助請求1の審判手続への認容性(Admittance / RPBA 2020第13条(2))

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

【争点1:主請求におけるEPC第123条(2)違反について】

審判部は、クレーム1中の構成要素1.3(データベースのテンプレートを複数の受領者に利用可能にする構成=「プル型」配信シナリオに対応)と構成要素1.4(受領後に小売店舗でデジタルテンプレートをカスタマイズすることを許容する構成)の組み合わせが、EPC第123条(2)に違反すると判断した。

  • 出願当初の開示の検討:受領後のテンプレートのカスタマイズ(構成要素1.4)は、出願当初の明細書図7(ステップ720)および段落[0100]に開示されている。しかし、この実施形態はテンプレートが受領者側に配信される「プッシュ型」システム(段落[0095]、ステップ702)を前提としている。一方、構成要素1.3でクレーム化された配信形態は、受領者がデータベースから取得する「プル型」システム(図6左分岐、図8)に対応する。
  • 中間的一般化(Intermediate Generalisation)および実施形態の組み合わせに関する規範: 特許権者は、判例(T 1762/21等)を引いて「構成要素が他の構成要素と不可分に結合(inextricably linked)していない限り、特定実施形態から抽出してクレーム化することは可能」と主張した。しかし、審判部は、特定実施形態からの抽出可能性を認める判例法理は、「異なる2つの実施形態からそれぞれ抽出した構成要素を、明確な示唆がないまま組み合わせること」までを正当化するものではないと判示した。
  • 技術的文脈の検討:「プッシュ型」では、送られてきた一般的なテンプレートが特定の顧客要件と一致しない場合に店舗側でサイズ等のカスタマイズ([0100])を行う技術的必要性が高い。これに対し、「プル型」では顧客の注文に合致するテンプレートを直接検索・取得するため、受領後のカスタマイズの必要性は薄い。したがって、配信形態と受領後のカスタマイズ構成には技術的関連性があり、両者を恣意的に組み合わせたクレームは当初出願の開示範囲を超える。

【争点2:審判口頭審理での新補助請求1の認容性(RPBA 2020第13条(2))について】

特許権者は口頭審理中に、「プッシュ型」配信であることを明記した新たな補助請求1を提出し、手続への提出許可を求めたが、審判部は不認容とした。

  • EPO審判手続規則(RPBA 2020)第13条(2)に基づき、口頭審理呼出通知(RPBA第15条(1)通知)の後に提出されたクレーム変更は、説得力のある理由によって裏付けられた「例外的な事情(exceptional circumstances)」が存在しない限り、原則として手続に考慮されない。
  • 本件の構成要素1.3と1.4の組み合わせに関する拒絶理由は異議部段階から存在しており、控訴理由書提出時に対処すべきであった。「新規事項追加に関する判断枠組みの判例法理が変化した」という特許権者の主張は、例外的な事情を構成しない。
  • また、当該修正を行っても構成要素1.3(プル型を示唆する表現)との不整合が残り、単純な修正とは言えず実体審理を要するため、遅延提出の正当性はない。

【補助請求2〜16について】

補助請求2〜16にも同様に構成要素1.3と1.4の組み合わせが含まれているため、すべてEPC第123条(2)違反により認められない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 異なる実施形態からの構成の「切り貼り(Mosaic Combination)」に対する厳格な判断基準
EPOにおける新規事項追加(EPC 123(2))の判断において、一実施形態から特定構成を抽出する「中間的一般化(Intermediate Generalisation)」の可否判断にとどまらず、明細書中の「実施形態Aの構成(例:プッシュ配信)」と「実施形態Bの構成(例:プル配信)」を組み合わせて単一の独立クレームを作成することに対する厳格な姿勢が改めて示された。出願明細書作成時には、将来の権利化を見据えて異なる実施形態の構成要素間の組み合わせ可能性(およびその技術的意義)を明示的に記載しておくことが実務上極めて重要である。

2. RPBA 2020第13条(2)に基づく控訴審における厳格なクレーム修正制限
審判手続の後期(特に口頭審理当日)におけるクレーム提出・修正は、「例外的な事情」が存しない限り実質的に排除される。原審(異議部決定)で提示された拒絶理由に対しては、控訴開始段階(控訴理由書)で抜け漏れなく防御用・予備用の修正クレーム(補助請求)を網羅的に提出しておく必要がある。

【EPO審判部 / 2026年07月02日】T 0466/25 - 非水電解質二次電池用樹脂組成物特許の新規性および補正要件(中間上位概念化・ディスクレマー)に関する控訴審審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
控訴人(異議申立人):アルケマ(ARKEMA FRANCE S.A.)
被控訴人(特許権者):株式会社クレハ(Kureha Corporation)

【事案の経過】
被控訴人が保有する欧州特許第3806190号(非水電解質二次電池用のフッ化ビニリデン・ヘキサフルオロプロピレン共重合体(PVDF-HFP)樹脂組成物に関する発明)に対し、控訴人が異議を申し立てた。EPO異議部は異議を棄却(特許維持)する決定を下したため、控訴人が本決定の取消しと特許取消しを求めて審判を請求した(T 0466/25)。

【請求範囲および主張の骨子】
本件特許の請求項1(主請求項)は、PVDF-HFPの融点(105℃〜125℃)、HFPの質量割合Wa(18〜30質量%)、結晶化度DC、非晶度DAが特定のパラメータ式「4.7 ≤ Wa × (DC/DA) ≤ 14」を満たす樹脂組成物を特定している。
特許権者(被控訴人)は、明細書に記載された温度修飾差査走査熱量測定(TMDSC)における「反転熱流(reversing heat flow)」に基づく結晶化度の測定法により特定される物性であり、従来技術と区別されると主張した。
これに対し異議申立人(控訴人)は、先行技術文献(D1: US 6,586,547 B1)の図面(図1および図3)に示されたデータ(HFP約25wt%のプロット)から算定される数値が本件パラメータの範囲内に含まれ、新規性(EPC 54条)を欠くなどと主張した。

2. 判決の主文

1. 原決定を取り消す。
2. 欧州特許第3806190号を取り消す(Patent is revoked)。

3. 主な争点

  • 争点1:新規性(EPC 54条(1)(2))— 測定方法の違い(TMDSC vs DSC)と先行技術の図面開示の対抗性
    TMDSC法で定義された物性パラメータ(真の融解エンタルピー)は、従来のDSC測定値で開示された先行技術(D1)と区別されるか。また、D1の図面にのみ示されたデータプロット(黒点)は新規性を否定する公然の開示にあたるか。
  • 争点2:手続上の補正の許容性(RPBA 2020第13条(2)項)— 口頭審理段階での未開示ディスクレマー(Undisclosed Disclaimer)の提出
    審判の口頭審理中に提出された補助請求項0(先行技術D1の開示を除外するディスクレマー)は、出願の審理に許容(admit)されるか。
  • 争点3:補正の許容性(EPC 123条(2)項)— 不許容な中間上位概念化(Intermediate Generalisation)
    特定実施例の数値(7.2)をパラメータ式の下限値として分離・抽出し、上位概念の融点範囲(105℃〜125℃)と組み合わせる補正が新規事項の追加にあたるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 争点1(新規性)について:新規性欠如(主請求項および補助請求項A, 1, 2, 3, 5, 6)

  • (1)測定手法の違いと物の同一性:
    TMDSCと従来のDSCは、ともに熱力学的原理に基づく試料の吸熱・発熱現象を測定する手法であり、測定される「真の融解エンタルピー」は物質固有の物理量である(文献D6に示される通り両者は数学的に連動する)。測定機器の感度やデータ処理の違いに由来するわずかな測定値の差(測定アーティファクト)によって、既知の製品を新規な製品に転換することはできない。したがって、特許権者が主張するTMDSCによる測定定義をもって先行技術製品との差別化を図ることはできない。
  • (2)先行技術文献D1の図面開示の対抗性:
    D1の図1および図3には、HFP含有量約25wt%、融点約112℃、融解エンタルピー約20 J/gを示すPVDF-HFPのデータ(黒点)が記載されている。これを本件明細書の計算式に当てはめると、パラメータ「Wa × (DC/DA)」は 5.9 となり、請求項1の範囲(4.7〜14)に包含される。
    図面によるグラフィカルな開示であっても技術的情報として明確であり、単なる例示にとどまらない独立した開示(公然の技術)として対抗力を有する。再現性の欠如等の反証もないため、請求項1はD1により新規性を欠く。

2. 争点2(口頭審理におけるディスクレマーの補正)について:許容せず(補助請求項0)

  • 審判部の口頭審理において特許権者が提出した補助請求項0(D1の黒点に相当する共重合体を除外するプロビソ/ディスクレマー)は、審判手続規則(RPBA)第13条(2)項の「例外的な事情(exceptional circumstances)」に基づくものとは認められない。審判部が原審と異なる見解を示したこと自体は、直前の補正を正当化する例外的理由にはならない。
  • さらに、拡大審判部決定G 1/03およびG 2/03の法理に基づき、同一技術分野のEPC 54条(2)項に基づく先行技術(同一分野の公知文献)を回避するために「出願当初に開示されていないディスクレマー(undisclosed disclaimer)」を追加することは認められない。

3. 争点3(補正要件・新規事項の追加)について:要件違反(補助請求項4, 7, 8, 9)

  • 補助請求項4等において、パラメータ式の下限値を「4.7」から「7.2」に変更する補正が行われた。この「7.2」という数値は、当初明細書の「実施例3」からのみ抽出されたものである。
  • しかし、実施例3は「HFP含有量29.1wt%」「融点112℃」という極めて特定の構成・物性値を併せ持つ個別の実施例である。この特定の実施例から「7.2」というパラメータ値のみを単独で抽出し、これを請求項の広範な融点範囲(105℃〜125℃)と組み合わせる補正は、当業者が当初出願書類から直接かつ一義的に読み取れるものではなく、「不許容な中間上位概念化(unallowable intermediate generalisation)」に該当し、EPC 123条(2)項に違反する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. パラメータ特許における測定手法と新規性の関係
特定の測定方法(本件ではTMDSCの反転熱流測定)を特定してパラメータ範囲を定義しても、それが先行技術に存在する物質の物理的特性と本質的に同一である場合、測定手法の相違や測定上のアーティファクトを理由に新規性を提示することはできない。パラメータ特許を出願・権利化する際は、測定手法の特殊性だけでなく、得られる「物そのもの」が先行技術と明確に異なることを立証する必要がある。

2. 図面(グラフ)に示されたデータプロットの先行技術性
数値が明示された表や文章で直接記載されていないデータ(グラフ上のプロット等)であっても、当業者がそこから技術情報を明確かつ直接的に読み取れる場合、新規性を否定するための強力な先行技術(公然開示)となる。先行技術の「図面の記載にすぎない」「表に数値がない」という反論は認められにくい実務が再確認された。

3. 未開示ディスクレマー(Undisclosed Disclaimer)の厳格な制限(G 1/03法理)
EPC 54条(2)の先行技術(同一技術分野の公知文献)を回避するために、出願当初の明細書に記載のないディスクレマーを追加することはG 1/03およびG 2/03判例上不許可とされる。EPO審判手続におけるディスクレマーの適用範囲は極めて限定的であり、口頭審理段階での回避手段としても認められない。

4. 実施例からの数値抽出(中間上位概念化)に対する厳密な判断
実施例から特定のパラメータ値のみを抽出し、他の限定要素(本件では特定の融点や組成比)から切離して上位概念の請求項に下限値等として取り込む補正は、「不許容な中間上位概念化」としてEPC 123条(2)項違反とされるリスクが高い。数値範囲の補正を想定する場合は、出願当初の明細書中に一般的な数値範囲の選択肢としてあらかじめ記載しておくか、抽出可能な中間的構成を明確にしておく実務上の工夫が不可欠である。

【EPO Technical Board of Appeal / 2026年07月23日】T 1230/25 - HE-SIG-Bフィールドのスクランブル制御に関する特許取消決定に対する控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、Atlas Global Technologies LLCおよびAtlas Global Technologies GmbH(特許権者・抗告人)が、欧州特許第3353901号(発明の名称:「Apparatus and method for scrambling control field information for wireless communications」)を取消とした欧州特許庁(EPO)異議部の決定に対し提起した控訴審手続である。

本件発明は、IEEE 802.11ax等の無線通信規格において、高効率(HE)物理層プロトコルデータユニット(PPDU)に含まれる制御フィールド(HE-SIG-Bフィールド)のピーク対平均電力比(PAPR)を低減するために、符号化・インターリーブ・変調されたシンボルに対してスクランブル系列(位相回転)を適用する装置および方法に関する。

原審(異議部)は、新規事項追加(EPC 123(2)条)等を理由に本件特許を取り消す決定を下した。なお、控訴審手続中に両異議申立人(TP-LINK社およびVantiva社)は異議を取り下げたが、EPO審判審決部(Board of Appeal 3.5.05)は職権により審理を継続した。 抗告人(特許権者)は、主請求として原審決定の取消しおよび特許の維持(Planted Claimsのまま維持)を求め、予備的請求として補助請求1〜3, 3a〜f, 4, 4a, 5〜7, 7a, 7b, 8〜10, 10a, 11, 11a, 12に基づく補正維持を求めた。

2. 判決の主文

本件控訴を棄却する(The appeal is dismissed.)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求(クレーム1)の先行技術文献D1(US 2015/0117433 A1)に対する新規性(EPC 54条)
    (クレーム上の「変調(modulating)」および「スクランブル系列(scrambling sequence)」の解釈と、D1におけるブロックコーダーおよびPAPR削減ユニットの開示内容の対比)
  • 争点2: 各補助請求の進歩性(EPC 56条)
    (共通フィールド/ステーション別情報フィールドの分離、20MHzユニットに対する単一位相回転値の付加、サブバンド間のガンマ回転、およびHE-SIG-Bチャンネル割り当て等の構成が、当業者の技術常識から容易に想到可能か、また技術的効果を奏するか)
  • 争点3: 補助請求10および10aの新規事項追加(EPC 123(2)条)
    (「変調シンボルが複写されたブロックを含まない」とする否定規定(negative feature)が、出願当初の明細書に根拠を有するか)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 争点1:主請求の新規性(EPC 54条)について

抗告人は、D1に記載された「コンステレーションマッパー」後の変調シンボル数は、その後の「ブロックコーダー」による複製のため「PAPR削減ユニット」前段のシンボル数と一致せず、D1は変調シンボルに対するスクランブルを開示していないと主張した。

しかし、審判部は用語「変調(modulating)」を狭義のコンステレーションマッピングのみに限縮して解釈する理由はないと判示。本件明細書(段落[0123])においても「変調操作はコンステレーションマッピングを含み得る」と例示的に記載されているに過ぎず、「ブロックコーディング」を変調操作の一部から排除する技術的理由は存在しないとした。 したがって、D1のブロックコーダーの出力(48シンボル)に対してPAPR削減ユニットが適用する位相シフト系列は、クレーム1の「N個の変調シンボルにスクランブル系列を適用してN個の位相回転シンボルを生成する」要件を満たしており、主請求のクレーム1はD1により新規性を欠く(EPC 54条違反)。

(2) 争点2:補助請求の新規性および進歩性(EPC 54条・56条)について

  • 補助請求2, 3, 3a〜f(新規性・進歩性欠如):D1の段落[0172]において、48個のシンボル各々に対する複素数値(+1, -1, j, -j等)による位相シフト系列が開示されており、新規性または進歩性を有しない。
  • 補助請求1, 11, 11a(共通フィールドおよびper-STAフィールドの付加):マルチユーザー(MU-MIMO)動作において、制御情報を「共通フィールド」と「ステーション別(per-STA)フィールド」に区分して構成することは当業者の通常の設計変更の範囲内であり、進歩性を欠く。
  • 補助請求4, 4a, 5, 7, 7a, 7b, 8, 9(単一位相回転値の付加):20MHz HE-SIG-Bユニット全体に対し単一の位相回転値を一律に加える構成(特徴(e))は、当該ユニット内のすべてのシンボルに対して同一の位相シフトを与えるに過ぎず、相対的な波形変更を生じないため、PAPR低減という明確な技術的効果を奏しない。これは進歩性に貢献しない無作為・任意な変更(arbitrary modification)に留まる。
  • 補助請求5, 7, 7a, 7b, 8(ガンマ回転の付加):複数の20MHz帯域間でのブロック間の回転(ガンマ回転)の追加について、シンボルレベルにおいては第1の位相回転に第2の位相回転を加えることは単一の統合された位相回転を加えることと技術的に等価であり、単独で新たな技術的効果を生じさせない。
  • 補助請求6, 7〜9, 12(HE-SIG-Bチャンネルの割り当て):異なる20MHzユニットへのチャンネル割り当ての構成は、情報量の増大と伝送の頑健性(ロバスト性)とのトレードオフにおける当業者の通常の選択の範囲内である。

(3) 争点3:補助請求10および10aの新規事項追加(EPC 123(2)条)について

補助請求10および10aにおける「N個の変調シンボルは複写された変調シンボルのブロックを含まない(do not comprise copied blocks of modulated symbols)」という補正(特徴(l))について、抗告人は「変調」の定義を明細書記載に合わせるための否定規定(disclaimer)であると主張した。

審判部は、上述の通り「変調」を狭義に解釈することはできず、出願当初の明細書にこのような排除規定(negative feature)の直接的かつ一意的な根拠(direct and unambiguous basis)が存在しないと判断。したがって、本補正はEPC 123(2)条に違反する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. クレーム用語の広義解釈(Broad Construction)原則の再確認
明細書内に排他的・限定的な定義が明記されていない限り、技術用語(本件では「modulating」)は広義に解釈される。明細書において「〜を含み得る(may comprise)」との例示的表現が用いられている場合、クレーム用語を特定の構成(コンステレーションマッピング等)のみに限定して解釈させる主張は退けられる。実務上、先行技術との差異化を図るための用語解釈を期す場合は、出願段階から定義を明確化しておくか、クレーム上へ明示的に構成を追加する必要がある。

2. PAPR低減技術における技術的効果の立証要件
デジタル信号処理・通信分野において、信号ブロック全体に一律の位相シフト(単一の位相回転)を課しても、電力ピーク対平均比(PAPR)の変動抑制という技術的課題の解決には寄与しないと判断された。技術的効果に基づく進歩性を主張するにあたっては、付加した数値や処理が奏する客観的かつ論理的な技術的効果(技術的課題の解決)を当業者目線で実証・主張することが不可欠である。

3. 否定規定(Negative Feature / Disclaimer)に対するEPC 123(2)条の厳格適用
先行技術を回避するための否定限定の導入にあたっては、出願当初の明細書への十分な開示的根拠(またはEPOの判例実務における「許容されるディスフレーマー」の要件)を満たす必要がある。当初明細書に根拠のない否定規定の挿入は新規事項追加(Added Subject-Matter)とみなされるリスクが高い。

【EPO Board of Appeal / 2026年07月09日】T 1393/24 - 自重ロック式インナーノズルシステムに関する新規性・進歩性審決(事後分析に基づく不当な広義解釈の否定)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者であるVesuvius Group, SA(被控訴人)が保有する欧州特許第3706936号(「本件特許」、発明の名称:「SELF-LOCKING INNER NOZZLE SYSTEM AND METHOD FOR SECURING AN INNER NOZZLE」)に対する異議申立審決に対する控訴審事件である。

異議申立人であるRefractory Intellectual Property GmbH & Co. KG(控訴人)は、欧州特許庁(EPO)異議部に対し、EPC第100条(a)(EPC第54条の新規性欠如および第56条の進歩性欠如)等を理由として異議を申し立てたが、異議部はこれを棄却し特許を維持する決定を下した。これを不服とした異議申立人が控訴を提起し、特許の取り消し(Revocation)を求めた。

本件特許の主請求項(クレーム1)は、製鋼用取鍋等の溶融金属容器の排出孔に装着される「自重ロック式インナーノズルシステム」に関するものであり、外周に複数の突起(protrusions)を有するインナーノズル(10)、容器底部に固定される上部フレーム(30f)、および内部にL字型チャネル(32, 33)が形成されたロックリング(31)の組み合わせにより、モルタル等の封止材が硬化する間、外部からの保持手段を要さずにノズルを自己ロック固定できる構造を特徴としている。

2. 判決の主文

控訴を棄却する(The appeal is dismissed. 本件特許は特許査定時のクレームのまま維持される)。

3. 主な争点

  • 争点1: EPC第54条に基づく新規性の有無(先行技術文献D1(US 5,335,896)の記載内容の解釈、とりわけクレーム用語の不当な拡張解釈(事後分析的読み替え)の可否およびD1との構成上の差異の有無)
  • 争点2: EPC第56条に基づく進歩性の有無(D1を最接近先行技術(Closest Prior Art)とした場合において、D2・D3の技術の適用、あるいはD4・D5に示される技術常識(周知技術)との組み合わせによる容易到達性と事後分析(ex post facto analysis / hindsight)の排除)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 新規性(EPC第54条)について

審判部は、控訴人が提示したD1の2通りの解釈(第1解釈:文言通りの解釈、第2解釈:D1の複数部材を再結合・再定義した不当な広義解釈)の双方を検討した上で、以下の通り新規性を認めた。

(1)第1解釈(文言に即した通常解釈)に基づく検討:
D1に開示されたノズルセグメント(30)を本件クレーム1の「インナーノズル」と解釈した場合、D1のノズル外周には突起が存在せず、突起(ロックピン47)はロックリング(40)側に設けられている。したがって、D1は本件クレーム1の構成要件1D〜1F(ノズル側の突起)および1J〜1P(ロックリング側のL字型チャネル)を開示していないため、新規性を有する。

