【EPO審判審決 / 2026年07月02日】T 1029/24 - 遠心ペンダラム付きクラッチディスクに関する欧州特許の実施可能要件(EPÜ83条)違反に基づく控訴棄却判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
・控訴人(特許権者):Schaeffler Technologies AG & Co. KG
・被控訴人(異議申立人1):Valeo Embrayages
・被控訴人(異議申立人2):ZF Friedrichshafen AG(口頭審理欠席)

【事実経過および請求の内容】
本件は、遠心ペンダラム(Fliehkraftpendel)を備えたクラッチディスクに関する欧州特許(EP 2652355)に対する異議申立ての控訴審手続である。原審の欧州特許庁(EPO)異議部は、訂正請求に基づくクレーム1の記載が明確性要件(EPÜ 84条)に違反し、進歩性(EPÜ 56条)を欠くとして特許取消決定(EPÜ 101条(3)(b))を下した。
特許権者(控訴人)は本判決において、異議部決定の取消しならびに「主請求(Hilfsantrag 1A)」または「副請求(Hilfsantrag 1A')」に基づく特許維持を求めて控訴した。これに対し、被控訴人(異議申立人1)は控訴棄却を求めた。

【問題となった主要クレーム(構成要件 H1A / H1A')】
主請求および副請求のクレーム1には、ガイド軌道(Laufbahnen)の形状に関して以下の特定(機能的・達成すべき結果による特定)が付加されていた。

  • 主請求(構成要件 H1A):「ガイド軌道は、ペンダラム質量の運動に伴い転がり体(Wälzkörper)の転がり運動を達成し、円弧状のガイド軌道に起因する転がり体の滑り運動を防止するように規定された『転がり条件(Abrollbedingung)』に由来すること」
  • 副請求(構成要件 H1A'):「ガイド軌道は、ペンダラム質量の運動に伴い転がり体の転がり運動が達成され、円弧状のガイド軌道に起因する転がり体の滑り運動が防止されるように設定された『転がり条件』を満たすこと」

2. 判決の主文

控訴人の控訴を棄却する(Die Beschwerde wird zurückgewiesen)。
(※主請求および副請求のいずれも欧州特許条約(EPÜ)第83条の実施可能要件を満たさないため、特許取消しが維持された。)

3. 主な争点

  • 争点: 実施可能要件(EPÜ 83条 / 明細書の開示の十分性)
    クレーム1に規定された「滑り運動を防止し、転がり運動を達成するように設定されたガイド軌道の構成(H1A / H1A')」に関し、当業者が過度な負担なくこれを実施できるよう、明細書および技術常識に基づき充分に開示されているか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) クレームおよび発明の解釈(純粋な運動学か、作動時の動的挙動の達成か)
特許権者は、「構成要件 H1A/H1A' は純粋に幾何学的・運動学的(kinematisch)な定義であり、接触点での相対速度がゼロになる計算式(運動方程式)を解くことで幾何学的に軌道形状が一義的に導出可能であるから、実動作上の摩擦や慣性力等の動的な要素までクレーム対象に含まれておらず、実施可能である」と主張した。
しかし審判部(Board of Appeal)は、クレームの文言(「転がり運動を達成し、滑り運動を防止する」)および明細書本文(段落[0009]、[0024])の記載によれば、本件クレームは単なる理論上の幾何形状にとどまらず、「実際のクラッチディスク作動時において、転がり体の滑りを排除し専ら転がり運動を達成するという技術的結果」を要求していると解釈した。

(2) 当業者の実施可能性に対する当てはめ(EPÜ 83条違反の認定)
実際のクラッチディスクの作動環境においては、転がり体と軌道間の摩擦係数、転がり体の慣性モーメント、振動周波数などの動的な要素(realen Gegebenheiten und Betriebsbedingungen)が、転がり体が実際に転がるか滑るかに決定的な影響を及ぼす。
明細書には、これらの実際の動的条件・動作環境下において「滑りを防ぎ転がり運動を確実に達成する」ための具体的なガイド軌道の設計・構成方法が教示されていない。段落[0009]においても、「複雑な運動方程式の計算により求められる」旨が記載されているにすぎない。
したがって、当業者が明細書の開示や技術常識(allgemeines Fachwissen)に基づいて、特許法上要求される「意図した効果(実動作時の滑り防止と転がり達成)を確実に奏するガイド軌道」を実施することは不可能であり、過度な負担(undue burden)を強いるものである。
以上より、主請求・副請求ともにEPÜ 83条の実施可能要件(Ausreichende Offenbarung)を満たさない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 「達成すべき結果」による機能的パラメータ・クレームの限界:
    機械・構造分野の特許において、「特定の効果・結果(本件では『滑りの防止と転がりの達成』)」を直接クレームの構成要件として規定する場合、裁判所・審判部はそれを単なる理論的・幾何学的な概念ではなく、実動作上の技術的結果として厳格に解釈する傾向がある。
  • EPÜ 83条( Sufficiency of Disclosure )と実地作動条件:
    理論式や計算式のみが提示されていても、現実の物理的パラメータ(摩擦、慣性、作動振動等)がその結果達成に大きく関与する場合、具体的な設計指標や実施例が明細書に開示されていない限り、EPO実務において実施可能要件違反(Article 83 EPC)として拒絶・取消されるリスクが高いことを本判決は再確認している。
  • 実務上の留意点(明細書作成・出願戦略):
    物理的運動や機械動作において機能的クレーム(Result-to-be-achieved claim)を採用する際は、純粋な運動学・幾何学モデルのみならず、実運転条件下の動的パラメータに対応した具体的構成や設計ルール(アルゴリズム、数値範囲等)を明細書に盛り込んでおく必要がある。

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