【欧州特許庁審判部 / 2026年7月8日】T 0925/24 - 熱変色性筆記具の摩擦体の使用に関する明確性要件違反(EPC 84条)および期日呼出後の補正請求却下(RPBA 13条(2))による特許取消判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、熱変色性筆記具の摩擦体の使用に関する欧州特許第1939259号(特許権者:THE PILOT INK CO., LTD. 及び 株式会社パイロットコーポレーション)に対する異議申立事件の控訴審である。 欧州特許庁(EPO)異議部は、特許権者が提出した補助請求11に基づく訂正を認め、特許を維持する中間決定(Interlocutory decision)を下した。これに対し、異議申立人(控訴人:Société BIC)が決定取消および特許取消を求めて控訴した。 特許権者(被控訴人)は控訴棄却(主請求:補助請求11の維持)を求めるとともに、審判部からの規則15条(1)に基づく通知(期日呼出通知)後および口頭審理当日に、クレームの不明確性を解消するための補助請求12および13を順次提出し、特許の維持を主張した。

2. 判決の主文

1. 原決定を取り消す(The decision under appeal is set aside)。
2. 欧州特許第1939259号を取り消す(The patent is revoked)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求(補助請求11)クレーム1における指示対象(Antecedent Basis)の不明確性(EPC 84条)
    クレーム1中の構成要件3.2「wherein the paper is a writing paper A according to JIS P3201」における定冠詞「the paper」が、構成要件1*(使用対象の紙)を指すのか、構成要件3.1(摩擦係数測定用の紙)を指すのか、あるいはその双方を指すのかが一義的に明確であるか。
  • 争点2: 口頭審理当日および呼出通知後に提出された補助請求12・13の許容性(Admittance under Article 13(1) & (2) RPBA 2020)
    審判手続規則(RPBA 2020)第15条(1)通知後のクレーム補正提出について、同規則第13条(2)が要求する「十分な理由に基づく例外的状況(exceptional circumstances)」が認められるか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 主請求の明確性要件違反(EPC 84条)

  • 拡大審判部決定 G 3/14 の適用:本件で問題となった不明確性は、特許付与後の異議手続において導入された補正(構成要件1*および1.1*)に起因して生じたものであるため、G 3/14に基づき審判部においてEPC 84条(明確性)の審査対象となる。
  • クレーム解釈の多義性: 構成要件1*で使用される「paper」に対し、構成要件3.1で測定対象として「a paper」が導入され、続く構成要件3.2で「the paper」と規定されている。 当業者にとって、「the paper」が (a)構成要件1*の紙、(b)構成要件3.1の紙、(c)その双方、のいずれを指すのかについて、技術的観点から複数の合理的な解釈が成立し得る。摩擦熱の発生は使用する紙の種類に依存するため、使用される紙自体をJIS規格紙に限定していると解する(解釈(a)または(c))ことも技術的に合理的であり、解釈(b)のみに排他的に限定される必然性はない。
  • 明細書の参酌: 明細書(段落[0073]〜[0076])を参照しても、JIS規格紙は摩擦熱試験(使用試験)そのものにも用いられており、解釈の曖昧さは解消されない。また、特許権者の控訴答弁書における主張自体が解釈(a)を前提としたかのような記載を含んでおり、一貫性を欠く。 したがって、主請求クレーム1は明確性を欠き、EPC 84条に違反する。

(2) 補助請求12および13の不許容(RPBA 2020 第13条)

  • 補助請求12(口頭審理当日に提出): RPBA第13条(2)に基づき、第15条(1)通知後の手続変更は原則として考慮されず、説得力ある理由によって正当化される「例外的状況」が必要とされる。 異議部が特許権者に有利な判断を示していたとしても、審判部が口頭審理において異議申立人の主張を支持することは通常予見すべきリスクの範囲内であり、「例外的状況」には該当しない。クレーム補正がprima facieに明確性の瑕疵を治癒し得るものであったとしても、それ単独では提出の遅滞を正当化する例外的状況とは認められないため、審理対象から排除(不採択)した。
  • 補助請求13(呼出通知から約7か月後に提出): 明確性の欠如(EPC 84条違反)を治癒する補正を含んでおらず、RPBA第13条(1)の観点からも許容されない。また、呼出通知後7か月以上経過しての提出は即時対応とはいえず、RPBA第13条(2)の要件を満たさないため、同様に不採択とした。

以上の結果、維持可能なクレームセットが存在しないため、欧州特許は取り消された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • クレームドラフティングにおける先行詞(Antecedent Basis)管理の徹底: 同一クレーム内で複数の類似構成要素(本件では使用時の「paper」と測定時の「paper」)が登場する場合、定冠詞「the」の指示対象が多義的になると、それだけでEPC 84条違反(不明確)として特許取消に直結する。特に限定要素を付加する際は、指示対象がどの構成要素であるかを明確に特定(例:補助請求12のように直接修飾する等)したドラフティングが不可欠である。
  • RPBA 2020 第13条(2)(第3段階の収束的アプローチ)の厳格な運用: EPO審判実務において、期日呼出通知(Rule 15(1) Communication)以降の補助請求提出に対するハードルは極めて高い。「審判部の予備的見解で明確性について詳細な否定見解が示されていなかった」「口頭審理での心証開示が予想外であった」といった事情は「例外的状況」として一切認められない。異議申立人から提起されているすべての争点に対し、答弁書提出(第12条)の段階、遅くとも呼出通知前の段階でバックアップの補助請求を漏れなく網羅的に提出しておくことが実務上決定的に重要である。

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