【EPO審判部 / 2026年5月29日】T 0847/25 - プロセッサコアネットワーク用オーバーレイ層に関する特許出願拒絶査定不服審判事件

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、出願人(Appellant: Tenstorrent AI ULC)が欧州特許出願第20188876.5号(発明の名称:「Overlay layer for network of processor cores」)について、審査部による拒絶査定を不服としてEPO審判部(Technical Board of Appeal 3.5.07)に提起した審判事件である。

原査定において、審査部はメインリクエスト等の進歩性欠如(EPC第56条)、明確性要件違反(EPC第84条)、および新規事項追加(EPC第123条(2))を理由に拒絶した。出願人は審判請求において請求の補正を行い、審理の最終段階において「メインリクエスト*(審査部における第3補助請求に対応)」、「口頭審理当日に提出された新第1補助請求」、および「口頭審理召喚状への応答時に提出された第4補助請求*」に基づき、拒絶査定の取消しおよび特許査定を求めた。

2. 判決の主文

審判請求を棄却する(The appeal is dismissed)。

3. 主な争点

  • 争点1: クレーム記載の明確性(EPC第84条)
    メインリクエスト*のクレーム1に記載された「entry point / exit point(エントリ/エグジットポイント)」およびネットワーク・オン・チップ(NoC)オーバーレイグラフ・ストリームの「state(状態)」等の用語が、当業者にとって技術的に明確に定義されているか。
  • 争点2: 口頭審理召喚状送達後のクレーム補正の許容性(RPBA 2020 第13条(1)および(2))
    口頭審理の召喚状送達後および口頭審理当日に提出された新たな補助請求(新第1補助請求および第4補助請求*)について、手続への参入を認める「例外的な事情(exceptional circumstances)」が存在するか、また提起された拒絶理由を一見して解消しているか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) メインリクエスト*の明確性欠如(EPC第84条)

  • 「entry point / exit point」の不明確性:
    出願人は、データがグラフ内を移動する開始点および終了点として当業者が概念的に理解可能であると主張した。しかし、審判部は、それらが概念的に理解可能であるとしても「技術的記載」とはいえず、プロセッサコアやその他の構成要素とどのような関係にあるのかがクレーム上不明確であると判断した。
  • 「state(状態)」の不明確性:
    クレーム1は、NoCオーバーレイグラフおよびストリームが状態を有し、状態変更を行う旨を規定している。しかし、クレームの文脈において「状態」が何を反映し、マルチコアプロセッサの技術的機能においてどのような役割を果たすのかが不明である。明細書の記載や図面を考慮しても、クレーム記載のストリームが「ノード」と定義されている一方で、状態の変更が技術的に何を意味するのか(接続状態なのか、直接性なのか等)が定義されておらず、EPC第84条に違反する。

(2) 新第1補助請求および第4補助請求*の却下(RPBA 2020 第13条(1)・(2))

  • 新第1補助請求の不参入(口頭審理当日の補正):
    出願人は口頭審理の場において明確性拒絶理由をより良く理解したため補正を行ったと主張したが、審判部は「口頭審理段階で拒絶理由の理解が深まったこと」はRPBA第13条(2)に定める例外的な事情(exceptional circumstances)に当たらないと判示した。また、当該補正はストリームの状態等の不明確性を一見して解消(prima facie overcome)するものでもないため、RPBA第13条(1)および(2)に基づき審理対象から除外(not admitted)された。
  • 第4補助請求*の不参入(召喚状受領後の補正):
    出願人は審判部の暫定的見解(Article 15(1) RPBA communication)に対応した補正であると主張したが、審判部が示した指摘は原査定における拒絶理由を洗練させたものに過ぎず、新たな拒絶理由が唐突に示されたわけではない。したがって例外的な事情は認められず、かつ先行する明確性の瑕疵も解消していないため、RPBA第13条(1)および(2)に基づき却下された。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • ソフトウェア・アーキテクチャ関連発明における「状態」等の概念的用語の特定:
    グラフ理論的な概念(ノード、エッジ、パス、エントリ/エグジットポイント、状態)を用いてデータフローやネットワーク層を規定する場合、単に一般的な概念用語を用いるだけではEPC第84条の明確性を満たさない。物理的・ハードウェア的構成要素(プロセッサコア、バッファ、ルータ等)との技術的関係性および機能的動作をクレーム上明瞭に特定する必要がある。
  • RPBA 2020 第13条(2)における「例外的な事情」の厳格な運用:
    口頭審理召喚状送達後のクレーム補正・新たな補助請求の追加は極めて厳格に制限される。「口頭審理で拒絶理由の真意を理解した」ことや「審判部の暫定的意見に対する応答」であっても、それが原査定の理由の発展・詳細化に留まる場合は「例外的な事情」とは認められない。審査段階および審判請求理由書(Statement of Grounds of Appeal)の段階で、予備的・多段階的な補正案(補助請求)を網羅的に提出しておく手続戦略が極めて重要である。

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