(2)第2解釈(控訴人が主張する再定義・読み替え解釈)に基づく検討:
控訴人は、D1の「ノズルセグメント30+ロックリング40」の結合体を本件の「2体構造のインナーノズル」とみなし、D1の「取付プレート(Mounting Plate 3)」をクレーム1の「ロックリング」、D1の「取鍋シェルレベルプレート4」を「上部フレーム」と読み替えることで、構成要件が網羅されるため新規性が失われると主張した。
しかし、審判部はこの主張を排斥した。技術用語(「ノズル」「ロックリング」「プレート」「リング」)は、本件特許およびD1の双方において当技術分野における通常の意味(ordinary meaning)で一貫して使用されている。明細書中に特別な定義がない限り、文脈を無視して異質な概念まで包含するように用語を拡張解釈することは許されない。仮に百歩譲って控訴人の読み替えを認めたとしても、D1の取付プレート(3)は構造上「プレート(板)」であって「リング(環)」ではなく(構成要件1Hの欠如)、またレベルプレート(4)は容器自体の構成部材(シェル)であって中間部材としての「上部フレーム」(構成要件1Gの欠如)ではないため、いずれにせよ新規性は失われない。

2. 進歩性(EPC第56条)について

(1)第1解釈に基づく検討:
D1に対する本件発明の相違点は、ノズル側に複数の突起を設け、ロックリング側にこれに対応するL字型チャネルを設けた点にある。本件発明が解決する客観的技術的課題(Objective Technical Problem)は、「封止材(モルタル等)が硬化する間、作業者やロボットによる保持を不要とし、自己ロック式インナーノズルの装着工程を簡略化すること」と設定される。
D1には、ノズル側に突起を配し、ロックリング側にL字型チャネルを設けてこの課題を解決する示唆はない。また、D2およびD3はクランプ機構(耐力要素)を用いた固定構造を開示するものであり、ロックリングを用いて固定するD1のシステムとは固定メカニズムが根本的に異なる。当業者がD1を出発点としてD2・D3を組み合わせる動機付けはなく、組み合わせるとしても大幅な構造変更を要するため、当業者が容易に本件発明に到達できたとはいえない。

(2)第2解釈に基づく検討:
控訴人は、D1の取付プレートの形状を日常的な変更として「リング状」にし、さらに周知技術(D4・D5)に基づき「薄い支持プレート(上部フレーム)」を挿入することは当業者にとって容易であると主張した。
しかし、審判部は、この主張は本件発明の構成を知った上での「事後分析(ex post facto analysis / hindsight)」に他ならないとして退けた。重量のある製鋼用容器を安全に支持するという技術的実態に照らし、取付プレートとしての機能を奪って単なる「リング」に変更し、別途中間プレートを導入するような大幅な設計変更を行う合理的理由は先行技術中(D1, D4, D5)に存在せず、かえって結合の機械的強度を低下させるリスクがある。したがって、進歩性は否定されない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 事後分析(Hindsight / Ex post facto analysis)の厳格な排斥
    異議・控訴審実務において、相手方が先行技術の複数の部材を不自然に結合・再定義し、クレーム文言に当てはめる「事後分析的解釈」を試みることが頻繁に見られる。本審決は、明細書に特別な定義がない限り、当技術分野の通常の意味(ordinary meaning)を逸脱した不当なクレーム解釈および先行技術の読み替えを厳格に排除する姿勢を改めて明確にした。
  • 技術用語(「プレート」と「リング」等)の構造的差異の重視
    当業者の標準的な用語区別(例:「Base Plate」と「Ring」の形態的・機能的違い)を根拠とし、単に孔が開いていることのみをもって「プレート」を「リング」と同視することはできないと判示された。先行技術の部材の形態変更の容易性を主張する際は、対象機器の機能(本件では極めて重量のある溶融金属容器の支持強度)に与える影響まで考慮した実質的な技術的合理性が要求される。
  • 課題設定アプローチ(Problem-and-Solution Approach)における機能的効果の考慮
    モルタル硬化時の外部保持を不要とする「自己ロック(Self-locking)」機能という課題解決効果が明確に特定され、単なる選択肢の代替(mere alternative)にとどまらない非容易創作性が認められた点が実務上留意される。

【EPA Technical Board of Appeal / 2026年06月24日】T 1148/24 - 農業用作業機械に関する欧州特許の新規性およびクレーム解釈(G 1/24)に関する審決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者であるCLAAS Selbstfahrende Erntemaschinen GmbH(抗告人・特許権者)が、Deere & Company等(相手方・異議申立人)による特許異議申立てに基づき、欧州特許庁(EPO)異議部が欧州特許第3552472号(以下「本件特許」)をEPC第101条(3)(b)に基づき取り消した決定(原決定)に対し、抗告(Beschwerde)を申し立てた事案である。
本件特許の発明の名称は「LANDWIRTSCHAFTLICHE ARBEITSMASCHINE(農業用作業機械)」であり、作業プロセスの実施時に移動機能および作業アグリゲートを制御する運転者支援システム(Fahrerassistenzsystem)を備えた収穫機等の農業用作業機械に関するものである。
抗告人は、原決定の取消し並びに主請求(Hauptantrag)または補助請求1~3(Hilfsanträge 1–3)に基づく特許の維持を求めた。一方、相手方は本件抗告の棄却を求めた。

2. 判決の主文

抗告を棄却する(Die Beschwerde wird zurückgewiesen.)。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈の規範および拡大審判部決定 G 1/24 の適用関係
    明細書および図面の記載(実施例)に基づいて、クレーム上の専門用語(「制御戦略(Regelstrategie)」、「作業戦略(Bearbeitungsstrategie)」等)を減縮解釈できるか否か。
  • 争点2: 主請求項1の新規性(EPC第54条)
    先行技術文献 D1(EP 3 242 257 A1)の開示内容に照らし、外部計算ユニットとの通信、最適化器(Optimierer)による制御戦略の選択・パラメータ化等の構成が新規性を有するか否か。
  • 争点3: 補助請求1~3の新規性(EPC第54条)
    「作業戦略」の限定、「最大化/最小化」の構成、並びに「センサー監視」の構成の追加により新規性が認められるか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1)クレーム解釈および G 1/24 に関する判断(理由2)

抗告人は、拡大審判部決定 G 1/24 に基づき、クレーム用語の解釈には常に明細書および図面を参酌すべきであり、本件明細書段落[0023]および[0024]の記載に基づいて「作業戦略」および「制御戦略」を限定解釈すべきであると主張した。
しかし、審判部(Kammer)は以下の通り判示し、抗告人の主張を退けた。

  • 明細書段落[0023]および[0024]は「作業戦略」や「制御戦略」の具体的な例示や好ましい態様を示しているに過ぎず、明確な定義(Definition)を与えるものではない。
  • 個別の実施態様においてのみ開示されている特徴は、原則としてクレーム解釈を通じてクレーム文言を限定するために引き出すことはできない。これは G 1/24 に基づく審判判例誌の法理とも合致する。したがって、クレーム上の用語は広義に解釈されるべきである。

(2)主請求項1の新規性について(EPC第54条)(理由3)

先行技術文献 D1 は、自走式コンバイン(収穫機)および運転者支援システム(車載コンピュータ54)を開示している。

  • 制御戦略(Regelstrategie)の存在: クレーム文言上「制御戦略」は限定されておらず広義に解釈されるところ、D1段落[0048]に記載された「目標設定値と設定パラメータとの間のあらかじめプログラムされた相関関係(vorprogrammierte Zusammenhänge)」は、本件の「制御戦略」に該当する。
  • 外部計算ユニットとの通信インターフェース: D1において外部コンピュータ(200)を省略し、計算処理を直接車載コンピュータ(54)で行う実施形態(D1段落[0050])では、車載コンピュータが外部データベース(外部計算ユニット210, 212, 214)から直接データを取得せざるを得ないため、通信インターフェースを備えていることが必然的に開示されている(固有の開示)。
  • 最適化器(Optimierer)およびパラメータ化: 明細書において「最適化」の定義が限定されていないため広義に解釈される。D1の車載コンピュータ(54)は、伝送されたデータに基づいて目標値を計算し、これに応じて設定パラメータ(制御戦略)を選択・計算(パラメータ化)しており、「最適化器」としての機能を果たしている。

したがって、主請求項1の技術的範囲はすべて D1 に開示されており、新規性を欠く(EPC第54条)。

(3)補助請求1~3の新規性について(EPC第54条)(理由4~6)

  • 補助請求1(理由4): 「作業戦略」の要件を追加。しかし、D1における「目標設定値(Zielvorgaben)」のセットを作業戦略とみなし、それに対応するパラメータ相関関係を制御戦略と解釈できるため、D1段落[0048]により新規性が否定される。
  • 補助請求2(理由5): 「処理量の最大化」「燃料消費の最小化」「脱穀品質の最大化」等の技術的意図を追加。審判部は、当業者であればこれら「最大化/最小化」を厳密な数学的極値ではなく、コストやエンジン出力等の現実的制約条件を考慮した現実的な「最適化(Optimierung)」と解釈すると判示。D1(第4欄48-55行等)においても各種制約下での処理量や品質の最適化が開示されているため、新規性を欠く。
  • 補助請求3(理由6): 「センサー監視値に基づく選択」の要件を追加。これは D1(段落[0035], [0041], [0043], [0048])に明確に開示されているため、新規性を欠く。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 拡大審判部決定 G 1/24 下におけるクレーム解釈の限界と実務的留意点
本判決は、G 1/24 を踏まえたクレーム解釈の実務基準を明確に示している。明細書および図面をクレーム解釈に参酌できるとしても、明細書中に明確な「定義(Definition)」が存在しない限り、単なる実施例や好ましい態様(Anwendungsbeispiele / bevorzugte Ausführungsformen)をもってクレームの広い文言を不当に減縮解釈することは認められない。権利化実務においては、主要な機能概念(制御戦略、最適化等)についてクレーム上で具体的に構造的・機能的限定を付すか、明細書内で明示的な定義を置く必要がある。

2. クレームにおける「最大化/最小化(Maximierung/Minimierung)」の解釈規範
技術クレームにおける「最大化」や「最小化」という文言について、審判部は当業者の観点から「厳密な数学的極値」ではなく、実務的・物理的制約(オーバーヒート防止、燃料消費、コスト等)を考慮した「実用的な最適化(Optimierung)」と同義であると解釈した。定性的な目標値表現をクレームに追加しても、先行技術のパラメータ最適化処理に対して新規性を付与する要素とはなりにくい点に留意すべきである。

【EPA (審判部) / 2026年07月20日】T 0464/25 - エアゾール缶用アルミニウム合金スラッグに関する特許維持決定に対する不服申立審判判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
・審判請求人(異議申立人):Ball Corporation(ボール・コーポレーション)
・審判被請求人(特許権者):Neuman Aluminium Austria GmbH 及び Tubex Holding GmbH

【対象特許】
欧州特許第3 847 291号(EP 3 847 291 B1)
発明の名称:「アルミニウム合金、半製品、缶、スラッグの製造方法、缶の製造方法およびアルミニウム合金の使用」

【主要な請求項の骨子】
請求項1(物性・組成限定): Si (0.07-0.17wt%), Fe (0.25-0.45wt%), Cu (0.05-0.20wt%), Mn (0.30-0.50wt%), Mg (0.05-0.25wt%), Ti (0.01-0.04wt%)、残部Alおよび不可避的不純物からなるアルミニウム合金から構成されるスラッグ(Butzen)またはエアゾール缶。
請求項9(製造方法): 請求項1等のスラッグを製造する方法であって、合金元素の添加(工程c)、帯材への鋳造・熱間/冷間圧延、素スラッグの打抜き・熱処理・冷却(工程i: 冷却速度≥0.01 K/s)、およびスラッグへの後加工(工程j)を含む方法。
請求項13(用途): 上記アルミニウム合金のスラッグまたはエアゾール缶製造のための使用。

【事実経過】
異議決定部(Opposition Division)が主請求(Main Request)に基づく修正後の特許維持を決定したため、異議申立人がこれを不服として審判(Beschwerde)を提起した。異議申立人は、EPÜ(欧州特許条約)第83条(実施可能要件)、第54条(新規性:特に請求項9に対してD9を引例とする)、および第56条(進歩性:D9, D10, D8, D1等を最接近先行技術とする)違反を主張し、特許の取消しを求めた。

2. 判決の主文

審判請求(Beschwerde)を棄却する(主請求に基づく特許維持決定の支持)。

3. 主な争点

  • 争点1: 実施可能要件(EPÜ第83条)
    Cr(クロム)を含まない合金において特定のディスパーソイド形成や所定の効果が得られるかの立証がないことが、開示の十分性を欠くか。
  • 争点2: 方法請求項の新規性(EPÜ第54条)
    D9に開示された製造プロセスにより、請求項9の製造方法が先導・予見(Anticipation)されるか(「〜を製造するための方法」という目的限定の解釈)。
  • 争点3: 進歩性(EPÜ第56条)
    最接近先行技術(D9等)の組成から、高強度と缶壁の薄肉化(低壁厚)を両立させるためにMnまたはMgの含有量を特定範囲に個別調整することが、当業者にとって容易に思い着く範囲内か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

【争点1:実施可能要件(EPÜ第83条)について】
裁判所は異議申立人の主張を退けた。
請求項1は特定のアルミニウム合金からなるスラッグまたはエアゾール缶という「物」のクレームである。当業者は請求項9の工程等を用いて当該合金からスラッグ等を製造する方法を熟知している(異議申立人も工程自体は一般的と認めている)。
ディスパーソイドの形成や特定の作用効果はクレームの構成要件(技術的特徴)となっていないため、拡大審判部決定G 1/03(理由2.5.2)の法理に基づき、EPÜ第83条の実施可能要件の判断において考慮する必要はない。したがって、第83条の要件を満たす。

【争点2:新規性(EPÜ第54条)について】
請求項9は「請求項1に記載のスラッグを製造するための方法」と規定されている。確立された審判部判例(Case Law of the Boards of Appeal, 11th ed. 2026, I.C.5.2.5)によれば、このような「特定生成物を製造するための方法」という目的限定は、当該目的(請求項1の組成を持つスラッグの得失)を達成するように各プロセスステップ(特に工程cの合金元素添加)を適切に選択・制御しなければならないという技術的制限を方法自体に付与する
D9には請求項1の組成を有するスラッグ自体が開示されていないため、工程cでその組成を達成するように制御する請求項9の方法もD9に開示されていない。よって、新規性を有する(EPÜ第54条充足)。

【争点3:進歩性(EPÜ第56条)について】
1. 課題の設定: 最接近先行技術であるD9(ReAl 3104 20%または30%)に対し、主特許の客観的技術的課題は、「高強度を有すると同時に薄い缶壁厚(Dosenwandstärke)を有するエアゾール缶の製造を可能にするスラッグを提供すること」である(明細書[0009])。
2. 非容易性(D9を基礎とする場合):
・D9は元素ごとの個別の役割に着目しておらず、単にリサイクルスクラップ(3104等)の混合比率を変えることで全体的な組成が決まるプロセスを開示しているに過ぎない。
・D7等には「Mnが結晶粒成長を抑制し強度に寄与する」という一般的な知見はあるが、他元素との相互作用下で特定範囲(Mn: 0.30-0.50wt%)に調整すべきという教示はない。
・Mnの含有量は、単に強熱化(強度向上)だけでなく、加工抵抗やクラック(亀裂)発生リスクの増大を防ぎつつ薄肉化を達成するための最適範囲として選択されている(明細書[0020])。
・D9に記載の「元素の追加(elemental additions)」や「15%程度の変動」はスクラップ比率の調整を指すものであり、特定の一元素(MnやMg)のみを狙い通りに特定数値範囲へ調整する動機付けとはならない。
・異議申立人の主張は、本願発明を知った上での「後知恵的考察(rückschauende Betrachtungsweise)」に基づくものである。
3. その他の引例(D10, D8, D1): いずれも課題が異なるか、あるいは他元素(Zr, Cr, Zn等)の除去や特定成分(Cu, Mg等)の個別増減についての具体的教示を欠いており、当業者が本願発明の特定の組成組み合わせに至る動機付けにはならない。
以上の理由から、請求項1〜8、方法請求項9〜12、および用途請求項13はいずれも進歩性を有する(EPÜ第56条充足)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 「特定の物(プロダクト)を製造する方法」における目的限定の範囲と新規性判断
製造方法クレームにおいて「請求項X(特定の物)を製造する方法」と記載されている場合、その物の構成要件(本件では合金の成分組成)が方法の工程選択(工程cの合金元素添加等)を本質的に拘束すると判断された。先行技術の工程ステップ自体が類似していても、最終生成物の特定性が異なる場合は方法クレームの新規性が肯定されるというEPC実務の原則(審判部判例集 I.C.5.2.5)を明確に再確認した事例である。

2. クレーム外の作用効果・メカニズムと実施可能要件(G 1/03の適用)
異議申立人が「明細書に記載された微細構造(ディスパーソイド)の形成メカニズムや特定の効果が得られる証明がない」としてArt. 83違反を主張したのに対し、審判部は「クレームに直接定義されていない効果やメカニズムは、実施可能要件(Art. 83)の判断対象とはならない」(G 1/03)との規範を厳格に適用した。効果の主張・立証の不備は進歩性(Art. 56)の課題達成性の文脈で論じるべきであり、Art. 83の問題と混同してはならないという実務上の留意点を示している。

3. 合金発明における「数値範囲の個別調整」に対する事後論(Hindsight)の排除
先行技術に特定の合金元素(例:MnやMg)の一般的な技術的効果(強度の向上等)が記載されていたとしても、他の元素とのバランスを取りながらトレードオフの関係にある課題(高強度と冷間加工時の耐クラック性・薄肉化の両立)を解決するために特定の数値範囲を選択することには、明示的な動機付けが必要である。先行技術の開示を超えて「特定元素のみを抜き出して数値を最適化できたはずだ」とする主張は典型的な後知恵(rückschauende Betrachtungsweise)として退けられており、合金分野での進歩性反論・防衛の実務において極めて示唆に富む判例である。

【EPO Technical Board of Appeal / 2026年05月29日】T 0189/25 - 7XXX系アルミニウム合金製品に関する特許異議申立の控訴審判決(特許維持)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、航空宇宙分野等の構造用部材として用いられる展鍛用7xxx系アルミニウム合金製品、およびその製造方法に関する欧州特許(EP 3 911 777 B1、特許権者:Novelis Koblenz GmbH)に対する異議申立手続の控訴審判決である。
異議申立人(Arconic Corporation)は、本件特許には記載の十分性欠如(EPC 100条(b))、新規性欠如(EPC 100条(a)/54条・先行技術D13)、および進歩性欠如(EPC 100条(a)/56条・先行技術D4またはD9起点)の異議事由が存在するとして特許取消しを求めて異議を申し立てたが、EPO異議部は異議を棄却し特許維持の決定を下した。これを不服とした異議申立人が控訴(T 0189/25)を提起した。

2. 判決の主文

控訴を棄却する(The appeal is dismissed. = 原審決定を維持し、特許を有効と認める)。

3. 主な争点

  • 争点1: 新たな不服理由の審理対象性(RPBA 2020 13条(2))
    控訴審の口頭審理段階等で新たに提示された「請求項13に対する開示不備(EPC 100条(b))」の主張を審理に参入(admit)すべきか。
  • 争点2: 開示の十分性・実施可能要件(EPC 100条(b) / EPC 83条)
    請求項1に規定された特定の機械的特性の組み合わせを、当業者が過度な負担(undue burden)なく実施・達成できるか。
  • 争点3: 先行技術D13に基づく新規性(EPC 54(3)条)
    拡大された先願であるD13の開示内容から、請求項1の機能的技術特徴(特に亀裂偏向耐性:feature 1t)が暗黙的・必然的に開示されている(inherent/implicit disclosure)といえるか。
  • 争点4: 先行技術D4またはD9を起点とする進歩性(EPC 56条)
    スプレー成形合金に関するD4、または熱間圧延航空機用合金に関するD9を最寄り先行技術(closest prior art)として、本件特許製品の組成限定および時効処理による特性の達成が進歩性を有するか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 請求項13に対する開示不備主張の不参入(RPBA 2020 13条(2))

控訴人は請求項13に対するEPC 100条(b)に基づく異議理由を審判手続の後期に提起した。控訴人は「請求項1に対する主張の単なる展開である」と主張したが、審判部(Board)は、請求項1と請求項13では攻撃の構造・本質が異なり(請求項13は下限値が実施例を超えているとの主張)、実質的に「新しい不服理由」であると認定した。審理後期における提出を正当化する「例外的な事情(exceptional circumstances)」が存在しないため、RPBA 2020 13条(2)に基づき、当該主張を審理から排除(not admitted)した。

(2) 開示の十分性(EPC 100条(b))

新規性判断と開示の十分性の判断は、異なる法規範に基づく別個の法的評価である。本件特許明細書の実施例1(段落[0057]等)には、具体的な2段階時効処理条件(T7テンパー状態への処理)が開示されており、発明合金(A5, A6)において請求項1の要件(強度1r、SCC耐性1s、亀裂偏向耐性1tの組み合わせ)が達成されている。当業者は明細書の教示に基づき、過度な負担なくパラメータをルーティン調整してクレーム全範囲で発明を実施可能である。控訴人はこれを覆す反対証拠を提出していない。

(3) 新規性(EPC 54条)

