【EPO Technical Board of Appeal / 2026年07月23日】T 1230/25 - HE-SIG-Bフィールドのスクランブル制御に関する特許取消決定に対する控訴審判決

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

本件は、Atlas Global Technologies LLCおよびAtlas Global Technologies GmbH(特許権者・抗告人)が、欧州特許第3353901号(発明の名称:「Apparatus and method for scrambling control field information for wireless communications」)を取消とした欧州特許庁(EPO)異議部の決定に対し提起した控訴審手続である。

本件発明は、IEEE 802.11ax等の無線通信規格において、高効率(HE)物理層プロトコルデータユニット(PPDU)に含まれる制御フィールド(HE-SIG-Bフィールド)のピーク対平均電力比(PAPR)を低減するために、符号化・インターリーブ・変調されたシンボルに対してスクランブル系列(位相回転)を適用する装置および方法に関する。

原審(異議部)は、新規事項追加(EPC 123(2)条)等を理由に本件特許を取り消す決定を下した。なお、控訴審手続中に両異議申立人(TP-LINK社およびVantiva社)は異議を取り下げたが、EPO審判審決部(Board of Appeal 3.5.05)は職権により審理を継続した。 抗告人(特許権者)は、主請求として原審決定の取消しおよび特許の維持(Planted Claimsのまま維持)を求め、予備的請求として補助請求1〜3, 3a〜f, 4, 4a, 5〜7, 7a, 7b, 8〜10, 10a, 11, 11a, 12に基づく補正維持を求めた。

2. 判決の主文

本件控訴を棄却する(The appeal is dismissed.)。

3. 主な争点

  • 争点1: 主請求(クレーム1)の先行技術文献D1(US 2015/0117433 A1)に対する新規性(EPC 54条)
    (クレーム上の「変調(modulating)」および「スクランブル系列(scrambling sequence)」の解釈と、D1におけるブロックコーダーおよびPAPR削減ユニットの開示内容の対比)
  • 争点2: 各補助請求の進歩性(EPC 56条)
    (共通フィールド/ステーション別情報フィールドの分離、20MHzユニットに対する単一位相回転値の付加、サブバンド間のガンマ回転、およびHE-SIG-Bチャンネル割り当て等の構成が、当業者の技術常識から容易に想到可能か、また技術的効果を奏するか)
  • 争点3: 補助請求10および10aの新規事項追加(EPC 123(2)条)
    (「変調シンボルが複写されたブロックを含まない」とする否定規定(negative feature)が、出願当初の明細書に根拠を有するか)

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

(1) 争点1:主請求の新規性(EPC 54条)について

抗告人は、D1に記載された「コンステレーションマッパー」後の変調シンボル数は、その後の「ブロックコーダー」による複製のため「PAPR削減ユニット」前段のシンボル数と一致せず、D1は変調シンボルに対するスクランブルを開示していないと主張した。

しかし、審判部は用語「変調(modulating)」を狭義のコンステレーションマッピングのみに限縮して解釈する理由はないと判示。本件明細書(段落[0123])においても「変調操作はコンステレーションマッピングを含み得る」と例示的に記載されているに過ぎず、「ブロックコーディング」を変調操作の一部から排除する技術的理由は存在しないとした。 したがって、D1のブロックコーダーの出力(48シンボル)に対してPAPR削減ユニットが適用する位相シフト系列は、クレーム1の「N個の変調シンボルにスクランブル系列を適用してN個の位相回転シンボルを生成する」要件を満たしており、主請求のクレーム1はD1により新規性を欠く(EPC 54条違反)。

(2) 争点2:補助請求の新規性および進歩性(EPC 54条・56条)について

  • 補助請求2, 3, 3a〜f(新規性・進歩性欠如):D1の段落[0172]において、48個のシンボル各々に対する複素数値(+1, -1, j, -j等)による位相シフト系列が開示されており、新規性または進歩性を有しない。
  • 補助請求1, 11, 11a(共通フィールドおよびper-STAフィールドの付加):マルチユーザー(MU-MIMO)動作において、制御情報を「共通フィールド」と「ステーション別(per-STA)フィールド」に区分して構成することは当業者の通常の設計変更の範囲内であり、進歩性を欠く。
  • 補助請求4, 4a, 5, 7, 7a, 7b, 8, 9(単一位相回転値の付加):20MHz HE-SIG-Bユニット全体に対し単一の位相回転値を一律に加える構成(特徴(e))は、当該ユニット内のすべてのシンボルに対して同一の位相シフトを与えるに過ぎず、相対的な波形変更を生じないため、PAPR低減という明確な技術的効果を奏しない。これは進歩性に貢献しない無作為・任意な変更(arbitrary modification)に留まる。
  • 補助請求5, 7, 7a, 7b, 8(ガンマ回転の付加):複数の20MHz帯域間でのブロック間の回転(ガンマ回転)の追加について、シンボルレベルにおいては第1の位相回転に第2の位相回転を加えることは単一の統合された位相回転を加えることと技術的に等価であり、単独で新たな技術的効果を生じさせない。
  • 補助請求6, 7〜9, 12(HE-SIG-Bチャンネルの割り当て):異なる20MHzユニットへのチャンネル割り当ての構成は、情報量の増大と伝送の頑健性(ロバスト性)とのトレードオフにおける当業者の通常の選択の範囲内である。

(3) 争点3:補助請求10および10aの新規事項追加(EPC 123(2)条)について

補助請求10および10aにおける「N個の変調シンボルは複写された変調シンボルのブロックを含まない(do not comprise copied blocks of modulated symbols)」という補正(特徴(l))について、抗告人は「変調」の定義を明細書記載に合わせるための否定規定(disclaimer)であると主張した。

審判部は、上述の通り「変調」を狭義に解釈することはできず、出願当初の明細書にこのような排除規定(negative feature)の直接的かつ一意的な根拠(direct and unambiguous basis)が存在しないと判断。したがって、本補正はEPC 123(2)条に違反する。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

1. クレーム用語の広義解釈(Broad Construction)原則の再確認
明細書内に排他的・限定的な定義が明記されていない限り、技術用語(本件では「modulating」)は広義に解釈される。明細書において「〜を含み得る(may comprise)」との例示的表現が用いられている場合、クレーム用語を特定の構成(コンステレーションマッピング等)のみに限定して解釈させる主張は退けられる。実務上、先行技術との差異化を図るための用語解釈を期す場合は、出願段階から定義を明確化しておくか、クレーム上へ明示的に構成を追加する必要がある。

2. PAPR低減技術における技術的効果の立証要件
デジタル信号処理・通信分野において、信号ブロック全体に一律の位相シフト(単一の位相回転)を課しても、電力ピーク対平均比(PAPR)の変動抑制という技術的課題の解決には寄与しないと判断された。技術的効果に基づく進歩性を主張するにあたっては、付加した数値や処理が奏する客観的かつ論理的な技術的効果(技術的課題の解決)を当業者目線で実証・主張することが不可欠である。

3. 否定規定(Negative Feature / Disclaimer)に対するEPC 123(2)条の厳格適用
先行技術を回避するための否定限定の導入にあたっては、出願当初の明細書への十分な開示的根拠(またはEPOの判例実務における「許容されるディスフレーマー」の要件)を満たす必要がある。当初明細書に根拠のない否定規定の挿入は新規事項追加(Added Subject-Matter)とみなされるリスクが高い。

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