【EPO審判部 / 2026年7月15日】T 0110/25 - 中小企業(SME)軽減手数料の適格性、図面修正に伴う新規事項追加および審判手続後期の補正申立の却下(特許取消)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、特許権者(被請求人:Frost Diagnostika GmbH)が保有する欧州特許第3752838号(発明の名称:「生物学的試料における総ヒスタミン分解能の測定方法」)に対する異議申立手続において、欧州特許庁(EPO)異議部が異議を棄却し特許を維持した決定に対し、異議申立人(請求人:Immundiagnostik AG)が審判請求(Appeal)を申し立てた事案である。

異議部は、原出願の図6の縦軸ラベル「絶対ヒスタミン分解能[%]」の削除が、EPC規則139条(明白な誤りの訂正)およびEPC第123条(2)(補正による新規事項追加の禁止)に合致すると判断していた。 これに対し、請求人は、当該削除は不明確・多義的な技術的内容を生じさせる新規事項追加(EPC第100条(c))であり特許は取り消されるべきと主張して審判を請求し、併せて規則7条a(2)および手数料規則第2条(1)第11項に基づく中小企業(SME/KMU)向けの「軽減審判請求手数料」を納付した。 特許権者は、請求人のSME適格性を争い審判の不適法却下を求めるとともに、口頭審理に至る段階で図6の縦軸を修正・削除する複数の補正申立(主請求および副請求1〜9)を順次提出して特許維持を求めた。

2. 判決の主文

1. 原決定(異議部決定)を取り消す。
2. 欧州特許第3752838号を取り消す(Patent widerrufen)。

3. 主な争点

  • 争点1: 審判請求の適法性(SME軽減審判請求手数料の適用要件)
    2024年4月1日のEPC規則改正(規則7条a・7条bの新設)後において、SME該当性の判定基準として欧州委員会勧告2003/361/ECが全体として適用されるか、また手数料納付時点におけるSME要件の具備判断基準(直近の確定決算ベースおよび2事業年度連続超過ルールの適用可否)。
  • 争点2: 原出願図6の縦軸ラベル削除に伴う新規事項追加(EPC第123条(2)・第100条(c))
    図6の縦軸「絶対ヒスタミン分解能[%]」の無置換削除が規則139条に基づく明白な誤りの訂正として許容されるか、あるいは多義的な技術的解釈を生じさせる新規事項追加に該当するか。
  • 争点3: 審判手続規則(RPBA 2020)第13条(2)に基づく審理後期の補正請求の許容性
    第15条(1)に基づく審判部通知後および口頭審理期日において特許権者が提出した図面・明細書補正(主請求および副請求1〜9)につき、手続に参入させる「例外的状況(außergewöhnliche Umstände)」が存在するか。
  • 争点4: 審理を受ける権利の侵害を理由とする規則106条の異議申立て(Rüge)の成否

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

1. 審判請求の適法性について(適法と認定)

  • 法的枠組みの解釈:規則6条(4)(5)の削除と規則7条a等の新設に伴い、手数料規則第2条(1)第11項の委任構造に生じた規定上の間隙(Lücke)は、旧規則6条(5)の趣旨に基づき委員会勧告2003/361/ECを一体的・包括的に適用することで補充される。
  • SME判定の基準:SME適格性は、手数料納付時点における直近の承認済み事業年度決算(本件では2023年度決算)を基準として年単位で算定される(勧告付属書第4条(1))。さらに、閾値の超過がステータス喪失につながるのは「2事業年度連続で超過した場合」に限られる(勧告付属書第4条(2))。また、財務要件は年間売上高(5,000万ユーロ以下)または総資産(4,300万ユーロ以下)の「いずれか一方」を満たせば足りる。
  • 当てはめ:請求人の2023年決算はすべての閾値を下回っており、2024年決算で総資産が一時的に超過したとしても売上高および従業員数要件は維持されており、ステータスは喪失しない(なお、特許権者が提出した生成AIによる検索結果は幻覚(Halluzination)の懸念があり信用性を欠く)。したがって、軽減手数料の納付は適法であり、審判請求は成立している。

2. 新規事項追加(EPC第100条(c))および補正の許容性について(不許容)

  • 図面の削除と解釈の多義性:原出願図6の縦軸ラベルを単に削除したことで、グラフが示すパラメータ(診断特異度、感度、分解能等)について明細書中の矛盾する記載と相まって複数の解釈が可能となり、当初開示に含まれない新たな技術的教示をもたらす結果となった。これは規則139条に基づく「誤りおよび訂正内容の双方が当業者にとって直ちに明白であること」という訂正要件を満たさず、EPC第123条(2)に違反する。
  • RPBA 2020 第13条(2)の厳格適用:特許権者が第15条(1)通知後および口頭審理中に提出した補正請求(主請求および副請求1〜9)は、新規事項追加の争点が異議段階および審判請求理由書当初から明確に主張されていた以上、答弁書(Reply to Appeal)の段階で予備的防衛策として提出すべきであった。審判部が請求人の主張を支持したことは司法判断の通常の過程にすぎず、「例外的状況」を構成しない。また、これらの補正は新たな技術的争点を惹起するため訴訟経済(Verfahrensökonomie)にも反する。よって、審判手続への参入を認めない(不許容)。

3. 規則106条に基づく異議申立ての却下

  • 特許権者は、審判部が多義性の具体的内容を開示せず審理を受ける権利(EPC第113条(1))を侵害したとして規則106条の異議申立(Rüge)を行った。しかし、対象となった erteilte Fassung(特許付与時の形式)の主請求等は特許権者自身により口頭審理中に取り下げられており、申立ては既に対象を欠き失当である。
  • 実体面においても、新規事項追加に関する事実関係および法的争点について当事者双方に十分な意見陳述の機会が与えられており、審判部が口頭審理において事前に判断理由のすべてを開示する義務まではないため、手続上の瑕疵は存在しない。

4. 結論

特許権者が適法に維持し、かつ審判部が認めた有効な請求(gebilligte Fassung)が存在しないため(EPC第113条(2))、原決定を取り消し、本件特許を取り消した。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • SME軽減手数料の算定実務の明確化:2024年4月のEPO規則改正後におけるSME該当性について、欧州委員会勧告2003/361/ECの「直近確定決算基準」および「2年連続超過ルール」が審判手続においても全面的に適用されることが確認された。財務要件が「売上高 OR 総資産」の選択的要件である点も実務上極めて重要である。
  • 証拠収集における生成AI情報の限界:相手方の企業規模等を立証・弾劾するにあたり、生成AIによるインターネット検索結果を提出しても、ハルシネーションのリスクから証拠力(Glaubwürdigkeit)が否定される点が判示された。
  • RPBA 2020下における防御方針の徹底(フロントローディング):原出願の補正・訂正(特に図面やパラメータの削除)に対して新規事項追加の抗弁が提出されている場合、審判請求理由書に対する答弁書(Reply)の段階で網羅的な副請求(フォールバックポジション)を提出しておかなければ、口頭審理期日等での追完はRPBA第13条(2)の厳格な「例外的状況」要件によって一律に排除されるリスクがある。

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