1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
【当事者および背景】
原告(Claimant):Biopsafe ApS(デンマーク法に基づく非公開有限責任会社[ApS])
被告(Defendant):Kaltek s.r.l.(イタリア法人)
対象特許:EP 2 720 617 B2, EP 3 061 401 B1, EP 3 653 132 B1(医療・生体組織関連技術)
【事実経過】
- 2025年12月23日: 原告は、上記3件の欧州特許に基づき、統一特許裁判所(UPC)ミラノ地方分館に被告を相手方とする特許権侵害訴訟(UPC CFI no. 2216/2025)を提起した。
- 2026年5月25日: 被告は答弁書を提出するとともに、うち2件の特許(EP'401及びEP'132)について無効反訴(Counterclaim for revocation)を提出した。
- 2026年7月1日: 被告は、UPC協定(UPCA)第69条(4)及びUPC手続規則(RoP)規則158条に基づき、原告に対して被告の訴訟費用を担保するための費用担保提供命令(Security for costs)を求める申請を行った。
【被告の申立理由及び主張の骨子】
被告は、原告の財務状況から将来の勝訴判決に基づく訴訟費用償還請求が回収不能となる正当かつ現実的な懸念(legitimate and real concern)が存在すると主張した。
- 小規模な会社構造: 資本金が約10,700ユーロ(DKK 80,000)と小額であり、従業員も2〜4名のマイクロ企業であること。
- 過剰な配当政策による自己資本の縮小: 前単一株主(Dena A/S)が過剰な配当を行っており、2025年度には当期純利益(約6,231,000 DKK)を超える配当(7,631,000 DKK、配当性向122%)を決議したことで、純資産(Equity)が約480,000ユーロに減少する見込みであること。これは本件本案訴訟における被告の recoverable costs(上限600,000〜800,000ユーロ)を下回ること。
- 流動性の欠如: 過去数年間の現金同等物(Liquidity)が著しく低いレベルにあること。
【原告の反論】
- 法定最低資本金を大幅に上回る資本を有しており、マイクロ企業であること自体は不認可や信用不安を意味しない。
- 2026年6月26日、スウェーデンの投資会社Medcapが原告株式の100%を約1,538万ユーロ(115,000,000 DKK)で買収しており、市場で極めて高く評価されている。高額配当は買収前の事前整理・調整に過ぎない。
- 粗利益および当期純利益は過去3年で急成長しており(2025年当期利益は約834,000ユーロ)、多額の負債もなく財務状態はきわめて健全である。
2. 判決の主文
1. 被告(Kaltek s.r.l.)のUPCA第69条(4)及びRoP規則158条に基づく訴訟費用担保提供命令の申立てを棄却する。
2. 本申立費用の負担については、本案訴訟の判決において併せて判断する。
3. 本決定に対する控訴を許可する(送達から15日以内に控訴可能)。
3. 主な争点
- 争点1: UPCA第69条(4)及びRoP規則158条に基づく訴訟費用担保提供命令の立証要件と責任の分配
(申請人が費用回収不能の正当かつ現実的な懸念の存在を立証できたか) - 争点2: 会社規模(資本金・従業員数)及び過剰配当(自己資本取り崩し)等の事実が「費用回収不能リスク」を疎明するに十分か
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
【判断基準・法的規範(要件と立証責任)】
裁判所は、UPC控訴裁判所(CoA)の確立した判例(UPC CoA no. 890/2025等)を引用し、以下の規範を確認した。
- 訴訟費用担保提供命令の発令にあたり、裁判所は、原告の財務状況に照らし、将来の費用償還判決が「回収不能(not be recoverable)となる正当かつ現実的な懸念(legitimate and real concern)」が存在するか、あるいは「執行不能・著しく困難となる蓋然性」が存在するかを判断する。
- 担保提供の正当性についての疎明・立証責任(burden of substantiation and proof)は申請人(被告)にある。
- 被告が十分な理由と事実を可信性をもって示した(credible manner)場合に初めて、原告側においてそれらの事実・理由を具体的に反証する義務(substantiated mannerでの反論)が生じる。
【本件事実への当てはめ】
裁判所は、被告が主張した各要素を検討し、被告が「回収不能の正当かつ現実的な懸念」を十分立証できていないと判示して申請を棄却した。
- 資本金および従業員数(形式的指標の不十分性):
小額の資本金や少数の従業員という形式的指標は、それ自体では企業の財務健全性を左右する決定的な要素ではない。本件では2026年6月にMedcap社により約1,538万ユーロ(資本金の1,400倍の対価)で全株式が買収されており、評価額に比して資本金の毀損リスクは極めて低い。 - 配当政策と株主交代(捕食的意図の否定):
2025年度の純利益を超える配当の実施は事実であるが、全株式買収(M&A)取引の完了直前に行われたものであり、買収前の妥当な企業評価に基づく利益調整と解される。原告を損壊・枯渇(depletion)させる意図や、収益能力を損なう「掠奪的意図(predatory intent)」に基づくものとは認められない。 - 財務諸表の実質的分析(定量的財務の健全性):
原告の決算書を分析すると以下の通り実質的な財務状態は非常に良好である。- 粗利益(Gross profit)は2023年の約968,000ユーロから2025年には約1,910,000ユーロへと実質倍増している。
- 当期純利益(Net income)も堅調に拡大(2025年は約834,000ユーロ)。
- 流動資産(Current assets)は約1,662,000ユーロあり、特筆すべき多額の負債(debts)は認められない。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
- UPC実務における「Security for costs」の厳格な立証ハードル:
本決定は、UPCにおいて原告に訴訟費用担保の提供を義務付ける要件(「正当かつ現実的な懸念」)につき、申請人(被告)側に一次的な厳格な疎明責任があることを再強調したものである。単に「小規模会社である」「配当により自己資本が減少した」という抽象的理由のみでは認められない。 - 形式的会社構造と実質的財務健全性の峻別:
資本金額や従業員数などの形式的指標(Microenterpriseであること等)のみに基づき担保提供命令を得ることは極めて困難である。裁判所は決算書上の「粗利益の成長率」「当期純利益」「負債比率」といった実質的・定量的データを重視して判断する。 - M&A(企業買収)における評価額の考慮:
訴訟中に親会社が変更されたり、過剰な利益配当が行われたりした場合であっても、それが第三者間での高額な株式譲渡取引(M&A)に伴う正常な取引プロセスの一環であることが立証されれば、企業価値や財務的健全性を補強する肯定的な要素として機能する。
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