先行技術D13には、特徴1t(亀裂偏向耐性:Kmax-dev値)の明記がない。特徴が「暗黙に開示されている」と認められるためには、先行技術の記載に従うことで「必然的(inevitably)かつ直接・一義的に」その技術的結果に到達すること(Inherent property)を異議申立人(控訴人)が立証しなければならない(立証責任は異議申立人にある)。
本件請求項1は製品クレームであるが、「特定の3つの機械的特性を同時に満たすように時効処理された」という機能的限定を含んでいる。D13には一般的なT7処理の記載はあるものの、具体的な温度・時間の実施例が欠如しており、D13の記載に従った場合に必ず特徴1tを満たす製品が得られるとは証明されていない。したがって、暗黙の開示は認められず、新規性を有する。

(4) 進歩性(EPC 56条)

【D4起点】
D4のAlloy 4と比較すると、本特許発明は①Cr含有量が低い点(0.3 wt%以下 vs D4の0.35 wt%)、②鋳造(casting)品である点、③特定の機械特性(1r, 1s, 1t)を達成する時効処理がなされている点で異なる。明細書(段落[0019], [0022]等)によれば、Cr量は結晶粒組織および亀裂偏向耐性に直接影響を与える。課題(高強度・高SCC耐性・良好な亀裂偏向耐性の優れたバランスの提供)に対し、実施例で効果が実証されている以上、控訴人が反対証拠を出さない限り効果の奏効が認められる。また、D4は分散粒子形成効果のためにCrを0.3 wt%以上必須と教示(teach away)しており、当業者がCr量を0.3 wt%以下に減らす動機付けはない。

【D9起点】
D9の実施例(Alloy 1-3, 6およびAlloy 4)は、Zn量またはMg量が本件請求項1の範囲外であり、かつT6テンパー(処理)を前提としている。D9はT6テンパーの優位性を強調しており、当業者がD9の教示から離脱して、組成(Zn/Mg量)を変更しつつT7テンパーに改める動機付けはない。控訴人の主張は後知恵(hindsight)に基づくものであり、進歩性を有する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. プロダクト・バイ・プロセス/機能的物性クレームにおける暗黙の開示(Implicit Disclosure)と立証責任
先行技術に同一カテゴリの組成や一般的な処理(T7処理)が網羅的に記載されている場合であっても、特定の物性パラメータ(本件では亀裂偏向耐性等)が先行技術から「必然的(inevitably)」に得られること(Inherent property)を異議申立人が客観的証拠をもって立証しない限り、EPO実務において暗黙の開示による新規性欠如は認められない。パラメータ特許防衛における厳格な立証責任の分配を再確認した事例である。

2. EPO審判手続規則(RPBA 2020)13条(2)の厳格な適用
控訴審手続の後期(口頭審理直前等)において新たな主張を参入させる基準は極めて厳しい。「従前の主張の単なる展開」と主張しても、法的論点や事実関係の構造が異なる場合は「新たな不服理由(new objection)」とみなされ、例外的な事情(exceptional circumstances)がない限り即座に不参入(not admitted)となるため、控訴理由書段階での網羅的な主張構築が実務上不可欠である。

3. 成分数値限定・阻害要因(Teach-away)に基づく進歩性の主張構成
先行技術(D4)で「特定の効果を得るために特定の成分(Cr)を一定量以上添加すべき」と教示されている場合、その数値を下回る範囲に限定しつつ別の物性(亀裂偏向耐性)を向上させた構成は、強い「阻害要因(teach-away)」として機能し、進歩性を確保する強力なロジックとなる。

【UPC CFI (The Hague) / 2026年08月10日】UPC_CFI_251/2025, UPC_CFI_769/2025 - 特許権侵害訴訟および特許無効反訴判決(EP2061230の新規性・進歩性欠如による特許取消)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、原告(反訴被告)であるマクセル株式会社(Maxell, Ltd.、以下「Maxell」)が、被告(反訴原告)であるSamsung Electronics Co., Ltd.ほか3社(以下「Samsung」)に対し、欧州特許(EP 2 061 230 B1、以下「本件特許」)の装置クレーム(請求項1, 2, 5, 6)に基づく侵害を主張し、差止命令、侵害製品の廃棄・回収、情報開示、損害賠償等を請求した事案である。本件特許は、携帯端末で表示中のコンテンツを外部表示装置に引き継ぐ「キャスト/ハンドオーバー(Handover)」技術に関するものである。

これに対し、Samsungは被疑侵害製品(Galaxyシリーズのスマートフォンおよびタブレット)による構成要件充足性を否認するとともに、反訴(Counterclaim for Revocation)を提起し、先行技術(D3等)に基づく新規性欠如および進歩性欠如等を理由に本件特許の全UPCA締約国(フランス、ドイツ、オランダ)における完全取消(Revocation)を求めた。

訴訟手続きにおいて、Maxellは特許性を維持するため、10の補助的請求(Auxiliary Requests: AR 3a, 3d, 5a, 5d, 6, 6a, 7, 7a, 8, 8a)を提示して抗弁した。

2. 判決の主文

【本訴(侵害訴訟)】
1. 原告(Maxell)の請求をすべて棄却する。
2. 原告(Maxell)に対し、被告(Samsung)が負担した訴訟費用およびその他の経費として、合意された200,000ユーロの支払いを命じる。

【反訴(特許無効訴訟)】
1. 本件特許(EP 2 061 230 B1)を、本件特許が効力を有するすべてのUPCA締約国において、その全体を取り消す(Revoke)。
2. 被告(Maxell)に対し、原告(Samsung)が負担した訴訟費用およびその他の経費として、合意された200,000ユーロの支払いを命じる。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈(特に「コンテンツ情報」「履歴情報」の法的・技術的意義)
  • 争点2: 原特許(クレーム1、11、17)の新規性(対D3文献)
  • 争点3: 補助的請求(ARs、特にAR7a/8a等)の進歩性(対D1文献およびD3文献の組み合わせ、並びに「特徴の集積(Aggregation of Features)」の成否)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) クレーム解釈(EPC 69条に基づく解釈)

統一特許裁判所控訴審(UPC CoA)の確立した規範(NanoString判決等)および欧州特許庁(EPO)拡大審判決G 1/24に則り、クレーム解釈は当業者(電磁気学/情報科学の学位を有し、通信・家電製品の開発経験を有する者)の視点で行われる。

  • 「コンテンツ情報」(構成要件 F1.1/F1.3): Samsungは明細書の第3実施形態に基づき「Webサイトに基づくコンテンツ」に限定解釈すべきと主張したが、裁判所はこれを排斥した。明細書全体を統合的に解釈すれば、動画、音声、画像、テキスト等、ネットワーク経由で受信可能なあらゆるコンテンツを含むと解される。
  • 「履歴情報」(構成要件 F1.6): ユーザー操作履歴は複数回の操作ログに限定されず、単一の操作結果(例:再生停止位置、スクロールバーの位置等)も含まれる。また、「表示(display)」は視覚的表示のみならず、音声出力等の感覚的表現全般を含むと解釈された。

(2) 原特許(クレーム1等)の新規性否定(EPC 54条)

先行技術D3(US 2006/0263048 A1)は、操作制御装置から表示再生装置へコンテンツを引き継ぐ「スロー操作(throw operation)」を開示している。

  • D3におけるスロー操作時、操作制御装置はコンテンツの識別情報(メタ情報)とともに、「再生位置(時間)情報」を送信する。
  • ユーザーが再生を停止した時点の「再生位置情報」は、ユーザーによる停止操作の履歴を反映したものであり、本件特許の構成要件F1.6およびF1.8.1における「履歴情報(history information)」を直接かつ明確に開示している。
  • したがって、原特許クレーム1はD3により新規性を欠く。独立クレーム11および17も同様であり、原特許は全体として新規性を欠く。

(3) 補助的請求(Auxiliary Requests)の進歩性否定(EPC 56条)

UPCにおける進歩性判断(Amgen v Sanofi判決等のCoA標準アプローチ)に基づき、当業者が現実的な出発点(D1: US 2007/0136488 A1)から、客観的技術課題を解決するために主張に係る構成に到達したか(would test)を検討した。

  • 審理の進め方: 補助的請求(AR)群は段階的に保護範囲を限定している。最も限定されたAR7a/AR8aが進歩性を欠く場合、それより限定の緩い上位のAR(3a, 5a, 6, 6a, 7, 8)も論理的に進歩性を欠くこととなる。
  • 「特徴の集積(Aggregation of Features)」の法理: 補正により追加された複数の構成要件(①ハンドバック機能、②認証情報の送信、③リモコン機能、④URL限定等)について、裁判所は「各構成要件が相互に機能的な依存関係を持たず、単なる技術的寄与の並列(Mere aggregation / Juxtaposition)に過ぎない場合、それぞれの変更が当業者にとって容易であれば、全体として進歩性は認められない」(ミュンヘン地域会頭判決 UPC CFI 846/2024 を参照)との規範を適用した。
  • 当てはめ:
    • 主たる技術的変更点である「ハンドバック機能(Handback: 外部装置から携帯端末への表示の連動戻し)」は、D1に記載された双方向ハンドオーバーの示唆(段落9)に基づき、D3に開示された「キャッチ操作(catch operation)」を組み合わせることで、当業者が容易に案出できたものである。
    • その他の追加要素(認証情報、リモコン機能、UTF-8エンコーディング、タッチパネル構成等)は、D1に内包されているか、当業者の一般的な技術常識に基づくルーチン的な変更・選択に過ぎない。
    • これらの構成要件の組み合わせによって、単なる各要素の和を超える「相乗効果(Synergistic effect)」は生じない。
  • 結語として、補助的請求(AR7a, AR8a, AR3d, AR5dを含むすべてのAR)は、D1およびD3並びに公知技術に基づき進歩性を欠く。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. UPC判例実務における「特徴の集積(Aggregation of Features)」法理の確立
本判決は、EPOの審決実務およびUPC各地方裁判所(ミュンヘン地裁等)で採用されてきた「単なる構成要素の集積」に関する進歩性否定の法理を、UPCミュンヘン判決(UPC CFI 846/2024)に続いて明確に適用した事例である。特許権者が複数の限定要件を追加して補正(補助的請求)を行う際、それらの要件間に技術的な相互作用(相乗効果)が存在することを主張・立証できなければ、個別の容易案出性の足し算により進歩性が容易に否定されるリスクを示している。

2. 広範なクレーム解釈リスクと新規性否認の関係
Maxell側は侵害立証を有利に進めるため、あるいは先行技術を回避するために「履歴情報」や「コンテンツ」の概念について一定の柔軟な解釈を展開したが、裁判所がEPC 69条に基づき「単一の停止操作位置情報も履歴情報に含まれる」と広義に解釈した結果、先行技術D3(再生停止位置の送信)に直接抵触し、原特許の新規性が全滅する結果となった。侵害訴訟におけるクレーム解釈の拡大主張が、無効反訴において自らの首を絞めるという実務上の古典的リスクが顕在化した例といえる。

3. 補助的請求(Auxiliary Requests)の効率的審理構造
裁判所は、多数提出された補助的請求に対し、最も限定度の高い請求項(AR7a/8a)から優先的に進歩性を判断し、それが否定されれば直ちにそれより上位の(限定度の低い)補助的請求も一括して否定するというロジカルかつ効率的な審理手法を採用した。UPCにおける補正・抗弁戦略(R. 30 RoP)を構築する際、どの補助的請求を最前線に配置するかという実務戦略上、極めて重要な示唆を与える。

【UPC第一審裁判所ハーグ地方部 / 2026年08月10日】UPC_CFI_251/2025 & UPC_CFI_769/2025 - 携帯端末のコンテンツキャスト技術に関する特許権侵害訴訟および特許無効反訴判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者および対象特許】
原告(反訴被告)は日本法人Maxell, Ltd.(以下「マクセル」)、被告(反訴原告)は韓国Samsung Electronics Co., Ltd.およびその欧州現地法人4社(以下「サムスン」)である。対象特許は、携帯端末からテレビ等の外部表示装置へコンテンツ表示を移行(キャスト/ハンドオーバー)する技術に関する欧州単一効特許「EP 2 061 230 B1」(以下「本件特許」)であり、ドイツ、フランス、オランダにて有効に存続していた。

【本訴(侵害訴訟)の請求・主張】
マクセルは、サムスンの「Galaxy」シリーズのスマートフォンおよびタブレットが本件特許のクレーム1, 2, 5, 6を直接侵害しているとして、本件特許の有効国における侵害差止、侵害品の回収・破棄、情報提供、損害賠償等を請求した。

【反訴(無効訴訟)および予備的請求】
サムスンは非侵害を主張するとともに、反訴として、先行技術文献(D3, D1等)に基づき本件特許の全クレームは新規性・進歩性を欠き無効であるとして特許取消を請求した。
これに対しマクセルは、反訴棄却を求めつつ、予備的請求(Auxiliary Requests 1〜10、口頭審理ではAR 3a, 3d, 5a, 5d, 6, 6a, 7, 7a, 8, 8aの10案に絞り込み)を提出し、訂正されたクレームに基づく特許の維持を主張した。

2. 判決の主文

1. 本訴(侵害訴訟):原告(マクセル)の請求をすべて棄却する。
2. 反訴(無効訴訟):欧州特許第2 061 230号(EP 2 061 230)を、単一特許庁協定(UPCA)のすべての効力発生国において全面的に無効(取消)とする。
3. 訴訟費用の負担:原告(マクセル)は、被告(サムスン)に対し、合意された合理的な訴訟費用および経費として合計400,000ユーロ(本訴分20,0000ユーロ、反訴分200,000ユーロ)を支払え。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈(「コンテンツ情報」「履歴情報」等の法的解釈)
    明細書の特定の実施例(ウェブサイト表示)に基づき狭義に解釈すべきか、当業者の技術理解に基づき広義に解釈すべきか。
  • 争点2: 許与された原クレーム(クレーム1, 11, 17等)の新規性(EPC 54条)
    先行技術文献D3(US 2006/0263048 A1)の開示内容により、原クレームの構成要素がすべて開示されているか。
  • 争点3: 予備的請求(Auxiliary Requests)の進歩性(EPC 56条)
    保護範囲を段階的に限定した予備的請求(特にAR 7a/8a等)に追加された複数の構成要素が、先行技術D1(US 2007/0136488 A1)およびD3等の組み合わせから容易に想到できるか(構成要素の単なる集合[aggregation of features]および相乗効果の有無の判断)。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

【クレーム解釈の規範と当てはめ】
裁判所はUPC控訴審(CoA)の定立した規範(EPC69条に基づく解釈原則)を再確認し、特許クレームの解釈は当業者(電気工学・情報科学の学位を有しネットワーク家電等の開発経験を有する者)の視点から行われるとした。

  • 「コンテンツ情報(Content Information)」:サムスンはウェブサイトに限定されると主張したが、裁判所はこれを否定し、動画、音声、画像、テキスト等、ネットワーク上で受信可能なあらゆるコンテンツを含むと広く解釈した。
  • 「履歴情報(History Information)」:マクセルの主張を採用し、単なる操作ログの履歴のみならず、ユーザー操作によって生じた表示状態の結果(再生停止位置、スクロールバーの位置、音量設定等)も含まれると解釈した。また、視覚的表示のみならず音声等の出力状態も含むと判示された。

【原特許の新規性(D3による欠如)】
先行技術D3は、操作制御装置から表示再生装置へコンテンツを引継ぐ「throw操作」および再生停止位置(時間)情報の送信を開示している。 裁判所の上記クレーム解釈に基づけば、D3における「再生停止位置情報」は、ユーザーが再生を停止したというユーザー操作の履歴を示す「履歴情報」(構成要素 F1.6, F1.8.1)に直接該当する。したがって、独立クレーム1およびこれに対応する独立クレーム11, 17の全構成要素はD3により直接かつ一義的に開示されており、新規性を欠く(EPC 54条1項)。

【予備的請求(AR)の進歩性欠如と判断ロジック】
UPCにおける進歩性判断アプローチに従い、客観的技術課題(「コンテンツの引継ぎをよりスムーズに行うこと」)および現実的な出発点(D1)を設定して検討を行った。

  1. 最遠限定の予備的請求(AR 7a/8a)の検討:
    マクセルの予備的請求は段階的に保護範囲を限定しているため、最も限定が強いAR 7a(および技術的に同一のAR 8a)の進歩性をまず検討した。AR 7aは原クレームに対し、(i)ハンドバック機能(F1.10)、(ii)認証情報(第2履歴情報)、(iii)リモコン機能(F1.9)、(iv)URL指定によるインターネットサイトへの限定、を追加している。
  2. 構成要素の単なる集合(Aggregation of Features)の定立:
    裁判所は、「機能的相互依存関係に基づく相乗効果(synergistic effect)が存在しない場合、当業者がそれぞれルーチンとして行う複数の改変の付加は、単なる機能の集合(mere aggregation of features)に過ぎず、進歩性を欠く」という規範(Headnote 1)を定立・適用した。
    本件において、追加された上記(i)〜(iv)の機能群はそれぞれ独立した技術的機能を提供するに過ぎず、組み合わせによる相乗効果を生じさせない。
  3. 各構成要素の容易想到性:
    • (i) ハンドバック機能:D1の段落9(逆方向の引継ぎの示唆)という教示(pointer)に基づき、当業者がD3の「catch操作」(ハンドバック機能)を組み合わせることは極めて容易である。
    • (ii)〜(iv) その他の技術的特徴:認証情報の送信やURLの利用はD1に暗黙的に開示されているかルーチン的改変であり、リモコン機能(UPnPにおけるControl Point機能)やUTF-8、タッチパネルの採用は当業者の技術常識(D13, D14等)から自明である。
  4. 他の予備的請求への波及効果:
    保護範囲を最も狭めたAR 7aおよびAR 8aが進歩性を欠いて無効とされる以上、これらよりも限定要素の少ない(相違点が少ない)前位の予備的請求(AR 3a, 3d, 5a, 5d, 6, 6a, 7, 8)も当然に進歩性を欠く(Headnote 2)。
したがって、すべての予備的請求は進歩性を欠き(EPC 56条)、特許は全面的に無効(取消)とされた。侵害訴訟は請求棄却となった。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 相乗効果なき技術集合(Aggregation)に対する厳しい進歩性規範(Headnote 1)
UPC実務において、補正案(Auxiliary Requests)で複数の技術的特徴を組み合わせる場合、各構成要素が個別に自明(ルーチン的改変または先行技術の組み合わせ)であり、かつそれらの間に機能的な相互依存関係(相乗効果)が存在しないときは、「単なる集合(aggregation)」として一蹴されるリスクが高いことが確定した。補正書作成実務においては、追加する各構成要素がどのような統合的相乗効果(synergistic effect)を生み出すかを明細書および主張書面において技術的・ロジカルに主張・立証することが不可欠である。

2. 段階的予備的請求(Progressive Auxiliary Requests)の効率的審理手法(Headnote 2)
多数の予備的請求(Auxiliary Requests)が提出されている場合、裁判所は最も保護範囲が狭い(最も限定された)請求範囲から審理を行い、それが進歩性を欠く場合には、限定度の低い他の予備的請求の進歩性も連鎖的に否定するという審理ロジックを採用した。これにより、特許権者は「最も限定した補正案であっても進歩性を有する」という強力な根拠を提示できない限り、すべての予備的請求が一括して倒れるという訴訟実務上の不利益を被る可能性がある。

3. 侵害主張における広範なクレーム解釈と無効リスクのジレンマ
特許権者(マクセル)は、被疑侵害者(サムスン)の製品を侵害の枠組みに捉えさせるため「コンテンツ情報」や「履歴情報」について広義の解釈(実施例のウェブサイト限定に捉われない解釈)を主張した。しかし、裁判所がこの広範な解釈を採用した結果、先行技術(D3の再生停止位置情報)に容易に捕捉され、原クレームの新規性が否定される結果となった。UPC訴訟実務においては、侵害立証のためのクレーム解釈と、有効性維持のためのクレーム解釈とのバランス(Gillette Defense / Formstein型抗弁との関係)を緻密に計算した戦略策定が求められる。

【UPC Lokalkammer Hamburg / 2026年08月10日】UPC_CFI 1321/2026 - Cybex v. Nuna/Allison (EP 4 242 056 B1に基づく仮処分命令決定)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者関係】
申請人(Cybex GmbH)は、ドイツの著名なベビー用品・チャイルドシートメーカーであり、本件単一効特許(EP 4 242 056 B1、以下「本件特許」)の特許権者である。被申請人(NUNA International B.V.[オランダ]および Allison GmbH[ドイツ])は、台湾のWonderlandグループに属し、「NUNA」ブランド等のチャイルドシートおよび関連用品の販売・流通を行っている。

【主要な事実経過】
* 2026年3月18日:本件特許(EP 4 242 056 B1、「シート要素および自動車座席に取り付け可能なベースを含むチャイルドシートシステム」)の発行告示。
* 2026年4月9日:単一効特許(Unitary Patent)としての登録完了(効力発生日:2026年3月18日)。
* 2026年4月20日:申請人は、被申請人が販売するベース「base curv」および各種シート(「cari next」「pipa lite」「pipa next」「arra flex」「todl next」等)の組み合わせシステムが本件特許を侵害するとして、UPCハンブルク地方裁判所に仮処分(Einstweilige Maßnahmen)を申請。
* 手続の経緯:申請人は主請求(Hauptantrag)として、登録クレーム1と2を組み合わせた限定クレームセット(erteilte Fassungより減縮された内容)に基づく差止等を請求。その後、手続過程(Replik)で追加の補助請求(Hilfsanträge)を提出。口頭弁論(2026年6月26日)において、「arra next」製品の互換性欠如に基づく対象範囲の整理等が行われた。

