1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
【当事者】
・審判請求人(異議申立人):Ball Corporation(ボール・コーポレーション)
・審判被請求人(特許権者):Neuman Aluminium Austria GmbH 及び Tubex Holding GmbH
【対象特許】
欧州特許第3 847 291号(EP 3 847 291 B1)
発明の名称:「アルミニウム合金、半製品、缶、スラッグの製造方法、缶の製造方法およびアルミニウム合金の使用」
【主要な請求項の骨子】
・請求項1(物性・組成限定): Si (0.07-0.17wt%), Fe (0.25-0.45wt%), Cu (0.05-0.20wt%), Mn (0.30-0.50wt%), Mg (0.05-0.25wt%), Ti (0.01-0.04wt%)、残部Alおよび不可避的不純物からなるアルミニウム合金から構成されるスラッグ(Butzen)またはエアゾール缶。
・請求項9(製造方法): 請求項1等のスラッグを製造する方法であって、合金元素の添加(工程c)、帯材への鋳造・熱間/冷間圧延、素スラッグの打抜き・熱処理・冷却(工程i: 冷却速度≥0.01 K/s)、およびスラッグへの後加工(工程j)を含む方法。
・請求項13(用途): 上記アルミニウム合金のスラッグまたはエアゾール缶製造のための使用。
【事実経過】
異議決定部(Opposition Division)が主請求(Main Request)に基づく修正後の特許維持を決定したため、異議申立人がこれを不服として審判(Beschwerde)を提起した。異議申立人は、EPÜ(欧州特許条約)第83条(実施可能要件)、第54条(新規性:特に請求項9に対してD9を引例とする)、および第56条(進歩性:D9, D10, D8, D1等を最接近先行技術とする)違反を主張し、特許の取消しを求めた。
2. 判決の主文
審判請求(Beschwerde)を棄却する(主請求に基づく特許維持決定の支持)。
3. 主な争点
- 争点1: 実施可能要件(EPÜ第83条)
Cr(クロム)を含まない合金において特定のディスパーソイド形成や所定の効果が得られるかの立証がないことが、開示の十分性を欠くか。 - 争点2: 方法請求項の新規性(EPÜ第54条)
D9に開示された製造プロセスにより、請求項9の製造方法が先導・予見(Anticipation)されるか(「〜を製造するための方法」という目的限定の解釈)。 - 争点3: 進歩性(EPÜ第56条)
最接近先行技術(D9等)の組成から、高強度と缶壁の薄肉化(低壁厚)を両立させるためにMnまたはMgの含有量を特定範囲に個別調整することが、当業者にとって容易に思い着く範囲内か。
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
【争点1:実施可能要件(EPÜ第83条)について】
裁判所は異議申立人の主張を退けた。
請求項1は特定のアルミニウム合金からなるスラッグまたはエアゾール缶という「物」のクレームである。当業者は請求項9の工程等を用いて当該合金からスラッグ等を製造する方法を熟知している(異議申立人も工程自体は一般的と認めている)。
ディスパーソイドの形成や特定の作用効果はクレームの構成要件(技術的特徴)となっていないため、拡大審判部決定G 1/03(理由2.5.2)の法理に基づき、EPÜ第83条の実施可能要件の判断において考慮する必要はない。したがって、第83条の要件を満たす。
【争点2:新規性(EPÜ第54条)について】
請求項9は「請求項1に記載のスラッグを製造するための方法」と規定されている。確立された審判部判例(Case Law of the Boards of Appeal, 11th ed. 2026, I.C.5.2.5)によれば、このような「特定生成物を製造するための方法」という目的限定は、当該目的(請求項1の組成を持つスラッグの得失)を達成するように各プロセスステップ(特に工程cの合金元素添加)を適切に選択・制御しなければならないという技術的制限を方法自体に付与する。
