1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
本件は、特許権者であるBorealis GmbH(審判請求人/Appellant)が保有する欧州特許第3607566号(発明の名称:「CABLE JACKET COMPOSITION」)に対し、異議申立人であるThe Dow Chemical Company(被請求人/Respondent)が異議を申し立てた事案である。
欧州特許庁(EPO)異議部は、主請求(付与時の特許)および当時の補助請求1〜27のいずれも欧州特許条約(EPC)第100条(b)/第83条に定める「開示の十分性(sufficiency of disclosure)」の要件を満たさないとして、特許を取り消す決定(EPC第101条(3)(b))を下した。
これを不服とした特許権者が審判請求を提起し、主請求(付与時の特許の維持)ならびに補助請求1〜27に基づく特許維持を求めたのに対し、異議申立人は審判請求の棄却を求めた。
2. 判決の主文
審判請求を棄却する(特許取消決定を維持)。
3. 主な争点
- 争点: 摩耗指数とMFR2の相関不等式を満たす組成物の開示の十分性(EPC第100条(b)/第83条)
クレーム1に規定された特定の相関不等式(Wear index ≤ 15.500 + 0.900 * composition MFR2)を満たすケーブル被覆用組成物を、当業者が明細書の記載および技術常識に基づき、過度な負担(undue burden)なくクレームの全範囲にわたり製造・実施できるか。
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
審判部は、主請求および補助請求1〜27のすべてについて開示の十分性を欠くと判断し、特許取消を維持した。その理由は以下のとおりである。
- パラメータ間の複雑な相関性と技術的非自明性:
クレームに規定された相関不等式(特徴(b2))は、左辺の摩耗指数(Wear Index)と右辺の組成物MFR2(メルトフローレート)が分子量の増減に対して同方向に連動する関係にある。さらに多段重合プロセスで製造されるため、一方の特性を調整する操作が他の特性にも重大な影響を及ぼす。したがって、この不等式を確実に満たすための制御手段は当業者にとって自明(trivial)ではない。 - 明細書における明示的・統一的教示の欠如:
特許権者は「低分子量成分のMFR2(A2 MFR2)を低く制御することが不等式達成の決定的手段である」と主張した。しかし、明細書中にその旨の明示的な記載はなく、重合プロセスや条件に関する記述も極めて一般的なものにとどまる。 - 実施例・比較例データの分析と因果関係の破綻:
明細書中の実施例(IE1, IE2)と比較例(CE3〜CE6)を対比すると、各段のポリマー比率やH2/C2比、C4/C2比など多数のプロセス条件が同時に変動しており、低分子量成分のMFR2のみが不等式達成に寄与したとは導き出せない。
さらに、比較例CE3(A2 MFR2が高いが摩耗指数が低い)と比較例CE5(A2 MFR2が比較的低いが摩耗指数が著しく高く不等式を大幅に逸脱)のデータを比較すると、「A2 MFR2を低下させれば不等式を満たしやすくなる」という傾向や相関関係(トレンド)自体が確認できない。 - 過度な試行錯誤(Undue Burden)の存在:
明細書には不等式を満たすための決定的なプロセス変数の教示がなく、失敗を成功に転じるための明確な指針も存在しない。当業者がクレーム範囲内の組成物を製造するためには過度な試行錯誤に依存せざるを得ず、これは許容される日常的実験(routine experimentation)の範囲を超えている。 - 補助請求の判断:
補助請求(補助請求25等)において低分子量成分のMFR2範囲(25.0〜200.0 g/10min)などを限定する補正がなされたが、当該数値範囲内であっても不等式を満たすための具体的指針が欠如している点(例:上限付近のMFR2でどのように不等式を達成するか等)は何ら解消されておらず、開示の十分性の瑕疵を治癒できない。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
- 複数パラメータの相関式(不等式)による機能的クレームの開示要件:
独立・従属関係にある複数の物理特性を不等式等の機能的・相関的パラメータで規定して権利化を図る場合、単にその不等式を満たす個別実施例を少数開示するだけでは足りず、当業者がその不等式を再現可能に達成・制御するための明確なメカニズムやプロセス条件の指針(何をどう操作すれば達成できるか)を明細書に開示しておく必要がある。 - 実施例・比較例の設計における実務上の留意点:
明細書の実施例・比較例において複数のプロセス変数を同時に変更していると、特定のパラメータが所期の特性・不等式達成の主要因であるという主張が因果関係の欠落として否定されるリスクが高い。パラメータ特許の出願実務においては、制御対象の変数を単一で変化させた対照実験データを明細書に盛り込むことが極めて重要である。
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