【申請人の請求内容】
1. 指定UPC協定締約国(CMS)全域における対象チャイルドシートシステムの直接侵害製品の製造・譲渡・輸入・所持等の禁止。
2. 個別コンポーネント(ベース単体、シート単体等)の譲渡・納入にあたり、「本件特許権者の同意なく組み合わせて使用してはならない」旨の明示的注意書き(Hinweispflicht)を付すことを義務付ける禁止命令(間接侵害対策)。
3. 違反時の執務罰金(Zwangsgeld:最大250,000ユーロ)の警告。
4. 製品の供給元、流通経路、数量、第三者の身元等に関する情報提供・回答義務(Auskunft:不履行時日額2,500ユーロの罰金)。
5. 仮の訴訟費用償還(56,000ユーロ)。

【被申請人の反論骨子】
1. 非侵害:対象製品は回転制限(Merkmal M1.3)の構成要件を充足しない。
2. 無効の抗弁(Rechtsbestand):不許補正(unzulässige Erweiterung)、新規性欠如(「Matrix Light 2」、US 2008/0211279 A1, US 2005/0264064 A1, JPH 051579 U)、および進歩性欠如。
3. 手続・利益衡量の欠如:訴訟遅延による緊急性(Dringlichkeit)の欠如、著しい損害の未発生、後から提出された書面・補助請求の不許容、担保提供(Sicherheitsleistung / Abwendungssicherheit)の要請。

2. 判決の主文

1. 被申請人両名に対し、指定CMS全域において、本件特許を侵害するチャイルドシートシステム(ベース「base curv」とシート「todl next」「pipa lite」「pipa next」「arra flex」「cari next」の組み合わせ)の提供・譲渡・使用・輸入・所持を命じる(仮処分差止命令)。
2. 被申請人両名に対し、上記個別コンポーネントの提供・納入にあたり、「本件特許権者の同意なく本チャイルドシートシステムとして組み合わせて使用してはならない」旨を明確かつ見落としなく注意表示する義務を課す。ただし「arra next」は対象外とする。
3. 上記1および2の不履行1回につき、最大250,000ユーロの執務罰金(Zwangsgeld)を科す。
4. 被申請人両名に対し、本命令送達後4週間以内に製品の供給元、流通経路、数量、関与した第三者の身元等の情報・書面を申請人に開示することを命じる。不履行の場合、遅延1日につき2,500ユーロの執務罰金を科す。
5. 被申請人両名は連帯して、申請人に対し仮の費用償還として56,000ユーロを支払うこと。
6. 手続費用負担割合:被申請人 90%、申請人 10%(「arra next」部分等の不認容による)。
7. 本命令は直ちに執行可能とし、申請人への担保立て命出および被申請人への執行停止用担保(Abwendungssicherheit)の付与は行わない。
8. 申請人のその余の請求(「arra next」に関する請求等)は棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: 手続的要件(発行クレームより限定されたクレームセットに基づく仮処分申立ての可否、および答弁書提出後に弁明書で追加提出された補助請求の許容性[R. 263.2 VerfO])
  • 争点2: 侵害論(特許クレームの解釈、対象製品による構成要件[特にM1.3「第2シートの回転制限」およびM1.4「ベース側の回転要素」]の充足性、ならびに単体コンポーネントに対する間接侵害[Art. 26 EPGÜ]の成否)
  • 争点3: 特許の有効性(Rechtsbestand)(不許補正/新規事項追加の有無[Art. 123(2) EPC]、公然実施および先行技術文献に対する新規性・進歩性の有無[Art. 54, 56 EPC])
  • 争点4: 仮処分の必要性・緊急性および利益秤量(緊急性[Dringlichkeit/unangemessenes Zuwarten]の有無、本訴判決を待つことの不可避的損害、比例原則、並びに担保提供の要否)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 争点1:手続的要件(限定クレームでの申立てと補助請求の制限)

* 限定クレームによる仮処分申立て:申請人が発行されたクレーム1および2を組み合わせた、発行時より狭い限定クレームセット(Hauptantrag)に基づいて仮処分を申し立てることは可能である(UPC BerG Onward v. Niche 参照)。
* 後出しの補助請求の不許可:弁明書(Replik)段階で初めて提出され、従属クレームに規定のない技術的特徴(M.1.5a)を追加する補助請求は、被申請人に有効性審理のための防御期間を実質的に与えないため、被申請人の防御権を著しく侵害する。仮処分手続(Eilverfahren)の迅速性と要請に鑑み、このような補助請求は却下(不許容)される。

(2) 争点2:侵害論(構成要件充足性と間接侵害)

* クレーム解釈の規範:Art. 69 EPCおよびその解釈に関するプロトコルに基づき、当業者(チャイルドシート設計の機械工学専門家)の視点で行われる。特許明細書は「自前の辞書(eigenes Lexikon)」として用語を定義し得る。
* 「自動車座席の上に配置可能(auf einem Fahrzeugsitz anbringbar)」:座席内に一体化(インテグレート)された構造を含まず、座席と接触して配置される独立構造を意味する。
* 「回転制限(M1.3)」:第1シート要素で可能な全ての配向(前向き・後向き等)を第2シート要素では選択できず、回転角度や装着向きが特定の範囲に制限されていることを意味する。
* 当てはめ(直接侵害):被申請人の「base curv」と第1シート「todl next」の組み合わせでは、安全ロックを解除することで前向き・後向き双方の回転・固定が可能である。一方、第2シート(「pipa lite」「pipa next」「arra flex」「cari next」)では、構造的ストッパー(Swivel-Lock機構等)により後向きから側方への回転しかできず、前向き固定が不可能な設計となっている。よって構成要件M1.1〜M1.4.3を文言通り(wortsinngemäß)充足する。なお、互換性のない「arra next」についての侵害は認められない。
* 当てはめ(間接侵害:Art. 26 EPGÜ):ベース単体やシート単体は、発明の本質的要素(wesentliches Element der Erfindung)に関する手段(Mittel)である。これらが特許非侵害の他社製品(ベビーカー等)や旧型ベース(「base next」)と併用可能であっても、特許製品として組み合わせて使用される客観的適性・意図が存在するため間接侵害が成立する。被申請人に対し「無断で組み合わせて使用してはならない」旨の注意表示(Hinweispflicht)を命じることが適当な救済となる。

(3) 争点3:特許の有効性(Rechtsbestand)

* 審査基準:未登録の限定クレームに基づくため有効性の推定(prima facie-Vermutung)は働かないが、概括的審理(summarische Prüfung)の結果、「無効とされる確率より有効とされる確率が優越する(überwiegende Wahrscheinlichkeit)」か否かを検証する。
* 不許補正(unzulässige Erweiterung):原出願(WO 2019/053102)のクレーム1, 2および明細書段落[0014]等の記載から、当業者は第1シートの着脱可能性や第2シートの回転制限の具体化を直接かつ一意(unmittelbar und eindeutig)に導き出せるため、Art. 123(2) EPCに違反しない。
* 新規性(Neuheit): * 乙号証「Matrix Light 2」:単一のシートで傾斜調整を行うものに過ぎず、複数シートシステム(M1.1)を開示していない。
* US 2008/0211279 A1:座席背もたれ裏面やトランクに設置するものであり、「座席の上に配置可能(M1.1)」を満たさない。
* US 2005/0264064 A1 (MB 17)およびJPH 051579 U (MB 13):第2シートの回転制限(M1.3)やベース自体に回転要素を設ける構造(M1.4)が直接かつ一意に開示されていない。
* 進歩性(erfinderische Tätigkeit):US 2005/0264064 A1を出発点としても、ベース側に回転機構(M1.4)を配置しつつ、特定のシート(第2シート)のみ回転を物理的に制限する(M1.3)という技術的構成の組み合わせは、安全性と利便性を高める独自の効果を有し、先行技術から当業者にとって自明(naheliegend)とはいえない。

(4) 争点4:必要性・緊急性および利益秤量

* 緊急性(Dringlichkeit):本件特許の発行日(2026年3月18日)後、申請人は直ちにテスト購入を行い、約1ヶ月後(2026年4月20日)に本仮処分を申請している。不当な遅延(unangemessenes Zuwarten: R. 211.4 VerfO)は存在しない。
* 必要性・利益秤量:チャイルドシートは子供の出生から約4年間使用される長寿命・高単価な製品であり、一度他社製品に市場を占有されると、顧客獲得の機会が不可逆的に失われる(不可逆的損害)。本訴判決(Hauptsacheverfahren)を待つことは申請人に不当な酷使を強いる。
* 比例原則(Verhältnismäßigkeit):被申請人の単体コンポーネントの販売自体を全面禁止(Schlechthinverbot)せず、注意表示義務を課すにとどめることで、被申請人への過度な損害を回避し、両当事者の利益バランス(Interessensabwägung)を図っている。
* 担保:被申請人の損害主張は不十分であり、申請人(香港上場グループ企業)の資力等に照らし、申請人への担保立て命出および被申請人の執行停止用担保(Abwendungssicherheit)設定の必要性はない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 【発行クレームより限定されたクレームセットに基づく仮処分申立てと立証責任】
    UPC実務(Onward v. Niche 判例等)において、特許権者が仮処分手続中に登録クレーム(granted claims)より狭い限定クレームを主請求として差し出すことが認められている。ただし、この場合、発行特許に対する「有効性の推定(prima facie-Vermutung)」は及ばないため、特許権者側で概括的審理において「有効性が無効性を優越する確率(überwiegende Wahrscheinlichkeit)」を実質的証拠に基づき立証・説明する準備が必要となる。
  • 【仮処分手続における「補助請求(Hilfsanträge)」提出時期の厳格性】
    仮処分(Eilverfahren)において、従属クレームに含まれない新規な技術的特徴を追加した補助請求を答弁後の弁明書(Replik)で提出することは、相手方の有効性防禦の機会を不当に奪うものとして、R. 263.2 VerfOに基づき失権・却下される。仮処分手続では、第一審の申立書作成段階でクレーム戦略を完全に練り上げることが実務上極めて重要である。
  • 【多用途コンポーネントに対する間接侵害と「注意表示命令(Hinweispflicht)」の活用】
    コンポーネント単体が特許非侵害の用途(他社ベースやベビーカーとの併用等)を併せ持つ場合、UPCは全面的な販売禁止(Schlechthinverbot)ではなく、「本件特許の組み合わせで使用してはならない」旨を譲渡・納入時に見落としなく警告表示させる「注意表示付き差止命令」を選択する。これは、特許権者の権利実効性と被申請人の適法な事業継続という「比例原則(Proportionalität)」を調和させる実務的アプローチとして定着しつつある。
  • 【緊急性(Dringlichkeit)の起算点と期間】
    特許権発行(単一効登録)から約1ヶ月以内の仮処分申立ては、不当な遅延(unangemessenes Zuwarten)にあたらず、仮処分の緊急性要件を満たすことが明確に示された。

【UPCミュンヘン地方分館 / 2026年08月06日】UPC_CFI_1569/2025 - 可償費用上限(Cost Ceiling)の引き上げ申請要件に関する費用確定決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、統一特許裁判所(UPC)ミュンヘン地方分館における仮処分命令手続(UPC_CFI_693/2025)の終結に伴い、仮処分被告(申立人:Niche Biomedical, Inc.)が仮処分原告(相手方:ONWARD Medical N.V.)に対し、手続費用の償還を求めて費用確定(Kostenfestsetzung)を申し立てた事案である。

【主な事実経過および当事者の主張】

  • 申立人の請求・主張:訴訟物価額1,000,000ユーロに対応する弁護士費用等の可償費用上限額(Obergrenze)は112,000ユーロであるが、手続初期の保護書面(Schutzschrift)および答弁書において上限を超える費用(168,000ユーロ等)の暫定償還を請求していた。これはUPC費用上限規則(管理委員会決定)に基づく上限の引き上げ申請に該当するため、上限を50%引き上げた168,200ユーロの償還が認められるべきであると主張した。また、条文の明示的な引用がないことを理由とする不支給は単なる形式主義(bloße Förmelei)であると反論した。
  • 相手方の反論:申立人は手続上、費用上限の引き上げ申請(Antrag auf Anhebung der Obergrenze)を明示的に行っていない。また、提示された請求書・タイムシートに過度な黒塗り(Schwaerzung)があり内容が不透明であること、無関係なドイツ国内訴訟用保護書面の作成費用、米国代理人との協議費用、不必要な先行技術調査費用が含まれており不当であるとして、請求の棄却または減額(最高でも上限の半額である56,000ユーロへの減額)を求めた。

2. 判決の主文

1. 仮処分手続における訴訟物価額を1,000,000ユーロと確定する。
2. 相手方は本決定の送達から3週間以内に、申立人に対し112,000ユーロを支払わなければならない。
3. 申立人のその余の請求(上限を超える168,200ユーロの確定指定の申立て)を棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: [可償費用上限の引き上げ申請の定立要件] 本案手続において単に「上限を超える金額の(暫定的な)費用償還」を求めたことが、2023年4月24日管理委員会決定第2条第4項に基づく「可償費用上限の引き上げ申請」と認められるか。
  • 争点2: [可償費用の算定および上限額の適用] 相手方が主張する非可償項目(黒塗り部分や無関係な業務)を控除した場合の妥当な費用償還額、および適用される上限額。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 争点1について:費用上限引き上げ申請の不成立

  • 判断基準(法的規範):2023年4月24日の管理委員会決定第2条第4項に基づく費用上限の引き上げ(または引き下げ)申請が成立するためには、当事者の申請から「上限の引き上げまたは引き下げを求めていること」が明示的かつ一義的(ausdrücklich und eindeutig)に示されていなければならない(ヘッドノート1)。
  • 理由付けと当てはめ:
    • 明確かつ決定的な申請を求める要件は、単なる「形式主義(bloße Förmelei)」ではなく、UPC協定(UPCA)第76条等に由来する重要な手続原則である。
    • 単に「相手方は仮に168,000ユーロを支払え」というような特定額の(暫定的な)費用償還を求める請求は、費用上限自体の引き上げ申請(「上限額を〇〇ユーロに引き上げることを求める」)とは明確に区別される(ヘッドノート2)。
    • 上限引き上げ申請は、本案(仮処分手続)の終結前に裁判所が判断を下せるよう早期(原則として訴状または答弁書提出時)に行う必要がある。本案決定前に裁判所へ「事前に判断すべき上限引き上げ申請が存在する」ことを認識させる必要があるため、明示的な申請が不可欠である。
    • したがって、単に実費・弁護士費用が上限を超過したことを指摘・請求しただけでは引き上げ申請とは認められず、本件において上限引き上げ申請はなされていない。なお、本案手続が終了した後に上限引き上げを申請することは不可である。

2. 争点2について:可償額の算定と主文の結論

  • 申立人の弁護士・特許弁護士の時間単価(パートナー約600〜700ユーロ、アソシエイト約450〜500ユーロ)は高額ではあるものの、実務上合意・支払われている範囲内であり妥当と認められる。
  • 相手方が「償還不可」として具体的に争い、申立人が認否・反論を行わなかった個別の業務時間(不必要な先行技術調査、ドイツ国内手続費用、米国代理人協議等)をすべて差し引いて計算しても、申立人に発生した妥当な費用はなお上限額(112,000ユーロ)を超過する。
  • したがって、個々の争点化された費用の可償性を細かく確定するまでもなく、適用される上限額である112,000ユーロ全額の支払を命じるのが相当である。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 費用上限引き上げ(Raise of Cost Ceiling)の手続厳格性
UPC手続において、タイムシート上の発生費用が規定の上限額(Scale of Ceilings)を超える見込みである場合、当事者は単に実際の発生費用を請求書や答弁書に記載するだけでは足りない。管理委員会決定第2条第4項に基づき、「費用上限の引き上げを求める(Antrag auf Anhebung der Obergrenze)」旨を明示的かつ独立した申請として手続初期に提出しなければ失権するという厳格な実務ルールが確立された。

2. 裁判所の許可なき追加書面の不適法性
本判決では、報告裁判官(Berichterstatter)の事前の手続命令(Anordnung)なしに自主的に提出された書面(6月13日付書面)について、結果的には聴問権(Anhörung)の観点から斟酌されたものの、判示において「UPC手続規則(Rules of Procedure)に定めがない自主的な意見提出は認められず、裁判所の指示が必要である」と厳しく注意がなされている。実務担当者はUPCにおける主張立証の指示・書面提出の命令管理に留意する必要がある。

【UPC Local Chamber Munich / 2026年07月29日】UPC_CFI_515/2026 (UPC_CFI_1797/2026) - 証拠文書の抜粋提出と機密保持手続(Rule 262A)における「未編集の文書」の解釈に関する合議体決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

原告・反被告CA, Inc.(以下「CA」)と、被告・反原告Deutsche Telekom AGおよびTelekom Deutschland GmbH(以下「Telekom」)との間の特許(EP 1 955 151)侵害訴訟および無効反訴において、Telekomは答弁書において訴訟資料(Anlage B5)を提出した。Anlage B5は、ある全体文書(115頁)から特定の頁(45頁目等)を切り出した一部抜粋(Auszug)であった。

Telekomは当該Anlage B5に含まれる製品機能等に関する情報の機密性を理由に、統一特許裁判所手続規程(UPC Rules of Procedure, 以下「VerfO」)Rule 262Aに基づく機密保持措置を申請し、手続報告者(Berichterstatter)は2026年6月22日付けで機密保持命令を発令した。

これに対しCAは、Rule 333.1 VerfOに基づき合議体(Spruchkörper)へ本決定の再審理(Überprüfung)を請求した。CAの主張の骨子は以下の通りである:

  • Telekomが提出したのは一部抜粋に過ぎず、Rule 262A.3 VerfOが要求する「未編集の文書(unbearbeitetes Dokument)」の要件を満たしていない。
  • 全体文書(115頁)の文脈を把握できなければ、提出された抜粋箇所の機密保持の正当性や文脈上の意味を適切に評価・反論(Rule 262A.4 VerfOに基づく意見提出)できず、武器対等の原則に反する。
  • したがって、Telekomに対し元となった全体文書(または特定の目次や関連箇所)の完全かつ非墨塗りの電子版を提出させ、それに基づき再度機密保持の決定を行うべきである。

2. 判決の主文

1. 原告(CA)の2026年7月7日付け再審理請求を棄却する。
2. 手続報告者の2026年6月22日付け決定(機密保持命令)を維持する。
3. 控訴(Berufung)は許可しない。

3. 主な争点

  • 争点1: Rule 262A.3 VerfOにおける「未編集の文書(unbearbeitetes Dokument)」の解釈
    全体文書の一部抜粋(Auszug)として提出された証拠は、Rule 262A.3 VerfOの規定する「未編集の文書」に該当し得るか。
  • 争点2: 機密保持手続における全体文書(未提出部分)の開示請求権の有無
    機密保持手続(Rule 262A VerfO)において、相手方当事者は機密保持の対象となった証拠抜粋の元である「全体文書」の開示を求める権利を有するか(Rule 262A.4 VerfOおよび武器対等の原則との関係)。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

合議体は、手続報告者の判断を全面的に支持し、CAの再審理請求を棄却した。ロジックの要旨は以下の通りである。

1. 「未編集の文書」の解釈(争点1関係)
Rule 262A.3 VerfOの趣旨・目的に鑑み、「未編集の文書」とは、Rule 262A.1 VerfOに基づきアクセス制限を行おうとする「情報または証拠が含まれている文書自体」を指す。したがって、元となる全体文書が存在する場合であっても、その一部抜粋であっても「未編集の文書」となり得る。技術的・形式的に元文書全体である必要はなく、手続に導入された証拠(本件ではAnlage B5)の非墨塗り版(保護対象情報がそのまま記載された状態)が存在していれば足りる。

2. 全体文書の開示義務および武器対等の原則(争点2関係)
Rule 262A.3 VerfOから、機密制限を受ける側の当事者が、抜粋の元となった「全体文書」を閲覧する権利は導き出されない。

  • 意見提出権の充足(Rule 262A.4 VerfO):同条に基づく「十分な情報に基づく意見提出」のためには、機密保護の対象とされている具体的情報・証拠そのものが(墨塗り版と非墨塗り版の双方の形で)提示されれば十分である。本件においてTelekomは双方を提出しており、CAは機密性の有無を評価・反論できる状態にあった。
  • 全体文書の必要性の不不立証:未提出の全体文書に含まれる他の情報への参照(暗黙の参照を含む)が存在するということだけでは、具体的機密保持申請への反論に全体文書が必要不可欠であることの立証にはならない。訴訟未導入の情報は本件手続の審理対象外である。
  • 武器対等の原則:「どちらの当事者が全体文書を知っているか」ではなく、「どの情報が手続に導入され主張の基礎とされたか」が基準となる。当事者は自己の提出・主張内容に責任を負う(主張責任・提出責任)。

3. 適切な手続ルートの教示
なお、当事者が相手方の所持する未提出の関連文書や全体文書の提出を求めたい場合、機密保持手続(Rule 262A VerfO)を迂回ルートとして利用することは不適切であり、文書提出命令の手続(Rule 190 VerfO)によるべきである(現にCAは別途Rule 190の申請を行っている)。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. Rule 262A VerfOにおける「未編集の文書」の意義の定立
本判決は、Rule 262A.3 VerfOの「未編集の文書(unbearbeitetes Dokument)」という文言について、実質的・機能的解釈を採用した。即ち、「未編集」とは「編集前の元データ全体」ではなく「手続に提出された証拠の未墨塗り(原文)状態」を意味することを明確にした。これにより、大規模な文書の一部抜粋のみを証拠提出して機密保護を求める実務が認容された。

