【EPO Technical Board of Appeal / 2026年05月20日】T 0768/24 - 僧帽弁置換用人工心臓弁装置に関する特許異議控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(Twelve, Inc.)および異議申立人(Abbott Cardiovascular Systems, Inc.)の双方が、欧州特許庁(EPO)異議部の決定(欧州特許第2750630号を補助請求30に基づく補正された形で維持する旨の間接決定)を不服として提起した控訴審事件である。

【対象特許の技術概要】
本件特許は、経カテーテル(intravascular)で移送可能な僧帽弁置換用の人工心臓弁装置に関する。僧帽弁輪は解剖学的に不規則かつ非円形であり、周位漏れ(perivalvular leak)を防ぐために生体組織に適合(conform)する柔軟性が求められる一方、弁自体の機能を維持するためには弁サポートが過度に変形しないことが要求される。本件発明は、心臓組織に適合する拡張可能リテーナー(110)と、リテーナーが変形しても形状が「実質的に変化しない(remains substantially unchanged)」弁サポート(120)とを組み合わせることで、上記課題を解決しようとするものである。

【当事者の主張】

  • 特許権者の請求・主張: 原審決定を取り消し、特許査定時のまま特許を維持すること(主請求)、または補助請求30〜64に基づく補正維持を請求。主請求クレーム1は、引用文献D26(WO 2006/113906 A1)に対して新規性を有すると主張。
  • 異議申立人の請求・主張: 原審決定を取り消し、特許を完全に取消すこと(revocation)を請求。主請求および補助請求30は、D26により新規性・進歩性を欠き、かつ新規事項の追加(EPC 123条(2))や実施可能要件違反(EPC 83条)が存在すると主張。

2. 判決の主文

特許権者および異議申立人双方の控訴を棄却する(双方の控訴棄却により、補助請求30に基づく補正維持とした原審決定が確定)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求(特許査定時クレーム1)のD26に基づく新規性(EPC 54条)
  • 争点2: 補助請求30における新規事項追加の有無(中間的一般化の成否 / EPC 123条(2))
  • 争点3: 補助請求30の実施可能要件・開示の十分性(EPC 83条)
  • 争点4: 補助請求30クレーム1のD26に基づく新規性(「extend from」の解釈 / EPC 54条)
  • 争点5: 補助請求30クレーム1のD26に基づく進歩性(EPC 56条)
  • 争点6: 審判部による異議部への事件差し戻し(Remittal)の要否(RPBA 2020 11条, EPC 111条(1))

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 主請求の新規性(EPC 54条)について:新規性否定(欠如)

審判部は、D26が特許査定時クレーム1の全構成要件を開示していると判断した。

  • 構成要件1.2(弁サポートの延伸): D26のワイヤーサポート126(ループ146)は、ステンツ112の下流端(downstream edge)を超えて延伸しており、弁サポートがリテーナーから下流方向に延伸する構成を満たす。
  • 構成要件1.3(実質的に変化しない弁サポート): 「実質的に変化しない(substantially unchanged)」との文言は、軽微な変形まで排除するものではない。D26のワイヤーサポートも弁の閉鎖性(coaptation)を保つために機能的形状を維持する構造であり、本件要件を満たす。
  • 構成要件1.4(経カテーテルデリバリー構造): D26の段落[0049]および[00102]には、経カテーテル(intravascular)によるアプローチが明確に開示されている。D26に記載されたテザー(tether)は選択的な構成(optional)に過ぎず、経血管的デリバリーを阻害しない。
したがって、主請求はD26により新規性を欠く。

2. 補助請求30の新規事項追加(EPC 123条(2))について:適合(違反なし)

異議申立人は、元出願に開示されていた特定の具体的構成(経皮的アプローチの細部、弁サポートの「機械的隔離」等)がクレーム1から省略されたことが不当な中間的一般化(unallowable intermediate generalisation)に該当すると主張した。しかし審判部は、確立された判例(T 824/23, T 1888/22等)に基づき、省略された構成がクレーム構成要素と「不可分に結合(inextricably linked)」していることを異議申立人が証明できていないと指摘。また、「機械的隔離」などの機能的関係は構成要件1.3に実質的に包含されているため、新規事項追加にはあたらないと結論付けた。

3. 補助請求30の実施可能要件(EPC 83条)について:適合(開示は十分)

