1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
本件は、特許権者(Phoenix Contact GmbH & Co. KG、審判請求人)が保有する欧州特許第2823536号(発明の名称:「保護導体ブリッジを備えるコネクタ」)に対し、元・異議申立人(HARTING Electric GmbH & Co. KG)が異議申立てを行った事案である。
欧州特許庁(EPO)異議部は、本件特許が欧州特許条約(EPC)第100条(b)(開示の十分性/実施可能要件)を満たしていないとして、EPC第101条(3)(b)に基づき特許取消決定を下した。特許権者はこれを不服として審判(Beschwerde)を請求した。
なお、審判手続の係属中に異議申立人が異議を取り下げたため手続から脱落したが、審判請求人は原決定の取消しおよび付与時の状態での特許維持(主請求)を求めて審判を維持した。
2. 判決の主文
1. 異議部による原決定を取り消す。
2. 本件特許を付与時の請求項(無修正の形態)で維持する。
3. 主な争点
- 争点1: 開示の十分性/実施可能要件(EPC第100条(b) / 第83条)
請求項1に記載された「2つの個別かつ同一の保護導体ブリッジ(PEブリッジ)」の接続態様等について、当業者が過度な試行錯誤を要さずにクレームの全範囲にわたり実施可能に開示されているか。 - 争点2: 異議取下げ後の審判部による職権審査(EPC第114条(1))
唯一の異議申立人が異議を取り下げた場合において、審判部が原決定で判断されなかった異議理由(新規性・進歩性)について自ら職権で審査を行い、終局判断を下すことができるか。 - 争点3: 新規性および進歩性(EPC第100条(a) / 第52条(1), 第54条, 第56条)
先行技術(D1、D2、D3)に基づき、請求項1に係る発明が新規性および進歩性を有しているか。
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
1. 実施可能要件(EPC第100条(b))について
異議部は、単一のPE導体に対して2つの同一の保護導体ブリッジを「直接」接続する方法が明細書に開示されていない等を理由に実施不可能と判断していた。しかし審判部は以下の通り判示し、開示要件を満たすと認めた。
- クレームおよび明細書の記載は、保護導体ブリッジと保護導体(PE)との「直接接続」を必須とする文言になっておらず、アース板等を介した間接的接続や、2本の保護導体を用いる態様は排除されていない。
- 当業者の技術常識に基づけば、単一の保護導体に対してアース板や追加配線を介して接続すること、あるいは複数の保護導体を割り当てることは容易に想到・実行できる。
- したがって、当業者は過度の負担なくクレーム全範囲において発明を実施することが可能である。
2. 異議取下げと職権審査(EPC第114条(1))について
審判部の確立した判例(T 629/90等)に基づき、異議部によって特許が取り消された事案においては、審判手続中に異議が取り下げられたとしても、審判部はEPC第114条(1)に基づき原決定を職権で実質的に審査する義務を負う。したがって、審判部は原決定で判断されなかったEPC第100条(a)の異議理由(新規性・進歩性)についても審査を行う権限と義務を有する。
3. 新規性および進歩性(EPC第100条(a))について
審判部は職権に基づき特許性を審査し、以下の通り有効性を認めた。
- 新規性: 先行技術文献(D1、D3等)のいずれも、「対向するハウジング側面に配置された2つの同一の保護導体ブリッジによってプラグインサートを共同で保持する構成」(構成要件M1.2、M1.9.1、M1.9.2等)を開示していないため、新規性を充足する。
- 進歩性(D3を最も近い先行技術とする場合):
- 課題設定:D3に対して本件発明は、大型のプラグインサートを確実に保持し、機械的・電気的接続を確実にするという効果を奏する。客観的技術課題は「D3のコネクタを再構成して、より大きなプラグインサートを確実に固定・使用できるようにすること」である。
- 非容易想到性:D3の内部空間に大型インサートを配置しようとする場合、配線スペースの制約や係合フックの配置等の問題が生じる。単にD3のブリッジと同一の第2のブリッジを対向面に設けることは、インサート自体の形状変更や接地構造の大幅な改変を要するため、当業者にとって容易に着想し得るものではない。
- 進歩性(D2を起点とする場合): D2の金属フレームは剛性確保を目的としており、これを切断・分割して2つの同一ブリッジにする動機付けは存在しない。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
- 異議取下げ時の審判実務(T 629/90の法理の再確認): 異議部で特許取消となった場合、相手方(異議申立人)が審判段階で脱落しても自動的に特許が維持されるわけではなく、審判部による職権審査(EPC第114条(1))を経てEPCの要件(新規性・進歩性・記載要件等)をすべてクリアする必要がある点が再確認された。
- クレーム解釈と実施可能要件の相関: 異議部が特定の限定的態様(直接接続等)を前提として実施不可としたのに対し、審判部はクレーム文言の合理的解釈と当業者の技術常識(間接接続や周知の配線技術)を柔軟に適用し、不当に狭い解釈に基づく実施可能要件違反の認定を覆した実務上参考となる判断手法である。
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