2. 機密保持手続(Rule 262A)と証拠開示手続(Rule 190)の明確な棲み分け
機密保持制限の審査手続において、当事者が「文脈の把握」等を口実に未提出の全体文書の開示を要求する戦術を裁判所は退けた。相手方の未提出文書を入手したい場合は、正攻法としてRule 190 VerfO(文書提出命令請求)の要件(必要性・比例性など)を満たして申請すべきであることが示された。

3. 機密保持異議における実務上の留意点
機密保持命令に対して異議(再審理請求等)を申し立てる際、当事者は単に「全体文書が見えないから評価できない」という形式的理由を述べるだけでは不十分であり、開示されている「具体的情報(本件では製品の機能等)」そのものがなぜ秘密性・商業的価値を欠くのか、あるいはなぜ全体文書がなければ機密性の判断が不可能なのかを具体的に主張・立証しなければならない。

【UPC Court of Appeal / 2026年08月05日】UPC-CoA-118/2026, UPC-CoA-119/2026, UPC-CoA-120/2026 - FRAND反訴および補助参加人の当事者追加に関する手続停止・対外停止的効力申請の棄却決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者関係および事実経過】

原告・控訴人 Dolby International AB(以下「Dolby」)は、欧州特許(EP 3 079 153)の特許権者であり、被告・被控訴人 Acer各社(以下「Acer」)に対して統一特許裁判所(UPC)ハーグ地方分館(Local Division The Hague)に特許権侵害訴訟(UPC-CFI-1536/2025)を提起した。本件特許は Vectis IP Ltd.(以下「Vectis」)が管理する「Vectis Opus Patent Pool」に含まれており、VectisはDolbyを支援するため補助参加(Intervention)を申請した。

2026年3月18日、AcerはDolbyおよび補助参加人Vectisの双方に対し、FRAND条件設定(FRAND rate-setting)を求める反訴(UPC-CFI-1168/2026)を提起し、併せてDolbyに対して特許無効の反訴(UPC-CFI-982/2026)を提起した。原審の法廷指名裁判官(Judge-rapporteur)およびハーグ地方分館合議体(原審決定:2026年7月8日)は、Vectisの補助参加を許可するとともに、Vectisに対するFRAND反訴を適法と認め、さらに「必要な限度で」VectisをDolby側の当事者として追加(UPC手続規則(RoP)305条)する決定を下し、本件決定に対する控訴を許可した。

【控訴人らの申立内容】

DolbyおよびVectisは控訴を提起し、控訴審判決が出されるまでの間、RoP 21条2項(類推適用)、RoP 295条(m)(裁量による手続停止)、ならびにUPC協定(UPCA)74条(1)項およびRoP 223条(対外停止的効力の付与:suspensive effect)に基づき、以下の通り一審手続の停止を申し立てた。

  • 主論的請求:第一審の侵害訴訟、無効反訴、およびFRAND反訴のすべての手続の停止。
  • 予備的請求:DolbyおよびVectisに対するFRAND反訴手続の停止。
  • 再予備的請求:Vectisに対するFRAND反訴手続のみの停止。

2. 判決の主文

控訴審裁判所(Court of Appeal)は、一審手続の停止および対外停止的効力の付与を求めるDolbyおよびVectisの申請をすべて棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: Dolbyによる控訴および停止申請の不服の利益(適格性)
  • 争点2: 控訴の提起に伴う第一審手続停止(RoP 21.2条, RoP 295(m)条)および対外停止的効力(UPCA 74条(1), RoP 223条)の認容要件(例外的事情の有無)
  • 争点3: 原審決定における国際裁判管轄判断および補助参加人に対する反訴・当事者追加に関する「明白な誤り(manifest error)」の有無

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. Dolbyの控訴の不適法性(不服の利益の欠如)

RoP 220条1項およびUPCA 73条(2)項に基づき、控訴を提起できるのは原審の決定により不利益を受けた(敗訴した)当事者に限られる。原審主文はVectisに対する反訴の適法性およびVectisの当事者追加のみを判示しており、Dolbyに対するFRAND反訴の適法性については判断を下していない。したがって、Dolbyは原審決定による不利益を受けておらず、Dolbyの控訴自体が不適法である。これにより、DolbyとAcer間の第一審手続を停止する理由は存在しない。

2. 手続停止および対外停止的効力の法的判断基準(例外的事情の必要性)

RoP 19条6項およびUPCA 74条(1)項の根底にある原則に基づき、第一審手続は原則として控訴の提起によって妨げられることなく進行すべきである(MALA v Nokia事件判例参照)。 控訴審が例外的に手続停止や対外停止的効力を認めるのは、原審決定に「明白な誤り(manifest error)」が存在する場合、あるいは控訴人の現状維持の利益が被控訴人の即時執行利益を明確に上回るなどの「例外的事情(exceptional circumstances)」が存在する場合に限られる。

3. 本件における「明白な誤り」および「例外的事情」の不存在

  • 国際裁判管轄の主張と時期失効:DolbyおよびVectisは、UPCのVectisに対する国際裁判管轄の欠如を主張する。しかし、両者は反訴の送達(2026年3月27日にアクセス可能となった)から1か月以内(RoP 19条1項)に先決的異議(Preliminary objection)を申し立てなかった。したがって、RoP 20条に基づく先決的管轄判断を行う時期は失効しており、管轄権の有無は本案判決において審理されるべき事項となった。原審が国際管轄権の決定を保留したまま反訴の形式的適法性のみを認めた点に、明白な誤りは認められない。
  • 本案審理の重複性:本件控訴の認否にかかわらず、第一審の侵害訴訟においてAcerが主張する「FRAND抗弁」の一環として、VectisとAcer間の交渉経緯やオファー内容は不可避的に審理・判断される。したがって、反訴手続のみを停止する実益は乏しい。
  • 当事者追加・予備的条件付決定の妥当性:原審が「RoP 315.4条により参加人が当事者扱いされないと控訴審が判断した場合に備えて、予備的にRoP 305条に基づき当事者として追加する」とした決定構造は、明確であり矛盾はなく、概観的評価(summary assessment)において破綻している( untenable )とは言えない。

以上の通り、原審決定に明白な誤りはなく、手続を停止すべき例外的事情も認められないため、すべての停止申請および対外停止的効力の付与の申請は棄却された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 先決的異議(Preliminary objection)のタイムライン管理の厳格化

UPC実務において、国際裁判管轄や本案前弁駁(訴訟要件の欠如)を争う場合は、RoP 19条1項に従い「反訴・訴状の送達から1か月以内」に先決的異議を申し立てなければならない。この期間を徒過して提出された異議(本案答弁やその後の主張)はRoP 20条に基づく迅速な即時決定の対象とはならず、本案判決まで判断が持ち越されることとなる。本判決は、この期間制限の厳格性を再確認している。

2. 控訴提起による手続停止・対外停止的効力(Suspensive effect)のハードルの高さ

UPC控訴審は、一審手続の遅延を防ぐため、中間決定に対する控訴があっても第一審の手続を原則として停止させない方針(MALA v Nokia判例の維持)を貫いている。停止が認められるための「明白な誤り(manifest error)」とは、仮説的・概観的審理の段階で直ちに判決が不当と判断できるレベルの重大な瑕疵を指し、複雑な管轄権や実体法上の解釈対立が存在するのみでは「明白な誤り」とは認定されないという実務基準が示されている。

3. 補助参加人(Intervener)に対するFRAND反訴および当事者追加の実務的扱い

パテントプール管理会社等の第三者が訴訟に補助参加した場合、被告から当該参加人に対してFRAND条件設定等の反訴が提起されるリスク、およびRoP 305条に基づく当事者追加の法的論点が審理される可能性が示された。ただし、当事者不服の利益( Standing to appeal )については個別の主文の直接的拘束力に基づき厳格に判断されるため、共同控訴の設計には細心の注意が必要である。

【UPC Court of Appeal / 2026年08月05日】UPC-CoA-118/2026, UPC-CoA-119/2026, UPC-CoA-120/2026 - 補助参加人に対するFRAND反訴の可否及び管轄権を巡る手続停止(R. 21.2 / R. 295 RoP)・停止的効力(R. 223 RoP)申請事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者関係および背景】
原告(控訴人1)Dolby International AB(以下「Dolby」)は、Acer各社(被控訴人、以下「Acer」)に対し、欧州特許(EP 3 079 153)の侵害訴訟を統一特許裁判所(UPC)ハーグ地域支部に提起した。当該特許は、Vectis IP Ltd.(控訴人2、以下「Vectis」)が管理する「Vectis Opus Patent Pool」に含まれるものであり、VectisはDolby側を支援するため補助参加(intervention)を申請した。

【第1審における手続経過】

  • 2026年2月13日:AcerはR. 305.1 RoP(手続規則)に基づき、Vectisを当事者として追加するよう請求。
  • 2026年3月18日:AcerはDolby及びVectisに対しFRANDライセンス料率設定の反訴を提起(併せてDolbyに対し特許無効の反訴を提起)。
  • 2026年5月1日:担当法官(JR)命令において、Vectisの補助参加を認めるとともに、Vectisに対するFRAND反訴を「適法(admissible)」と判断(以下「JR命令」)。
  • 2026年7月8日:ハーグ地域支部合議体(Panel)は、DolbyおよびVectisによるJR命令の合議体審査請求(R. 333 RoP)を棄却。ただし「必要な範囲で(in as far as necessary)」VectisをDolby側の当事者として追加し、控訴を許可した(以下「原決定」)。
  • 2026年7月23日:DolbyおよびVectisは原決定を不服として控訴を提起。

【控訴人の請求内容】
DolbyおよびVectisは控訴審(Court of Appeal)に対し、控訴の判決が出るまでの間、以下を請求した。

  1. 第1審(ハーグ地域支部)の全手続(侵害訴訟、無効反訴、FRAND反訴)の停止(Stay)
  2. (予備的請求)両控訴人に対するFRAND反訴手続の停止
  3. (再予備的請求)Vectisに対するFRAND反訴手続のみの停止
根拠として、R. 21.2 RoP(先行異議に対する控訴に伴う停止)、R. 295(m) RoP(事件管理権限に基づく停止)、およびUPCA 74(1)条 / R. 223 RoP(控訴の停止的効力の付与)を主張した。

2. 判決の主文

DolbyおよびVectisによる第1審手続の停止請求、並びにその他の請求(停止的効力の付与等)をいずれも棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: Dolbyによる控訴の適法性(不利益要件の充足性)
    原決定およびJR命令の主文において、Dolbyに対する不利益な判断が存在しない場合、Dolbyに控訴人適格が認められるか。
  • 争点2: R. 21.2 RoP または R. 295(m) RoP に基づく第1審手続の停止要件
    管轄権や補助参加人に対する反訴の可否を争う控訴において、第1審手続を停止するための「例外的な事情(exceptional circumstances)」または「明白な誤り(manifest error)」が存在するか。
  • 争点3: UPCA 74(1)条および R. 223 RoP に基づく控訴の停止的効力(Suspensive Effect)の付与要件
    原決定の執行・効力を即時に停止すべき特別の必要性が認められるか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. Dolbyによる控訴の不適法性(争点1について)

  • R. 220.1/2 RoPおよびUPCA 73(2)条の定めに照らし、控訴を提起できるのは原審の判断によって「不利益を受けた当事者(adversely affected party)」に限られる。これは当事者の主張・請求が原審で全部または一部棄却されたことを意味する。
  • JR命令の主文は「Vectisに対する反訴を適法と宣言する」とのみ判示しており、Dolbyに対する反訴の適法性について明確な判断を下していない。したがって、Dolbyは原決定によって不利益を受けておらず、Dolbyの控訴自体が不適法(inadmissible)である。よって、DolbyとAcer間の手続を停止する理由はない。

2. R. 21.2 RoP および R. 295(m) RoP に基づく手続停止の不認容(争点2について)

  • 【原則】 先行異議(Preliminary objection)を却下する決定に対して控訴が提起された場合であっても、第1審の手続は不必要に阻害されることなく進行すべきであるという原則(UPCA 74(1)条、R. 19.6 RoP、MALA v Nokia事件判例)が適用される。したがって、控訴審が手続停止を命じるには「例外的な事情(exceptional circumstances)」が存在しなければならない。
  • 【当てはめ】
    • 控訴の認容・棄却にかかわらず、第1審ではAcerのFRAND抗弁、Vectisとの交渉記録、およびDolbyに対するFRAND反訴が不可避的に審理されるため、訴訟不経済等の例外的事情は認められない。
    • 原決定に「明白な誤り(manifest error:直感的に保持不能と判断できる事実誤認や法的誤り)」が存在すれば例外的事情となり得るが、本件原決定は明白な誤りとはいえない。
    • 管轄権に関する主張について:DolbyおよびVectisは、R. 19.1 RoPが定める1か月以内に「先行異議(Preliminary objection)」を正式に申立てておらず、期間が失念・失権している。第1審ハーグ地域支部は国際管轄権そのものを判断したのではなく、反訴の許容性のみを判断したと解されるため、この判断自体に明白な誤りはない。国際管轄の有無は本案判決において審理され得る。
    • Vectisの当事者追加(R. 305 RoP / R. 315.4 RoP)に関する原決定の論理構成についても、本案控訴審で審理すべき事項であり、直ちに破綻しているとはいえない。
  • R. 295(m) RoPに基づく事件管理上の手続停止についても、R. 21.2 RoPと同義の規範が適用されるため、同様に棄却される。

3. UPCA 74(1)条および R. 223 RoP に基づく停止的効力の否定(争点3について)

  • 控訴の停止的効力を認めるには、控訴審の判断が出るまで現状を維持する(原決定の即時効力を回避する)控訴人の利益が、被控訴人の即時執行利益を「例外的に上回る」か否かを量量する必要がある(Xingi v Avient事件判例)。
  • 原決定に明白な誤りが存在しない以上、現状維持の利益が例外的に優先する状況とは認められない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

① 先行異議(Preliminary objection: R. 19 RoP)の手続的厳格性と失権リスク
UPC実務において、裁判所の国際管轄権や手続的適法性を争う場合、R. 19.1 RoPに基づく1か月以内の「先行異議」の申立てが厳格に求められる。本案に対する答弁やその他の主張書面で管轄権の欠如を主張しても、R. 19 RoPに基づく適法な異議とみなされず、R. 20 RoPによる早期裁判の機会を失うリスクがあることが再確認された。

② 決定・判決に対する「不利益(Adverse Effect)」要件の判例法理
控訴提起の要件である「不利益を受けたこと(R. 220.1/2 RoP, Art. 73(2) UPCA)」は、主文(Operative part)において自らに対する不利益な判断が出されていることを要する。実体的に密接に関連する共同当事者(本件におけるパテントプール管理者Vectis)に不利益判断が出されたとしても、自ら(特許権者Dolby)の主文上の不利益が存在しない限り、控訴人適格は否定される。

③ 控訴審における手続停止・停止的効力(R. 21.2 / R. 223 RoP)の極めて高いハードル
UPC控訴審はMALA v Nokia判例等を踏襲し、「第1審手続は原則として停止させずに並行進行させる」姿勢を鮮明にしている。管轄権や当事者追加の適法性という基本的問題が争点であっても、原審決定に「一見して明白な誤り(manifest error)」がない限り、第1審の停止や停止的効力は認められない。実務上、中間不服(訴訟手続に関する決定の控訴)を理由に第1審の審理をストップさせることは極めて困難である点を念頭に置いた訴訟戦略が必要となる。

【UPC CFI (Düsseldorf Local Division) / 2026年08月05日】UPC_CFI_181/2025 (UPC_CFI_497/2025, UPC_CFI_516/2025) - 和解に基づく訴えおよび取消反訴の取下げ許可ならびに裁判所手数料還付決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

当事者:
原告:QIAGEN Sciences, LLC(米国法人)
被告:1. bioMérieux S.A.(フランス法人)、2. bioMérieux Deutschland GmbH(ドイツ法人)

主要な事実経過:
1. 2025年2月28日、原告は被告らに対し、欧州特許(EP 2 726 883)に基づく特許権侵害訴訟をデュッセルドルフ地方分局に提起した。
2. 2025年6月10日、被告らは全者で特許無効を求める取消反訴(Counterclaims for revocation)を提起した。
3. 書面審理手続(written procedure)の終了前である2026年8月3日、両当事者は裁判外の和解(out-of-court settlement agreement)に達した旨を裁判所に報告した。
4. これに伴い、原告は侵害訴訟の取下げを申請し、UPC手続規則(RoP)規則370.9(b)に基づき未消費の裁判所手数料の還付を請求した。被告らは取下げに同意し、訴訟費用決定(cost decision)を求めない旨を回答した。
5. 被告らも同様に、取消反訴の取下げ許可、本訴手続の終了宣言、および未消費の裁判所手数料の還付を請求し、原告もこれに同意して費用決定を求めない旨を表明した。

2. 判決の主文

1. 原告の申請および被告らの同意に基づき、侵害訴訟の取下げを許可する。
2. 被告らの申請および原告の同意に基づき、取消反訴の取下げを許可する。
3. 2026年9月3日に予定されていた口頭弁論期日を取り消す。
4. 本件訴訟手続の終了を宣言する。
5. 本決定を登録簿(register)に記載する。
6. 訴訟費用に関する決定(cost decision)は要しない。
7. 裁判所書記官に対し、原告が侵害訴訟に関して支払った裁判所手数料の50%に当たる7,500ユーロを速やかに還付するよう命じる。
8. 被告らが取消反訴に関して支払った裁判所手数料の50%に当たる合計15,000ユーロを速やかに還付するよう命じる。
9. 侵害訴訟および取消反訴の訴訟物価額(value in dispute)をそれぞれ1,000,000ユーロと定める。

3. 主な争点

  • 争点1: 裁判外和解に伴う本訴および取消反訴の取下げ許可と訴訟費用決定(cost decision)の要否
  • 争点2: UPC手続規則(RoP)規則370.9(b)(i)および370.11に基づく裁判所手数料(Court fees)の50%還付要件の充足性

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 取下げの許可および訴訟費用決定の不要性について
裁判所は、当事者双方が合意した意思表示に従って判断を下した。
RoP規則265.2(c)は訴えの取下げに際して第1部第5章に基づく費用決定を行う旨を定めているが、当事者双方が各自の費用を自ら負担(each party shall bear its own costs)し、独立した費用決定手続を求めない旨を明示して合意している本件においては、費用決定を行う必要はない(UPC控訴審決定 UPC_CoA_569/2024 - DexCom v. Abbott を踏襲)。

2. 裁判所手数料の還付について
RoP規則370.9(b)(i)に従い、書面審理手続が終了する前に訴えが取り下げられた場合、固定手数料および価額ベースの手数料(fixed and value-based fees)の50%が還付され得る。
さらに、RoP規則370.11に基づき、裁判所が還付を「適切(appropriate)」と認める場合、遅滞なく還付申請を処理しなければならない。本件においては、当事者が早期段階で訴えを取り下げたことにより口頭弁論の準備作業の大部分を省くことができたため、50%の還付要件を満たし、かつ適切であると認めた。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 和解時における費用決定手続の省略(DexCom原則の定着)
UPC手続においては、取下げ時に裁判所による費用決定(cost decision)が原則必要とされるが、当事者間で「各自の費用は各自で負担する」旨の和解合意がなされ、別個の費用決定手続を放棄する旨を明確に通知した場合は、裁判所は費用決定を省略できる。実務上、和解条項および裁判所への通知文言にこの旨を明記しておくことが重要である。

2. 書面審理終了前の取下げによる裁判所手数料(50%)の確実な回収
UPC手続規則(RoP 370.9(b)(i))に基づく裁判所手数料の還付インセンティブが機能した事例である。書面審理期日(closure of the written procedure)前に和解・取下げを行うことで、裁判所の負担軽減と引き換えに訴訟費用(手数料)の半額還付を受けることができるため、訴訟戦略・和解交渉のタイミングを測る上で実務上極めて重要なタイムラインとなる。

【UPC Court of Appeal / 2026年08月05日】UPC-CoA-118/2026 (UPC-CoA-119/2026, UPC-CoA-120/2026) - 参加人に対するFRAND反訴の許容性等を巡る第一審手続停止および停止効果申請棄却決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、統一特許裁判所(UPC)控訴審(Court of Appeal)において、控訴人(第一審原告Dolbyおよび原審補助参加人Vectis)が、第一審(ハーグ地域分室)で進行中の特許侵害・無効反訴・FRAND料率設定反訴手続の停止(Stay)、または控訴の停止効果(Suspensive effect)を求めた申立手続である。

【事実経過】

  • 特許侵害訴訟の提起: Dolby International AB(以下「Dolby」)は、欧州特許(EP 3 079 153)に基づき、Acer各社(以下「Acer」)に対し、ハーグ地域分室(LD The Hague)に特許侵害訴訟を提起した。
  • 補助参加と当事者追加請求: 本特許はVectis IP Ltd.(以下「Vectis」)が管理するパテントプールに含まれており、VectisはDolbyを補助するため補助参加(Intervention)手続を行った。これに対しAcerは、UPC手続規則(RoP)305.1条に基づき、Vectisの当事者追加を請求した。
  • 反訴の提起: Acerは、DolbyおよびVectisに対してFRAND料率設定の反訴(Counterclaim for FRAND rate-setting)を、Dolbyに対して特許無効の反訴(Counterclaim for revocation)を提起した(DolbyおよびVectisは2026年3月27日に電子アクセスを取得)。
  • 第一審担当法官決定(JR Order)および合議体決定(Impugned Order):
    • 2026年5月1日、担当法官(Judge-Rapporteur)はVectisの補助参加を認めるとともに、Vectisに対するFRAND反訴を適法(admissible)と宣言した(JR Order)。
    • DolbyおよびVectisはRoP 333条に基づき合議体審査(Panel Review)を申請したが、ハーグ地域分室合議体は2026年7月8日、同申請を棄却し、「必要な限度において」VectisをDolby側の当事者として追加決定した上で、控訴権(leave to appeal)を付与した(Impugned Order)。
  • 控訴および手続停止の申請: 2026年7月23日、DolbyおよびVectisは本件決定を不服として控訴を提起し、控訴審判決が言い渡されるまでの間、第一審手続全体の停止(主請求:RoP 21.2条 / RoP 295(m)条)、またはFRAND反訴手続の停止(予備的請求)、あるいは控訴の停止効果付与(更なる予備的請求:UPCA 74条(1)項、RoP 223条)を申請した。

