【EPO審判部 / 2026年6月17日】T 0944/24 - 脂肪族ポリアミド組成物および携帯電子機器部品に関する特許異議申立控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Syensqo Specialty Polymers USA, LLC)の欧州特許第3609955号(発明の名称:「脂肪族ポリアミド組成物および対応する携帯電子機器部品」)に対する、異議申立人(ARKEMA FRANCE)による特許異議申立の控訴審判決である。

欧州特許庁(EPO)異議部は、口頭審理において特許権者が提出した主請求(Main Request)に基づく補正された形式での特許維持決定(中間決定)を下した。 これに対し、異議申立人は特許取消しを求めて控訴(Appellant 2)し、特許権者も控訴(Appellant 1)を提起した。 異議申立人は、特許権者の控訴は自らの主請求が認められているため不服申立ての利益を欠き不適法であると主張するとともに、主請求のクレーム1について明確性(EPC第84条)、開示の十分性(EPC第83条)、新規性(EPC第54条)、および進歩性(EPC第56条)の欠如を主張した。

2. 判決の主文

1. 特許権者の控訴を不適法として却下する(The appeal of the patent proprietor is rejected as inadmissible)。
2. 異議申立人の控訴を棄却する(The appeal of the opponent is dismissed)。
(異議部が認めた主請求に基づく訂正特許の維持が確定)

3. 主な争点

  • 争点1: 特許権者の控訴の適法性(EPC第107条、規則101(1))
    第一審の異議部口頭審理で認容された主請求について、特許権者に決定に対する不服(adversely affected)が認められるか。
  • 争点2: 控訴審で提出された新証拠(D15、D16等)の許容性(RPBA第12条(4))
  • 争点3: クレームの明確性(EPC第84条)
    クレーム1の「either features A or features B」という記載における接続詞「or」は、排他的(exclusive)と解釈されるべきか、包括的(inclusive)と解釈されるべきか。
  • 争点4: 新規性(EPC第54条)
    先行文献D1の実施例5および6に対し、特定の誘電率等のパラメータが暗黙的に開示されているといえるか(混合則による計算および再現実験報告書の評価)。
  • 争点5: 進歩性(EPC第56条)
    最寄先行技術D4に対し、機械的特性を維持しつつ誘電特性を改善する課題において、D2またはD11に開示された低誘電率ガラス繊維を適用することが当業者にとって容易想到であったか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 特許権者の控訴の不適法却下(EPC第107条)

EPC第107条に基づき、決定により不利益を受けた(adversely affected)当事者のみが控訴を申し立てることができる。不利益の有無は第一審における最終的な申立内容と決定主文との比較によって判断される(T 244/85, T 434/00等)。本件異議部の決定は口頭審理で提出された特許権者の最終主請求を認容して特許を維持したものであるため、特許権者は不利益を受けておらず、その控訴は不適法である(EPC規則101(1))。

2. 新証拠(D15、D16)の採用(RPBA第12条(4))

異議部は決定において、異議申立人の新規性に関する主張が「再現実験ではなく計算上の仮定に基づいていること」および「D1のポリマーのモノマー比率が開示されていないため再現が不可能なこと」を理由に排斥した。異議申立人が決定理由に接して初めて再現実験の必要性と問題点を認識したといえるため、控訴理由書とともに提出された実験報告書(D15、D16)は時機に適した反論として採用された。

3. クレームの明確性(EPC第84条)

審判部の確立した判例(T 1409/16等)によれば、「either ... or」を含む「or」という表現は、技術的文脈から両者が互いに相容れない(technically incompatible)場合を除き、原則として「包括的(inclusive)」に解釈される。本件の特徴A(ポリマーの構成単位)と特徴B(組成物全体の特定周波数での誘電率)は技術的に両立可能であり、明細書の実施例とも矛盾しないため、明確性の要件を満たす。

4. 開示の十分性(EPC第83条)

不十分性を主張する側に立証責任があり、「検証可能な事実に基づく重大な疑義(serious doubts substantiated by verifiable facts)」を示す必要があるが、異議申立人はこれを立証できていない。所定の誘電率および引張弾性率を有するガラス繊維は市販品として入手可能であり、当業者が出願時の技術常識に基づいて実施することは可能である。

5. D1に対する新規性(EPC第54条)

異議申立人は、D1の実施例に記載された組成の誘電率が混合則による計算およびD15/D16の再現実験によりクレーム1の範囲内(特徴B)に含まれると主張した。しかし、計算の基礎となる各樹脂の誘電率の確実な根拠文献が示されておらず、またD15/D16で採用されたポリマーのモノマー含有量とD1の記載との整合性・技術常識に基づく選択の妥当性が立証されていないため、暗黙の開示とは認められず、新規性は否定されない。

6. D4を最寄先行技術とする進歩性(EPC第56条)

クレーム1は、D4(特に実施例3)に対して「特定範囲(5.1〜5.5)の誘電率を有するガラス繊維を含む点」において相違する。本願実施例(実施例11〜13)の対比に基づき、客観的技術課題は「機械的特性を満足なレベルに維持しつつ、誘電特性(低誘電率)を改善した脂肪族ポリアミド組成物の提供」と再設定される。 進歩性の判断において、最寄先行技術D4は「非円形断面(フラット形状)」を有するガラス繊維の使用を必須の特徴としている。一方、異議申立人が組み合わせを主張する副引例D2およびD11に開示された低誘電率ガラス繊維(S-2ガラス等)について、非円形断面を有する旨の開示はない。したがって、当業者がD4の必須要件を損なうことなくD2やD11のガラス繊維を適用することには動機づけがなく、クレーム1に係る発明は容易想到とはいえない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 特許権者の控訴適法性(EPC第107条)の厳格な適用: 口頭審理等で差し替えた最終的な主請求が認められた場合、実質的に当初の広範なクレームから減縮された形であっても、法的には「主請求認容(完全勝訴)」とみなされ、特許権者に控訴の利益(adversely affected)は認められない。審判請求を行う可能性がある場合は、従前の広範な請求を上位請求(主請求・先行補助請求)として維持し、拒絶された記録を残す必要がある。
  • クレームにおける「either ... or」の解釈ルール: EPOの実務において、クレーム中の選択的文言「or」は技術的な矛盾がない限り包括的(AかつBを含む)と解釈される原則(T 1409/16)が再確認された。
  • パラメータ・暗黙の開示の立証責任(新規性): 先行文献の追試・再現実験や理論計算によってパラメータの充足(暗黙の開示)を主張する場合、実験で使用した原材料の特定(モノマー比率等)や計算の前提となる基礎数値の客観的証拠(出典)が厳格に要求される。
  • 最寄先行技術の構造的・必須要件に基づく進歩性の防衛: 副引例から特定の物性(誘電率等)を有する材料を組み合わせる容易想到性を主張されても、最寄先行技術が有する本質的・構造的要件(本件におけるガラス繊維の「非円形断面」要件)が副引例の材料で満たされないことを論証することが、進歩性拒絶・無効理由に対する極めて有効な防御論理となる。

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