【EPO TBoA / 2026年7月10日】T 1400/24 - ソルリアムフェトル高配合即放性錠剤処方の進歩性(EPC56条)に関する控訴審判決
1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
本件は、特許権者(被控訴人:Axsome Malta Ltd.)の有する欧州特許第3509581号(発明の名称:「(R)-2-アミノ-3-フェニルプロピルカーバメートの処方」)に対し、異議申立人(控訴人:SANDOZ AG)が欧州特許条約(EPC)第100条(a)項/第56条(進歩性欠如)を理由として提起した異議申立控訴審事件である。
本件特許のクレーム1(確定クレーム)は、ナルコレプシー等の治療薬である有効成分ソルリアムフェトル((R)-2-アミノ-3-フェニルプロピルカーバメート)を90〜98重量%という極めて高い薬物配合量(drug loading)で含み、特定の結合剤(HPC、HPMC、ポビドンから選択)を1〜5重量%、特定の滑沢剤(ステアリン酸Mg、ステアリン酸Ca、ステアリルフルマル酸Naから選択)を0.1〜1.4重量%含み、かつ投与後15分以内に85%以上の薬物を放出する圧縮即放性錠剤に関するものである。
異議申立部は本件特許の進歩性を認め異議申立を棄却したため、異議申立人がこれを不服として控訴した。控訴人は、最接近先行技術(D1:ソルリアムフェトルの臨床試験用カプセル剤を開示)から本件発明の錠剤処方に至ることは、技術常識(D6, D12, D15等)および他文献(D3)に照らして当業者が「成功の合理的期待(reasonable expectation of success)」をもって容易に想到し得たものであり、また最接近先行技術に対する直接の比較実験データも示されていないため進歩性を欠くと主張した。
2. 判決の主文
本件控訴を棄却する(原決定維持・特許維持)。
3. 主な争点
- 争点1: 最接近先行技術との差異点および技術的効果の認定(直接比較実験の要否)
D1に記載されたカプセル剤との直接の比較データが存在しない場合に、明細書記載の他比較例(デンプン使用例等)に基づき、高薬物配合・物理的安定性(錠剤硬度)・迅速溶解性の「最適化されたバランス」という技術的効果を客観的技術的課題の設定に参酌できるか。 - 争点2: EPC第56条に基づく進歩性の有無(「成功の合理的期待」の有無)
構成要素(錠剤化、高薬物配合量、公知の結合剤・滑沢剤の一般的数値範囲)が個別に技術常識として知られている場合において、それらを組み合わせることで相反する特性(硬度と迅速溶解性)を両立・最適化できることについて、当業者に「成功の合理的期待」が存在したか。
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
(1)最接近先行技術および差異点の特定
EPO審判部の確立した判例に従い、最も近い先行技術は、抽象的な一般的開示ではなく同じ目的を有する具体的実施例である「D1の実施例1(150mg ADX-N05を含有するカプセル剤)」であると認定された。
本件クレーム1とD1実施例1との差異点は、①圧縮錠剤という投与形態、②90〜98重量%という高薬物配合量、③特定の結合剤および滑沢剤の選定と数値範囲、④15分以内に85%以上を放出するという溶出プロファイル、の各点である。
(2)技術的効果および客観的技術的課題の定立
明細書の実験データ(実施例2、表3〜7)によれば、特定の結合剤・滑沢剤を規定の範囲で用いることで、高薬物配合でありながら十分な錠剤硬度(物理的安定性)と迅速な薬物放出(15分以内85%以上)が同時に達成されている。一方、デンプンを結合剤とした比較例や、規定範囲外の量を用いた場合には、硬度不足または溶解速度低下が生じている。
控訴人はD1のカプセルとの直接比較実験がないことを理由に上記効果を無視すべきと主張したが、審判部は以下のとおり説示してこれを退けた。
- 先行技術文献(D1)が最接近先行技術(カプセル)の具体的組成(添加剤の有無等)を開示していない場合、直接の対照実験を行うことは不可能であり、直接比較がないことのみをもって効果を排除することはできない(T 2342/19参照)。
- 確立した判例(T 254/86, T 1442/18, T 526/21等)に基づき、差異点に起因して技術的に関連する有利な特性が実証されている以上、先行技術との直接比較がなくても客観的技術的課題の定立において考慮されるべきである。
(3)当てはめと進歩性の判断(成功の合理的期待の否定)
審判部は、以下のロジックに基づき、当業者が成功の合理的期待をもって本件構成に到達できたとはいえないと判断した。
- トレードオフ関係にある特性の最適化: 高薬物配合下における「錠剤硬度」と「迅速な溶解性」は、製剤学上、相互に相反する(competing formulation requirements)関係にある。
- 個別の構成要素の公知性と全体としての予見可能性の区別: 錠剤化、ならびに特定の結合剤や滑沢剤を一般的な濃度範囲で使用すること自体が技術常識(D6, D12, D15)であったとしても、それらを組み合わせることでソルリアムフェトルの高配合錠剤における相反する要求特性の「最適化されたバランス」が得られるか否かは、技術常識から予測不可能であった(T 728/21の法理を適用)。
- 要素の人工的切り離しの不許: 進歩性の評価において、錠剤化、薬物配合量、放出プロファイル、添加剤の選択などを個別の独立した要素に人工的に分離して自明性を論じることは不適切であり、相互に関連する特性の全体的なバランスとして評価されるべきである。
- 他文献(D3)の無関連性: D3はナトリウムオキシベートの錠剤処方に関するものであり、化学構造・性質の異なるソルリアムフェトルへの適用において成功の合理的期待を与えるものではない。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
- 最接近先行技術の組成不明時における比較実験(Comparative Tests)の許容性:
最接近先行技術の具体的な組成が開示されていない場合、特許権者に当該先行技術との直接対照実験を義務付けることは不可能を強いることになる。このような場合、明細書内で「特定の構成要素を除外した比較例(本件ではデンプン使用例や範囲外の量)」によって技術的効果(トレードオフの克服・最適化)が立証されていれば、直接比較データがなくても課題・解決アプローチにおける「技術的効果」として認定される(T 2342/19, T 1442/18等の判例実務の再確認)。 - 「個々の構成要素の公知性」と「複合的特性最適化の予測不可能性(T 728/21の適用)」:
医薬品製剤分野において、使用する添加剤(結合剤・滑沢剤等)の選定や数値範囲が業界で一般的に用いられる範囲内(conventional ranges)であっても、高薬物配合(High Drug Loading)という制限下で「物理的安定性(硬度)」と「迅速溶出」という**互いに相克する複数パラメーターの最適バランス(optimised balance)**を達成した場合は、「単なる代替物の提供(routine change)」ではなく進歩性が肯定される。異議申立実務において、相手方が構成要素を個別に分解して「自明の組み合わせ」と主張してきた場合に対抗する有効なロジックとなる。
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