2. 判決の主文

DolbyおよびVectisによる第一審手続の停止請求(訴訟手続停止申請)およびその他の申請(停止効果付与申請等)をいずれも棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: 主当事者(Dolby)による控訴の適法性(不服の利益・当事者適格の有無)
  • 争点2: 先決的異議(Preliminary Objection)却下等を理由とする第一審手続停止(RoP 21.2条 / RoP 295(m)条)の認容要件および「明白な誤り(Manifest Error)」の有無
  • 争点3: 先決的異議の提出期限(RoP 19.1条)の失念による管轄判断の時期への影響
  • 争点4: 控訴審における停止効果(Suspensive Effect: UPCA 74条(1)項, RoP 223条)付与の要件

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. Dolbyの控訴の不適法性について(争点1)

  • RoP 220.1条およびUPCA 73条(2)項に基づき、控訴を提起できるのは原審決定によって不利益を受けた当事者(party adversely affected)に限られる。
  • 原審主文(JR OrderおよびImpugned Order)は、Vectisに対する反訴の許容性を宣言したものであり、Dolbyに対する反訴の許容性に関してDolbyに不利益な裁判を行っていない。訴訟経済や法理的明確性を理由にDolbyが控訴手続に加わることは認められず、Dolbyの控訴は不適法(inadmissible)である。したがって、DolbyとAcer間の第一審手続を停止する事由自体が存在しない。

2. RoP 21.2条およびRoP 295(m)条に基づく第一審手続停止の可否(争点2・争点3)

  • 原則: 先決的異議(Preliminary objection)を却下する決定に対して控訴が提起された場合であっても、第一審手続は原則として停止されない(RoP 19.6条、UPCA 74条(1)項に基づく「第一審手続の不中断・迅速進行の原則」、判例 MALA v Nokia [UPC-CoA-227/2024] 参照)。
  • 例外要件: 手続停止が認められるのは、訴訟の進行状況や当事者の利害関係等を考慮し、「例外的な事情(exceptional circumstances)」が存在する場合に限られる。原審決定に「明白な誤り(manifest error)」――すなわち概要的審査(summary assessment)のみで判断・事実認定が失当であることが判明するような場合――が存在するときは、停止が考慮され得る。
  • 本件への当てはめ(明白な誤りの否定):
    • Vectisらの国際管轄異議に対し、原審は「1ヶ月の不変期間内に先決的異議(RoP 19.1条)が提出されなかった」と判断している。反訴へのアクセス(2026年3月27日)から1ヶ月以上経過した後に提出された答弁書(6月17日)等での管轄異議は、RoP 19.1条の期間を遵守していない。したがって、原審が国際管轄の有無についての即日判断を避け、本案判決(final decision)へ繰り延べた(RoP 20条手続を適用しなかった)ことに明白な誤りはない。
    • Vectisが参加人(Intervener)としてRoP 315.4条に基づき当事者扱いされることによる反訴の許容性、およびRoP 305条に基づく予備的当事者追加の成否等の実体論は、控訴審の本体審理(merits)で審理されるべき問題であり、現時点で原審の判断が「明白に誤っている」とは言えない。
    • さらに、控訴審の結論にかかわらず、第一審ではAcerのFRAND抗弁やライセンス交渉経過の審理が必然的に進行するため、第一審全体を停止すべき例外的事情も存在しない。

3. UPCA 74条(1)項およびRoP 223条に基づく停止効果(Suspensive Effect)の要件(争点4)

  • 停止効果を命じるためには、控訴審判決に至るまで現状維持(status quo)を図る控訴人の利益が、原審決定の即時執行(第一審の継続)を求める被控訴人の利益を「例外的に上回る」ことが必要である(判例 Xinji v Avient [UPC-CoA-76/2026] 参照)。
  • 原審決定に明白な誤りが存しない以上、停止効果を付与すべき例外的事情は認められない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

① 管轄異議・許容性異議(Preliminary Objection)の厳格な期間制限(RoP 19.1条)

本判決は、管轄(国際管轄含む)や手続的許容性に異議を唱える場合、訴状・反訴状へのアクセスから1ヶ月以内にRoP 19.1条の「先決的異議(Preliminary Objection)」を提出することが決定的に重要であることを示している。この期間を失念し、本案答弁書(Response)等で管轄異議を訴えても、RoP 20条に基づく先決判決手続(迅速な管轄判断)の権利を喪失し、管轄の判断が第一審の本案判決(Final decision)まで持ち越されるリスクを負う。

② 第一審手続不中断の原則と手続停止(Stay)の極めて高いハードル

UPC控訴審は、第一審手続の遅延を防止するため、控訴提起に伴う手続停止(RoP 21.2条 / RoP 295(m)条)および停止効果(RoP 223条)の付与について一貫して極めて慎重・厳格な姿勢をとっている(MALA v Nokia 基準の再確認)。「原審決定の明白な誤り(manifest error)」がない限り、管轄や当事者適格に争いがあっても第一審審理は並行して進行するため、当事者は控訴手続と第一審手続の二重対応(訴訟コスト・リソース)を余儀なくされる実務構造を留意すべきである。

③ パテントプール管理者・補助参加人(Intervener)に対するFRAND反訴の提起

特許権者(Dolby)の訴訟にパテントプール管理者(Vectis)が補助参加した場合に、被告(Acer)が当該参加人に対して直接FRAND料率設定の反訴を提起できるか、またRoP 305条/315.4条に基づく当事者追加の限界については、実体審理での判断が注目される重要論点である。しかし本決定により、「参加人に対する反訴の許容性に重大な疑義がある」との主張のみでは、第一審手続を即座にストップさせる理由にはならないことが明確にされた。

④ 控訴権者としての不服の利益(Party Adversely Affected)の厳格な適用

原審の決定主文において直接的に不利益な判断を受けていない主当事者(Dolby)は、共同当事者や補助参加人(Vectis)に対する判断を理由に控訴を提起することはできない(RoP 220.1条、UPCA 73条(2)項)。訴訟経済等の観点から共同控訴を試みても不適法却下となるため、控訴提起時の当事者適格の精査が必須となる。

【UPC (Lokalkammer Düsseldorf) / 2026年08月04日】UPC_CFI_1536/2026 - 査察・証拠保全手続における当事者間和解の裁判所確認および和解内容の秘密保持決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、統一特許裁判所(UPC)デュッセルドルフ地方裁判所において、特許権者である申請人(OTEC Präzisionsfinish GmbH)が、被申請人(ANCA Europe GmbH)による欧州特許第2 983 864号(EP 2 983 864 B1)の侵害を主張し、本案訴訟(Hauptsacheklage)の提起に先立ち査察および証拠保全手続を申し立てた事案である。

  • 事実経過: 申請人は2026年5月4日、展示会における査察および証拠保全命令(UPC手手続規則(RoP)192条等に基づく)を申請。同裁判所は同年5月6日に命令を発令し、翌5月7日、展示会「GrindingHub」(シュトゥットガルト)の被申請人ブースにて執行された。
  • 専門家報告書と開示: 裁判所選任専門家が2026年6月16日に作成した詳細な商品説明書(ausführliche Beschreibung)につき、裁判長(報告裁判官)は被申請人に異議申し立ての機会を与えたが、被申請人は「本案訴訟のみでの使用・第三者開示禁止」という限定条件の下、申請人への開示に異議を唱えない旨を回答した。
  • 和解の成立と申請: 2026年8月3日、両当事者は訴訟外で和解(Vergleich)が成立した旨を告知し、RoP 365条1項2文に基づき、裁判所に対して当該和解の裁判上の確認(Bestätigung des Vergleichs)および和解条項の秘密保持等を求める共同申請を行った。

2. 判決の主文

裁判所(Spruchkörper 1 der Lokalkammer Düsseldorf)は以下の通り決定した。

  1. 当事者の申請に基づき、RoP 365条1項2文に従い、当事者間で合意された和解(Vergleich)が成立したことを確認する。
  2. 本決定は担保を提供することなく仮執行することができる。
  3. 手続 UPC_CFI_1536/2026 は終了したことを確定する。
  4. 費用は和解条項に従い負担される。
  5. 和解の詳細内容は秘密として取り扱わなければならない(RoP 365条2項)。
  6. 和解契約書は、マスキング(黒塗り)された改訂版(geschwärzte Fassung)のみが登記簿(Register)に登録・公開される。

3. 主な争点

  • 争点1: UPC手続規則(RoP)365条1項2文に基づく当事者間和解の裁判所確認および債務名義化の要件
  • 争点2: 和解内容に関する秘密保持命令(RoP 365条2項)および公開登記簿におけるマスキング処理(Redaction)の可否と範囲

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

裁判所は以下の法理・ロジックに基づき、両当事者の申請を認容した。

(1) 和解の裁判所確認および執行力(RoP 365条1項2文)

RoP 365条1項2文に基づき、当事者双方から申請があった場合、裁判所は当事者間で締結された和解を確認する決定を下す。当該裁判所の確認決定は、UPC協定(UPCA)および手続規則上、確定判決(Endentscheidung)と同等の法的効力を有し、相手方に対して直接強制執行(vollstreckbar)が可能となる債務名義を形成する。訴訟費用についても当事者間の合意に従う。

(2) 和解内容の秘密保持および登記簿へのアクセス制限(RoP 365条2項、RoP 262条)

RoP 365条2項に基づき、裁判所は和解の具体的条項・詳細を秘密(vertraulich)として扱うよう命じることができる。
第三者による裁判文書閲覧請求(RoP 262条1項(b))に対する手続(RoP 262条2項に基づく決定)が行われるまでの間であっても、当事者の事業上・競争上の秘密保持利益(Vertraulichkeitsinteressen)は十分に保護されるべきである。
したがって、裁判所による秘密保持命令を出すとともに、公衆がアクセス可能な裁判所登記簿(Register)には、和解契約の「マスキング(黒塗り)版」のみを登録・掲載することが認められる。この運用は、UPC控訴審(Court of Appeal)の定着した判例法理(UPC_CoA_120/2025, 2025年6月3日決定「Tandem Diabetes v. Roche」UPC_CoA_46/2025, 2025年6月23日決定「Arkyne v. Plant-e」)に依拠するものである。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 本案前証拠保全手続(Saisie-contrefaçon)における和解解決の実務化: 本案訴訟の提起前であっても、査察(Inspektion)命令の執行および専門家報告書の提出を経た段階で当事者間の交渉により早期和解に至ることが可能であり、RoP 365条を利用して執行力のある決定を得られることが明確に示された。
  • UPCにおける公開原則と和解の秘密保持の調和: UPCでは裁判文書の原則公開(RoP 262条)が掲げられているが、当事者の合意による和解内容(特にライセンス料、解決金等の金銭的条件や製品変更約束等)については、RoP 365条2項および黒塗り版(Redacted version)の登記により厳格に秘密が保護される。代理人としては和解の裁判所確認を申請する際、必ず秘密保持命令および黒塗り版の登記申請をセットで行うべきである。

【UPC Court of Appeal / 2026年08月04日】UPC-CoA-121/2026 - 費用決定に対する控訴許可申請および執行停止申請に関する決定(Academy of Military Medical Sciences v. Gilead Sciences, Inc.)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

第一審(UPC中央部ミラノ分室:CD Milan)における特許(EP 3 854 403)取消訴訟(UPC_CFI_552/2025)において、CD Milanは特許を全面的に取り消すとともに、当事者間で合意された第一審の回収可能費用(800,000ユーロ)全額を被告兼特許権者であるAcademy of Military Medical Sciences(以下「AMMS」)が負担すべき旨の決定を下した(2026年5月4日)。
原告であるGilead Sciences, Inc.(以下「Gilead」)は、上記費用800,000ユーロの4週間以内の支払いを求める費用決定申請(UPC-CFI-1968/2026)を提出した。これに対しAMMSは、取消判決に対する控訴審決定が確定するまでの費用手続きの停止(stay)、または分割払いを求めた(根拠:UPCA 74条2項、RoP 295条(c)(m)、RoP 156.3条)。
CD Milanは2026年7月10日、UPCA 74条2項に基づく自動的停止効果(automatic suspensive effect)は取消訴訟本案決定に限定され従属的な費用決定には及ばないと判示し、AMMSに対し4週間以内の費用支払いを命じた(原決定)。
AMMSは原決定を不服とし、UPC控訴審(Court of Appeal)に対し、費用決定に対する控訴許可(Leave to appeal:RoP 157条、221条)および決定確定までの執行停止/停止的効果(Suspensive effect:RoP 223条)を申請した。

2. 判決の主文

(i) 控訴許可(Leave to appeal)を与える。
(ii) 執行停止(Suspensive effect)の申請を棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: 控訴許可の要件(UPCA 74条2項の自動的停止効果が従属する訴訟費用確定決定に及ぶかという論点の新規性・重要性)
  • 争点2: 控訴審における執行停止(停止的効果:RoP 223条)の認容要件および「例外的事情(exceptional circumstances)」の立証の有無

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 控訴許可(Leave to appeal)について
UPCA 74条2項は取消訴訟等の決定に対する控訴に自動的停止効果を認めているが、この自動的停止効果が取消決定に付随・関連する「訴訟費用決定(cost decision)」にまで及ぶか否かという問題は、UPC控訴審において未だ判例が確立していない未解決の法解釈論点である。したがって、本件について控訴許可を与えることが適当である。

2. 執行停止申請(Application for suspensive effect)について
UPCA 74条1項本文の原則通り、控訴の提起は原則として停止的効果(執行停止)を有しない。RoP 223条2項に基づき、申請者(AMMS)には停止的効果を認めるべき理由および事実・証拠の主張立証責任がある。
控訴審が原則を解除して例外的に執行停止を認めるのは、控訴審決定まで現状維持(status quo)を図る申請者の利益が、相手方の利益を例外的に上回る「例外的事情(exceptional circumstances)」が存在する場合に限られる(例:原決定が明白に誤っている場合、あるいは停止的効果を与えなければ控訴自体が形骸化・無意味化する場合:Sibio v Abbott, Suinno v Microsoft 等の判例参照)。
本件において、AMMSは単に原決定の不当性や控訴提起理由を繰り返すのみで、費用支払いを直ちに命じられることによって生じる不可逆的な損害などの「例外的事情」を何ら主張・立証していない。原決定の不当性自体は控訴審の本案において審理されるべき事柄であり、直ちに執行停止を正当化する理由にはならない。したがって、執行停止の申請は棄却される。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. UPCA 74条2項(自動的停止効果)の適用範囲に関する実務上の問題提起
特許取消判決に対する控訴における自動的停止効果が、本案のみならず従属する費用確定手続き・費用支払命令にまで及ぶのか否かという重要論点について、控訴審が本案で判断を示す姿勢を明確にした点に実務上の意義がある。

2. UPCにおける執行停止(Suspensive effect)の高度なハードルと実務上の留意点
本判決は、UPC控訴審における「非停止原則(UPCA 74(1)条)」の厳格運用を再確認している。原決定に対する不服理由(本案の勝訴蓋然性)を主張するだけでは足りず、金銭給付命令であっても「控訴審決定を待たずに支払うことで回復不能な損害が生じる」といった「例外的事情(exceptional circumstances)」を具体的証拠とともに立証しない限り、執行停止(RoP 223条)は認められない。控訴審実務において、控訴許可申請と執行停止申請の双方を行う場合、申立理由の厳密な使い分けと立証戦略が不可欠である。

【UPC控訴審 / 2026年08月03日】UPC-CoA-692/2025, UPC-CoA-854/2025 - 特許権侵害訴訟及び無効反訴の双訴における裁判外和解に伴う控訴取下げおよび手続終了決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者である原告(Nera Innovations Ltd.)と、被告ら(Xiaomi関連法人4社)との間における欧州特許(EP 2 642 632)の侵害訴訟および無効反訴に関する控訴審手続である。

  • 原審の経過:ハンブルク地方裁判部(Lokalkammer Hamburg)は、2025年7月10日判決(UPC-CFI-173/2024, UPC-CFI-424/2024)において、原告の特許権侵害請求を棄却し、被告らの無効反訴を一部認め、特許を補助請求1および2の範囲(請求項1)を超える部分について無効とした。
  • 控訴の提起:原告は侵害請求棄却に対して控訴を提起し(UPC-CoA-692/2025)、被告らは無効反訴の決定に対して控訴を提起した(UPC-CoA-854/2025)。
  • 取下げの申請:控訴審の審理手続中、両当事者は裁判外での和解(außergerichtliche Einigung)に達した。これに伴い、両当事者はそれぞれ控訴の取下げ(Rücknahme der Berufung)を裁判所に申請し、相手方の取下げ申請に同意するとともに、訴訟費用についての決定を命じないよう求めた。

2. 判決の主文

I. 控訴の取下げを許可する。
II. 手続の終了を宣言する。
III. 本決定を登録簿に記録する。

3. 主な争点

  • 争点1: UPC手続規則(RoP)第265条に基づく控訴取下げ申請の可否及び許容性
  • 争点2: 当事者間の費用不請求合意が存在する場合における訴訟費用決定(RoP 265.2(c)条)の要否

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

裁判所(Spruchkörper 3:Ulrike Voß裁判長)は、以下の論理に基づき手続の終了を決定した。

  1. 控訴取下げの規範と適用(RoP 265条の準用):
    統一特許裁判所手続規則(Rules of Procedure: RoP)第265条1項(R. 265.1 VerfO)は、訴訟の終局判決が言い渡される前であれば原告が訴えを取り下げることができる旨を規定している。確立した裁判例(UPC-CoA-895/2026, UPC-CoA-896/2025 'Black Sheep/HL Display')に従い、同条項は控訴審における控訴の取下げ手続にも同様に適用される。
  2. 相手方の同意および不利益の不在:
    控訴人による取下げ申請に対し、被控訴人が同意を与えており、取下げを認めないこととする被控訴人側の正当な利益(対立する利益)は認められない。双方が裁判外和解の成立を報告していることから、控訴取下げの要件を満たすと判断された。
  3. 訴訟費用負担決定の不要件:
    RoP 265.2(c)条は取下げに際して費用負担決定を行う旨を定めているが、本件においては双方が裁判外和解に基づき「費用申立てを行わない(keine Kostenanträge stellen)」ことで合意し、これを合意内容として表明している。したがって、裁判所が新たな費用負担決定を行う必要はないと判示された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • RoP 265条の控訴審への準用実務の定着:
    本決定は、訴えの取下げ(Withdrawal)に関するRoP 265条が控訴審における控訴取下げにも同様に適用されるという裁判例(Black Sheep事件等)の射程を再確認するものである。
  • 裁判外和解における費用条項の実務処理:
    UPC手続において裁判外和解(Out-of-court settlement)に伴い双訴・控訴を取り下げる場合、単に取下げ申請を行うだけでなく、当事者双方で「費用負担決定を求めない(no order as to costs / keine Kostenanträge)」旨を明確に合意して裁判所に提出することで、RoP 265.2(c)条に基づく補足的な費用決定(Cost decision)の手続を省略させ、迅速かつ確実に手続を終結(Terminated)させることができる。実務上の和解書面および申請書面の作成において極めて重要な示唆を与える判例的確認である。

【UPC Court of Appeal / 2026年08月03日】UPC-CoA-28/2026 - 差止命令取消に伴う違反金命令の遡及的失効及び執行手続における訴訟物価額・費用負担判断

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
・控訴人(第一審被告):Kodak Holding GmbH ほか2名(以下「Kodak」)
・被控訴人(第一審原告):富士フイルム株式会社(以下「富士フイルム」)
・対象特許:EP 3 511 174

【経過及び請求の骨子】
1. 第一審決定と執行手続: 統一特許裁判所(UPC)マンハイム地方支部は、本案訴訟(UPC-CFI-365/2023)において富士フイルムの請求を認め、Kodakに対し差止命令等を言い渡した。富士フイルムによる仮執行・執行手続において、同地方支部はKodakによる命令不遵守を理由に、172万ユーロの違反金(Penalty)の支払を命じる決定(2026年1月20日及び30日命令、以下「本件違反金決定」)を発した。
2. 本件控訴の提起: Kodakは本件違反金決定を不服として控訴を提起し(UPC-CoA-28/2026)、同決定の取消、既払違反金の返還、並びに第一審及び控訴審の費用負担を求めた。
3. 本案控訴審判決の確定: 本件執行控訴審の繋属中、UPC控訴審は本案訴訟の控訴審判決(UPC_CoA_312/2025等)において、Kodakの私的先使用権(private prior use right)を認め、第一審判決を取り消して富士フイルムの侵害請求を全棄却した。
4. 当事者の主張の対立: 本案原判決の取消を受け、本件違反金決定の法的根拠が消滅したこと自体には争いがなくなったものの、①既に納付された違反金の返還の可否、②本件執行手続の訴訟物価額(Value of the proceedings)の算定、及び③執行手続費用の負担割合(Kodakの不誠実な対応を理由とする費用分担の要否)を巡り争われた。

