【EPA Beschwerdekammer / 2026年06月16日】T 1380/24 - 農作物の植物特性決定方法に関する特許異議申立抗告事件(Kalibrierung/BASF)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

【当事者】
・抗告人(異議申立人):YARA International ASA
・被抗告人(特許権者):BASF Digital Farming GmbH

【事実経過および手続の経緯】
本件は、欧州特許第3468339号(発明の名称:「農作物の植物特性を決定するための方法」)に対する異議申立手続の控訴審(抗告審)である。本特許は、農場上を移動する測定装置(センサーおよび位置測定システム)を用いて取得した生の測定値(オンラインデータ)と、デジタルマップに記録された圃場の特性値(オフラインデータ)とを組み合わせ、農作物の植物特性(窒素含有量や収穫粒子の重量等)の補正・キャリブレーション値を算出する技術に関する。
欧州特許庁(EPO)異議部(Opposition Division)は、異議申立人を退け、本特許を維持する決定(欧州特許公約(EPC)101条(2)に基づく異議棄却決定)を下した。これを不服として、異議申立人が抗告を提起した。

【当事者の請求の骨子】
抗告人(異議申立人): 原決定の取消し、特許の取消し、および異議部の重大な手続不備(意見聴取権侵害)を理由とする審判請求手数料の返還(EPC規則103(1)(a))を請求。
被抗告人(特許権者): 抗告棄却(主請求:特許維持)、ならびに予備的に補助請求I〜IXbに基づく特許維持を請求。

2. 判決の主文

1. 異議部の原決定を取り消す。
2. 2025年6月6日付で提出された補助請求V(Hilfsantrag V)の特許請求の範囲(請求項1〜11)および適宜改訂される明細書に基づき特許を維持するため、本件を異議部に差し戻す。
3. 抗告人(異議申立人)の審判請求手数料の返還請求を棄却する。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム解釈および構成要件M5に基づく主請求・補助請求I〜Ibの新規性(EPC 54条)
    先行技術文献D5(WO 2017/060168 A1)との関係における構成要件M5の解釈と新規性の有無。
  • 争点2: 審判手続における補助請求IIaの許容性(審判手続規則(VOBK 2020)13条)
    審判段階の最後期に提出された補助請求IIaの審判手続への導入可否。
  • 争点3: 補助請求II〜IVおよび補助請求Vの新規性(EPC 54条)
    先行技術文献D8(US 2013/338931 A1)およびD7(US 2012/101634 A1)に対する各補助請求の新規性の有無(特に穀物水分に基づく収穫重量の「正規化(Normierung)」の有無)。
  • 争点4: 重大な手続不備の有無および審判請求手数料の返還可否(EPC 113条(1)、規則103(1)(a))
    異議部によるクレーム解釈の過程が抗告人の意見聴取権(Art. 113(1) EPC)を侵害し、重大な手続不備を構成するか否か。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

【争点1:主請求および補助請求I〜Ibの新規性(D5との関係)】

異議部は、構成要件M5(「生の測定値とデジタルマップの値から補正値等を算出する」)を「生の測定値自体をキャリブレーションする」と限定的に解釈して新規性を認めていた。しかし、審判術部(Kammer)はこれを否定した。
1. **クレーム解釈:** M5の文言は生データの直接的なキャリブレーションに限定されておらず、生データと外部データ(マップ)の双方から植物特性値を算出する形態を広く含んでいる。特許権者がクレーム上で広義の表現を選択した以上、広義に解釈されるべきである。
2. **当てはめ:** D5には、作物の生育モデルによる予測値と収穫時の実測値を照合・補正( georeferenced calibration)する構成が開示されている。広義解釈に従えば、主請求項1の技術的範囲はD5に完全に含まれるため、主請求は**新規性を欠く(EPC 54条)**。同様の理由により、補助請求I、Ia、IbもD5により新規性が否定された。

【争点2:補助請求IIaの許容性(VOBK 2020 13条)】

審判審理の後半(2026年5月12日)で提出された補助請求IIaについて、抗告人は却下を求めたが、審判部は受理を認めた。当該請求は、すでに議論されていた選択肢を絞り込んだのみであり、新たな技術的・事実的議論を生じさせないため、VOBK 13条における審理の迅速性と公平性の観点から許容されると判断された。

【争点3:補助請求II〜IVおよびVの新規性(D8およびD7との関係)】

1. **補助請求II、IIa、III、IV(D8による新規性否定):**
補助請求II(選択肢1・2)およびIIa(選択肢1)等について、D8に記載された「DIMAファクター」の構成成分M(土壌中の窒素無機化作用)は、相対的な数値ではあるものの本特許のいう「土壌中の窒素含有量」に該当する。またD8の構成から、実質的に同一の算出ステップが開示されていると認められるため、これらの請求項は**D8により新規性を欠く**。
2. **補助請求Vの新規性(D7との比較における肯定):**
補助請求Vの請求項1は、「収穫された穀物の重量(実測値)」と「デジタルマップ上の穀物水分(外部データ)」から、「特定水分に正規化(normiert)された穀物重量」を算出する構成に限定されている。
先行技術D7は、重量と水分の測定自体は開示しているものの、**「穀物水分に基づいて特定の標準水分値へ重量を正規化・補正する」という技術的思想および数学的処理までは直接かつ明確に開示(directly and unambiguously disclose)していない**。したがって、補助請求Vは**D7に対して新規性を有する(EPC 54条)**。

【争点4:重大な手続不備の有無と手数料返還(EPC 113条(1)、規則103(1)(a))】

抗告人は、異議部がM5の解釈にあたり自己の主張を考慮せず、不当な解釈を推し進めたことが手続不備(意見聴取権侵害)に当たると主張した。
審判部はこれを退けた。異議部は口頭審理前および審理中に当事者へ解釈の機会を与えており、手続的機会は保障されていた。**第一審(異議部)におけるクレーム解釈の誤りや論理の不整合は「実体上の誤り(materieller Fehler)」であって、「手続上の不備(Verfahrensfehler)」ではない**。したがって、意見聴取権侵害は存在せず、審判請求手数料の返還要件(規則103(1)(a))を満たさない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. 広義のクレーム文言の選択に伴う権利化リスク(ドラフティング実務)
特許権者が明細書中の複数の表現からクレーム記載としてより広義な文言(「測定値の補正」ではなく「測定値とマップ値からの補正値算出」)を選択した場合、特許庁・裁判所はその文言通り広く解釈する。権利範囲を広げようとした結果、公知技術(D5)の開示範囲に包含され新規性を失うという、明細書・クレーム作成実務における典型的な失敗パターンを示している。

2. 「暗黙の開示(Implicit Disclosure)」に対する厳格な認定姿勢
数値の補正や「正規化(Normalization)」に関する新規性判断において、単に先行技術文書中に「重量の測定」と「水分の測定」という要素が並列して存在しているだけでは、「水分による重量の正規化」が暗黙に開示されたとはみなされない。EPO実務における「直接的かつ一義的な開示(directly and unambiguously disclose)」基準が厳格に適用されている点に留意が必要である。

3. 第一審の「判断の誤り」と「手続違反」の明確な峻別
異議部等の第一審が法的・事実的な主張解釈を誤ったとしても、当事者に主張・反論の機会(Anspruch auf rechtliches Gehör / EPC 113条(1))が与えられていた限り、それは実体判断の誤り(抗告による取消対象)に過ぎず、審判手数料の返還(規則103(1)(a))をもたらす「重大な手続不備(substantial procedural violation)」には該当しない。不服申立戦略において手数料返還を請求する際の実務的ハードルの高さが再確認された。

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