D9には請求項1の組成を有するスラッグ自体が開示されていないため、工程cでその組成を達成するように制御する請求項9の方法もD9に開示されていない。よって、新規性を有する(EPÜ第54条充足)。
【争点3:進歩性(EPÜ第56条)について】
1. 課題の設定: 最接近先行技術であるD9(ReAl 3104 20%または30%)に対し、主特許の客観的技術的課題は、「高強度を有すると同時に薄い缶壁厚(Dosenwandstärke)を有するエアゾール缶の製造を可能にするスラッグを提供すること」である(明細書[0009])。
2. 非容易性(D9を基礎とする場合):
・D9は元素ごとの個別の役割に着目しておらず、単にリサイクルスクラップ(3104等)の混合比率を変えることで全体的な組成が決まるプロセスを開示しているに過ぎない。
・D7等には「Mnが結晶粒成長を抑制し強度に寄与する」という一般的な知見はあるが、他元素との相互作用下で特定範囲(Mn: 0.30-0.50wt%)に調整すべきという教示はない。
・Mnの含有量は、単に強熱化(強度向上)だけでなく、加工抵抗やクラック(亀裂)発生リスクの増大を防ぎつつ薄肉化を達成するための最適範囲として選択されている(明細書[0020])。
・D9に記載の「元素の追加(elemental additions)」や「15%程度の変動」はスクラップ比率の調整を指すものであり、特定の一元素(MnやMg)のみを狙い通りに特定数値範囲へ調整する動機付けとはならない。
・異議申立人の主張は、本願発明を知った上での「後知恵的考察(rückschauende Betrachtungsweise)」に基づくものである。
3. その他の引例(D10, D8, D1): いずれも課題が異なるか、あるいは他元素(Zr, Cr, Zn等)の除去や特定成分(Cu, Mg等)の個別増減についての具体的教示を欠いており、当業者が本願発明の特定の組成組み合わせに至る動機付けにはならない。
以上の理由から、請求項1〜8、方法請求項9〜12、および用途請求項13はいずれも進歩性を有する(EPÜ第56条充足)。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
1. 「特定の物(プロダクト)を製造する方法」における目的限定の範囲と新規性判断
製造方法クレームにおいて「請求項X(特定の物)を製造する方法」と記載されている場合、その物の構成要件(本件では合金の成分組成)が方法の工程選択(工程cの合金元素添加等)を本質的に拘束すると判断された。先行技術の工程ステップ自体が類似していても、最終生成物の特定性が異なる場合は方法クレームの新規性が肯定されるというEPC実務の原則(審判部判例集 I.C.5.2.5)を明確に再確認した事例である。
2. クレーム外の作用効果・メカニズムと実施可能要件(G 1/03の適用)
異議申立人が「明細書に記載された微細構造(ディスパーソイド)の形成メカニズムや特定の効果が得られる証明がない」としてArt. 83違反を主張したのに対し、審判部は「クレームに直接定義されていない効果やメカニズムは、実施可能要件(Art. 83)の判断対象とはならない」(G 1/03)との規範を厳格に適用した。効果の主張・立証の不備は進歩性(Art. 56)の課題達成性の文脈で論じるべきであり、Art. 83の問題と混同してはならないという実務上の留意点を示している。
3. 合金発明における「数値範囲の個別調整」に対する事後論(Hindsight)の排除
先行技術に特定の合金元素(例:MnやMg)の一般的な技術的効果(強度の向上等)が記載されていたとしても、他の元素とのバランスを取りながらトレードオフの関係にある課題(高強度と冷間加工時の耐クラック性・薄肉化の両立)を解決するために特定の数値範囲を選択することには、明示的な動機付けが必要である。先行技術の開示を超えて「特定元素のみを抜き出して数値を最適化できたはずだ」とする主張は典型的な後知恵(rückschauende Betrachtungsweise)として退けられており、合金分野での進歩性反論・防衛の実務において極めて示唆に富む判例である。
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