2. 判決の主文

1. 原審決定(マンハイム地方支部2026年1月20日及び30日命令)を取り消す。
2. 本件執行手続の訴訟物価額を100万ユーロ(1,000,000 EUR)と定める。
3. 富士フイルムに対し、Kodakが要した本件執行手続の合理的かつ比例的な弁護士費用及びその他の費用を負担するよう命じる。
4. 既に支払われた違反金をKodakへ返還することを命じる。
5. その余の請求を棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: 本案判決の取消に伴う本件違反金決定の効力(遡及効の有無及び既払違反金の返還義務)
  • 争点2: 執行手続の控訴審における訴訟物価額(Value of the proceedings)の算定基準(RoP 370.6条の解釈)
  • 争点3: 本案逆転敗訴時における執行手続費用の負担原則及び相手方の不遵守・遅延行為の考慮可否(UPCA 69条)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 争点1について:本案判決取消による違反金決定の遡及的無効
UPCA 75条(1)項及びRoP 242.1条に基づく第一審決定の取消は、原則として遡及効(retroactive effect)を有する。本案控訴審判決により取り消された第一審決定は、「最初から法的効力を有しなかったもの(never having had any legal effect)」とみなされる。
したがって、仮執行可能な差止命令に基づく違反金支払命令は、取消前の違反行為に対するものであっても法的根拠を遡及的に失う(Nanostring事件命令 UPC-CoA-470/2023 の法理を本案判決取消の場合にも適用)。よって、本件違反金決定を取り消し、既に支払われた違反金は全額Kodakへ返還されなければならない。

2. 争点2について:控訴審における訴訟物価額の確定
RoP 370.6条の解釈上、手続の訴訟物価額は「訴えを提起した当事者(filing party)が提起時に追求していた客観的利益」に基づいて算定される。

  • 被告(Kodak)から控訴が提起された場合であっても、算定基準となるのは第一審原告(富士フイルム)が受ける客観的利益であり、被告の決定取消に対する利益に移動するわけではない。
  • 強制決定された違反金(172万ユーロ)そのものは裁判所に帰属する制裁的・強制的性格の金銭であり、原告の利益を直接表すものではない。原告の利益とは、違反金によって履行が促進される「原判決に基づく義務の適正な履行に対する利益」である。
  • 本案における差止等の全訴訟物価額(400万ユーロ)のうち、附帯的命令の履行利益(25%に相当する100万ユーロ)という富士フイルムの主張を妥当と認め、本手続の訴訟物価額を100万ユーロと確定した。

3. 争点3について:訴訟費用の負担及び相手方の態度の考慮
UPCA 69条(1)項の原則に基づき、本案訴訟で最終的に敗訴した富士フイルムが「敗訴当事者(unsuccessful party)」となり、勝訴当事者であるKodakの合理的な手続費用を全額負担すべきである。

  • 富士フイルムは「Kodakが執行手続を不当に遅延・挫折させたため、費用は各自負担とすべき(UPCA 69条(3)項)」と主張した。しかし、第一審決定が遡及的に無効となった以上、存在しなかった命令への不遵守や履行遅滞を評価する法的根拠は存在しない。義務自体が存在しなかった以上、「履行が遅れた」「不十分であった」と非難することはできない。
  • 確定前の裁判を執行することは、RoP 354.2条の解釈上、執行を試みる当事者(富士フイルム)が自ら負うべきリスク(at its own risk)である。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 確定前仮執行のリスクの明確化: UPC実務において、確定前の第一審判決に基づいて仮執行・違反金強制手続を推し進めるリスクが極めて高いことが再確認された。本案控訴審で判決が覆った場合、獲得した違反金命令は遡及的に無効となり返還義務を負うだけでなく、相手方が執行手続に要した弁護士費用等の全額を補償しなければならない。
  • 違反金(Penalty)決定の法的性質と返還義務: 違反金は裁判所に支払われる制裁金的性質を持つものの、基礎となる差止命令が取り消された場合は遡及的に法的根拠を喪失し、強制徴収済みであっても被執行者に全額返還されるべきという完全な遡及効(ex tunc)が定着した。
  • 訴訟物価額(RoP 370.6条)の算定実務: 控訴人が被告であっても、物価額の算定根拠は「原告の客観的利益」に固着すること、また違反金金額=訴訟物価額とはならず、「原告の履行利益」を客観的に評価して決定されることが明確に示された(弁護士費用の認容上限額の算定において極めて重要な指標となる)。

【UPC Lokalkammer München / 2026年8月03日】UPC_CFI_675/2025, UPC_CFI_1340/2025 - 家具用ヒンジ特許に関する侵害訴訟および無効反訴の中間審理後手続命令

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

当事者:原告(Julius Blum GmbH・オーストリア) vs 被告(Arturo Salice S.p.A.・イタリア)
対象特許:EP 3 392 438(家具用ヒンジに関する特許)
管轄地域:オーストリア、ドイツ、イタリア、スロベニア

事実経過および請求内容: 原告Blumは、被告Saliceがオーストリア、ドイツ、イタリアおよびスロベニアにおいて対象特許の請求項1, 2, 3, 4, 5, 16を侵害しているとして、2025年7月28日に侵害訴訟(本訴)を提起した。これに対し被告Saliceは、侵害を争うとともに答弁書において当該対象特許の上記請求項全般の無効を求める無効反訴(Nichtigkeitswiderklage)を提起した。原告は無効反訴に対抗するため、7つの予備的請求(Hilfsanträge: HA1〜HA7)を提出して特許を維持する姿勢を示した。
裁判部(Spruchkörper)は本訴と無効反訴を併合して審理することを決定し、書面審理が2026年4月28日に終了した後、2026年7月31日にビデオ会議にて中間審理(Zwischenanhörung)を実施した。本件命令は、当該中間審理を経て報告裁判官(Berichterstatter)であるMatthias Zigann裁判長により発せられた手続命令(R 105.5 VerfO)である。

2. 判決の主文

裁判所の命じた決定(手続命令の主文):

  • 口頭弁論期日:2026年10月1日午前9時(ミュンヘン)に実施することを確定し、当事者を呼び出す。
  • 書面提出期日:原告は本指示事項に対応する追加準備書面を2026年8月14日までに提出でき、被告はこれに対する弁駁書面を2026年8月28日までに提出できる。
  • 準備書面の制限:各書面の提出上限は10ページ(従来フォーマット)とする。
  • 口頭弁論用資料:プレゼンテーション資料および出席者リスト(役職明記)を2026年9月24日までに裁判所および相手方に送付すること。
  • 遅延主張の取扱い:これまでに双方から提出されCMS(事件管理システム)上にある全ての弁論・主張の提出を全面的に許可(認容)する。
  • 訴額の決定:本訴の訴額を330万ユーロ、無効反訴の訴額を495万ユーロとし、全体訴額(Gesamtstreitwert)を825万ユーロに確定する。

3. 主な争点

  • 争点1: 訴額(Streitwert)の算定基準と1.5倍ルールの適用
  • 争点2: 期限後に提出された主張・事実(verspäteter Vortrag)の許容性
  • 争点3: クレーム解釈および進歩性判断におけるアプローチ(EPO手法 vs. UPC控訴裁判所手法)
  • 争点4: 訴訟費用に関する当事者間での中間和解の有効性
  • 争点5: 言語・通訳費用の負担(審理言語と当事者通訳)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

裁判所(報告裁判官)は、中間審理における議論を踏まえ、以下のロジックに基づき手続上の判断および定立を行った。

1. 訴額算定および費用合意(1.5倍ルールの原則適用):
本訴の訴額330万ユーロに対し、無効反訴の訴額算定においては実務上の原則である「1.5倍ルール(1.5-Regel)」を適用し、495万ユーロ(合計825万ユーロ)と算定した。被告は反訴訴額を同額の330万ユーロと主張したが、1.5倍ルールを不適用とするに足る具体的な事由の主張立証がなされなかったため、原則通り確定された。なお、当事者間で成立した「勝訴当事者に対する定額代理人費用弁済額を48万ユーロとする」中間和解(Zwischenvergleich)についてはこれを尊重した。

2. 時機に遅れた攻撃防御方法の許容(一括承認のロジック):
期限外に提出された弁論(verspäteter Vortrag)の扱いについて、裁判所は「個別に精査して採否を選択する(区分的検討)のではなく、全却下か全許容かの二者択一をとる」方針を示した。双方当事者がCMS上に存在する全弁論の許容に同意したため、裁判所はこれら全ての遅延主張を一括して訴訟資料として承認した。

3. クレーム解釈と進歩性アプローチの指示:
クレーム解釈にあたっては、明細書の先行技術記載を踏まえ、すべての実施例をカバーしかつ新規性・進歩性を維持できる解釈を模索すべきとした。具体的には「gesondert ausgebildet(別体に形成された)」と「nicht verbunden(結合されていない)」という用語の違いが特許性の要となると指摘し、原告に対し予備的請求4(HA4)を第一順位に繰り上げる検討を促した。
特に進歩性の主張立証について、被告が従来用いてきた欧州特許庁(EPO)の「課題解決アプローチ(Problem-Solution Approach)」による主張を批判し、UPC控訴裁判所(Court of Appeal)が採用する「ホリスティック・アプローチ(holistische Betrachtung / 全体論的アプローチ)」に沿って主張を再構成するよう指示した。

4. 証拠調及び通訳の要否:
公然実施(offenkundige Vorbenutzung)に関する証人尋問については、原告が不服を申し立てず争いのない事実(unstreitig)としたため、証人喚問は不要と判断した。また、被告のイタリア人参加者のためのドイツ語からイタリア語への同時通訳申請に対し、裁判所は自費負担での通訳手配(R 109)の原則に言及し、費用負担に関する立場を確定させるよう促した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. UPCにおける「1.5倍ルール」の定着と実務対応:
本判示は、侵害訴訟に付随する無効反訴の訴額算定において「1.5倍ルール」が強力な標準的運用となっていることを示している。反訴の訴額を本訴と同額以下に抑えようとする場合、当事者は明確かつ合理的な主張立証を行わなければ原則が適用される。

2. EPO実務(課題解決アプローチ)とUPC控訴審(ホリスティック・アプローチ)の明確な差異:
UPCの実務において非常に重要な判示である。EPOでの無効判断のデファクトスタンダードである「Problem-Solution Approach」に対し、UPC控訴裁判所は独自の「Holistic Approach」を指向している。本命令は、UPC訴訟においてEPOの枠組みに終始した書面を提出するリスクを警告しており、代理人はUPC控訴審の最新判例に適合した進歩性論理(全体論的な評価)を構築する必要がある。

3. 中間審理(Zwischenanhörung)における裁判官の手続裁量とタイムライン管理:
遅延主張の一括承認(CMS上の全弁論受容)や、各10ページという格段に厳しい準備書面制限、事前提出を義務付けるプレゼン資料の扱いなど、UPCの報告裁判官が持つ強烈なケースマネジメント権限が示されている。実務担当者は、中間審理の段階で判決の方向性や予備的請求(Hilfsantrag)の優先順位変更(HA4のメイン化等)に関する心証が開示される点に注意し、柔軟に対応する準備が必要である。

【UPC Paris Local Division / 2026年07月31日】UPC_CFI_583/2025 & UPC_CFI_1435/2025 - 特許権侵害訴訟および無効反訴に対する最終判決(EP 1 725 627 B1)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
原告:Bostik, Inc.(米国法人、Arkemaグループ傘下の接着剤メーカー)
被告:Henkel France、Henkel AG & Co. KGaAを含むHenkelグループ欧州法人6社(ドイツ、フランス、オランダ、イタリア)

【事実経過および請求内容】
原告は、熱感応性食品(チョコレート、キャンディ等)向けコールドシール用接着剤に関する欧州特許(EP 1 725 627 B1、以下「本件特許」)の特許権者である。原告は、被告らが製造・販売するコールドシール用コーティング製品「Loctite® Liofol」シリーズ(CS 7300-21, CS 22-861等)が本件特許のクレーム1等の技術的範囲に属し、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、英国において特許権を侵害していると主張して、侵害差止、損害賠償(暫定額900万ユーロ)、情報提供(UPCA 67条)および判決公表等を求めて統一特許裁判所(UPC)パリ地方分会に本訴(UPC_CFI_583/2025)を提起した(なお、一部対象製品についての請求は口頭弁理前に取り下げられた)。
これに対し、被告らは侵害を否定するとともに、本件特許には新規事項追加(Added Matter)、実施可能要件違反、新規性欠如および進歩性欠如の無効理由が存在するとして無効反訴(UPC_CFI_1435/2025)を提起した。これに対し原告は予備的に3段階の訂正請求(Auxiliary Requests 1–3)を提出した。

2. 判決の主文

1. 原告 Bostik, Inc. がHenkelの製品「Liofol CS 7500-22」および「CS 7416」に関して請求を取り下げたことを確認する。
2. 欧州特許 EP 1 725 627 B1 を、特許付与時の状態および原告の予備的訂正請求(Auxiliary Request 1)に基づく補正状態の双方において、全クレームについて無効とする。
3. 原告 Bostik, Inc. の侵害訴訟に基づく請求をすべて棄却する。
4. 原告 Bostik, Inc. に対し、本件訴訟費用の全額負担を命じる。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈(構成要件の認定と「剥離可能かつ再封不能(Peelable and Non-Resealable: PNR)」の法概念)
    クレーム1における組成特徴(1.1)と機能的特徴(1.2)の関係、並びに「再封不能(Non-resealable)」および「凝集強度(Cohesive strength)118.11 g/cm以上」の解釈。
  • 争点2: 新規事項の追加(Added Matter / 不許容な中間的一般化:EPC 138条1項(c)号)
    出願当初の明細書における「最低結合強度(minimum bond strength)」の開示に対し、特許付与時に「凝集強度(cohesive strength)」のみを118.11 g/cm以上と限定し、対基材接着強度(adhesive strength)の最小値要件を排除したことが、不許容な中間的一般化(Intermediate Generalisation)に該当するか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1)クレーム解釈の規範と当てはめ

UPC控訴審判例(NanoString v 10x Genomics等)の解釈原則に基づき、EPC 69条およびその解釈プロトコルに従って当業者(本件では接着技術および食品包装分野の化学・物理化学エンジニア)の視点からクレームを解釈した。

  • 組成特徴と機能的特徴の結合:クレーム1の成分組成(1.1)と乾燥・圧着後の物性・機能特性(1.2)は不可分に結合しており、当業者から見て全体の技術的手段として一体的に解釈される。
  • 「剥離可能かつ再封不能(PNR)」の意義:PNRシステムにおいては、コーティング材自身の自己凝集力が基材に対する接着力よりも強く(凝集強度 > 接着強度)、開封時にはコーティングが片方の基材から完全に剥離する「接着破壊(Adhesive failure)」が生じることが必須とされる。再封不能とは、一度開封した後に再度圧着しても、元の封止状態よりも著しく弱い結合しか形成されない状態を意味する。
  • 凝集強度(Cohesive strength)の限定:クレーム1.2.2の「少なくとも 118.11 g/cm」という数値は、基材の種類を問わず、いずれかの基材において封止部の凝集強度が同数値に達していれば充足されると解釈した。

(2)新規事項追加(Added Matter / EPC 138条1項(c)号)に基づく特許無効の判断

UPC控訴審の標準的規範(Abbott v Sibio等)に従い、出願当初の明細書全体から当業者が直接かつ一義的(directly and unambiguously)に導き出し得る開示内容と、特許付与後のクレーム範囲を比較検証した。

  • 原出願の開示内容:出願当初の明細書段落[0005]においては、「最低結合強度(minimum bond strength)として少なくとも118.11 g/cmを提供する」旨が記載されていた。
  • 「結合強度」と「凝集強度・接着強度」の技術的関係:剥離試験において測定される「結合強度(bond strength)」とは、構造体の中で最も弱い箇所で破壊が生じる際の強度を指す。剥離が「接着破壊(Adhesive failure)」の形態をとる場合は接着強度が結合強度となり、「凝集破壊(Cohesive failure)」の形態をとる場合は凝集強度が結合強度となる。したがって、出願当初に開示された「最低結合強度 118.11 g/cm」とは、凝集強度および対基材接着強度の双方が118.11 g/cm以上であることを直接かつ一義的に前提・意味している。
  • 付与特許における拡張(中間的一般化):特許付与されたクレーム1は、「凝集強度(cohesive strength)が少なくとも118.11 g/cmであること」のみを構成要件として抽出(孤立化)し、対基材接着強度については下限値を規定しなかった。その結果、クレーム1は「凝集強度は118.11 g/cm以上であるが、対基材接着強度が118.11 g/cm未満である実施態様」までも権利範囲に包含することとなった。
  • 結論:原出願には接着強度が118.11 g/cm未満である実施態様を認める根拠や示唆は一切存在しない。結合強度という統合的概念から凝集強度のみを切り出し、接着強度の最小要件を欠落させた補正は「不許容な中間的一般化(unallowable intermediate generalisation)」に該当し、原出願の開示範囲を超える主題を追加したものと認められる(EPC 138条1項(c)号違反)。

(3)予備的請求および侵害請求の棄却

原告の予備的訂正請求(Auxiliary Requests 1–3)は、いずれも組成割合の制限に関するものであり、上記の中間的一般化(新規事項追加)の無効理由を解消するものではないため採択できない。
したがって、本件特許EP 627は全クレームについて無効であり、無効な特許権に基づく原告の侵害差止および賠償請求等の本訴請求はすべて棄却された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 数値限定パラメータの分離抽出(中間的一般化)に対する厳格性:
    原出願において統合的な物性値(本件では「結合強度」)として開示された数値要件から、特定の個別要素(「凝集強度」)のみを抽出して補正・クレーム化し、従属する他の要素(「接着強度」)の限定を解除・緩和する行為は、UPC実務においても厳格に「不許容な中間的一般化」と判断される。出願・権利化実務(EPO/UPC対応)において、上位概念的または対となる物性パラメータを補正する際は、権利範囲が原出願の技術的範囲を超えて不当に拡張されないよう厳密な裏付け条文の確認が必要である。
  • UPCにおける審理の迅速性と無効理由の選択:
    パリ地方分会は、新規事項追加の無効理由(EPC 138(1)(c))が肯定された段階で、新規性・進歩性・実施可能要件等の他の争点についての判断を合理的に省略し、迅速に特許無効および本訴棄却の終局判決を導出した。UPC実務における訴訟経済重視の審理姿勢が顕著に表れている。
  • 機能的クレームにおける物理メカニズム解釈の重要性:
    「剥離可能かつ再封不能(PNR)」という機能的文言について、裁判所は当業者の技術常識に基づき「接着破壊(Adhesive failure)」の発生という物理的メカニズムと結びつけて緻密な解釈を行った。機能的表現を用いる特許出願においては、その裏付けとなる破壊モードや物理現象の定義が出願書類に十全に記載されているかが勝敗を分ける。

【UPC Local Division The Hague / 2026年07月30日】UPC-CFI-0002094/2026 - 全被告の答弁書および取消反訴提出期限の統一指定に関する手続命令(Procedural Order)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、原告Qord IP Protection LLCが、被告SmartThings, Inc.(被告1)、Samsung Electronics Co., Ltd.(被告2)、Samsung Electronics GmbH(被告3)、およびSamsung Electronics Benelux B.V.(被告4)に対し、欧州特許第2047617号(EP2047617)に基づく特許権侵害訴訟等を提起した事案である。

米国法人である被告1(SmartThings, Inc.)の手続参加および各被告に対する答弁書等の提出期限が問題となる中、2026年7月28日、被告ら代理人(Jan Ebersohl弁護士)は裁判所に対し、全被告の答弁書(Statement of Defence: SoD)および取消反訴(Counterclaim for revocation: CCfR)の提出期限を2026年10月26日に統一することを条件として、被告1が本手続に自発的に出頭(Voluntary appearance)し、同代理人を被告1の代理人としても指定する旨の当事者間合意が成立したことを書面にて提出した。担当裁判官(Judge-rapporteur)からの問いかけに対し、原告代理人(Ralph Nack弁護士)も同年7月29日付の書面にて当該合意を確認・承認した。

2. 判決の主文

統一特許裁判所手続規則(RoP)第23条に基づく答弁書(Statement of Defence)および第25条1項に基づく取消反訴(Counterclaim for revocation)の全被告に関する提出期限を、2026年10月26日とする。

3. 主な争点

  • 争点1: 当事者間の合意に基づく被告1の自発的出頭および代理人選任の承認
  • 争点2: 統一特許裁判所手続規則第9条3項(Rule 9.3 RoP)に基づく、複数被告間における答弁書および取消反訴提出期限の統一・延長の可否

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

担当裁判官(Judge-rapporteur)は、以下の論理に基づき決定を下した。

当事者双方(原告および被告ら)から裁判所に提出された書面(2026年7月28日および29日付)により、以下の事実および合意が確認された。

  • 全被告の答弁書(SoD)および取消反訴(CCfR)の提出期限を2026年10月26日に揃えることを条件として、被告1が本訴訟手続に自発的に出頭し、Ebersohl弁護士を訴訟代理人として選任することについて、原告・被告間で合意が成立したこと。

上記の当事者間合意に基づき、裁判所は、1) Ebersohl弁護士を被告1の訴訟代理人として認め、2) 統一特許裁判所手続規則第9条3項(Rule 9.3 RoP)に規定された担当裁判官の裁量権限限度内において、提示された提案通り全被告の答弁期限および反訴期限を2026年10月26日に統一・指定する命令(Order)を発令するのが適当であると判断した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

