1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
本件は、養子細胞療法のための細胞培養法及び装置に関する欧州特許第2850175号(以下「本件特許」)の異議申立手続における控訴審判決である。異議部(Opposition Division)が補助請求6に基づく補正後の特許維持決定(中間決定)を下したのに対し、異議申立人(控訴人)が同決定の取消し及び特許取消しを求めて控訴を提起した。
異議申立人は、審判手続において、主請求(異議部で認められた補助請求6と同等)および補助請求1〜7のクレーム1が、欧州特許法(EPC)第123条(3)(特許権の保護範囲の拡張禁止)に違反していると主張した。特許権者(被控訴人)は控訴棄却(原決定の維持)、または補助請求1〜7に基づく特許維持を請求した。
2. 判決の主文
1. 原判決(異議部の中間決定)を取り消す。
2. 本件特許を取り消す(The patent is revoked)。
3. 主な争点
- 争点1: EPC第123条(3)に基づくクレームの不当な拡張の有無
特許付与時のクレーム1に含まれていた「育成面から『細胞除去開口部(cell removal opening)』までの距離制限」を、補正により「培地除去開口部(medium removal opening)」までの距離制限へと用語変更したことが、特許権の保護範囲を拡張(EPC 123(3)違反)させるか否か。 - 争点2: クレーム構成の解釈と「固有の限定(Inherent Limitation)」の成否
クレーム内の他の構成要素(「装置の下端沿い」「低い箇所から排出」「育成面と導管の接触」等)の記載により、削除された距離制限が技術的・構造的に「固有(inherent)」に含まれていると解釈できるか否か。
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
審判部(Board of Appeal)は、主請求クレーム1がEPC第123条(3)の要件を満たさず、特許は取り消されるべきであると判断した。その論理展開は以下の通りである。
(1) クレーム対比と拡張の事実
特許付与時のクレーム1には「育成面から細胞除去開口部までの距離が、育成面から上部境界までの距離の半分未満である」旨の限定が存在していた。しかし、主請求クレーム1では当該箇所が「培地除去開口部」へと変更されており、文言上、細胞除去開口部に対する距離制限が撤去されている。したがって、当該制限が他の構成から固有(inherent)に導き出されない限り、保護範囲は不当に拡張されたことになる。
(2) 「固有の限定」に関する特許権者の主張の退け
特許権者は、「細胞除去開口部が装置の下端(lower edge)沿いに位置し、低い箇所(low point)から細胞等を排出する」との記載、および「細胞除去導管が育成面と接触している」との規定から、細胞除去開口部は構造上育成面の近傍に位置せざるを得ず、距離制限は固有に満たされると主張した。しかし、審判部は以下の理由からこれを退けた。
- クレーム上の「下端」や「低い箇所」は、装置を「細胞回収位置(育成面が水平でない状態)に傾けた時」という相対的な条件でのみ定義されており、育成面や上部境界に対する絶対的・構造的な位置関係を特定していない。装置の傾け方によっては「下端」が上部境界側に位置することもあり得る。
- 異議申立人が提示した態様(細胞除去導管が育成面から上部境界へ向かって延び、開口部が育成面から半分以上の距離または上部境界付近に存在する態様)も、本件補正後のクレーム1の文言に包含される。
- 特許権者は「そのような構造は細胞損失を招くため技術的にナンセンスであり、当業者は想定しない」と主張したが、明細書段落[0120]の記載等によれば、回収効率の観点から最適ではなくとも、技術的に完全に不能・不可能とは言えない。クレームは100%の細胞回収率等を求めていないため、これらの態様を排斥することはできない。
(3) 判例法における判定基準(Beyond Reasonable Doubt)の適用
EPC第123条(2)および(3)の審査においては、確立された裁判例(T 307/05等)に基づき「合理的疑問を超える証明(beyond reasonable doubt)」という厳格な基準が適用される。補正によって付与時よりも広範な態様が含まれる「疑い(doubts)」が存在する以上、EPC第123条(3)の要件を満たしているとは結論付けられない。
(4) 補助請求への適用
補助請求1〜7のクレーム1においても同様の変更がなされており、何ら異なる判断を導く立証がなされていないため、主請求と同様にEPC第123条(3)違反によりすべて不成立とされた。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
① EPC 123(3)条(保護範囲の拡張禁止)の厳格な文言適用
特許付与後の異議手続や無効手続においてクレーム補正を行う際、単語の置き換え(「細胞除去開口部」→「培地除去開口部」)によって、従来の技術的制限が特定の構成要件から外れた場合、それが技術的に最適でない構成(異形態)であってもクレーム文言上包含され得るならば、保護範囲の拡張と認定される。
② 「固有性(Inherency)」主張の立証ハードルの高さ
「クレームの他の要素や発明の目的から考えて、当業者なら当然に限定されていると理解する」という主観的・技術常識的な反論(inherent limitationの主張)は、クレームの文言に明確な構造的対比関係が存在しない限り不採用となるリスクが高い。本件のように「傾斜時における相対的な位置(下端・低い箇所)」で規定された要件は、絶対的な構造の限定としては機能しない点に留意が必要である。
③ 実務上の留意点(クレームドラフティング及び補正戦略)
異議手続等で構成要件を削除・置換する際は、意図せず他の構成要素への数値限定や位置限定が解除されないか、付与時クレームとの対比(ブラックライン・チェック)を極めて慎重に行う必要がある。また、EPC実務における「beyond reasonable doubt」基準の厳格さを踏まえ、疑義を挟む余地のない形式的・明確な限定を残す補正案(補助請求)を準備することが肝要である。
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