異議申立人は、「弁サポートがリテーナーから機械的に隔離されていない非作動的な実施形態」までクレーム範囲に含まれるため実施不能であると主張した。審判部は、構成要件1.3(弁サポートが実質的に変化しないという機能的限定)自体がクレームを限定しているため、弁サポートが過度に変形して機能しない態様はクレームの範囲外であると反論。当業者は明細書の記載に基づき過大な負担なく発明を実施可能であると認めた。

4. 補助請求30の新規性(EPC 54条)について:新規性肯定(充足)

補助請求30クレーム1は、「複数の柔軟な弓状リブ(ribs)が弁サポートから外側かつ上流方向に延伸する(extending outward from the valve support and in an upstream direction)」という限定を含む。

  • 「extend from」の法解釈: 審判部は、クレームにおける「〜から延伸する(extend from)」という表現は、単なる空間的・相対的な位置関係(spatial orientation / relative positioning)を意味するのではなく、構造的な結合関係、すなわち「その構造の起点・発生源(point or region of origin)」であることを要求すると解釈した。
  • D26との比較・当てはめ: D26に開示されたカフ116のセグメント122は、ワイヤーサポート126の周囲にオフセット(離隔)して配置されているに過ぎず、ワイヤーサポートから直接「発生・延伸」している構造ではない。
したがって、D26はこの追加構成を開示しておらず、補助請求30はD26に対して新規性を有する。

5. 補助請求30の進歩性(EPC 56条)について:進歩性肯定(充足)

D26に対する相違点は「リブが弁サポートから直接発生・延伸している点(オフセットがない点)」である。仮に課題を「代替構造の提供」と低く設定したとしても、当業者が事後解釈(hindsight)なしにD26を改変して本件構成に到達する動機付けはない。なぜなら、D26のようにセグメント122とワイヤーサポートの間にオフセットを設けることはカフの変形が弁サポートに伝わるのを防ぐ合理的な構造であり、これを直結させる改変は弁機能を損なうリスクを高めるため、当業者はあえてそのような改変を行わないからである。したがって、進歩性が認められる。

6. 原審への差し戻し(RPBA 2020 11条)について:差し戻し不認可

異議申立人は「審判部が採用した『extend from』の解釈が原審異議部の理由付けと異なるため、差し戻して更なる証拠提出の機会を与えるべきだ」と求めた。しかし審判部は、「extend from」の解釈自体は異議手続段階から当事者間で議論されていたものであり、控訴審手続中で証拠を補充する機会は十分にあったことから、RPBA 11条に定める「特別な理由(special reasons)」は存在しないとして、差し戻し請求を拒絶した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. クレーム用語「extend from(〜から延伸する)」の解釈規範
本判決は、装置の構造クレームにおける「extend from」という表現の解釈について重要な実務的指針を示した。単に別の部材の周位・外側に配置されているという相対的な位置関係(例:同心円状の配置)だけでは「extend from」を満たさず、構造的にその部材を起点として生出・接続している(point/region of origin)必要があると判示された。権利化実務においては、部材相互の幾何学的・構造的接続関係を規定する際の用語選択に留意する必要がある。

2. 中間的一般化(Intermediate Generalisation)における主張立証責任
EPC 123条(2)(新規事項追加)に基づく中間的一般化の異議において、単に「上位概念化されたクレームから元の実施例の具体的構成要素が省略されている」と指摘するだけでは足らず、「省略された構成要素が、クレーム記載の構成要素と不可分に結合(inextricably linked)していること」を異議申立人側が具体的に主張・立証しなければならないという判例(T 824/23, T 1888/22等)の規範が再確認された。

3. 機能的限定クレームと実施可能要件(EPC 83条)の関係
クレーム内に「〜である間、実質的に変化しない」といった望ましい技術的結果を規定する機能的限定(functional feature)が含まれている場合、その機能を奏しない「不機能な実施態様(non-working embodiments)」は定義上クレーム範囲外となるため、不機能な態様が存在することのみを理由として実施可能要件違反を認めることはできないという法理が示された。

4. 控訴審手続における差し戻し制限(RPBA 2020 第11条)の厳格運用
EPO審判制度改革(RPBA 2020)以降、審判部による原審(異議部・審査部)への差し戻しは「特別な理由」がある場合に厳格に限定されている。原審と審判部で争点に対する判断ロジック(解釈)が異なる場合であっても、当該争点が原審で議論されていた以上、当事者は控訴審の初期段階で主張・証拠を尽くすべきであり、差し戻しの口実とはならないことが明確に示された。

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