① 複数被告案件における手続進行の統一(R.9.3 RoPの活用)
国際的企業グループとその子会社・関連会社(米国法人および欧州現地法人)が同時に被告となるUPC訴訟において、送達時期の違い等によって生じる各被告の答弁期限の不一致は手続上の複雑化を招く。本命令は、Rule 9.3 RoP(期間の設定・調整に関する担当裁判官の権限)に基づき、当事者合意を前提として全被告の書面提出期限を統一した実務例である。

② 域外被告(米国法人等)の自発的出頭(Voluntary Appearance)と期限延長のバーゲニング
管轄権の争いや送達手続(ヘーグ送達条約等)に時間を要する域外被告(被告1)が自発的に手続に参加する見返りとして、訴訟手続全体の期限統一・延長を勝ち取る実務的交渉(Settle/Agree on deadlines)の有用性を示している。

【UPC パリ地方支部 / 2026年07月30日】UPC_CFI_361/2025 (UPC_CFI_001785/2025) - 侵害訴訟および無効反訴における中間会議後の手続命令(R. 105.5 RoP)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、原告(Sun Patent Trust)が被告ら(Vivo Mobile Communication Iberia SL、Vivo Tech GmbH、およびVivo Mobile Communication Co., Ltd.)に対し、欧州特許第3 852 468号(以下「本件特許」)の特許権侵害に基づく差止および損害賠償請求等(侵害訴訟:UPC_CFI_361/2025)を提起し、これに対し被告らが本件特許の無効反訴(UPC_CFI_001785/2025)を提起した事案である。対象製品は、LTE-A規格を実装したVIVO製の4G+対応移動体端末である。
本命令(Order)は、統一特許裁判所手続規則(UPC Rules of Procedure; RoP)第105条5項に基づき、2026年7月29日に実施された中間会議(Interim Conference; R. 104 RoP)における協議結果および確定事項を報告・命令するために受命裁判官(Judge-rapporteur)により発出されたものである。

2. 判決の主文

受命裁判官は以下の通り命じる。

  • 1. 本件侵害訴訟(UPC_CFI_361/2025)の訴訟物価額(Value of the case)を500万ユーロ、無効反訴の価額を500万ユーロと定め、合計の合算訴訟物価額を1,000万ユーロ(10 million €)に設定する。
  • 2. 当事者は2026年8月28日までにCMSを通じて、(i) 書面手続終了時における各々の請求の主文(operative parts)をまとめた統合書面、および (ii) 償還可能費用(recoverable costs)の額に関する合意の確認書を提出しなければならない。

3. 主な争点

  • 争点1: 訴訟物価額の確定および審理・費用の枠組み設定(R. 104 (i), (j), (k) RoP)
  • 争点2: 口頭審理(Oral Hearing)の進行・構成および秘密情報(FRAND関係)の保護手続(R. 104 (d), (a) RoP)
  • 争点3: 本件特許(EP 3 852 468)のクレーム解釈(当事者技術者の定義、構成要件1.3および1.4の解釈)
  • 争点4: 本件特許の有効性(優先権の適否、引例N5/N6に対する新規性、ならびに訂正観測請求AR 4/AR 7の有効性)
  • 争点5: 本件対象製品(VIVO端末)による特許侵害の有無(構成要件1.3および1.4の充足性)
  • 争点6: FRAND防訴(Huawei v ZTE判例基準に基づくEU機能条約102条違反の抗弁)および是正措置・仮損害賠償請求の適法性・比例性

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 訴訟物価額および手続的事項の確定(R. 104 RoP)

原告が主張する侵害訴訟の物価額(500万ユーロ)に対し、被告らに異議はなく、反訴も同額とすることに合意したため、総訴訟物価額を1,000万ユーロと確定した。また、書面手続の終了に伴う請求内容の明確化と費用合意の期限を2026年8月28日に定めた。

(2) 口頭審理の構造化と秘密保護(Non-public Hearing)

FRANDライセンス交渉に関する機密情報の十分かつ自由な論理展開を保障するため、裁判所は口頭審理(2026年9月9日〜11日)を分割編成することとした。

  • 第1日・第2日(9月9日・10日):公開審理(Public) - 技術的事項(クレーム解釈、特許の有効性/無効、侵害の有無)の審理。
  • 第3日(9月11日):非公開審理(Non-public) - FRAND防訴、差止・是正措置の比例性、仮損害賠償請求(500万ユーロ)および概算費用(60万ユーロ)の審理。

(3) クレーム解釈および主要論点の整理(R. 104 (a) RoP)

裁判所は、口頭審理において論理展開すべき主要な法的・技術的争点を以下の通り確定・整理した。

  • 当事者技術者(Person skilled in the art)の定義: モバイル通信分野で修士号または同等の学位を有し、数年の実務経験を持つエンジニア。既存技術および規格(特にLTEおよびLTE-Advancedの3GPP仕様)に精通している者。
  • 構成要件1.3の解釈:
    • 「サブフレームNにおけるDRX Active TimeまたはNon-Active Timeの決定」において、送信挙動の単純な観察で十分か(被告主張)、それとも過去の挙動に基づく状態決定とは異なり将来のサブフレームNのアクティビティ状態の予測を要するか(原告主張)。
    • 「サブフレームN-(4+k)までに受信したMAC CEに基づく」との文言について、それ以降に受信したMAC CEの考慮を排除しないオープンな解釈をとるべきか(被告主張)、限定的な解釈をとるべきか(原告主張)。
  • 構成要件1.4の解釈: DRX Active Timeにない場合の決定ロジックが、DRX Active Time時における対称的なCSI/SRS送信義務を暗黙に含意するか否か。
  • 有効性および訂正クレーム(AR 4 / AR 7): 優先権主張の適否の議論を踏まえ、引例N5(WO 2013/025147 A1)およびN6(TS 36.321 V11.1.0)に対する新規性の有無。また、予備的訂正請求(AR 4/AR 7)における「サブフレームN-(4+k)で推定された」との文言が決定ステップを当該単一サブフレームに限定するか否か。
  • FRAND抗弁: 原告の請求A.IIの許容性(Admissibility)、ならびにEU機能条約(TFEU)102条およびCJEUのHuawei v ZTE判決に基づくFRAND防訴の成否。

5. 実務上・判例上のポイント

1. UPC手続規則(RoP 104条・105条)に基づく効率的な審理管理(Case Management)の実践
本決定は、UPCにおける受命裁判官の強力なケースマネジメント権限を示す典型例である。中間会議を通じて争点を早期に絞り込み、口頭審理のタイムテーブルを分単位で厳格に管理する運用が定着していることが確認できる。

2. FRAND紛争における公開・非公開審理の分離運用
標準必須特許(SEP)訴訟において、ライセンス条件や他社とのライセンス契約等の機密情報が扱われるFRAND抗弁の審理について、技術論(公開)とFRAND論(非公開)を日程毎に明確に分離する手法が示されている。SEP実務においては、営業秘密保護の観点から非公開審理(Non-public hearing)を求める手続きのタイミングと根拠の整理において重要な先例となる。

3. 標準必須特許における技術的構成要件解釈の明確化
3GPP規格(LTE/LTE-A)の実装におけるDRX(不連続受信)制御ロジックに関し、「当事者技術者」の客観的定義を設定した上で、クレーム文言の「~に基づく(based at least on)」や時系列的な技術限定(サブフレーム関係)の解釈(オープン解釈か限定解釈か)が争点化されており、標準規格適合性(Standard Essentiality)と特許侵害・有効性論理の交錯を示す実務上重要な裁定プロセスである。

【UPC Paris Local Division / 2026年07月18日】UPC_CFI_1963/2025 & UPC_CFI_1247/2026 - 機密情報の不開示等を理由とする手続期間延長請求(R.9.3 RdP)の棄却決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者および特許】
原告(特許権者):VALEO SYSTEMES D’ESSUYAGE(以下「VALEO」)
被告(被疑侵害審判請求人):ROBERT BOSCH DOO 外5社(以下「BOSCH」)
対象特許:EP 4144599 B1

【主要な事実経過】

  • 2025年12月12日: VALEOがBOSCHに対し、統一特許裁判所(UPC)パリ地方部において特許権侵害訴訟(UPC_CFI_1963/2025)を提起。
  • 2026年4月13日: BOSCHが答弁書および特許無効の反訴(UPC_CFI_1247/2026)を提出。
  • 2026年4月30日: 被告側証拠(BP 6, BP 7, BP 8)の機密性保護に関する秘匿決定(Ordonnance de confidentialité)が発出。
  • 2026年6月15日: VALEOが侵害訴訟の認否/反訴答弁書を裁判所案件管理システム(CMS)に提出。その際、機密情報を黒塗りしたマスク版(「M」:Mutual/当事者共有用)と非マスク版(「HC」:Highly Confidential/裁判所専用)を同時提出。
  • 2026年7月16日: BOSCHが担当裁判官(Juge-rapporteur)に対し、UPC手続規則(RoP)R.9.3に基づく期間延長請求を提出。理由として、(1) VALEOの提出書面の非マスク版を閲覧できず防御権の行使が妨げられたこと、(2) 該当書面が無効反訴のCMS手続き回路(UPC_CFI_1247/2026)ではなく侵害訴訟の回路(UPC_CFI_1963/2025)のみに提出されたことを主張し、非マスク版を受領した時点からの提出期間再始動を求めた。
  • 2026年7月16日: 担当裁判官の指示に基づき、書記官が非マスク版をCMS上の「M」カテゴリーへ配置しBOSCHの閲覧権限を有効化。VALEOはBOSCHの不注意・怠慢を理由に申立ての棄却を主張。

2. 判決の主文

1. BOSCHによる手続期間延長請求(R.9.3 RdP)を棄却する。
2. RoP R.29(d)に基づき被告(BOSCH)に割り当てられた提出期限は、VALEOがCMSに前回書面を提出した「2026年6月15日」から起算して進行するものとする。

3. 主な争点

  • 争点1: 機密情報がマスクされた主張書面へのアクセス遅延を理由とする手続期間の延長(RoP R.9.3)の可否
    (当事者が自ら速やかにアクセス権限の調整等を要求しなかった場合、当該怠慢を理由とする期間延長請求が認められるか)
  • 争点2: 関連する本訴(侵害訴訟)と反訴(無効訴訟)におけるCMS提出ルートの欠陥と不利益(grief)の有無
    (双方の手続がCMS上で紐付けられている場合において、一方の案件番号の回路にのみ書面が提出されたことが不利益を生じさせるか)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

【争点1に関する判断】当事者の注意義務違反と期間延長請求の不寛容

裁判所は、以下の理由に基づきBOSCHの期間延長請求を棄却した。

  • VALEOは2026年6月15日の書面提出時に、マスク版と同時に非マスク版をCMS上に適法に提出していた。
  • 書面中でマスクされていた部分は、2026年4月30日の秘匿決定の対象となったBOSCH自身の提出証拠(BP 6, BP 7, BP 8)からの引用であった。したがって、BOSCHは自ら内容を認識し得る立場にあった。
  • BOSCHは、6月15日の提出以降、1ヶ月以上にわたり閲覧権限に関する不備を不服として書記官や相手方代理人に問い合わせるなどの必要な法的手続・問合せ(diligence)を怠っていた。7月16日に申立てがなされた直後、書記官の簡素な指示によって問題は直ちに解消された。
  • 自らの怠慢(négligence)によってアクセス確認を怠っていた当事者が、それを理由として手続期間の延長を主張することは認められない。

【争点2に関する判断】併合・関連事件におけるCMS運用の実質的判断

裁判所は、反訴用回路への書面未提出に基づく主張を不適法・無論拠として退けた。

  • 本訴(侵害訴訟)と反訴(無効訴訟)の手続きはCMS内で相互にリンクしている。
  • BOSCH自身も2026年4月13日において、侵害答弁と無効反訴を統合した単一の書面を提出しており、両案件の併合審理(joint hearing)を求めていた。
  • したがって、VALEOが侵害訴訟のCMS回路にのみ書面をアップロードしたことは、BOSCHに対して何ら具体的な不利益(grief)を与えるものではない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • UPCにおける手続期間厳守原則とR.9.3の厳格運用: UPC裁判所(特にパリ地方部)は、手続の迅速性(Front-loaded system)を重視しており、当事者の怠慢(lack of due diligence)に起因する期間延長請求(R.9.3 RdP)に対して非常に厳格な態度をとる。CMS上でのアクセス障害や閲覧不備が生じた場合、速やかに書記官(Registry)等へ連絡して不備を解消する積極的義務が当事者に課される。
  • 機密保持命令(Confidentiality Order / R.262A)に基づく実務上の留意点: 自社が提出した機密証拠が相手方書面で引用・黒塗りされている場合、アクセス権限の設定不備(MとHCの振り分けエラー等)があっても、「自社の証拠であるため実質的な不利益がない」と判断されるリスクがある。閲覧不能が判明した時点で直ちに手続的対応を行わなければ、防御権侵害を理由とする手続遅延策は遮断される。
  • CMS(案件管理システム)の二重管理回避: 本訴と反訴が併存する訴訟構造において、CMSの特定回路への単一提出が手続上の瑕疵とみなされるか否かは「実質的な不利益(grief)の有無」により判断される。実務上はCMSシステム上の紐付け状態を確認しつつ、双方の回路へアクセス・確認を行うことが推奨される。

【UPC Paris Local Division / 2026年07月30日】UPC-CFI-0001901/2026 - VIATRISによるEU改訂ブリュッセルI規則に基づく訴訟停止等の先決的異議申立て(Rule 19 RoP)を却下した決定

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

当事者:

  • 原告(本案訴訟)/ 被申立人: Merz Pharma France, Merz Therapeutics GmbH, Merz Pharmaceuticals LLC(以下「MERZ」)
  • 被告(本案訴訟)/ 申立人: Viatris Santé(以下「VIATRIS」)

対象権利:

フランス補充的保護証明書(SPC No. 13C0033、基礎欧州特許 EP 2 377 536、対象製品:多発性硬化症治療薬「Fampridine」)

経過:

  • 2025年7月31日: MERZがUPCパリ地方部(UPC Paris LD)に対し、VIATRISを相手方として仮処分(Preliminary Injunction)を申請。
  • 2026年4月16日: VIATRISがフランスのパリ裁判所(Tribunal Judiciaire de Paris; Paris TJ)に対し、SPC 033の無効(Revocation)および不侵害確認(Declaration of non-infringement)、予備的に強制ライセンス(Compulsory licence)の付与を求めて本案訴訟を提訴。
  • 2026年5月28日: MERZがUPC Paris LDに対し、VIATRISによるgeneric製品「FAMPRIDINE VIATRIS LP 10 mg」の販売等を理由とする本案の特許権侵害訴訟(Infringement Action)を提訴。
  • 2026年7月6日: VIATRISがUPC手続規則(RoP)Rule 19.1(a)に基づき、先決的異議(Preliminary Objection)を申立て。

申立人(VIATRIS)の請求の骨子:

  • 主的請求: EU改訂ブリュッセルI規則(BR I recast)第29条(1)・(3)およびRoP Rule 295(l)に基づき、Paris TJが「先受訴裁判所(Court first seised)」であるとしてUPC手続の停止および管轄の辞退(decline jurisdiction)を求める。
  • 予備的請求1: 改訂ブリュッセルI規則第30条およびRoP Rule 295(l)に基づき、Paris TJにおける本案判決確定までの手続停止(Stay of proceedings)を求める。
  • 予備的請求2: RoP Rule 295(b)および(m)に基づく手続停止を求める。

2. 判決の主文

1. VIATRISが申し立てた先決的異議(Preliminary Objection)を全面的に却下する。
2. RoP Rule 295に基づく訴訟手続の停止申請を却下する。
3. 訴訟費用の負担については、本案訴訟の判決において判断する。

3. 主な争点

  • 争点1: 重複訴訟(Lis pendens - 改訂ブリュッセルI規則第29条)の適用の有無および「先受訴裁判所」の判断
    (仮処分申請日をもって本案訴訟の受訴日とみなせるか、また国内裁判所における無効・不侵害確認訴訟とUPCにおける侵害訴訟が同一の訴訟物・訴訟原因(same cause of action / same subject-matter)を有するか)
  • 争点2: 関連訴訟(Related actions - 改訂ブリュッセルI規則第30条・RoP Rule 295条)に基づく裁量的訴訟停止の可否
    (双方の訴訟に関連性が認められる場合において、矛盾判決の回避とUPCの手続の迅速性・効率性を照らし、手続を停止すべきか)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 先決的異議の不服申立手続上の適法性:
VIATRISによる先決的異議はRoP Rule 19.1所定の期間内に申し立てられたものであり、適法(admissible)である。

2. 争点1について:重複訴訟(改訂ブリュッセルI規則第29条)の不成立

  • 先受訴時期の判断: MERZは仮処分申請日(2025年7月31日)をもってUPCが先受訴裁判所であると主張するが、仮処分手続と本案訴訟手続は目的も規律も異なる独立した手続である。仮処分申請が当然に本案訴訟の提起と同視されるわけではない(欧州司法裁判所(CJEU)のWinderwill判決(C-516/24)は法律扶助申請に関する事例であり本件には妥当しない)。したがって、本案訴訟の受訴時期としては、Paris TJ(2026年4月16日)がUPC Paris LD(2026年5月28日)に先んじている。
  • 訴訟物・訴訟原因の同一性: Paris TJにおける訴訟(SPCの無効、不侵害確認、強制ライセンス)と、UPCにおける訴訟(SPCに基づく侵害差止・損害賠償等)は、訴訟の目的(aims)および核心(core)を異にしており、「同一の訴訟物・訴訟原因(same cause of action / same subject-matter)」が存在しない。したがって、改訂ブリュッセルI規則第29条の重複訴訟の規定は適用されない。
  • 国内手続の受訴の有効性: MERZはVIATRISによるParis TJへの提訴がフランス知的財産法典L615-9条(事前協議期間)に違反し不適法と主張するが、UPCが国内法の提訴適法性を判断する必要はなく、実効的に裁判所が受訴した事実(2026年4月16日付の訴状交付)で足りる。

3. 争点2について:関連訴訟(改訂ブリュッセルI規則第30条)に基づく停止申請の不採択

  • 関連性の存在: 両訴訟は同一の当事者、同一のSPC、およびVIATRISのFampridine製品の販売という同一の事実関係に関わるため、改訂ブリュッセルI規則第30条3項の「関連訴訟(related actions)」に該当する。
  • 裁判所の裁量権と同条の適用基準: 改訂ブリュッセルI規則第30条は、要件を満たした場合であっても受訴裁判所に管轄辞退や手続停止を義務付けるものではなく、裁判所の裁量("may")に委ねている(UPC控訴審決定AYLO v DISH(UPC_CoA_188/2024)参照)。
  • 本件事実に対する当てはめ:
    • Paris TJでSPCが無効化されれば、UPCの侵害訴訟(差止命令等)に影響を与え得る。しかし、UPCは提訴から12か月以内に決定を下す厳格なタイムライン(RoP前文第7項、Rule 28等)を採用しており、本件では2027年5月末までに口頭審理が予定されている。他方、国内裁判所での審理期間は当事者の進行態度に依存し、遅延する可能性が高い。
    • VIATRISはUPCでの仮処分手続後に国内裁判所へ提訴し、かつUPC控訴審においてSPCの有効性異議を取り下げた経緯がある。このような状況で手続停止を認めると、UPCの基本理念である「迅速かつ効率的な手続運営」(RoP前文第4項)を著しく損なう。
    • 仮にUPC判決後にParis TJでSPCが無効と確定した場合、事後的に差止命令等の効力が失われるため、当事者はその結果に応じた解決を図ることが可能である。
  • 結論: したがって、改訂ブリュッセルI規則第30条およびRoP Rule 295(b)・(m)に基づく手続停止を行う合理的理由はなく、申請をすべて却下する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 仮処分手続と本案訴訟の受訴時期の分断:
    仮処分申請手続(Provisional measures)が先行して存在していても、それが本案訴訟(Action on the merits)の受訴日(date of seisation)として引き継がれることはないというUPCの明確な見解が示された。国際的管轄権の競合を判断する際、本案訴訟の受訴日は本案訴状の提出・送達日を基準に厳格に判断される。
  • 「侵害訴訟」と「無効・不侵害確認訴訟」における重複訴訟(29条)の非適用:
    国内裁判所での「無効・不侵害確認訴訟」とUPCでの「侵害訴訟」は、改訂ブリュッセルI規則第29条の「同一の訴訟物・原因」には当たらない。したがって、被告が国内裁判所に先手を取って不侵害確認・無効訴訟を提起(いわゆるTorpedo訴訟的アプローチ)した場合であっても、29条によるUPCの義務的管轄辞退・手続停止を回避できる。
  • 関連訴訟(30条)におけるUPCの迅速性最優先のスタンス:
    国内裁判所との間に関連訴訟(30条)が認められる場合であっても、UPCは「12か月ルール」に基づく自庁手続の迅速性を重視し、裁量による手続停止を極めて限定的にしか認めない姿勢を鮮明にした。国内裁判所で将来的に無効判決が出るリスクがあっても、「後から差止の効力が消滅すれば足りる」として実用的な解決を優先している点は、実務上極めて重要である。
  • 先決的異議(Preliminary Objection)の不服手続としての定着:
    改訂ブリュッセルI規則第30条やRoP Rule 295に基づく手続停止要請は、RoP Rule 19の「先決的異議(Preliminary Objection)」の枠組みで審理されることが、UPC控訴審判例(MALA v NOKIA, UPC_CoA_227/2024)を踏まえて定着している。

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